桑ノ木山 1495.5m ネコブ山 1794m 裏銅倉 1774.1m
2019.4.28(日) 〜29日(月)
晴れ 単独 三国川ダムより銅倉尾根往復 1日目行動時間:10H
2日目行動時間:4H23M
@三国川ダムゲート4:17→(53M)→A十字峡導水管下5:10→(27M)→B導水管上5:37→(156M)→C1196高点8:13→(72M)→D1338高点9:25→(87M)→E桑ノ木山10:54〜57→(32M)→F1518高点11:29→(145M)→Gネコブ山北東側岩峰13:54〜58→(10M)→Hネコブ山標高点14:08〜11→(6M)→Iネコブ山北東側岩峰東で幕営14:17〜04:59→(8M)→J裏銅倉5:07〜08→(38M)→K1518高点帰り5:46→(14M)→L桑ノ木山帰り6:00〜02→(135M)→M十字峡導水管下8:17〜24→(58M)→N三国川ダム駐車場9:22
@三国川ダム駐車場前のゲート。 | 十字峡導水管全景 | 黒又沢。林道の残雪は後退していた。 | 中ノ岳登山口前 |
落合橋から十字峡トンネル | A導水管下 | 最初の階段で86段ある。 | コンクリート構造になるとステップ間隔が広くなり交互に足を上げづらくなる。 |
B導水管上部。最初の岩に雪が付きドキドキしながら通過した。 | このマーキングが続く。緩い藪尾根だが、降雪後の雪で進み辛い。 | イワカガミが雪の下に | 820m付近で熊の足跡が横切っていた(早朝の通過)。 |
尾根の東の雪を伝う。 | 910m付近からは西側の雪を伝う。マーキングはこちらにある。 | 1000m付近。ツボ足が続く。この辺りで300mmほど沈む。 | 1100m付近 |
1100m付近から後。 | C1196高点から先。 | 1210m付近。雪が緩く、この辺りで計画変更を考え出す。 | D1338高点 |
D1338高点から三国川ダム。 | 1450m峰。桑ノ木山かと思った場所。 | E桑ノ木山。視界が無い場合はかなり苦労するだろう場所。 | E南 |
E南西 | E北西 | E北 | E北東 |
暈が見られた | 雲が虹色に輝く。 | F1518高点からネコブ山。 | F1518高点から大兜山(奥の白い高み)。 |
1540m付近。新雪のツボ足でかなり苦しい登り。 | 膝まで沈む。新雪は500mmほど降ったよう。 | 裏銅倉側より見るネコブ山1790m岩峰(右)。最初、右の場所が山頂だと思っていた。 | Gネコブ山北東側岩峰(1790m) |
G1790m峰から見る桑ノ木山。ネコブ山本峰からは桑ノ木山は見えない。 | G1790m峰から見るネコブ山(雪庇の最高所)。 | G下津川山側。雪の量は十分だが、なにせ緩すぎる。 | Hネコブ山から南。 |
H南西 | H北西 | H北 | H北東 |
I1790m峰から見る大兜山。 | Iネコブ山北東1790m峰東で幕営。深夜は30m以上の風でテントのポールが曲がった。ラジオからは30日が雨予報となり3日行動から2日行動に変更。 | I向こうの山で飲むはずだったが・・・ここでも旨い。 | I1790m岩峰の西側の様子。 |
I29日の夜明け | I撤収。空荷で小沢岳までの往復も考えたが、天気が下り坂でもあり下山とする。 | J裏銅倉 | J裏銅倉からネコブ山の大雪庇。 |
J裏銅倉から桑ノ木山 | 大雪庇のクラックの様子。 | K1518高点帰り | K1518高点からネコブ山 |
L桑ノ木山 | Lソロの方がここまで来ていた。 | 雪が緩いので二人分のトレースでトレール風味になっている。 | 1338高点帰り。 |
910m付近。ここより下は尾根の道形を伝う。木々に雪が付いていないと楽。 | ここも雪が乗っていないと楽。往路は雪で滑るのでしがみつく様に登った。 | 尾根の道形。明瞭な場所が多い。 | 導水管上部施設への最後。ここも雪が無ければそれなりにグリップし、ホールドも多い。 |
導水管上部施設 | 上側のコンクリート階段は崩れている場所が多い。 | 往路は気にならなかったが、下りだと幅が狭い印象だった。 | M導水管下に降りてトンネル前で休憩。東北電力のダムであるが、トンネル工事は北陸地方建設局。 |
林道には新しい雪崩が落ちてきていた。 | 桜と雪 | N三国川ダム施設に戻る。 | N駐車場 |
2019年のゴールデンウイークは、イラサワ山を踏む計画でいた。10連休前半で行動し、後半は後半で状況により追加行動をと考えていた。しかし、連休初日は春にして西高東低の冬型。平地は雨で山は雪、東北においては平地も雪と予報されていた。せっかくの休みなのに1日足踏みとなった。日数が少なかったら突っ込むが・・・。
計画としては3日間でSK氏が辿った足跡をトレースしようと思っていた。勝手ながら、同じように歩けるだろうと高をくくっていたのだった。記録にはワカンなどは不要と読め、残雪期であり良く締まった雪で歩き易い場所と解釈した。27日になって初めて幕営の準備をしだし、ストックとワカンは封印しピッケルとアイゼンでの本格的雪山歩行スタイルとした。
1:00家を出る。月夜野から湯沢まで関越道に乗って現地入りするのだが、雨がしっかり降っていた。今日は晴れるので、前夜の余韻と思うことにした。三国川ダムの駐車場は、施設に対し前後して2か所あり、上に2台、下に1台既に停まっていた。土曜日に突っ込んで行った人なのかと猛者の車に思えた。ここは観光地であるが、夜間トイレに電気が点かない。しょうがないので、車をトイレに向けて停め、ヘッドライトを当てながら障害者用のトイレで用を足した。当然扉は開けっ放しである。駐車場に停め時間の経過を待つのだが、雨は小雪にもなっていた。上は雪か・・・。
4時になり準備を始めると鑑札をぶら下げた釣師がやってきて声をかけられる。タバコを吸いながらで、私が風下だった。酷く臭いたばこで出発前に勘弁して欲しかった。この臭いが30分ほど鼻先から離れなかった。とてもツイていない。たばこ吸いは悪気がないので困る。人を苦しめていることに対し、何も感じていないのが最大に困ることである。強く言いたい。ところで、釣師に、「十字峡辺りは釣れるのか」と聞いたところ、「釣れる」との返答であった。
4:17駐車場を出発する。アスファルトでありグリップしていいはずであるが、どうにも滑る。雨で濡れているだけかと思っていたが、実際は凍っているのであった。時折小雪が舞い衣服を白くしていた。上での状況が想像でき、やや暗い気持ちになってきた。右岸側の道は、かなりの距離で残雪の上を進むのかと予想していたが、乗って進んだのは全部で50mほどのみであった。清水大滝も雪渓はわずかに残るのみで春の装いで、林道の周辺は春めいていた。しかし見える山々は雪を纏っている。雪と言っても新雪を・・・。
十字峡が近くなり、銅倉尾根末端の導水管が見える場所となる。急傾斜地に切られた道の場所で、雪が多く残ると予想した場所であるが、ここも歩道幅ほどに融雪が進み雪を踏むことは無かった。黒又沢の堰堤からの人工滝を見ながら通過し、中ノ岳の登山口では鳥居に向かって旅の安全をお願いする。落合橋の先、十字峡トンネルの入り口は雪に覆われておらずにしっかりと開口していた。懐中電灯を照らしながら通過し、銅倉尾根の末端に到着する。階段下の残雪で判ったが、連休前半ではだれも入山していないようであった。そして在ってありがたい階段なのだが、私はこれら人工物の登路が苦手で疲れる方であった。そう思っているからか実際か、登ってみると至極疲れる。早々に疲労を感じつつ足を上げてゆく。上の施設まで、下から30分近くかかってしまった。
上部施設からの最初は、少し岩登り的な場所で、そこに雪が着いているのでいやらしい。余計に力を入れながら滑らないよう這い上がって行く。背中の幕営装備が重い。尾根上の木々には雪が乗り、露払いをしながら行くのだが、手袋が早々に濡れてしっとりとしてきていた。尾根上には道形がハッキリと続き、赤いガムテープ風のマーキングも続いていた。春なのでイワカガミが最盛期を迎えているが、ほとんどが雪に覆われ可哀そうに見えた。
780m付近から尾根の左側に雪の繋がりがあり伝うことができた。すると、820m付近で大きな足跡が横切っていた。小ぶりであるがクマの足跡で、朝まで降っていたことからして、遡ること2.5時間以内に通過した足跡であると判断できた。別段怖さは感じないものの、そんな動物がいるアウェイにやってきていることに気づかされる。雪に伝えるもののワカンが既に欲しい。この付近で250mmほど降雪があるように見えた。
雪の繋がりが無くなり尾根道を再び伝い、910m付近からは今度は尾根の右(西)側斜面を進む。赤いマーキングはこちらを示していた。藪漕ぎしているのか、かなり低い位置につけられている。日差しが出てきたので、雪が降っているかのように木々からの落雪があり、半氷状態なので一帯がシャリシャリと特異な音に包まれていた。銀世界で景色はいいのだが、如何せん雪が緩すぎる。長駆をする条件ではない雪質であった。やっぱりワカンが欲しい!!
1196高点まで、尾根末端から3時間を費やしていた。これでいくと上越国境まで辿り着くのは何時間後か、既にここで計画の変更と、計画を全うできないことに対する進退を考えねばならなかった。普通に300mmほど潜るツボ足状態。こんなことならストックも必要であった。幸い、ピッケルは長尺のものを持ってきたので何とかなっているが、短い方を持ってきたら、新雪の下の雪を捉えるのに、都度体を曲げねばならなかった。
1338高点まで上がると、向かう先に桑ノ木山の平らな山頂部が見えてくる。右(西)を見下ろすとスタート地点の建物がハッキリと見えていた。とりあえず歩いてきたからには目的地には到達したい。まずは桑ノ木山まで行って考えよう。桑ノ木山まで行く間に考えよう。少し起伏の出た尾根筋を進む。最初は1450峰が桑ノ木山だと思っていた。登り上げまだ先に平らな高みがあるので、こんなことでもツボ足が続くと思うと精神的なダメージに繋がるのだった。
桑ノ木山登頂。どこが最高所か判らないほど平らで広い。有視界でよかった。ガスに覆われていたら、コンパスを振っていても進みづらい場所となろう。時計はもう11時に近かった。6時間半以上7時間近くかかっての登頂であった。見上げるネコブ山が近くに見えつつも遠くにも見える。降りようか進もうか、どうせもう一度来なければならないことを考えると降りてもいい。でもそうした場合、幕営装備が無駄になる。どこかで幕営することにして、ここからは進める場所まで進んでみることにした。
ふと見上げると、太陽に暈が出来ていた。その周囲の雲も虹色に変化している。今日は雪景色も空も美しい。幕営するのに適当な場所と探しながら進んで行く。西風と北風が防げればあとは何とかなるだろう。そう思うのだが、なかなか良さそうな場所はなく足は前に出てゆく。1518高点峰も桑ノ木山同様の広い高みであった。そこから少し下った先の鞍部が張るのに良さそうであったが、風の通り道のようでシュカブラ風味の風紋が見られた。さてここからが深かった。幸いにしてブッシュは出ておらず雪に伝うことができたが、膝まで潜る場所も多く、めいっぱいの根性を出して足を出して行く。こんな時、登山って何だろうと思う。
大きくクラックの入った場所もあり、新雪の下の様子が見えない雪面は要注意であった。ピッケルで雪面の反応を確かめながら足を出して行く。登り切った場所が裏銅倉であるが、往路のこの時は失念していたというより、脳も疲れてきておりネコブネコブと思っており裏銅倉を端折ってネコブ側に進んでしまった。大きな雪庇が左側にせり出している。その向こうに黒く見えるのがネコブ山だと思って見ていた。
ネコブ山登頂。時計は既に14時に近かった。SK氏が下津川山に達していた時間なのに、まだここなのだった。どれほど力が無いのか、どれほど雪が負荷だったのか・・・。周囲を見回し展望を楽しむ。今日はここまでにしよう。この山頂のどこか適当な場所で幕を張ろう。そう決めた。そしてふと思い地形図を見る。えっ、ネコブ山の最高所は1790m峰ではなくその先であった。慌てて先へと進んで登頂する。大雪庇の上のようなところが最高所で、なんとも居心地が悪かった。むずむずする感じ。
一帯を見ても、北風と西風が防げるのは先ほどの1790m峰の東の場所であった。20mほど下ると棚のような地形があり、そこに張ろうとも思ったが、そこは携帯の電波が入らず、頂部に近い場所で雪を踏み均して幕を張った。一本だけ持上げた350mmのビールが美味しいこと。いつものようにラーメンを作り、昼飯のような夕飯のような食事とした。トランシーバーの周波数をNHKに合わせて流しっぱなしにする。
うとうとしたりウイスキーを飲んだり、つまみを食べたり、歩かなくていいのもじっとしていられない性質なので少し苦痛だった。早く明日になってくれないか・・・。ラジオからは、既に中国近畿地方で雨になっていると伝えていた。3日目は曇りと出ていた出発前だが、少し雨脚が早まって悪天になるようだ。こうなるとますますここから先には進まない方がいい。雨がまた雪になったらもっと辛いだけ。明日は幕をこのままにして小沢岳でも往復してこようかとも考えたが、ネコブ山から先の小ピークの斜面はかなり雪が緩いだろう。往路に裏銅倉を目指して登った場所と似たか寄ったかだろうから、思うように進ませてもらえず、さらには崩れる危険性もある。締まった雪の上の降雪であり、表層雪崩の方が気にする部分であった。止めよう、降りよう。答えは出た。
20時少し前から、暴風が吹き出した。いい場所と思って選んだ場所であったが、西風ではなく東風が襲ってきていた。最初は20mくらいであったが、どんどん強くなり30mを超えるであろう風になった。テントが潰れそうになり、背中で東側を抑える。併せて南からの風も襲い、左手もつっぱりテントを抑えねばならなかった。こんな時は、早く下界に降りて家に帰りたい。家はやはりいいと思ってしまう。下界に居るときは山に行きたいとは思うのだが・・・。風に伴い、新雪が舞ってテントを強烈に叩いていた。
時間にして2時間ほど強風が吹いて、その後は静まった。ウイスキーをあおり閉所内での疲れを癒す。先ほどの風は、自然が「行くな」「帰れ」と言っているように思えた。ガスはかからず空気口からは終始空が見えていた。周囲に誰もいないことをいいことにラジオをつけっぱなしにしていると、聞こえる天気予報が変化し、翌日夕方には降り出すとも伝えていた。迷わず降りることにする。
翌朝は一瞬朝焼け風になったが、すぐに雲に隠され、ご来光を拝むような日の出にはならなかった。テントを畳むのだが、痛々しくポールが折れ曲がっていた。ここまでの風は初めての体験だった。東側下で張ろうと思っていた最初だが、実行していたらもっと地獄だったろうと思えた。地形的に、北風が銅倉尾根のネコブから下津川山までの稜線にぶつかり、袋になって逃げ道がなく少し低い東側に吹き上げてしまうのだろうと推察した。と言うよりも気圧の関係での風向きかもしれないが・・・。
29日。4:59下山開始。復路はきちんと裏銅倉を踏んでから桑ノ木山へと下りてゆく。誰かテン泊している人がいるやもと思いながら、見えてくるだろう人工的な色を探していたが、動くものは一切見えてこなかった。天気は良さそうなので降りるのがもったいないが、そうは言っても足元の雪の状態は前日とほぼ変化は無く負荷だった。
1518高点を経て桑ノ木山に戻ると、ソロの男性だろうトレースが刻まれていた。幕営した跡はなく踵を返しているトレースだった。目的が桑ノ木山だったのか、それとも銅倉尾根を縦走しようと思ったが、この雪に撤退を決めたのか・・・。御仁もツボ足で登ってきていた。桑ノ木山までのピストンであったが、歩行具を準備しても重荷にならない。この点からは縦走予定を撤退に決めたと思えた。私を含め二人分のツボ足なのでラッセルしたトレールになりつつあった。
トレースがあるからとて下りは楽ではなく、ツボ足の上にツボ足を踏み込む形であった。910m付近から残雪から離れ尾根道を伝う。往路が嘘のように木々に雪が無くなり歩き易い。イワカガミも前日が嘘のように春らしく生き生きとしていた。岩場の場所も下りだからってこともあるが、木々を掴みながら足に力を入れずに降りられた。赤いマーキングは、やはり低い場所に付けてあり、ほとんど胸丈あたりの場所に見えた。
滑車が見えたら、その先が上部施設へ降りる最後の岩場。雪があると無いとでは雲泥の差があった。あとは階段の下りであるが、いつも最後で気を抜くことがあり、ここは緊張しつつ人工的な階段を下って進む。復路は荷物が減っているのであるが、階段の手すり幅が狭く思えた。パッキングが適当だったせいもあるだろう。ちなみにと、最下段の階段は何段続くのかと数えたら、89段あった。下に降り立ちスパッツを外し蒸れから解放される。少し休憩をしてトンネルに入って行く。
日中であればトンネル内も明るくライトは不要で歩けるほどの明るさがあった。黒又沢橋を渡ると、新たに雪崩があったようで、軽トラ一杯分ほどの落雪が残雪が後退した林道を覆っていた。こんな量でもタイミング悪く遭えば、十字峡側に押し出されてしまうだろう。以降は山手側に注意しながら進んで行く。川面には水鳥が見える。のどかな春の風景であった。往路でも桜を見たが、雨と小雪の中、快晴の下ではピンク色の発色がさらに良く見えた。
三国川ダムに戻る。駐車場が半分埋まるほどに観光客が来ていた。うち山に入っている人の車もあるだろう。ちょっと不甲斐なく降りてきたが、事故無く戻ってきたのでまた行けばいい。長く楽しむのには無理は禁物。
振り返る。降った後は綺麗ではあるが、歩き辛いのであった。今回はそれをよく学習した。冬でなく春と言う事から、降雨を甘く見ていたが、上ではしっかり雪であった。おそらく、この10連休の後半で入山した人は、楽に登れただろうと思う。入山するタイミングも大事だった。目的座を踏めなかった悔しさは残るが、同時にまた行ける楽しさにもなった。今回の記憶を元に、次回との残雪の差異を楽しみたい。その年々の表情があるだろうはずだから。
予定3日目は西上州でも強い雨になっていた。上に居なくてよかった。