物見山        930.4m                 
                    
                                                   
                                      

   2019.10.19(土)


  雨    単独     勧能地区より東尾根を登る    行動時間:1H59M


@勧能大橋6:51→(64M)→A890m峰7:55→(8M)→B物見山8:03〜05→(36M)→C2号橋8:41→(9M)→D勧能大橋8:50


   
@勧能大橋の分岐点にはトイレ付きの駐車余地がある。 東尾根末端の石垣に九十九折の道。墓地へと続く。 一面のチカラシバで、種子が衣服に付着する。 東側を振り返る。
       
尾根上の石積み。540m付近。 540m付近。尾根の北側からモノレールが上がってきていた。 660mで小尾根に乗る。 680m付近の大岩。北を巻いたが南の方が良かった感じ。
     
830mのゲジゲジマーク上の肩(ピークになっている) 830mからゲジゲジマーク側を見下ろす。 890m峰直下 A890m峰
       
このマークが3カ所ほどで見られる。 物見山直下 B物見山 B割られた三等点
       
Bヤキソバパン 880m付近 830m付近。広い緩斜面。 770m付近。露岩の場所を振り返り見上げる。
     
720m付近 この日会ったのはヒキガエル一匹。 560m付近まで下から九十九折が上がってきていた。 沢に出る。左岸に道形があったようだが、19号の豪雨で削られてしまったよう。
       
C2号橋の場所に出る。 C2号橋にはモノレールの麓駅がある。 一周 勧能地区はこのような工法が多い。土地が無い場所に家を建てている。
       
D戻る。舗装と未舗装の余地がある。勧能バス停。       




 西上州で物見山と言うと、上信国境にある物見山と解釈する人がほとんどだろう。南牧村の物見山と聞いても、全くピントが合わず“それ何処?”と言う人だらけだろう。少し前の私もそんな状態であった。山と高原地図を見ると二つ存在し、もう一方は碧岩の北側に表記されている。三角点もあるようなので、目標点として登頂意欲が増す場所でもあった。

 

 しかし土曜日の天気は雨。前週の19号台風の余韻が漂う中、経路の道路がまともに伝えるかが心配の場所であった。そして地盤が緩んだ中で入り、崩れ帰れなくなるリスクも考えた。南牧村に限らず各方面同じであり、ここは当たって砕けろでとりあえず行ってみることにした。

 

 アプローチはやや迷った。集落のある熊倉地区のある南から上がれば明るく歩け、逆に北の馬坂地区からだと植林帯の暗い斜面と判断できる。勧能地区からの顕著な東尾根が一番そそる。衛星画像で確認すると、地形図に見える北麓の破線部には林道らしき道形が見える。車道からの距離的な最短路は北側からのアプローチと見えた。いろいろ悩んだが、勧能地区の499高点からの東尾根を登ってみることにした。

 

 下仁田インターを過ぎ、鏑川に沿うように見下ろしながら走るのだが、豪雨の爪痕が痛々しかった。南牧川では、夏に川遊びをした河川敷が駐車スペースごと削り取られているのも見えた。道の駅の前は沢からの押し出しで車道の片側が封鎖されていた。そして峡谷となる蝉の渓谷だが、上部の岩にごみや倒木が残り、見える岩の全てが水を被ったようであった。流れのボトルネックのような場所であり、それはそれは荒れ狂ったような場所になっていただろうと想像できた。

 

 砥沢地区の手前では路肩が半分崩れ鉄板で補修されていた。これを見ると週前半は上流域の集落は孤立していたように見える。崩落個所は点在し、本当に帰りのことが心配になってきた。ブルーシートをかぶせた家も見られ、土地が崩れ落ちているお宅も見られた。過疎にますます拍車がかかりそうであった。

 

 勧能大橋のたもとにはトイレ付きの駐車スペースがあり都合がいい。最近見なくなった公衆電話ボックスも立っている。勧能バス停となっているからだった。東尾根を見上げるとカヤトのような原が見える。その下には民家が並び落石は絶対に起こせない。心して向かうことにした。

 

 雨具を着こみ6:51行動開始。勧能大橋を臼田側へ渡るとすぐに石垣の中に九十九折が登っている。廃屋を左右に見ながら進むと、地域の墓地に到達する。その手前をさらに上に行く階段路を伝う。獣よけなのか蚕箔(お蚕を飼う時に使う竹で編んだもの)が進路を塞ぐように設置されており跨いで進む。土留めなのだろう石垣が幾重にもあり、下から見えたカヤトと思った場所は、チカラシバの群生地で雨具のちょっとした糸の部分にもくっついてきていた。雨具を着ていて助かったが、着ずに通過していたらここでの洗礼は酷かったと思う。振り返ると勧能の集落が見え、山里らしく煙突から煙が上がっているお宅も見えた。落石しないよう足場を確認しつつ登って行く。獣道か杣道か、歩かれなくなって長い細い道形が尾根上に見え隠れしていた。

 

 この地区も養蚕が盛んだったのだろう管理されなくなった桑の木が尾根の北側に見えていた。植林地としての石垣が尾根上に見えてくると、そこに北から上がってきているモノレールの終着駅があった。これもほとんど使われていなく錆びついていた。里山なのでもう少し道形が存在するだろうと予想してきたが、高齢化が進み土地を持っていても山を管理する人も少なくなっているのだろう人の気配がしない場所となっていた。

 

 660mで小尾根に乗り上げる。その先680m付近に大岩があり、ここは北側を巻いて進んだが、南側を巻いて尾根上を進んだ方が良かったように思えた。尾根上は下草がなく道形こそないが歩き易い場所であった。この進路を選んだ時の気になった場所としては830mのゲジゲジマークの上の通過点。痩せていたらと気にしてきたが、顕著な高みとなっており危険個所は一切なかった。南を見下ろすも樹林帯があるだけで岩場も一切見えなかった。イタチだろうかテンだろうか、白い毛皮を纏った小動物が逃げてゆく。

 

 890m峰は地図通りに南北に細長く、南西に降りる尾根は緩やかに下って行っていた。周囲にはアカマツの赤い肌が雨に濡れて目立つ。北に進み吊り尾根のような細い尾根を伝う。食害とは違うようだが、ここも一切の下草は無い。植林した木にも食害の痕は無かった。でもシカの警戒音は周囲からしていた。物見山の南面は、先ほどの890m峰の東面とよく似ている山頂直下であった。

 

 物見山到着。山名から期待した展望は全く無く樹林が覆っている場所であった。植林される以前は見晴らしのいい場所だったのだろうと思いたい。三角点が中央にあるが、好事家が持ち去ったのだろう角が割られているものであった。山名板は無く人工物はこの三角点のみであった。ヤキソバパンを掲げ朝食となった。下山は西の920m峰からの北尾根を伝ってみようと予定していたが、近くにあるはずのそのピークさえも植生が邪魔して見えず、予定変更して往路とは違う谷を挟んだ北側の東尾根を降りてゆくことにした。

 

 物見山からの東尾根も下草が無く歩き易い。830m付近からは車道幅ほどの平坦地形が緩やかに降りて行っていた。しかしそれも長く続かず、770m付近には露岩が目立つ場所が現れ、ここで南東進から東側へと進路を変える。そのまま尾根を伝っていたら、谷の中に入ってしまうので、谷の北岸の尾根に乗るべく進んで行く。やや急峻の場所が続くが、ここも植林帯なので、古く細い道形が見え隠れしていた。

 

 560m付近まで降りると九十九折になった道形が現れた。林業作業用の道で間違いないだろう。伝って降りてゆくと沢の中に導かれる。沢は19号の影響だろう、川床の白い岩が磨かれているかのように目立っていた。左岸の道は土が落ち道形が伝えなくなっている場所もあった。

 

 93号に出た場所は、2号橋の架かる場所であった。ここにはモノレールの麓駅も出来ていた。舗装路を東に進んで行くが、大雨の影響で土砂が車道にたくさん乗っていた。途中には、一字一石経と解説のある石碑もあり、新潟は石打駅の西にある関興寺のそれと同じような信心の史跡であった。勧能の集落が見えてくる。山の斜面にへばりつくように有効利用しようとした各家々が見える。鉄骨の基礎の上に空中に浮くように造られた家々、慣れなんだろうけど見ていて怖い建造物であった。

 

 勧能大橋に戻る。すぐに濡れた衣服を着替えていると、地域の人が車で通りかかった。少なからずここも天災を受けた場所であろう。古い家が多いので雨漏りなど・・・。見える南牧川にはまだ泥水が流れている。今日は二次災害の可能性のある日、そんな中にレジャーで遊んでいる自分を少し後ろめたく思うのだった。

 

 振り返る。熊倉地区の西側の、耕地のある辺りから登ったほうが良かったかもしれない。勧能からの東尾根は、地区の屋根の上を歩くような急傾斜地で、それも下から丸見えの場所もあり、あまりお勧めではない感じであった。





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