大塚山        269.5m       坊主山        261m          
                    
                                                  
                                      

   2019.9.15(日)


  晴れ    単独   大塚山墓園から    行動時間:18M


@墓園内駐車余地6:21→(4M)→A大塚山6:25→(4M)→B墓園に降りる6:29→(5M)→C坊主山6:34→(5M)→D戻る6:39


   
@墓園内の駐車場は開門時間があり早朝は入れられない。歩道の余地に停め出発。 案内図がある。 車道最上部。ここまで車であがれば、残り2分。 最後の階段
       
道標と解説図 前方後円墳の詳細図解 最高所への最後 A大塚山
     
A史跡としての標柱。 A三角点の場所を示す標柱は、実際の三角点とは7mほど離れている。 A史跡標柱のすぐ脇に四等点が埋まる。 A最高所から見る西側。
       
大塚山から坊主山を望む。 B墓園から坊主山側へと進む道。 破線路への入口 尾根に乗る。尾根上の明るい場所にも墓石が並ぶ。
       
C坊主山山頂。ジョロウグモの巣が沢山あり、往路を戻る。 C空き缶素材の標識。 分岐帰り D戻る。ここしか余地がない感じで、皆ここに停めていた。




 会津若松市街の東側には、会津アルプスとでも言えよう低山が並んでいる。その一つが有名な飯盛山となる。ここに登れれば満足度は高いが、そこへの山旅に費やせるほどに時間の余裕はなかった。今回は、飯盛山の北西にある大塚山と坊主山を目指す。地形図を見ると山頂近くまで道があるように書かれ、手古摺らずに登頂できると判断できた。あと、全国にある大塚山は他の山に比べ気になる山名でもあった。ここは「おおつかやま」と読ませるが、「おおつかさん」と呼んでしまうのが常。

 県道64号には、はっきりと判る大塚山古墳に対する道標が立っていた。墓地もあるので園地整備されている場所であった。入って行くと所狭しと墓石が並んでいた。抜け道となっているのか、通過する車も多い。肝心の駐車場は、門は閉ざされ停める場所が無かった。しょうがないので駐車場北東の歩道余地に停めた。

 すぐに大塚山を目指して出発する。南に向かい階段の下まで行くと、車道が直下まで登っているのが道標から読め、車で来ても良かったと若干の後悔もした。ただしわずかな距離。最初の階段を登り上げると、東側から上がってきている車道終点地があった。そして最後の階段を上がると、その上に古墳の解説と絵図が掲示されていた。ここからは山道風味となり、前方側に上がって後円側に進んで行く。

 大塚山登頂。樹林に遮られ展望は無い。それでも広く明るい場所で居心地がいい。古墳としての標柱が立ち、そのすぐ脇に四等点が埋まっていた。これに対する地理院の白い三角点標柱の場所は、山頂の中央部にあり、やや違和感を抱く距離間隔であった。中央部に三角点を埋めた方が無難のように思うが、史跡標柱の太刀持ちか露払いの位置取りであった。次は坊主山を目指す。

 大塚山の北からは坊主山がよく見える。駐車余地まで戻り、車道を西に進むと北側への連絡通路がある。小川を跨いで北東側へと進む。山麓に畑があり、農作業をしているお年寄りが見られた。この畑の脇から北に向かう道が上がっている。すぐに左右に墓石が並ぶ。この地域の風習や風土の関係だろう、みな似たような仕様の墓石であった。尾根に乗り上げる直下まで墓地があり、乗り上げた東側にも並んでいた。ここから緩い弧を描くようにして西へと尾根筋を進んで行く。ジョロウグモの巣が沢山あり、誰も通過していないのが判る。

 坊主山登頂。気にしていなければ里山の通過点のような場所で、山頂らしくない場所であった。そこに空き缶で作られた標識が一つ打たれていた。最近取り付けられたものらしく新しかった。標識はこれが唯一で、在ってありがたいものになっていた。道形はさらに西に進んでいたが、なにせ蜘蛛の巣が酷く、蜘蛛に対する虐待のような感じになるので来た道を戻る。

 尾根から墓地へと降りてゆく。本当にコピー&ペーストしたような墓地仕様であった。物置台が必ずあるのも特徴に見えた。舗装車道に出て戻ってゆく途中、西麓に入って行く刈り払った道形が見られた。すぐ西側には水路がある。上の道を伝ったらここに出てきたのか・・・とも予想する。朝の散歩に良さそうな場所だが、墓地ってことで歩かれないのだろう。5mおきにジョロウグモの巣があるような尾根筋であった。



 
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