のろし山       1022.2m     麻績城山        943m            
                                                                        
                                      
   2019.12.7(土)


 晴れ    単独    公民館(旧役場)より     行動時間:2H


@公民館8:07→(9M)→A社8:16→(8M)→B750m休憩舎8:24→(11M)→C東屋8:35→(8M)→Dコル8:43→(6M)→E920m峰8:49→(12M)→Fのろし山9:01〜07→(10M)→Gコル再び9:17→(7M)→H麻績城山9:24〜34→(22M)→I法善寺9:56→(11M)→J公民館10:07


   
@公民館から西へと向かう。 間違えて宗善寺脇を伝っている。通過してから振り返る。 宗善寺脇の道は尾根の末端のお墓に繋がっているだけ。お墓から西に巻き上げ尾根に乗る。 尾根にはハッキリとした道形がある。
       
A大ぶりな社がある。 石祠も見られる。「文化元」と彫られている。 露岩帯に入って行く。 740m付近。東側を巻いて上がった。
     
B750mに休憩舎のような大ぶりな構造物がある。神棚のような場所が造られているので祭事で使うものかも。 B麻績村俯瞰。 尾根の東側は黄色い岩肌が目立つ。 右にのろし山。左に麻績城山。
       
C東屋。東屋への経路は薮化していた。 東屋上から九十九折。 Dコル。案内図と城址の解説がある。 山蚕の繭が多いエリアであった。
       
910mピーク。この先に920mピークがある。 E920m峰。 E立ち木に隠れるように南を向いた石祠がある。 940m付近。道形は続く。
       
Fのろし山登頂 F三角点 F標識類は同一の木に付けられている。 F三等点は無残にも各所割られている。
       
Fヤキソバパンと黒犬。 F北側 920m峰帰り Gコル帰り。板が地表にあるが、裏返すと解説が書かれていた。
       
G判読が怪しくなってきた城址略図。 H麻績城山943高点。 H西側に平坦地があり標柱が立っている。 H城跡標柱
       
南西尾根を降りてゆく。 870m付近まで降りると山腹に道形が見られた。 870mから南にまっすぐ降りる掘れた跡が在り伝う。 730m付近で廃林道に乗った。(大堰堤の上流)
       
墓地に出る。 宗善寺観音堂への分岐。 I法善寺 麻績宿に入ると大きな石碑が見られる。
       
この案内板がある場所が正式な登山口だった。 案内板横のこの道を入るのが正解。

J公民館に戻る。土曜早朝は地域のゴミ出しの人でここは賑わっていた。ゴミ集積所が脇にある。 J道路元標が見られる。 




 城山はいつ「のろし山」と名前を変えたのだろう。山名事典にも城山で載っているので、2004年時点では城山だったことが判るが、今回城山に登ろうと思ったらのろし山と表記してあり、変わっていることにちょっと驚いた。おそらくは麻績城址の943高点峰の場所が本来の城山であり、1022.2m峰の方は、地元からも城山と呼ばれていなかったのだろうと予想する。誤記修正と座標を移動したいが地理院も原本登記してあり移動は面倒で、それより名前を変える方が楽となったんじゃないかと思っている。

 

 迷犬との登山2回目。前回は上信国境のピクニックレベルのコースを伝ったので、今回は少しグレードを上げて歩かせたい。本格的な薮に入ると、猟期の今はクマに間違えられる色をしているのでキケン過ぎる。初代はこんな時期でも薮に入っていたが・・・。2代目はまだ初心者(犬)なのでどんな動きをするか未知数、だんだんと慣らさないとこちらも山を楽しめなくなる。あとは犬嫌いな人の存在も意識して、あまり人のいない場所を選び、のろし山の南麓で遊ぼうと決めた。関東の南側は雪予報の日であり、それならと北側を選んだのだった。

 

 気温の上がらない日で、麻績村の予想最高気温は昼頃で3℃となっていた。それまではマイナス気温。少し時間調整をしようと地走りして向かっていたら、家から30分ほど走ったあたりで車に靴を乗せていないことに気づいた。犬の装備に気を取られ、肝心な靴を忘れる為体であった。でも気づいただけまだいい。現地に到着し履けるのはサンダルだけだったら悲しすぎる。一度家に戻り、これが為に時間つぶしは出来たので上信越道に飛び乗り麻績インターまで走る。今日の目的地はアクセスのいい場所で、インターの料金所へのループを伝いながら麻績城址の山塊がハッキリとよく見えていた。

 

 初めて訪れた麻績村の中心街であるが、ここが宿場町だったことを恥ずかしながらこの時知ることとなった。その宿場町の街道内で駐車余地を探すと、公民館の駐車場が使えそうで、ここに停める。ただ、その駐車場の一角にごみの集積場が造られ、そこに土曜日だが家庭ごみを持ち込む方が車で頻繁に出入りしていた。よそ者が停めているわけでありバツが悪く、出しに来ていた男性に「城址へはどこから入るのがいいですか」と尋ねると、「ここの2〜3軒ほど向こうに細い道があるから、そこから上がると山道があるよ」と親切に教えてくれた。このおじさんを味方につけたような気になり、駐車も後ろめたくなくなった(笑)。

 

 8:07一匹を連れて行動開始。西側に2〜3軒ほど数えると宗善寺の西に小路が北に入っていた。この場所の事をおじさんは言ったのかと入って行く。途中でコンクリート舗装になり、その先は墓地となっていた。付近を見ても道らしきものは無い。無くなったのか、違う場所に来ているのか判断が出来ず、まあ這い上がれば尾根なのであまり考えずに薮のない西側に進んで行く。すると小沢に沿うような道形があった。伝うと尾根側には進まず沢に沿っていた。道が下り勾配になる手前に東に進む道が鋭角にあり、ここの5mほどの高低差を上がると尾根に乗った形となった。そこはカヤトの原で東に進むと濃すぎで、北に進むとすぐに下草のない斜面となった。そして東に寄って行くと薄い道形に乗ることができた、となると宗善寺より東側にこの道の入山口が在ったことになる。

 

 道形を伝ってわずかで大ぶりな社が現れた。よく見る神社のような造りではなく、何となくだが村里に見る虚空蔵尊のような構造物に思えた。一応山旅の無事をお願いして先に進んで行く。歩き易い尾根道で終始落ち葉を踏みしめながら進んで行く。先ほどの社から5分ほどで、今度は西側に屋根の大きな石祠が見られた。「文化元甲子」と読めた。往来を見続け215年経っていることになる。そしてこの石祠の先で樹林帯から抜け出し露岩帯となる。

 

 露岩帯内の道形は不明瞭だが、伝いやすそうな場所を進むと上に抜けられた。危険個所は無くどこを伝っても大丈夫なのだろう。チムニー状な場所もあるが、犬が進めそうな足場の場所を選び東側を巻くように進んで行く。740m峰の上には10畳ほどの建物があり、祭壇のような構造も造られていた。屋根があるので休憩舎と表記しておくが、何か祭事用の建物だろう。ここからの下界の展望はいい。休憩適地で、腰かけるのにちょうどいい露岩も多い。

 

 北に進んで行き、尾根東側の岩マークの場所は、火山帯で硫化水素が吹き出している場所によく見られる硫黄が付着したような黄色い色をしていた。泥岩などでよく見られる色であるが、黄色のそれら特異な発色を楽しみながら進んで行く。この辺りで、進む先にのろし山と麻績城山が見えてくる。

 

 細尾根が終わると、斜面に白い標柱が横たわっている。何かあるのかと周囲を見ると、西側に東屋があった。訪れる人が少ないからだろう、そこまでの間にはカヤの植生が濃く分けて進むような場所となっていた。さてここから九十九折となる。細かいターンでなく大きなターンで進む久しぶりに体験する清々しい九十九折りであった。

 

 890mのコルに乗る。麻績城址の略図が立ち、城址解説版は文字面を地表に着けて最初は板切れがあるようにしか見えなかった。裏返したらまだ状態が良く謂れを学ばせてもらった。東に進むのだが、ポコポコと小ピークがあり越えてゆく。920m峰には、コナラの木に隠れるように、南側に石祠が安置されていた。これには一切の刻みは無く履歴を追う情報は無かった。ここで屈曲して北に進んで行く。この辺りから地面に積雪が見られるようになった。

 

 のろし山到着。昔はそうじゃなかったのだろうけど、今は木の茂った山頂であった。これじゃ狼煙が・・・なんて思うのだった。そしてやはりここには城を置いたような地形は無い。名前を替えてよかったのかもしれない。三等点があるが、多くのマニアに角を割られた痕がある。それこそ趣味の悪い嗜好である。自分のものではないものを持ち帰るのだから窃盗と言えるだろう。迷犬に水を飲ませてから次の麻績城山へと向かう。

 

 登りはいいが下りの足の運びを気にしていたが、余計な気遣いで迷犬は飛ぶように降りて行き、10mほど離れると後ろを振り向き私を待っていた。足が揃わない私をもどかしと思っているだろう。コルに戻ったら西側に進んで行く。やや急峻な場所に雪が乗っているので、滑りやすいと思えた通過点であった。

 

 943高点の麻績城山到着。大きな切り株がある尾根上の場所で、ここも山城があったのしては違和感を感じた。尾根をそのまま西に進んで行くと、150坪ほどの広い平坦地が現れ、その北西側に城址の標柱が立っていた。ここなら納得であった。経路には堀切があるが細く狭く役立っていたのか微妙に見えた。少し休憩後南西に降りてゆく。

 

 732高点に続く尾根を狙って降りてゆくと、870m付近で北東から緩く降りてくる道形(巾)があった。そして尾根にその幅が当たった場所から北に掘れたような幅が降りていた。これはほぼ真っすぐに降りており、そこを伝い直下降してゆく。途中で流れが出てきて、それらを3本跨いで東側に進んだ。そして730m付近で林道幅の地形に乗った。この道は谷に沿って上流(北)側へと進んでいるようであった。降りてゆくと左側に大堰堤が現れた。

 

 砂防堰堤の下流で樹林帯から出て、その付近は墓地となっており麓側に大きな寺社が見えてきた。法善寺であった。昔は相当な信仰の場所だったのか、大きなお寺であった。善光寺街道へと降りると、そこには達筆すぎて判読できない大きな石碑があり、重要な場所らしく大ぶりな石塔や石仏が並んでいた。麻績宿の面影を楽しみながら歩いてゆく。昭和な感じの金物商も現存しており風情があった。進んで行く左側に麻績城址の案内図が見えた。ここを入るのだったのか・・・。往路、西側から尾根(中町ルート)に合流する道形は判らなかった。復路に城山からの下降路(北山ルート)が見いだせなかった。そう言えば、朝に会ったおじさんが、「道は無くなってきている」と言っていた。落ち葉の多いこの時期は特に見出し辛いのだろう。

 

 交番横の宿場の古地図を眺めた後、公民館に戻る。ここには道路元標があり、駐車場への出入りの邪魔になるような位置取りだが、破損もなく状態よく残っていた。

 

 帰路、八頭山下の坂上トンネルを戻って上山田へと出る。以前のくねくねとした道は驚くほど走りやすく改修されていた。前回ここを走ったのは15年前であった。これなら、坂城インターで降りて山越えして麻績に入ってもよかったと思えた。

 






  
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