東大桁山        728.1m        観音山        797m         
                                                                        
                                      
   2019.11.23(土)


 雨    単独     大桁湖湖城の館から     行動時間:3H


@湖城の館P6:28→(13M)→A峠平線起点分岐6:41〜42→(7M)→B590m分岐6:49→(32M)→C東大桁山7:21〜26→(20M)→D590m分岐帰り7:46→(7M)→E峠平線起点分岐帰り7:53→(7M)→F川後石峠8:00→(49M)→G観音山8:49〜53→(8M)→H760m峰から東尾根下降9:01→(27M)→I戻る9:28


   
@湖城の館からスタート。 @トイレ舎の先でゲート A550m分岐。 A峠平線に入って行く。
       
A旧キャンプ場施設。造りはがっしりしているので状態はいいが、廃屋風味。 B590m分岐 590mの分岐から、最初の林道幅の道を伝うとこの分岐となる。右にも左にも行かず。又の場所を真っすぐ進むと破線路にぶつかる。判らず右に進んだ。 右の道に入り行き止まりとなった場所から西に15mほど戻ると道形がある。
     
広い道形に乗る。これが破線路。 破線路に乗った場所にはアンテナが立っていた。 祠と、その西側に造林記念碑が建っている。 東進になると北からの林道幅が合流する。「第5林班」の白いプレートあり。
       
720m峰。これまでの北進の道が西進に屈曲する場所。破線路は山道風味になり真っすぐ進む。※1 東大桁山直下西側。南の巻き道と山頂への道がある。 C東大桁山 C石像が並ぶ。2体は首が無い。
       
C北東側に三角点が埋まる。 Cエッジの立った状態のいい二等点。 東側に降りると分岐があり、巡視路が派生している。 西の720m峰に戻る。※1の写真の場所。
       
直線的な破線路の場所には、このように樋状になり、左右はV字形で伝い難い。 D出てきた場所を振り返る。往路は、青い看板のある方に道に入るのが正解だった。 E峠平線起点に戻る。左折して登って行く。 F川後石峠からは西進の林道に入る。
       
途中の「けやき母樹林」 この場所から左に見える踏み跡に取り付いた。 下草の無い斜面を登る。 尾根に乗ると防火帯のような幅があった。
       
760mピーク。 800mピーク G観音山到着。山頂中央に注意看板が立つ。 GGさんのテプラ標。
       
G西から見る山頂 G北西尾根側。進むと採石場。 Gヤキソバパンと 800m峰は帰りは南を巻く。
       
H760m峰の境界標柱 H760m峰からの東尾根 630m付近から北側の尾根を選ぶ。 雨を纏った苔
       
大桁湖左岸の道に降り立つ。 左岸側のゲートと、向こうは右岸側の本道ゲート。
I湖城の館前に戻る。19号の影響で園地は荒れ、入口は塞がれ入れないようになっていた。  




 早朝は用事があり午後には予定がある、ましてや雨。家にじっとしていればいいだけなのだが、そうしていられないからしょうがない。性懲りもなく西上州の山を目指す。冷たい雨なので里山を選び、大桁湖東の東大桁山と、反対の湖の西側に在る観音山を抱き合わせにすることにした。

 
 大桁湖に行くのは2004年の10月以来なので、15年ぶりとなる。ワイパーを動かしながらまだ暗い大桁湖に到着する。湖城の館は、センサーライトが表と裏に付いており、当然ながらそれが反応するのでドキッとさせられる。東側の車道を通っただけで反応するので、センサー感度は最大となっているのだろうと思う。南側への道はゲートされていたので、湖城の館の駐車場に停める。少しラジオを聴きながら夜明けを待ち、白みだしたら雨具を着こみ準備をする。

 
 6:28行動開始。冷たい雨で、最悪1座のみで帰ろうかとも思いつつ歩き出した。ゲートは南京錠が施錠してあり、管理された施錠状態であった。ここも19号の影響だろう、抜け落ちた路肩などが見られる。標高550mの分岐がある。ここの西側にはコテージのような廃屋があり、赤く錆びた屋根が使われていないことを伝えていた。これは県のキャンプ場だったかと記憶する。分岐には峠平線起点と書かれた標識がある。

 
 舗装林道を東進してゆく。すぐにある分岐する道は702高点峰の東を通って北に行く道で、次の分岐までしばらく舗装路歩きとなる。付近では伐採作業に入るのか、ワイヤーを設置した重機準備がされていた。特に工事看板が見えなかったのでどんな工事なのかは判らなかった。右に見える沢沿いには歩道のような道形も見えていた。

 
 590mの分岐に到達し、ここからの実線路を北に入る。地形図ではすぐ西に破線路が派生しているのだが、現地には林道幅の道となっておりぜんぜん破線路ではなくなっているのでおかしいと思った。進んで行くと地形図記載の場所より大きく西に振り、南尾根を乗越すところまで進んでから北に向かいだし、その先で分岐となった。左を選ぶべきか右を選ぶべきか全く判らず、唯一破線路を伝っていないと理解していたことから、西側に行ってはいけないと判断し、右(東)へ進む道を選んだ。しかしこの道はその先で行き止まりとなった。どこかに上に行く道が在るはずと、行き止まりから15mほど戻ると、薄い踏み跡が上に向かっていた。この時、破線路は伝っているこれでやっと破線路に乗れたと思っていた。

 
 細い踏み跡を軽く触れる野草を分けながら進むと、何のことは無い右から現れた太い道形に乗った。これが破線路の本道だったのか・・・。となると、この道の入り口は、入ってきた場所のさらに北側に存在していたってことになる。ルートミスをハッキリと把握した。里山は迷い易いと言われるのは、無数に道があるからとも言われる。今回がそれだろう。

 
 道形を登ると石祠があり、その西には造林記念碑が建っていた。尾根上に防火帯のような幅で続き、やや急峻な場所もあるがあまり踏まれていない感じであり、足の置き場が定まらない感じで登っていた。北進の道が東進に変わると、その先で北からの林道幅が合流した。560mからの北への実線路に入っても、この道に至れるのだろうと予想する。

 
 周囲は樹林帯で、況してや雨のためにガスが垂れ込め視界はほとんどない。朝になったので何かの放送が南から聞こえるが、こだまが重なりハウリングして内容は聞き取れなかった。雨は止む気配がなく、雨具の中で汗した体が不快極まりない。720mの高みまで達すると、これまでの道は左折して西に向かいだした。ここから植林地脇の山道へと降りてゆく。濡れた泥濘斜面で滑りやすい斜面であった。20mの高低差を降りきると、東からの道が北東側へと抜けて行っていた。ここで帰路に使おうと思っていた谷部を伝う破線路を見るも、その場所に踏み跡は見えてこなかった。復路に探すことにして東進してゆく。

 
 東大桁山を目の前にして、尾根道とその南側の山腹の道と分かれていた。尾根道の一択で石像の立つ東大桁山に登頂する。明治時代の神仏分離の影響だろうか、3体あるうちの2体の首は無い。よく見ると首のある1体もコンクリートでくっつけてあるのが見える。2体分は発見されなかったのだろう。三角点はその東側にあり、奇麗な角の立った二等点であった。一部わずかに角が割られているが、それでも美しい造りの標石であった。

 
 北東に降りてゆくと先ほどの山腹の道と合流した。そして屈曲し北に進む場所から東に巡視路が別れ、そのルート上に標柱が黄色く見えていた。北に進んでは全く逆方向なので、ここまでで踏査は終わりで踵を返す。700mの谷ルートの下降点の場所で再度ルートを探したが、やはりよく見えてこなかった。まあ適当に降りてゆけば出てくるのだろうとは思ったが、往路で既に外しているので、また外すとショックなので往路の尾根道を戻った。

 
 往路にこの道形に乗ったアンテナのある場所から下は、流れの為だろう中央に幅100mほどの樋になってその両側地形は概ね挟角50度ほどの角度で下に続いていて歩き辛くてしょうがなかった。降り立った場所には青い看板があり、往路に入った林道幅の道の先、わずか10mの場所から分岐していた。こんな近接して2本あるとは判らなかった。舗装林道を西に戻って行く。


 依然止まない雨に、冷たく汗した体に、2座目は保留にしようかとも思ったが、分岐に戻った時は迷うことなく南に登りだしていた。川後石峠は6差路になっている珍しい場所。大桁山への登路まで数えると7差路が本当。そのうちの西に向かう一本へと進んで行く。この道も各谷部では荒れており、コンクリート橋が抉れている場所も見られた。欅の植生の場所が、今は葉が落ちて明るく、そこには「母樹林」なる初めて読む言葉が書かれていた。この実線路林道は、地形図から読める終点より先に進んでいるようで、尾根を跨ぎ下りだす場所まで見てから少し戻って跨いだ尾根を登りだす。


 主尾根に乗り驚いた。ここにも東大桁山側同等の防火帯のような広い幅が存在していた。道と言うには踏み跡が乏しく、道幅じゃないとも言い難いような微妙な無毛地帯であった。標高が丁度いいようで周囲の紅葉が奇麗に見えていた。少し笹の植生が在ったり、倒木がかかり木になっている場所もあるが、大きく進路を邪魔する場所は無かった。


 800m峰に突き上げる。ここが本日の最高所で、本来はこの場所の方が山頂らしく観音山向きだと思うが、西に進んだ肩の場所で観音山としている。それは標高点を取っているからかとは思う。ここにはなぜかNHKの山火事注意の標識が縛られている。やや薄れオリエンテーリングのコース表示があるかのように見える標識であった。800m峰の場所から下る形で向かってゆく。


 観音山の山頂には注意表示が立っていた。西側に採石場があることからだろう。その北西に降りてゆく尾根を見ると、さらに先にも注意看板が見られる。ちょっと面白いことに気づいた。その注意表示を立てている杭だが、カインズのシールが貼ってあった。どこで買おうと自由であるが、カインズで買ったものが使われていることが微笑ましかった。最高所より西側に少し下がった立木にテプラ標が見られる。最近知ったが、これはGさんが付けたものとのことであった。Gさんの標識と言えば銀色の鉄板標識と認識していたが、複数標識形態があるようであった。紅葉は美しいが展望のない最高所で長居は無用だった。ヤキソバパンを掲げたら往路を戻る。


 帰路は800m峰の南を巻いて進み、次の760m峰から東尾根を降りてゆく。上の方は緩斜面で続くが、630mの尾根の分岐点から左の北東に降りる尾根を選ぶと急峻尾根になった。やや野草が茂り降りて行く先を見通せない場所も出てくる。ただし降りさえすれば左岸の林道に出るので、ゆっくりエッジを立てブレーキをかけながら降りてゆく。すると下の方に左岸の白いガードレールが見えてくる。水線の描かれている谷はコンクリート堰堤があるので、北に寄り過ぎないようにしつつ東に降りて林道に降り立った。


 大桁川を渡るとゲートが在り、その先にも右岸側のゲートがある。この付近のゲートは全て閉じられているんじゃないだろうか。開いているところが無い印象であった。湖城の館に戻ると、事務室内に男性の姿がありこちらを向いていた。雨の中歩いてきた私を物好きと見ていただろう。誰も来ないだろうこの場所に、一人仕事をしているのも酷だろうと思う。私は孤独が好きなので耐えられるが・・・(笑)。

 振り返る。東大桁山はあらゆる方角からアプローチできるよう。迷わない範囲でバリエーション的に登るのも楽しいだろう。ただし山頂からの展望は無く、薄暗く、首が無い石像が待っている。登られないのには理由があるようだ。観音山は杉ノ木峠からのアプローチが最短だろう。でも周囲の山と抱き合わせないと時間が余ってしまうので大桁山に絡め計画するのが順当だろうと思う。





 
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