熊穴        1032m (山と高原地図:2018年版より)          
                    
                                                  
                                      

   2019.1.12(土)


  晴れ    単独     北麓より尾根を違えて周回    行動時間:2H32M


@破線路入口6:53→(2M)→A枝沢との出合(石塔:渡渉点)6:55→(65M)→B熊穴8:00〜09→(27M)→C尾根末端(55−56林班界)8:36→(12M)→D廃村落8:48〜52→(20M)→E林道に出る258番C・P9:12→(13M)→F駐車余地9:25


   
@見える電柱(C・P)辺りが破線路の下降点。現地に道形は見えない。もう少し東側に道形があるよう。 斜面を川に向かって下ると、東側からの明瞭な道形が現れる。 A尾根の末端に石塔が立ち、枝沢には木橋がかかっている。 A枝沢と本流との出合。3回ほど渡渉して右岸に乗る。
       
破線路が判らず、別の山道を伝う。 尾根に乗った場所から西の谷を見る。復路は左に見える尾根を降りてきた。 向かう先に尖峰が見える。これは1032高点ではなく1104高点峰。 尾根上の境界標柱
     
尾根途中から碧岩側。 尾根上は赤ペンキが続く。820m付近。 880m付近。少し勾配が緩む場所もあるが、ほぼ急峻。 880m付近から麓側。
       
B熊穴 Bヤドリギが一つだけある。 B山頂の幼木は刈り払いされている。 Bワイヤーが残る。
       
B熊穴deヤキソバパン B南牧村自然公園 B861高点に続き、この高みにも絶縁テープを残す。 C山頂から西側。明瞭な尾根が続く。
     
途中のサルノコシカケ群。 下草の無い快適尾根。 900m付近でスギの植林帯が西側に現れる。 谷を挟んで往路の急峻尾根が見える。
     
大木の伐採痕にサルノコシカケ。 C尾根末端はザイルを垂らしたほうが安全。登りの場合は西を巻き上げた方がいい。獣道あり。 C55林班 C56林班。降りてきた尾根末端はこの通り。
   
降りた場所から上流側。左岸に道形がある。 堰堤の上の様子。山道が右岸から左岸に渡渉する場所。 堰堤脇から林道幅の道形を伝う。 往路の渡渉点に戻る。
     
流れの上に架かる倒木を使って獣が渡っている。 復路は木橋から西側の道を調査する。 D廃民家が現れる。小さくても住宅跡。表札の台座が残っていた。 D二つ目の住宅。左は厠。
       
D3つ目の家。一番最近まで居住したと思われる家。平成20年までは暮らしていたよう。ただし車は入れず、林道から歩いて10分はかかる。 廃村落から、さらに西に山道を辿る。炭焼き窯前にはゴミが散乱。 山道に沿った導水管。 小屋前には脱穀機があった。
       
E大上線に出る。熊倉258CPの場所。 つり池跡地 林道沿いの廃民家脇に大きなイノシシが飼われていた。 このポツンとある一軒家がイノシシを飼っているよう。この民家の西側に廃民家が在る。
       
林道から見る熊穴1032m峰。  Fスタート地点に戻る。ここだけ路肩余地がある。廃村落のための駐車スペースなんだろうと思う。    中央上の、林道沿いに住まいする一軒家が上の写真の家。廃村落と表記した場所が中央下の場所。車道は通じていないので、右上のカーブから山道を伝う。 




 「山と高原地図2018年度版」には1032高点の座標で熊穴となっていた。前週の861高点と場所を違えて表記してあった。地図に従ったものの、なにかミスをしたような気になり、100点を狙ったけど65点しかとっていないような気になり、1032高点を狙いに行く。こんな時の行動は速い。後に引きずらず、ささっと結果を出しに行く。

 またまた挿し餌期間で早朝と昼には家に居なければならない。6時に挿し餌を終えて出発する。前週の雪はだいぶ解けており、この時季にしては山が黒い。いつもの時季なら凍てつく路面が待っている南牧だが、路面を気にせず走ることが出来ていた。熊倉バス停の分岐を大上林道側に進む。前週の取付き点を過ぎ、しばらく進むと左に民家が見える。車が4台置かれ住まいしているのが判る。その民家の200mほど東側が地形図に見える破線路の入口で、現地はその僅か西側に3台分ほどの路肩余地がつくられていた。ここに停める。

 6:53行動開始。杉の植林帯の中には道形は見えなかった。南に降りてゆくと最後が小尾根になり、そこに東側から道が降りてきていた。もう少し林道を東に進んでいたら、この道の入口があったよう。尾根の末端には石塔が立ち、ここは枝沢との出合になっていて、水線の書かれている方が細く、破線路に沿う流れの方が太い。そして水線の沢の方に朽ちた木橋が架かっており西側へと道形(山道)が進んでいた。

 出合の場所は木々が生え、その中に幾重にも流れが走り、3回ほど渡渉して左岸から右岸へと渡る。当然破線路の道形を追うのだが、最初は伝えていたような気がしたが、途中で全く判らなくなる。そんななか、林業用か南に上がって行く道形があり伝ってみる。川面から15mほど標高差があるような場所を進み、これも途中で道形が消える。南に向かう尾根に乗った場所で消え、ここからは尾根上に赤ペンキが続いていた。西にやや深い谷があり、その西側に顕著な尾根が見える。その尾根の西側が破線路のある谷であった。この時点で破線路歩きは諦め、当初は西から攻めようと思った計画は変わる。

 尾根を進みながら、前方右上に顕著な凸峰が見える。最初はこれが熊穴かと見ていたが地形図で確認すると1104高点峰であった。尾根上には御影石で造った境界標柱も埋まっていた。尾根を進みながら東を見ると碧岩の尖峰が見える。その手前がタカノス岩となり、その左に熊穴だが、同定できるほどに視界は無く木々が邪魔していた。下草が無く、その点では歩き易いが、勾配の強い場所が続く。獣が伝っているのか、林業関係者なのか、踏まれた痕が見える。獣と言えば、鹿の警戒音が聞こえてもいいような場所であるが、ここでは姿も見えず声も聞こえなかった。熊穴の直下南側は急峻過ぎで、北東尾根側に進んでから上がって行く。

 熊穴登頂。山ヤの気配のない場所ではあるが、林業関係者の気配の強い場所となっていた。ワイヤーが残り、細かい灌木には刃物が入れられ刈られていた。だからって展望がいいわけでなく、展望のない山頂であった。861高点でしたように、ここにも絶縁テープを残す。下山は北東尾根からのゲジゲジマークのある尾根をとも考えたが、西側を見るとエスカレーターでもあるかのような歩き易そうな尾根が見える。往路に使おうと思った場所であり、こちらを踏査してみることにした。

 南西に下りだし、その先の尾根は弧を描くように北に向かう。地形がよく見える場所なのでガスでもかかっていなければ問題ない。地形が広くなった場所には、大きなサルノコシカケが出来ている朽木がある。直径200mmほどで8個か9個か数えられた。1000m付近には、ここにもワイヤーが残置されていた。昔ここで伐採があったのだろう。下草が無い尾根がしばらく続くが、900m付近で西側に杉の植樹帯が現れると、やや雑草で煩い尾根となる。ただしその中に踏み跡が出来ており伝うことが出来た。これは林業作業者のもののようであった。

 登りに使った尾根が右(東)側に見える。歩いても急であったが、遠めに見るともっと急であった。尾根上には大木の切り株があり、ここにもサルノコシカケが出来ていた。降りてゆくと、東の谷に小さな作業堰堤が造られていた。その下流側はコンクリート擁壁にも見える自然石での岩盤で、落ち葉が乗らないので目立って見えていた。伝っている尾根の末端は崖地形で、獣は西に降りているのが見えバンドのようになっていたが、人間が伝うには滑落しそうな感じ、そのまま進み、最後は後ろ向きでか細い根を掴みながら慎重に下る。ザックにはザイルが入っているので出せばいいのだが・・・。20mザイルで懸垂すれば、ちょうど着地点に降りられるような距離であった。

 尾根末端には、55と56の林班界が赤ペンキで記されていた。今伝ってきた尾根がそれになる。破線路のある谷に降り立ち上流側を見ると、左岸側に道形があり、下流側を見ると右岸側に見えた。降りてゆくと堰堤があり、その右岸側には車道幅の道形があった。それを伝ってゆくと、往路に見た景色の場所にでて、往路に道形を伝えなくなった理由も見えた。右岸の道は完全に途絶えている場所があるのだった。豪雨のためなのだろうと思えた。出合の場所を渡渉して、少し時間があるので朽ちた橋の延長線を進んでみることにした。

 西に上がってゆくと、竹を編んで土壁を塗った古い民家が現れた。玄関なのか入口なのか、表札の土台が残っていた。さらに西に進むと、やや大きな民家が在り、その前には厠が建っていた。この中には農具などが見える。土間がありここも住まいしていたのだろうことが予想できた。さらに西に、こちらは昭和な雰囲気がある家が建っていた。表札に氏名が読め、赤十字のシールは平成20年まで貼られていた。この年までは住まいしていたってことが予想できる。それにしても、この場所にはアプローチする車道が無い。東側から歩いたら、最低でも10分はかかるだろう。買い物をしても毎回歩くのか、何か他に道がるのじゃないかと、この廃村落から西に続く山道を進んでみる。

 北に沢を挟んで、林道大上線沿いの車道が白いガードレールと共に対岸に見える。どこかで渡れる橋があると予想したが全くなく、途中に炭焼き窯などがあり、細い山道を伝うと小さな小屋などが見え、やっと林道に出た。こちらを伝った場合に民家までは20分以上はかかるので使うことは無いだろう。やはり東側の道が生活道だったのだ。住めば都なのだろうけど日々大変だったろう。林道を東に進むと、つり池の跡地があった。こんな場所に・・・と付け加えたいが、ここでも人を呼べた時代があったのだろう。しばらく進むと、廃墟横になにか動きを感じ、隙間から見下ろすと大きなイノシシが居た。どうもここでは飼われているようで柵が出来ていた。さらにひがしに100mほど進むと、到着時に見た住まいしているお宅があり、イノシシを管理しているのはこのお宅のようであった。ペットとしてではなく、いずれ食べる目的で飼っているはずである。イノシシも判っているのか悲しそうな眼をしていた。

 駐車余地に戻る。この余地は、廃墟のお宅の駐車場所なのだろうことが読める。

 振り返る。タカノス岩で鷹を見たので、熊穴では熊を見るかと密かな期待があったが、見ることは無かった。861高点の方には鹿が多かったが、1032側にはほとんど気配が無かった。たまたまかもしれないが、下草が無いのは食べつくされたってことかもしれない。植林帯は枝打ちがされ綺麗なものが多かった。楽なのは、復路に使った尾根の往復。植林帯のあたりで勾配が強いが、そのほかでは緩やかで歩き易い。ただし復路に使う場合はザイルを持った方がいい。
 


 
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