赤崩山    1164.6m        日向倉山    1430.6m        

   2019.3.30(土)


 くもり     単独     銀山平から時計回り      行動時間:3H46M


@銀山平6:44→(47M)→Aジャンクション7:31→(7M)→B赤崩山7:38→(5M)→Cジャンクション再び7:43→(18M)→D1196高点8:01→(22M)→E1277高点8:23→(35M)→F日向倉山8:58〜9:19→(52M)→G日向倉沢出合10:11→(19M)→H銀山平10:30 


   
折立ゲートに並ぶ。開門は6:00。少しルーズで6:01開門。 @シルバーラインから銀山平へは、バリケードがされているが入って行ける。銀山平は除雪が進み駐車余地は十分量。 登り尾根末端。 870m付近。最初の急登が終わったあたり。
       
1060m付近。なだらか尾根。 A主稜に乗り上げ、赤崩山とのジャンクションポイント。 1150m峰から見る赤崩山。 赤崩山直下
     
B赤崩山 B赤崩山から荒沢岳 B赤崩山から日向倉山 1150m峰帰り
       
Cジャンクションポイントから見下ろす登り尾根。 C後発の若者パーティーが登ってくる。 D1196高点 E1277高点
       
1370m付近。先行者(女性)のトレースを追う。 F日向倉山から北北西。未丈へ向かった女性のトレースが続く。 F北北東に未丈ヶ岳 F東
   
F南東 F南に荒沢岳 F南西 F仕入沢はスキー向き
     
F未丈とヤキソバパン Fいつも風が強い場所のよう。スノーブロックが積まれ風防が出来ていた。 1390m付近。なだらか。 1260m付近。なだらか。
   
1020m付近から奥只見湖側。 1020m付近から勾配が強くなる。そして少し尾根上にブッシュが出だす。 850m以下は尾根が伝えず、日向倉沢へと降りてゆく。 日向倉沢の中にはスキートレールが残っていた。日向倉山からドロップインして降りてこれるよう。
     
降りてきた急峻。少しデブリもあり、これからは雪崩の場所のよう。 日向倉沢は、4カ所ほどで流れが出ていた。 先が見えないノドをドキドキしながら降りてゆく。 口を開けている場所があるのでスキーは注意が必要。
       
G日向倉沢と北ノ又川の出合。 G出合を左岸側から見る。銀山平側からは冬季は日向倉沢は見出しにくい。 左岸を伝って戻って行く。高巻きしているスキートレースがあるが、最初の高みは高巻き不要。 ここが高巻き点。アイゼンやスノーシューを外せば、中央の岩の上をヘツリながら進める。歩行具を付けている場合はやや高い場所を巻く。
       
巻いている途中。 巻き終わりから振り返る。岩の場所は歩ける。 建物の場所まで戻れば除雪されている。 H戻る。




 奥只見湖西岸、銀山平の北に日向倉山がある。残雪期に登られる山で、それも旬の時期がとても短い場所としても聞いていた。シルバーラインの冬季封鎖からの開通後すぐくらいが適期で、そのシルバーラインの開通が前週の3月22日(金)だった。この前週の土曜日は一日降雪予報でもあったので諦め、開通から一週待って乗り込んでみることにした。

 
 地形図を見ると、どの尾根を伝っても良さそうであり、雪の着きを現地で見定めてコースを決めることにした。前日の金曜日には弔事への参列となった。御不幸を幸いとしては怒られるが、その後に時間が出来たので、スキーにワックスを塗り、シールにもワックスを塗りこみ準備万端となった。ただし、現地の様子は眺めてみないと判らないので、登山靴での準備をもしておいた。


 シルバーラインの折立ゲートは6時開門であるので、1時に出たのでは待機時間が長くなる。さりとて長蛇の列に並ぶのは勘弁願いたい。1時間前くらいに到着するように2時に家を出発し、月夜野から湯沢までの三国峠越えを避けた高速利用をし、残りは地走りして現地入りした。だいぶ時間に余裕があるので、手前にある城山に登ろうかと麓のお寺まで入ったが、林道は雪で覆われていた。登ろうかと言うのは車で登ろうとしていたのであって、こうなると撤退。そそくさと折立のゲートに向かった。

 
 5時、折立のゲートには既に2台の車が並んでおり3番目の到着であった。まずまずの位置取り。5時40分に塩カルの散布車が入り、5時50分に黄色い回転灯を灯した2台が入って行った。もう少しと開門する係員の動きを注視していると、フライング側ではなく、6時になって作業をしだし6時1分に通過となった。外国人ならこんな1分は気にならないのだろう。時間きっちりの日本人にとってのこの1分は、もどかしい1分であった。

 
 先行する2台はトンネル内では75km/hほどのスピードを出してくれ、かなり快適に銀山平までの距離を縮めてくれていた。しかし、その銀山平の分岐にはバリケードでゲートしてあり右折できなかった。そのまま奥只見丸山スキー場側に進み、トンネル内のUターン場所で方向転換して戻るようにして向かってゆく。すると後発の方が分岐の場所で進入の是非を悩んでいた。私の車両が関係者の車両に見えたのか、私の車を制止するように訪ねてきた。「入っていいのですか?」と。「大丈夫でしょう」と返すのだが、進入禁止とあるわけではなく、「この先行き止まり」と書いてあるのだった。意味していることはすぐに分かり、除雪がそう進んでいないので行き止まりになっているってことなのだろう。

 
 トンネルを出るとおおよそ2.5mほどの雪の壁が左右に連なっていた。駐車余地は十分量あり、左岸の枝林道側にも除雪が進んでいた。ただし少し泥濘しているように見えたので、車道脇の舗装された路側帯に停める。その後ろに、先ほど声をかけてきた方も停まり、ナンバーを見ると同じ上州の方であった。斜面には十分量の雪があり、これならスキーを楽しめると準備に入る。スキー靴を履き、さて板にシールをと思った時、そのシールを忘れたことに気が付いた。ワックスを塗り、陰干しするのに薪棚のフックに引っ掛けたままだった。せっかく用意したのに、これではスキー登行にならない。上州の方は2名のパーティーで、一人がスキー、もう一人がスノーシューであった。二人ともスキーであったら、我ながら歯がゆかったであろう。スノーシューの方が居たのでシールを忘れてしまった落ち度を、まあしょうがないと割り切れた。これがスキーの用意しかしてなかったらと思ったら、背筋が寒くなった。ここまで来ていながら・・・。

 
 車道では、工事の方が別の若者を怒鳴りつけていた。おそらく若者は、この先通行止めと理解し、分岐の場所に車を停めたままなのだろう。「早く退かせ、こっちはこれから作業なんだ」とオヤジがシャウトしていた。そんなに怒らなくてもいいのに・・・残念な人は世の中には多い。まあ怒れるほどに元気な人と思うことにした。上州の若者と会話しながら準備している横を、ソロの女性が車で通過し、枝林道の除雪最終端へ入って行って準備を始めた。これを見て、今日のここは賑わうのかと思えた。ただし天気は微妙。福島側は雪予報でもあり、こちらに雪雲が流れてくる可能性もあった。サッと登ってサッと降りてくる頭でいた。

 
 6:44行動開始。西に進み除雪最終端で準備をしている女性に挨拶してから雪に乗って行く。準備をしている様子から、手際の良さからして、女性であるがかなりの猛者と見えた。こちらからの登路を選んだのは、そこにトレースが見えたからで、週中に雪が降っているはずであるが、しっかりと追えるほどに見えていた。尾根の末端にはコンクリート製の構造物があり、その上からトレースは尾根に取り付いていた。乗って行けばいいのだろうけど、天邪鬼なので、少し西に振ってから取り付く。900mの等高線から二つに尾根が判れる西側の尾根に乗ろうとしたのだった。しかしそこまでのトラバース斜面が急峻で、諦め鋭角に戻るようにして東側の尾根に取り付く。

 
 尾根上にはシール登行しているトレースと、スノーシューではなくアイゼンでのツボ足で登っているのが確認できた。上の方はわりと緩斜面であり、天気が良ければ沈み込み量も多い場所のはず。この時は早朝でありスノーシューでの沈み込み量はわずかで快適そのもの。勾配も緩やかなのでトレースを無視して直登的に登って行けた。後ろからサクサクと小気味のいい、それでいて回転の速い足さばきをしている音が聞こえ、振り返るとソロの女性が見えた。撮影しながら登る様子も含め、その速さからもやはり只者ではない様子が判る。こちらは先に赤崩山に行くので、その間に彼女が追い越し、トレースを使わせてもらう立場になる。よってこの登り尾根くらいはトレースを引っ張ってやろうと思えた。

 
 暑いくらいの登りであったが、主稜が近づくと風が気になるようになってきた。そしてソロの女性はすぐ後ろにいた。赤崩山と日向倉山との分岐点に乗り上げると、同時くらいに彼女も乗り上げ、少し会話を交わす。「未丈に行くんですか?」と聞いてきたので、今日の二座を伝える。てっきり彼女の目的地は日向倉山と思っていたので、「下りはどうするのですか、谷下りですか」などと聞いてしまった。話しながらも、風貌や眼光から玄人と判断できた。「赤崩に行って後を追います」と別れる。

 
 西に進み、手前峰の1150峰に上がると、その先に最初の目的地である赤崩山が見える。同じルートを戻るのであれば、帰りに登頂することもできたが、そうすると後半の行動がここで決まってしまうことになるので、先に登ってしまうことにしたのだった。赤崩山の最後は、西風による雪庇が若干育っていたが、問題になることなく登頂することができた。

 
 赤崩山登頂。曇りで空が白いので、周囲の山の輪郭がぼやけてしまっていた。荒沢岳が目の前にあり、空が青かったらと思うのだが、ここまで見させてもらえる事を御の字と思うことにした。東には、次に向かう日向倉山が聳えている。この場所からの直線距離は2.5km、この雪の状態なら2時間くらいで行けるかと予想をつける。

 
 東に戻って行く。1150m峰から降りてゆくと、登り尾根から声が上がってきていた。上州よりの若者パーティーが楽しそうに会話を弾ませながら上がってきていた。先に進むスノーシューのトレースを追う。トレースのテールには一本のひげのような筋が見える。先ほど会った時には確認しなかったが、TSL製を履いているのだと判る。MSRより性能がいいのか、あまり沈んでおらずこちらが踏むと沈み込み量が多い。体重差の問題もあろうけど、そう言えば軽装にも見えた。

 
 どこかで追いつこうと思って頑張ったが、距離は縮まらずに動く黒い点は先に先へと進んで行っていた。1196高点を越えると、その先は大ぶりな高みがポコポコと連続している。次の1277高点を越えると、この辺りからは大きなクラックができているようで、新雪の下に隠れており、2度ほど腰まで落ちてしまった。南面は日当たりがよく、雪庇が落ちやすいようだ。これが為に残雪期の旬の時期が短い場所なのだろうと思えた。

 
 先行する女性は休憩なしのワンピッチで日向倉山を狙っている。トレースの歩幅を見ても、何も知らなかったら男性が先行していると思える広い幅で進んでいた。何という健脚なのだろう。感心しながらついてゆく。山頂に着いたら、このトレースのお礼をせねばならないと思いつつ。クラック以外の危険個所はなく山頂へと登り上げる。

 
 日向倉山登頂。居ると思った女性の姿はなく、彼女のトレースは未丈ヶ岳へと向かっていた。だからこの速さなのか、ここは前座の経由地なのだった。あと、この予報の中でよく突っ込んで行くと思えた。日を跨いでの予報を把握していないが、少し好天に向いたのか・・・。いずれにせよ、上には上がいるってことを知らされる。南からの吹き上げの風を避けるよう北側に移動し、ザックに腰かけながら未丈を望む。遠いなー。ヤキソバパンを食べ終わる頃に、二人の声が後ろから聞こえた。彼らが登頂したのだった。よく話を聞くと、一人は嬬恋の方で、一人は東京の方であった。ネットで知り合ったらしい。いい時代である。下りはスキーを楽しむのかと思って言葉をかけると、「登る道具として使っている」とのことであった。彼らは往路を戻ると言う。少し悩んだが、ここからの南西尾根を下ることにした。

 
 山頂を後にして東側に進むと、休憩用に造ったイグルーのような場所も見られた。曇り空で光線の加減が微妙で、しばらく雪面の起伏が見えず困った。オブラートをかけたような、薄い幕が張られたような視界で偏光レンズのサングラスが欲しかった。この状況は3分ほどの我慢で終わり、以降の尾根はなだらかで伝いやすかった。起伏が邪魔して下が望めないような場所も多いが、大きく進路を間違うような場所は無かった。

 
 1155高点の場所で進路が屈曲するが、南尾根に入ることなく自然と南西側に降りて行ける。ここまで、スキーを履いていれば最高に楽しかったろう斜面であった。1020m以降では、尾根上の雪が切れ地表面や根が出ている場所が多く見られた。スキーなら尾根の南側を滑り降りれば雪に繋がるのだが、斜度がありその選択がし辛かったので、ブッシュ混じりの中を伝って進む。

 
 尾根の末端が近くなる850m付近で、樹木が密になり尾根上が進みづらくなり、北側の日向沢倉沢に降りてしまうことにした。既にデブリ痕があり動きやすい雪面の中、慎重に足場を選んで降りてゆく。降りながら日向倉沢の中を見下ろすと、一筋のスキートレースが走っていた。沢筋をスキーで滑り降りられたようであった。上部で見えなかったので、上の方は雪崩れやすくドロップインできない場所なのかと見ていたが、そうではなく楽しいスキーゲレンデであったようだった。そのスキートレールを追うように下流側へと降りてゆく。

 
 沢筋がくねる樋状になる付近から、雪が口を開け流れが見えている場所があり、出合までに3か所ほどそれらが見られた。落ちても流れの弱い沢なので大きくは事故にはならないだろうが、実際に落ちればかなり冷たいだろう。北ノ又川との出合に降り立ち、ここから西進するのだが、小さな流れの上を雪に乗って跨いで進むような場所も見られ、ここも状況によって進路が変わる場所に見えた。スキートレールは、最初の高みの場所を高巻きしていたが、その先でその高みから下側に降りてきていた。もしかしたらここも通常は上を通過しないと、下側は流れがある場所なのかもしれない。

 
 地形図で、北ノ又川の水線が湖面表記になる場所に、その北側に岩マークが見られる。現在の様子は地形図と少し異なり、流れは北端を通過するように、岩を巻き込むように通過している。アイゼン歩行であれば、水面から1mほどの高さの岩の上を水平に伝って行けるが、スキーやスノーシューの場合は、水面から7mほどの場所をトラバースせねばならなかった。通過し振り返るが、東進だったら岩の場所を選んだだろう。八海山の東、デトノアイソメに向かう水無川に、ここに似たような場所がある。高巻きを終えたら再びフラットな雪面となり、向かう先に大きな建物が見えてくる。この頃になると少し空が白から青に変わってきていた。天気は下降線でなく回復傾向にあったのか、あの女性はそれを知って突っ込んでいたのか・・・。

 
 大きな建物は無記名で、何の用途のものなのか不明であった。公的な設備のようでここまで除雪されていた。スタート時から履き続けていたスノーシューを脱いで乾いた舗装路を西に向かってゆくと、車を停めた分岐点であった。

 
 振り返る。シルバーラインがあることから、アプローチも悪くなくお手軽に雪山を楽しめる場所と思えた。歩行具は何を選んでもいいだろう。スキーであれば最高に楽しめる場所であると思う。ただ、いつもなのか、今年に限りなのか、この時だけなのか、残雪期にしたら雪が柔らかい印象であった。この事に対し雪が溶けやすい地形と読み取ったが、旬が短い場所として名が通っており、標高もそう高い場所ではなく早くに溶けやすい場所なのだろうと思う。次の機会があれば、必ずスキーで入りたいと思う。帰路関越トンネルを抜け出て上州側に戻ると、しっかり雨であった。谷川岳を挟んでの天気は全く違っていた。この時湯沢側は晴れていたのだった。魚沼で遊んだのは正解だったよう。






 
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