下権現堂山   896.7m         上権現堂山   997.7m      猫岩    1008m                        
 
  唐松山    1079.4m                    
         
    
                                                  
                                      

   2018.7.7(土)


  雨     単独     戸隠神社より往復    行動時間:8H25M


@戸隠神社4:40→(70M)→A弥三郎清水5:50→(22M)→B下権現堂山6:12〜13→(68M)→C上権現堂山7:21〜24→(20M)→D稜線分岐7:44→(42M)→E954.3三角点峰8:26→(22M)→F猫岩8:48→(30M)→G唐松山9:18〜27→(44M)→H954.3三角点峰帰り10:11→(33M)→I稜線分岐帰り10:44 →(39M)→J上権現堂山11:23〜24→(27M)→K八合目下降点11:51→(74M)→L戸隠神社P13:05


   
@戸隠神社駐車場より @登山口標柱 @全体図 戸隠神社本殿を拝んでから進む。
       
神社境内内登山口 業の秤。これら展望場が連続する。 A弥三郎清水は、なんと涸れていた。 Aカラカラ。頼りにしていたのに、水無しで行動せねばならなくなった(笑)。
     
神湯コースへの分岐 下権現堂山手前の祠 B下権現堂山。鐘の横に地元山岳会の猛者が居る。 B新しい標識
       
B状態のいい三等点。 下権現堂山東側で、新しい切り拓きが北側に降りて行っていた。 858高点から。右の大きな高みが上権現堂山。その左、鋸歯の様に見える場所が唐松山。 中越戸分岐点
       
C上権現堂山。地元の猛者はここで引き返した。 Cこの標識は猛者らの作業とのこと。 C二等点 C猛者らで権現堂山塊のガイドブックを作ったと言う。1部いただいた。
     
C飯盒の中にノート 上権現堂山側から見る唐松山。 D稜線分岐。ここから先は登山道の状態はかなり良くなる。 歩き易い、幅のある登山道。権現堂山側より1.5倍広い感じ。
     
ロープの流してある場所が続く。 雨であり滑りやすく、帰りの下りは重宝した。 E954.3三角点峰。あと数年で三角点は崩れてしまいそう。 E四等点
   
猫岩(右)手前から。 猫岩手前の巻き道。猫岩頂部は通行できないと書かれている。 F猫岩山頂 F標柱は判読不能。猫岩の東側は、南に僅か下り岩壁に沿うように進むと尾根に戻れる。が、一般向きではない。
     
猫岩の東側の切り立った岩壁。左の岩の上側に鈴が見られる。こちらが猫の顔って事だろう。南から見ないと猫に見えないのかも。 途中から1060峰(左)と唐松山(右) 1060m峰の標柱。ここにも猫岩と読めるが、その上に←が書かれているよう。 1060m峰から唐松山
       
G唐松山 G割られた三等点 G朽ちてきた山頂標柱 G東
       
G南東 G南西 G西 G北西
       
G河内晩柑が、この日持ち込んだ唯一の水分だった。 G川東地区遊歩道尾根の連なり。そそられる。 Gさて戻る。右が1060m峰。左が上権現堂山。 1060m峰帰り。北尾根に拓いた痕のような筋が見える。
       
猫岩の帰りは南側山腹を巻く。 猫岩の下には大きな岩穴が在った。 H954.3三角点峰帰り I稜線分岐帰り。登り返し。
       
J上権現堂山再び K中越戸分岐東側の八合目下降点から下る。 七合目の分岐点。一帯は不思議なほどに下草が少ない。 ブナの平坦地が現れたら水場がある。やっと水にありつける。
       
冷たい水が流れていた。 戸隠神社への分岐。中央に「がに岩」が見えている。 往路の分岐点まで戻る。 L戸隠神社駐車場に戻る。どう停めるのが適当なのか悩む駐車場。台形の地形。




 梅雨明けした中での戻り梅雨、東北を除き雨予報の土曜日になった。アルプス界隈は登山にならないような予報でもある。東北に行こうかとも思ったが、行ったはいいが帰れなくなることも考慮し、少し北の新潟で遊ぶことにした。魚沼の権現堂山塊をまだ歩いていないので、唐松山まで伝ってみることにした。

 
 1:10家を出る。関越は月夜野から乗って小出で降りる。最初に唐松山への道標が見え、そのあとから権現堂山への道標が見えだしそれに伝って進む。手前の園地は親水公園のような造りで、その先に戸隠神社のある登山口であった。道のまま行くと小橋の先で私有地看板が現れ、その手前を山手側に登ると戸隠神社の駐車場となっていた。少し仮眠をする。

 
 4:20。1台のステーションワゴンがやってきたと思ったら、すぐに出発していった。すでに雨具を着て運転してきたようで、着いて1分もしないで雨装備で山中に入っていった。山菜採りかと思ったが、ザックにはザックカバーがされており、見るからに恰好が山ヤ。出発してゆく人を見ながら寝ていられる性質ではなくすぐに準備に入る。


 強くはないが降っていた。Niftyの雨予報に対しYahooが曇り予想を出し続けていたので、それを信じてスパッツだけ着けてスタートする。太鼓橋を渡った先の参道階段を上がり境内に出る。戸隠神社を参詣した後、その奥の登山口から入山してゆく。進む先で、中越コースを右に見て分岐を左に入る。業の秤を最初に、展望場が次々と現れるルートで、振り返りつつ登るのが楽しい展望のいいルートであった。しかし・・・。


 水を得ようと思っていた弥三郎清水は、完全に涸れていた。チョロチョロも見られないほどで、この場所に依存した行動計画だったためにかなりブルーになる。どうしようか、唐松山は端折ろうか。雨は止まずに降り続いていた。晴天なら端折るのが正解だろう。この雨はこんな状況下でも決行できる恵みの雨としよう。雨の日はおおむね水分を欲しないことが多いのだった。と言っても水がないのは・・・。ザックに入っている河内晩柑一個が手持ちの水分だった。でもこんな逆境は嫌いじゃなかったりする。この場を乗り越えてまた成長する。反面、事故に遭えば笑いものになる。


 九十九折になっているのか、上に鈴の音が聞こえる。先行者が近いようだ。先行者は刈払いしながら登っているのが真新しい刈った草から見える。慣れているのだろう、追いかけているつもりだが背中が見えずとても速いのだった。地元の人で間違いないだろう。神湯コースの分岐を経て、その先で祠が見えたら山頂だった。


 下権現堂山到着。標高はそう高くはないが、魚沼の田園地帯が平たく見下ろせ、そのために高度感のある場所になっていた。360度に対し展望があり居心地がいい。先行していた御仁も休んでおり、声をかけようかと思ったら、逃げるように出発して行ってしまった。人嫌いの人もいるので間合いを大事にしているのだが、この時は声をかけてはいけない人だと感じた。鐘の横の白花をスマホで撮影していたが、花ではあるが華の無い咲き具合を被写体にしていたので不思議だった。追うようにして東に降りてゆく。


 尾根上の登山道とは別に、北側に新しい切り拓きが降りていた。小貫木山西を通る破線路と繋げるのかと地形図を見ながら想像した。858高点峰を経て緩やかに降りてゆくと、中越戸の分岐点となる。今日はここまで戻っての下降か、それとも川東地区遊歩道を通って戻ろうかと2路を思っていたが、水がない状況での長駆はギャンブル過ぎここまで戻る選択しかなかった。


 先行している御仁に追いつこうと頑張っているが、離されるばかりで見える御仁の傘は遠くなる一方であった。私もこの頃は傘をさして雨具のズボンを履いて歩いていた。もう少し道幅のある登山道かと思っていたが、先行者がおり露払いができているはずだが、周囲の野草で結構に濡らされゴアのズボンでも我慢できなくなっていた。判っていれば最初から履いていたのだが、Yahooの曇りを信じていたわけであり、降り続くとしたNifty予報が正解なのだった。尾根上は赤土地形で結構滑る。くたびれた登山靴で来たのでグリップせず何度も滑りながら歩いていた。


 上権現堂山登頂。先行している御仁がこちらに気づき、アッと声を出した。と言うことは、下権現堂山ではこちらの存在には気づいてなかったことになる。「速いですね〜地元の方ですか」と尋ねると、にこにこしながら「どこから来たんですか」と聞いてきた。西上州の地名を伝えると、ザックをごそごそとしだし、1冊のガイドブックを渡してくれた。よくできた権現堂山塊のガイド冊子であった。地元の山岳会の重鎮の方であった。「ここまでで帰るけど先に行くの?」と尋ねられ、「唐松まで行きます」と即答してしまった。水がないので唐松は、上権現堂山に着いたら再考しようと思っていたが、「行く」と返答してしまって後に引けなくなったのだった。


 戻ってゆく猛者の背中を見送った後、東側へと進んで行く。南東に降りながら顔を上げると、双耳峰のような唐松山が見えている。ただしその間には240mの下りこみの後の登り返しとなる。降りつつもここでの帰りの様子が見えるようでもあった。この下りもよく滑り、左右の植生に掴まりながら降りてゆく。引き返すなら今なのだが、時計を見るとまだ8時前だった。ガンガン歩かないともったいないのだった。


 稜線分岐からの道は、以西までの道とは違い、下草で足元を濡らすような場所はほとんどなく、ここにきて一級路に乗った印象であった。道幅も以西に比べ広いのだった。中子沢地区から登る唐松山コースの方が道がいいってことのようであった。地図に描かれない池を二つほど見ながら進む。よっぽどなら煮沸して利用してしまうが、そこまでののどの渇きではなかった。急登斜面には太いロープが流してあり、滑る足元にありがたく利用させてもらう。雨は強弱は伴うが、止む気配はなかった。傘を差しながらの登行が続く。


 954.3三角点峰通過。南西側が崖になっており、あと500mmほど崩れると、三角点の場所に到達しそうな勢いで、いずれ崩れ落ちてしまうだろうと思えた。ユニコードは埋め込まれていないが、新しい四等点が立っていた。進む先に猫岩が見える。この時、左に見える岩肌の場所かと見ていたが、近づいてゆくと右に見える高みが猫岩の本峰であった。その西側基部には、尾根上を伝って進めないと書かれて巻き道を進むよう促している。とりあえず目標座なので尾根上を進んで行く。


 猫岩の山頂には判読不能の標柱が見られた。よほどの岩ヤでもそのまま東へ抜けてゆくのは酷な自然地形で、岩が崩れ落ちてしまっているように見えた。少し東に進むと、南に降りる踏み跡があり、そこから先は岩壁に沿うようにして南東側へと進んで行く。あまり高度を下げないようにトラバース気味に進むと尾根上に戻ることができる。雨で岩肌が滑るのでかなり神経を使っての通過となった。東に進み振り返ると、猫岩の東側の岩にワイヤーが巻かれ鈴が着けられていた。と言うことはこちらが頭ってことになる。しかし現地ではほとんど猫には見えない岩であった。


 猫岩を通過しての東側には、真新しいロープを敷設してある場所もあった。山開きに合わせ、今年敷設したような新しさであった。伝って進み1060m峰に乗り上げると、意外にもここに「猫岩」と読める標柱が立っていた。座標がおかしいので、よくよく判読すると「→山頂←猫岩」と書かれた道標のようであった(本当は判らない)。一度下っての登り返し、やっと折り返し地点に到達した。


 唐松山到着。見える景色からは深山にいる印象が強い。周囲の山々が高いので自分の居場所が見劣りするが、時間の経過からは高峰に到達しているような時間であり達成感は十分。すぐに水分を得るために河内晩柑を食べる。なんておいしいのだろう。多分ここで、5000円で売っていても買うだろう水なしの貧水登山者。雨は依然止まず降り続くばかり、叩かれ叩かれ休まず歩けよと言われているようであった。中央に鎮座する三等点は、大きく角が割られ痛々しかった。登山者の行為は、アメフトの悪質タックルよりさらに質が悪い。南西麓に川東地区の遊歩道尾根の連なりが美しい。ぐるっと出来たら言うことはないが、今日は無理だった。


 唐松山から先も作道の計画はあったのだろう。地図を広げ、902.8高点までの破線路と勝手に繋げそう思うのだった。西進開始。少し気づいたのだが、雨がなかったらかなり蚋が舞う場所と思えた。少し雨が弱まると、ワッと蚋が集まってきていた。そう言えば南の大力山の時は苦しめられ、同じエリアなのでこの時期は晴れていたら多いのだと思った。さらに、本日行き会った猛者は、防虫のフードを頭から被っていたのだった。1060m峰に戻り、再度標柱の文字を読む。やはり山頂標識ではなく道標のようであった。


 猫岩は南側の巻き道に進むと、岩の下には直径1100mmくらいの岩穴が見られた。奥を覗き込もうとしたが暗すぎて見えず、フラッシュを焚いたものの、雰囲気中の水分量が多く白くなってしまった。巻き終え尾根に戻る。954.3高点を過ぎての尾根上では、雨の中でもマムシが登山道上に出てまったりとしていた。実は往路でも大ぶりなマムシを見ており、これで2匹目であった。餌となるカエルなどが多いのか、大きな個体のマムシであった。ロープを握りながら急斜面を降りてゆく。北側は毛の又沢の源頭、南は手の又沢の源頭、南北どちらに降りてもすぐに水にありつけそうであったが、のどの渇きは唐松山での河内晩柑で幾分か癒されていた。


 稜線分岐に戻る。ここからの登りで、頭付近を邪魔する枝葉を傘で防御していたら、ポキンと柄が折れてしまった。こうなるとカッパを纏うしかないのだが、蒸れるより濡れていた方が快適との判断としてそのまま進む。1時間ほどかかると思った登り返しは40分ほどが実際だった。ここまで来ればあとは下り勾配なのでそう負荷はない。山頂に残るソールパターンを見ると、本日の入山者は二人のみだったよう。北西へと降りてゆく。


 往路に雨具を履くのを端折ったので、靴の中はぐっしょりと浸水していた。下りとなるとそれによりつま先が痛くなり、何度も踵側に足を寄せる。中越戸東の下降点から尾根を離れて降りてゆくのだが、南の緩斜面は驚くほど下草が無く歩き易そうな植生であった。そんな中にはっきりとした登山道が切られている。そして七合目で中越戸からの道が合流していた。


 途中から流れを跨ぐ場所が多くなる。ほとんどが雨に濁った水で飲めそうな場所でなく我慢が続く。それがブナの林立する緩斜面になると、升が置かれた水場が現れた。飲んでくださいとばかりの場所で、そう言われなくても欲していた。おいしくはないが、冷たさでカバーしている水で、やっと生き返る。言うまでもないことだが、水は大事とつくづく思う。水なしでも耐えられるのは、学生時代に水なしで扱かれたからだろうとは思う。苦労はした方がいいのかもしれない。この先もいくつもの沢を跨ぐ。


 途中から針葉樹林帯の中を降りてゆくのだが、流れが通るのか荒れている場所も見られた。小黒川の沢音が近くなり、麓が近いことが判る。途中の分岐は戸隠神社の方へ道を選ぶ。地形に沿って巻き込むように進んで行くと、がに岩の場所で、そこから見下ろす小黒川の景色は峡谷の雰囲気の場所で流れも強かった。足場に注意しながら岩場を抜けてゆくと、往路に見た分岐点に出て、そのまま進むと戸隠神社の境内に戻った。


 往路は見なかったので、境内にある九頭竜大権現と池に寄ってゆく。山中に入っている間に参道脇の下草刈りがされたようで奇麗になっていた。翌週は神社の例祭であった。沢より引水されたシンクの場所で汗を拭い降りてゆく。ここの階段の手すりは単管パイプなのだが、ジョイントのすべてに保護するようにテープが巻かれている。雨の日は滑りやすく、気を付けていても滑る人がいるだろう。保護は正解で、八ヶ岳の私の背中をえぐり骨折した場所もまた、行政が対処したと聞いている。単管パイプは便利だが、保護しないと安全性には欠ける。


 駐車場に戻る。神社側に小さな沢水だまりがあり、雨具や靴を洗うのに適当であった。終始雨で、完全に濡れねずみ状態で不快、この後は一番近い神湯温泉を目指すのだった。中越コースは別として、日差しの中を歩くコースが大半なので、夏季以外がここの適期なんだろうと思えた。


 振り返る。川東地区遊歩道を伝えなかったことが心残りだが、水を持たなかったことが原因であり、半ば自業自得である。蚋には刺されなかったので幸いしたが、帰ってから痒みで苦しんだのは毛虫刺されであった。全50か所くらいやられた。藪を漕いだわけでなく、触れたのは登山口から稜線分岐までで、あとは猫岩を巻き道を使わないで進んだ時の岩壁周辺の植生を掴んだ時。長袖を着れば回避できたのだが、22℃で雨で蒸れるのを回避したい方が優先した。と言うより、この時期はいつもTシャツ行動であった。もしかしたらロープでやられたか、手の内側にも被害が多いのだった。

 この日を含めた西日本の豪雨は、「平成30年7月豪雨」と名付けられるほど被害をもたらした。


 

 

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