古嶽山        365m        
                    
                                                  
                                      

   2019.2.5(火)


  晴れ    単独     鉄砲馬場跡より    行動時間:34M


@鉄砲馬場跡8:58→(0.5M)→A巡視路入口8:59→(12M)→B古嶽山9:11〜13→(5M)→C350m肩の展望場9:18〜22→(10M)→D戻る9:32


   
クリーンセンター南の公園脇から西へと向かう。道がしっかりしていたので車で入ってしまう。 @武田騎馬隊の鉄砲馬場跡と記された碑の場所に駐車。 A巡視路入口。道標は無い。 階段が続く
       
竜骨のような藤蔓が見えたら尾根を離れ東へ進む。 山頂は直登だが、ルートは東へ振る。 山頂一帯はコンクリート擁壁が囲む。 階段がある場所も
     
山頂に鉄塔 B古嶽山最高所 BフジオカTK氏の真新しいリボンが見える。 B古嶽山から西の浅間山を望む。
       
東の尾根の肩(展望地) ヤセを経て先に進むとさらにいい展望地が待っていた。 C350m尾根の肩。大展望+高度感。 C鏑川
       
C北側 C東側 C南側 C南西側
     
Cここに似合うが、標高からして鉄塔ピークにあるべき標識。 C上信電鉄が通過してゆく。 C前日に格闘した岩山の500m岩峰が見える。 巡視路入口に戻る。
     
D鉄砲馬場跡に戻る。 麓側から見上げる古嶽山350m岩峰。    




 「山と高原地図(西上州)」の2018年度版を眺めている中で、ルートがある場所として古嶽山が載っていた。今まで全くノーマークだった場所。横の浅間山に登ったのは17年前のこの時季ではあるが、横(東)に全く目がいかなかった。地図内には展望マークも見られ楽しみに出向いてみる。

 国道254号は頻繁に通るものの、馬山地区から鏑川を渡って対岸に行くのは初めてであった。その鏑川を渡る橋は赤津橋と書かれ、以前あった橋の名残も下流側に見えていた。北に進んで行くとクリーンセンターがあり、その南に小さな公園がある。その脇から西側に道があり、上信電鉄の線路下を通過し北に進んでいる。林道幅の道で、少し路肩が緩いが車で入って行ってみる。

 入山口は、標識は無いものの地形図から見るに巡視路道標のある場所で間違いないだろう。さらに先に林道は進み、地形図に読める実線路どうりに切られていた。巡視路入口の西側には石碑が立ち、武田騎馬隊の鉄砲馬場跡と彫られた石碑と、併せて歌碑が立っていた。一帯が史跡の場所だったようで、ここが少し林道幅が広く停めさせてもらう。

 巡視路入口からの道は、延々とプラスチック階段が続く。2カ所で倒木があるが、単調さを変化させる感じであって邪魔にはなっていなかった。枝道もあるが、プラスチックの黒いステップを追っていけばいい。山頂の高みが見えてくると、西側に竜骨のような藤蔓が現れる。そのまま尾根を突き上げて進むのかと見える場所であるが、マーキングは東側山腹へと導いており、落ち葉の堆積する中に道が続いていた。北西の尾根にズレてから上を目指す形であった。

 登ってゆくと、異様な人工物が見えてくる。H鋼を刺し、そこにコンクリートパネルをはめ込んだ土塁と言うか擁壁で、山頂一帯をぐるりと囲んで土留めとしていた。山頂部には鉄塔があり、そのためのものであることは間違いない。階段状になった土塁を越えるのに、鉄製の階段がつけられていた。少し錆びてきており壊れそうに軋むのでちょっと怖かったりする。上の2段には階段は無く這い上がるように土塁を越える。

 古嶽山山頂はブッシュの場所で、立ち木にはフジオカTK氏のリボンが下がっていた。山と高原地図で紹介している場所であり、標識があるのかと思ったが無かった。西を見ると木々の向こうに浅間山が見える。東に戻り、さらに東に進む道を辿ってみる。最初に登り上げた場所で展望地かと思った。ここでも十分楽しめるが、その先の痩せ尾根を進むと、岩峰のような風合いの場所で、さらに展望のいい場所が待っていた。北側は切れ落ち足が竦むような場所で楽しい。西側以外の方位が邪魔するものなく見ることが出来る。ここは正月の初日の出の場所に最高であろう。東側が開けており最適で、アプローチも悪くない。一つ難があるのは暗い中に立つには危険があることくらいか。前日に登った岩山も鉄塔越しに見えていた。こんないい場所だったのか、知らずにもったいなかったと思うのと、今知ることが出来てよかった。存分に展望を楽しんだら下山となる。

 ほかに道形が無いかと探すも、巡視路以外の登路は無いようであった。山頂から西には踏み跡があったので、浅間山と繋いで歩く事は出来るよう。標高からして夏は暑い場所だろうしセミが賑やかだろう。巡視路階段を下り入山口に降り立つ。

 鉄砲馬場跡の石碑をもう一度よく見る。裏に回ると、この地に武田の末裔が住んでおり、その方がこれを建てたとあった。歌碑には「霧めくる赤津の山に武田兵」と詠まれていた。




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