米山城山 734m 砥石城山 788.7m
枡形城山 830m
2019.12.21(土)
晴れ 単独(犬) 櫓門登山口から入山し松代街道で戻る 行動時間:1H30M
@櫓門登山口7:41→(10M)→Aコル分岐7:51→(3M)→B米山城址7:54〜58→(3M)→Cコル分岐再び8:01→(9M)→D砥石城址8:10〜12→(6M)→E本城8:18→(3M)→F枡形城址8:21〜27→(12M)→G水の手8:39→(13M)→H内小屋稲荷社8:52〜54→(17M)→I戻る9:11
@伊勢山バス停。右上に東屋が見える。 | @明細な地図が二つ見える。 | @バス停横の真田十勇士 | 登山道の最初は石畳 |
東屋から | 櫓砦 | アカマツの植生の中を進む。 | 尾根西側の山腹の道。 |
Aコル分岐 | B米山城址 | B東屋と右に富士見の標識。 | B天気が良ければ富士山が見える。 |
B特異な祠 | B石仏は安政1年製 | Cコル分岐再び | 階段状の道が続く。10段ごとに段数が書かれている。 |
進路方角が変わっても階段が続く。 | D砥石城址 | D太郎山で採れる天狗石なるもの。柱状節理の岩盤からなのだろう。 | D四等点 |
D南側の展望 | 大手口は雰囲気のある通過点。 | 城塁が一部残る | E本城 |
F枡形城址 | F北東側俯瞰 | Fヤキソバパンと迷犬 | F太郎山側を見ているが、見えたのは前衛峰まで。 |
大手口から陽泰寺への道を下る。 | 途中から水の手の方へ進む | Gこれが水の手。解説が掲示してなかったら水場には見えなかった。 | G清冽な湧水地とあるが、今はヌタ場のようになっている。 |
旧松代街道に乗る。 | H稲荷神社(?) | H中に安置された祠にはお稲荷様が沢山見られた。 | 鳥居の場所が、「関東の富士見百景」 |
陽泰寺。山門のしゃちほこが見事。 | 伊勢山地区の白壁は見応えがある。 | I駐車場に戻る。 | Iコースタイム案内図 |
信州は真田の米山城と砥石城の場所が、城山として紹介されているのを知った。米山城山と砥石城山となり、その奥には枡形城があり、ここも勝手に枡形城山とすることにした。観光整備された場所であり「真田丸」の時は賑わっただろう場所、今なら季節柄も含め静かに歩けるはず。
5:15家を出る。碓氷バイバスを登って行くと軽井沢は雪で路面には20mmほど積雪があった。真田町の現地にはいくつもの案内道標があり迷いようがないほど。そして南麓の入山口には、奇麗なトイレが設置され、駐車スペースも十分準備されていた(2か所)。ここはバス停にもなっており、マイカーでなく公共機関でもアクセスできるようになっていた。絵図でしっかり判るコースタイムの掲示もあり、至れり尽くせりの整備のしようであった。
迷犬を連れて歩き出す。石畳を敷かれた先には東屋がある。歩き出してすぐ過ぎて休憩適地とは言い難い。下山時に休憩するのにいいかもしれない。その先には砦が造られ上部にキャラクターが描かれていた。これにはちょっと違和感を抱くが、バス停横の小屋に真田十勇士が描かれてあり意図はすぐに理解できた。これしか見なかったら反応は違っていただろう。砦を潜り抜けると、アカマツの植生が続く場所で緩斜面で伝いやすい場所が続く。
地形図からは南尾根上を伝う破線路が見える。踏み跡が尾根上を行く場所も右に見えたが、現在の道は尾根の西側山腹に続き、落ち葉の中を伝ってゆくと、米山城山と砥石城山のコルに出る。西に進み急登の途中からは、勾配の緩い道が南に迂回している。帰りに伝うこととし直登してゆく。勾配が強いので長くタイガーロープが流してあった。
米山城山登頂。南に東屋があり、ここは富士見の場所のようで案内看板があった。北の行くと大きな石碑があり、その嵌めあい部には古い釘が使われ倒れ止めとなっていた。この仕様を見るのは初めて。石碑の東に古い石塔があり、逆の西側には基部に安政と読める石仏があった。南に降り、途中から東に分岐する道を伝って先ほどの登路途中に出る。タイガーロープが流してあるが、ステップを切っても良さそうな固い地盤に思えた。
コルの分岐に戻り東に上がって行く。こちらには樹脂成型された土留めのステップが敷設され、10段ごとに段数が白ペンキで書かれていた。登山口に「なめんなよ」と書かれていたのは、この辺りを指しての事だろう。城であることからして当然だが、敵が侵入しづらい勾配になっている。
砥石城山到着。登り上げてすぐに天狗石が見られ、これは地産の太郎山よりのモノと解説があった。四等点があり城址でありながら山らしい場所であった。北東側のアカマツの太い枝が折れていたのが痛々しい。枯れたのではなく生木が折れていた。展望案合図のある方角は、遠望はガスに覆われていた。北に向かってゆく。
大手門辺りは、城らしい段丘のような地形となり見栄えがする。西寄りに上がって行くと本城の解説の場所となる。本城とはよく言う本丸の事で、それがここに在ったよう。さらに進むと枡形城址となり、ここが本日の最高所。さらに北に進んで行けば東太郎山へと至るが、ガスに覆われ、1053高点峰あたりの霧氷の風景が見えているだけであった。これまでは南側を見させるような展望場がほとんどであったが、ここは北側を眺めさせる場所になっていた。ヤキソバパンを迷犬と分かち合い南に下る。
大手門の場所から、陽泰寺への道標に従う。破線路は東に九十九折をしながら降りてゆくようだが、その道へ乗る分岐の場所まで行くと「水の手」なる意味不明の文字が道標に書かれていた。何となく水場とは予想でき伝って進む。二つ目の「水の手」の道標で鋭角に折れ南に進む。道形は消え失せ何があるのだろうと杉林の中を進むと、シカのヌタ場のような場所が現れた。そしてそこに解説板が立っていた。清冽な湧水と書いてあるが、贔屓目に見てもそうには見えなかった。分岐点まで戻り北側に進んで行く。北東側にハッキリとした太い道形が見える。
北信から東進となり、次は直角に曲がるようにして南進となる。そしてわずかで松代街道なる道形に乗る。これが上から見ていた道形であった。松代と上田を結んでいた道と解説がある。と言うことは、地蔵峠越えの道だったことになる。そして驚いたことにこの道沿い、街道沿いには木製の電柱が立ち配線してあることだった。北側に電気が必要な何か施設があったのだろうか。
ヘヤピンカーブの入り口から尾根道があったが、無視してヘヤピンカーブに入って行く。谷の中は流れを考慮してか道がコンクリート舗装してあった。右から大手門からの道が合わさり、この辺りから東の尾根を見ると何か建物があるように見えた。そこへの道だろうか、入り口には内○○を開設する石が置かれていた。本道から逸れて尾根へと登って行く。石の鳥居の場所は、ここも富士見の場所で案内が出ていた。
古い社の場所に到着。中の祠を見ると狐様がたくさん見える。と言うことは稲荷神社ってことになるか。土壁の上に塗られた漆喰にはいろんな落書きがある。具に読むと田舎らしく子供らしい。笑えないものもあったが・・・。ここはヘヤピンカーブの入口から尾根伝いに降りればここを通過し、旧道はここだったよう。戻って行く。鳥居の場所で見るが、この日は富士山が見えるような日でなくどんよりしていた。本道に戻り伊勢山地区内を降りてゆく。
伊勢山地区内は、建築規制があるかのように白壁の漆喰の外壁の家が並んでいる。他の外壁も無いわけではないが、奇抜な色の外壁のお宅は無い。城下町らしい家並みで見栄えがする通過点であった。地区内には登山口への分岐道標が無く、地図を見ながら西進する実線路へと折れてゆく。古い家が多いものの、人の動きが多く寂れた感じがしない地区であった。第二駐車場を左に見たら、その先にあの十勇士の絵が見えてきた。
振り返る。公園山ほど単調でなく、それでいてそこそこ管理されている。過不足ない手の入り様。道は広く見通しがいい。修学登山などで引率する先生には、最良の場所では無いだろうか。展望もありエスケープルートも多い。地域の人には朝の散歩にちょうどいいだろう。夏は蝉で賑やかだろう印象であった。