赤倉山      1442.2m    
                                   
  
                                                                                                       
   2019.9.7(土)


  晴れ    単独    南尾根末端より     行動時間:5H18M


@駐車スペース5:06→(4M)→A南尾根末端5:10→(33M)→B840m峰5:43→(25M)→C920m岩壁6:08→(38M)→D1120m峰6:46→(36M)→E1325高点7:22→(22M)→F赤倉山7:44〜52→(M)→G1430峰7:54→(3M)→H水場7:57〜58→(12M)→I1400m峰8:10→(35M)→J1140m破線路に乗る8:45→(51M)→K林道終点9:36→(17M)→L駐車スペース9:53


   
@深沢沿いの林道に入り、鉄塔北側の駐車余地に停めてスタート。 A深沢橋右岸の尾根末端から取付く。 A一般民家があり、私有地のように見えるスペースであるが、深沢に降りてゆく道が東にあり公的な土地のようだった。 階層になったよう壁を繋ぐ階段。
       
700m付近。角の立った露岩があり、やや岩登り風味。 フェンスを支えるワイヤーが東側に延ばされ、潜りながら進む。 いきなり深いカヤの植生。720m付近。 カヤの先はササも濃い。通過後に撮影。730m付近。
     
840m付近に大岩があり太いワイヤーが巻かれている。西から巻き上げる。 大岩の上は展望台。 B840m峰 B840m峰から進んで行く尾根筋。
       
840m付近。プチ蟻の戸渡り。 キレットの先で高低差のある通過点がある。足場が流れる。 850m付近 900m付近。東側の谷に鹿が居たので、東側を巻き上げた方が良かったのかも・・・。
       
C920m付近。核心部の岩壁。見える中央左も登ろうと思えば登れる。ただヘルメットを被って登りたい場所。 C920mの壁は北側へズレて進む。 C最初にズレた場所の上は手がかりの無い岩壁で、さらに北側へと進む。 C小尾根を乗越し、この谷に入る。谷の下側を見ている。
     
C谷の上流側へ這い上がる。ここまでに4mほど岩登り。岩盤であまり手がかりがない。 左の絵の場所を抜けると、南にバンドがあり、踏み跡になっていた。危険個所は無く伝い易い。 960m付近の上側 960m付近の下側
     
970付近から下側。Cの最初の絵の上側の地形。 1010m付近。ザレ斜面も終わり登り易くなる。 1030m付近 1030m付近から下側。
   
1040m付近で樹林帯となる。 1050m付近。 D1120m峰 1310m付近。やや急峻で尾根上の鹿道は薄い。
     
E1325高点峰 1370m付近から笹の植生となる。 尾根上に明瞭な道形が出だす。 F赤倉山。見える倒木の下に三角点がある。
     
F倒木の下の笹の中に三角点。 F状態のいい三等点 Fニスが厚塗りされた標識。 Fカレーパン
   
F東から西を見る。 F北側の道形 G1430m峰 H水場が見下ろせる。
        
Hそこそこの流量があり十分給水できる。 H流れ出る穴から、絶え間なくシューと特異な音がしていた。 1410m峰 1410mから北側
       
I1400m峰 I1400m峰で道形が二分する。 1360m付近北側の景色。 1330m付近。東進から南進へ。
       
1300m付近。東側の展望地。 1300m付近から尾根上にカヤの植生。 1270m付近。大きなシカが走り回っていた。 1210m付近。広葉樹の植林帯。
       
明治四十年建立の、山の神があった。 J1140m付近で破線路に乗る。 石組み、石畳の道。 右岸から左岸へ
       
左岸から右岸の場所で初めて道標に出合う。 雨量観測所 970m付近の石組み 真新しい木橋
       
大堰堤 赤い欄干の木橋で左岸へ。林道終点地まで登り上げ。 K林道終点地 K保安林絵図
       
林道から見る核心部。往路の岩壁はこの尾根の向こう側。  林道から備前楯山側。  L駐車余地に戻る。   




 加村一馬さんの「洞窟オジさん」を読み終え、無性に足尾の山に入ってみたくなった。13歳が山中で独りどうして暮らせたのかと検証したかったのが一番で、現地が植生を含め生きるために必要な要素がどう絡み合っているのかと興味が沸いた。鉱毒の場所であり、生活に適さない場所とも思え、疑心を大きく抱いていた。でも実際に山中で生き抜いていた事実。

 
 西側の備前楯山と中倉山は山旅を終えたので、残っているのが東の赤倉山であった。半月峠への古道(半月道)をアプローチに使う人が多いようで記録が読める。でも深沢と久蔵川に挟まれたこの山は、尾根末端から南西尾根を登ってみたいと思えるのだった。衛星画像で見ると、1000m付近までは岩肌が多い。いつもながら緊張しつつ心して挑むこととする。

 
 1:00家を出る。50号から122号と繋いで、2時間ほどで足尾に到着する。深沢沿いの林道に入ると、60mほど上がった場所にアスファルト舗装された駐車余地があり、水平地形で仮眠にも適していた。静かな場所で、新聞配達も動き出すのが遅いのか夜明けまでほとんど排気音が聞こえなかった。そして空の星が綺麗であった。

 
 5:06出発。まず下り深沢を深沢橋で渡って尾根末端へと行く。その場所には一軒の民家があり、敷地内を無断進入するような感じであるが、よく見ると深沢へ降りてゆく道があり、私有地ではこうはならないので、公的な敷地と解釈した。尾根には単管パイプでの階段が付けられている。ニガイチゴだろうか、とげのある野草が茂り最初の洗礼を受ける。土留めのよう壁が階層になっており、それらを3つの階段で登って行く。階段が無くなったら、その先は東側に進み上に行く。

 
 角の立った露岩が現れ、これらは崩れやすい。このことからは、『ここは登ってはいけない』のかもしれない。下に民家があることからも。最大限の注意をしながら場所を選び足を出して行く。尾根の肩まで上がると、西側を覆うフェンスがあり、フェンスの重みを支えるワイヤーが東側に何本も張られ、それらを潜るように進んで行く。既にこの辺りからカヤが出だし、だんだんと煩くなってくる。

 
 カヤの植生が現れた最初は、左右に逃げながら進めたが、710m付近から逃げ場所が無くなってくるので平泳ぎが始まる。カヤが終わった先では、今度はササが待ち構えていた。距離にしたらトータル30mほどの範囲であったが、思いのほか濃く生えていた。時季を外せば、カヤの方は回避できるだろう。ここでカヤの葉に目を擦られてしまい、眼球表面が傷ついたのかしばらく痒くて仕方なかった。「こんな場合は保護メガネをしましょう」とリスクアセスメントをする週中なのだが、週末は無防備な時がほとんど。

 
 この日もワークマンの雨具を履いていた。夜露を纏った植生に、まだ歩き出しから20分ほどなのにびしょ濡れとなっていた。暑かったので上着は着なかったが、ここの通過は雨具の上着も着た方がいい。多分ここでの藪漕ぎでだと思うが、腹部をササダニにかなりやられてしまって下山後に痒い思いをすることとなったのだった。

 
 800m付近に大岩がある。これには二重のワイヤーが巻かれ、以前は荷重のかかる作業の支点となっていたようであった。その西側には人工の石積みもあり、何かがここにあったようにも見えた。この大岩の上は展望台的場所で、西側の景色を楽しむのにいい場所であった。休憩適地で視界を遮るものは一切ない。

 
 840m峰に立つと、その先の尾根筋を目でなぞることができる場所となる。ここからの北側は、岩稜風味の場所も多く、蟻の戸渡りな感じの場所もある。東側の沢にはコンクリート構造の堰堤が造られてあり、その下側を大きな日本シカが西へ向けて横切っていた。1004高点の場所と現在地を結ぶには、シカが通過した場所を東に行った方がよく、ちょっとここでは進路の判断を迷っていた。尾根筋はまだ続き、シカが居た谷に向かうには尾根を逸れることになるからだった。進む尾根には、小さなキレットがあった。こんな場所は動物が通過に使うが、ここに足跡は見られなかった。

 
 キレットの先で、足場の悪い斜面を2mほど下る場所がある。ここは少し手前から東に降りた方が楽に通過できるようであった。840mの場所が、先ほどシカが通過し西の谷へと乗越して行った場所だった。ここから少し露岩が多くなり、900mまで上がると向かう先に岩壁が立ちはだかっているのが見える。とりあえずその直下まで行ってみよう。直登できそうなら這い上がり、ダメそうなう回路を探さねばならない。

 
 920m付近の壁下となる。尾根の頂部が壁にぶち当たった場所から、3mほど西に登れそうな場所がある。がしかし、わずかなミスをしたら壁下の谷に落ちてしまい大けがとなるだろう場所だった。どこか抜けられる場所があるはずと壁下を西にズレてゆく。小谷の先の小尾根にまで行けばと進んだが、この小尾根の上の壁は全く登れそうもない一枚岩だった。さらに西に進む。大きな谷の源頭があり、そこが抜けられるのではないかと、東側からでは見えないこの場所に期待した。しかし920mより下側は植生のある谷だが、そこから上は岩で形成された
谷地形で、気持ちばかりかの植生がある程度であった。でもここを抜けてみよう。

 
 谷の中央部まで行くのに、横ズレしてゆくのだが、手がかり足掛かりが乏しく、わずかな突起に指先を引っかけるようにしてバランスを保ち進んで行った。岩構造の谷の中央部は苔が多かった。その中央より2mほど西側を登り、5mほど高度を稼ぐと安全地帯となり安心して立っていられる場所となる。周囲をよく見ると、南側へと続くバンドがあり踏み跡も続いていた。下からここに繋がる踏み跡もあったのか、そう思って見降ろすも野草以外は見えなかった。

 
 バンドを進む。大きく場所が違うが、剱岳北方稜線の白ハゲから大窓へとルートを探しながら歩いているような雰囲気であった。植生やザレた雰囲気は双方の場所でよく似ている。北方稜線も楽しいが、ここも楽しい。ちょっとしたスリルが継続しているのも同じであった。

 
 960mまで上がると、岩壁の上となり伝ってきた尾根筋が俯瞰できるようになる。先ほどの最初に突き上げた場所の岩壁を登った上はどうなっているのかと偵察に進む。そこはガレた地形で落石が起こりやすい場所であった。壁の下では上がこのようになっていることなど判らない。壁を登ったら、東側の小尾根側に進んだ方がいいようであった。

 
 1010mまで上がると、ほぼ危険地帯から脱した感じとなった。800m付近からここまで、精錬所の煙害のせいか高木がほとんどない斜面であった。1030mからは広葉樹が見えだし、元からあっただろう自然の姿を見せていた。ややカヤの煩い通過点だが、少しの我慢で東側に逃げられるようになる。東側は広葉樹がびっちりと生えるが、下草は全くない斜面が広がっていた。1050m付近からはほぼ樹木の下を伝うようになり日陰歩行となった。そこにはシカ道も見られる。

 
 1120m峰から先は、地形図表記より現地は痩せたような地形に思えた。クマの通過点なのか、まだ新しい糞が落ちていた。ここも煙害によりクマが生息しなくなり姿を消した場所であった。「足尾にクマが戻ってきた」と聞こえるようになったのはつい最近の話。外敵となる大型獣が居なかったことも、「洞窟オジさん」が少年時代に廃坑で暮らせた要因なのかもと思うのだった。糞は見られたものの、爪痕や熊棚はほとんど見られなかった。

 
 1325高点峰は、前後にポコポコとした高みがあり、スマホで確認しないとピンポイントでこことは判らない現地であった。ここまで登れば目標点まであとわずか。1370m付近から踝丈のササが現れだし、その中を7分ほど進むと一筋の道形が見えるようになる。だいぶ細い筋なのでシカ道なのだろう。赤倉山まで導いてくれた。

 
 赤倉山登頂。膝丈ほどの笹に覆われた山頂で、リョウブの木を中心に丸く踏み跡が出来ていて、その南東側に標識の縛られた木があった。三角点のある山頂であり探索に入ると、地面に着地していない倒木の下にササで覆われた三等点が埋まっていた。南東尾根を伝って登る人が多いようで、マーキングが続くのかと見下ろしたが、山頂近くに一つ見られただけであった。さて下山はどうしよう。1514高点峰を踏んで実線路に出てみようか。とりあえず北に向かってみることにする。

 
 踏み出しておやっと思った。先ほどからの道形が北にも向かっていた。それも一切途切れることなく1430m峰に乗り上げ、ちゃん屈曲して東に向かっていた。鹿ならもう少し枝道が発生し幾重にも筋ができるはずだが、ここのは一本道なので作道された跡のように思えてしまった。1410m峰へ向かうと、東側の1400m付近に流れだ出ていた。降りて行き湧き出ている場所を覗き込むと、その穴から機械的な音がしていた。なにかホースで引水しているかのようにシューと鳴り続けているのだった。飲んでみたが、そう冷たい水ではなかった。

 
 尾根に戻り1410m峰に立つ。そしてそのまま1400m峰へと道が導いてくれた。このまま1446高点峰経由で北に走っているので間違いないだろう。ここまではっきりした道形があるのなら踏査しなくていいやと思えてしまった。ここで東側の尾根へと進み降りてしまうことにした。1400mからは道形も二分し、北側へも東側へも道形が進んでいた。

 
 1330mの肩まで進むと、尾根の南側にマーキング縛ってあった。ここからは南東に尾根を進んでもいいようだし、南西に谷を下ってもいいようだ。谷の方は伝いやすそうな緩やかな勾配で下に続いていた。尾根を選び降りてゆく。道形は消えたので、九十九折りのある真東側へ降りて行っていたのかもしれない。1300m付近からは尾根の西側にカヤが見えだし少し構える。この山塊に入り優しいカヤの場所を体験していないからであった。幸いに植生は東側に無く、尾根の東側を伝いながら進んで行く。ここには大きなシカが何頭も居て、警戒音を発しながら東へ西へと走り回っていた。

 
 1240m付近まで降りると、植林された斜面となり、クヌギ類やヤマザクラなどが規則正しく植えられ、その周りを黒い食害除けのネットが覆っていた。ここは上の方は笹原だが、下の方はカヤで、分けて進むにも花粉をまき散らすように辺りが煙幕のように真っ白になっていた。植林地下には棚のような道幅のような地形があり、その先には沢が流れていた。深沢に出合ったのかと思ったが、流れは右から左に流れていたので、すぐに支流と判断できた。何の道だろうと道の延長線上を見ると、何かが立っている。人工物にも自然物にも見える石で、結果人工物であった。達筆で彫られているのでしばらく何なのか判らなかったが、じっと眺めていたら読めてきた。「山神」と書かれているのであった。「明治四十年 十一月吉日」と彫られている場所はハッキリと判り、これが建立した日付であった。東に降りてゆくと、1140m地点で深沢沿いの半月道に乗った。

 
 山道に乗ったと楽に構えていたが、乗って一分もしない場所で大きく地形が抜け落ちている場所もあり這い上がる。それでも立派な古道で、石を積み橋にしている場所や、石を並べ石畳になっている場所が続く。その昔はオート三輪くらいなら通れたほどの道だったのだろう。残念ながら今は渡渉点を主に荒れつつあった。お墓が見えないので集落は無かったようだが、在ってもいいようにも感じられた。

 
 しばらく続いた右岸歩きから左岸に渡り、次に右岸に判る場所で、初めて道標が現れ、道標は足尾から半月峠へ続いていることが読める。汗を拭い顔を洗いつつ渡渉してゆく。暗い中の通過だったら、ちょっと進路が見えずらい場所であった。渡渉点から5分ほど進むと、国土交通省の雨量観測局が設置されていた。肝心の計測装置の上にたくさんの落ち葉が堆積しており、気になったので除去しておいた。若干は計測結果に変化があるだろう。葉が堆積するってことも自然の中の一部であり、含めで計測しているのだろうと思う。装置はJRC製であった。

 
 970m付近には高さ2.5mほどの城塁のような石積みが見られる。上に灯篭があり神社跡のようにも見えるが、この峠道には5軒の茶屋があったそうだ、その一つだったのかもしれない。現在見えるものから往時を想像するのも面白い。古道を水路が横切るような場所もあり、しっかり石組がされ水路として造られているのも珍しい。よほどの古道利用者が居ないとここまで手をかけないだろう。

 
 880m付近には新しい木橋が設置されていた。荒れるがままではなく、いくらかは整備しているようであった。大きな堰堤を左に見たら、その先で右岸の道は終わり、赤い欄干の橋が見えてくる。渡る選択肢しかないようなので渡って進む。左岸に乗ったら林道幅の道形が降りてきており、そこを登り上げると林道の終点地であった。何の施設か西側には強固なフェンスが続く。

 
 林道は若干の刈り払いがされているものの、車の通行に適する状態ではなく左右からの野草がかなり張り出してきていた。下って行くと、単独のハイカーが登ってきてわずかな挨拶のみですれ違う。もう10時近い時間にどこまで目指すのだろう。日焼けしよく歩いている風であった。
駐車余地に戻ると、もう一台停まっていた。間違いなく先ほどの方のものだろう。

 
 振り返る。南西尾根は登り利用の場合はザイルは不要だが、下りに利用した場合は最低でも30mは持っていたいと思えた。どこで壁の上に出るか上からは一切見えない。どこの上に立っても困らないのがたぶん30mくらいだろう。登りに使い、岩壁の場所はルートファインデングをするに面白い場所であった。力量によりいろんな選択ができるだろう。伝い方によりグレードを変えられる場所であった。安全通過には、西か東に大きく振った方がいいのかもしれない。








 

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