明巖山    1127.2m        神巖山    1090m                                                                                                                                         
  
 
2019.7.20(土)


 曇り時々雨     単独     駒込地区より時計回りに周回      行動時間:3H38M
                                        


@雲台寺入口分岐6:33→(6M)→Aマレットゴルフ場6:39→(24M)→B主稜線1040m7:03→(8M)→C1087.1三角点峰7:11〜12→(11M)→D1100m峰7:33〜35→(8M)→E1109高点峰7:43〜47→(15M)→F1070m峰8:02→(12M)→G林道に出合う8:14→(20M)→H明巖山8:34〜40→(19M)→I西尾根を離れる8:59→(32M)→J神巖山9:31〜35→(25M)→K930mゲート10:00→(2M)→L車道に出る10:02→(5M)→M44号に出る10:07→(4M)→N雲台寺入口10:11


   
@雲台寺への、下降路分岐の道向かいにマレットゴルフ場への入口がある。 Aマレットゴルフ場。水道あり。 A東端に尾根があり取付く。道形は不明瞭。 890m付近の伐採された明るい場所。
     
910m付近の斜面に祠が見られた。 B1040m峰で主尾根に乗る。 1070m肩にある手前峰。 ケルンのように重なった岩。実際は大岩が割れてこのようになったよう。
     
C1087.1三角点峰。樹林間隔があり心地いいピーク。西に進めば笠原城址。 C綺麗な三等点だが、角が割られていた。 尾根上に見られた見出標。 往路に登り上げた1040m峰再び。
       
1040m付近の尖鋭岩峰。 1080mの大岩。 1100m峰直下から。 D1100m西峰には三股のアカマツが生える。
       
D1100m峰の東峰。こちらはのっぺりしている。ここから東へ僅かに進めば神巖山であったが、この時は判らなかった。 1109高点側に進み、途中から露岩が現れる。1080m付近。 E1109高点峰。北側が開け大展望。 E浅間山側。
   
E上信国境側。 吊り尾根の西側に池があるように見えたが、湧水地であろう。 1109高点からの東尾根には踏み跡がありマーキングも見られた。 以前は笹が茂っていたよう。今は笹枯れ。
     
F1070m峰。人工物皆無。 F1070m峰から見る西側。左の手前峰が神巖山。 北側が削がれたような高み。南側を巻く。 G林道の終点地に乗り上げる。
   
しばらく使われていないだろう林道を伝ってゆく。途中に80kgほどのイノシシ親子が見られた。 林道のT字分岐。 林道からの明巖山への道は野草が茂る。 明巖山への最後は東側の壁を登ってみた。本道は西側から巻き上げるよう。
     
東壁の上部。ホールドは多いが足場が滑りやすい。 H明巖山登頂。 H唯一の標識。 Hこの祠には「安政三」と彫られているのが読める。
       
H三等点 H明巖山でヤキソバパン。 西尾根の1100m付近の開けた場所。 1100m付近から見る神巖山(二つのこぶが見える左側の、その左の手前峰)。
       
1030m付近から見る岩巖山。 西尾根にはロープが流してある場所もある。 道標も見られる。 I910m付近から沢側へ進む獣道があり伝って進む。
       
沢を渡渉し、そのまま獣道を辿る。 畑跡と思われる広い地形の場所に乗る。 南東尾根上の突岩。 1100m付近から岩壁が立ちはだかる。
       
岩壁の西側に赤ペンキで×が書かれていた。西に進む。 岩壁を西に巻き込むと小谷があり、その中を登る。やや急峻。 1050m付近で南東尾根上に戻る。ホールドの多い岩。 登ってきた場所を振り返る。
       
生坂村の、京ヶ倉の南側の様子に似ている岩尾根。 直下からは西側から巻き上げる。 J神巖山到着。大きな石碑が二つ立つ。 J「三笠山神社」の石塔。
       
J「御嶽山神社」の特異形状の石塔。かなり美術的で見栄えするもの。 Jこの標識が唯一。 J神巖山から1100m峰。 J神巖山から見る明巖山(中央右)。
       
J神巖山から駒込集落側。 帰りは南西尾根を下る。1060m付近。 1040mは植生が無い。西側が切れ落ちている。 940m付近で南東側と同じような畑跡の地形が現れる。
       
沢水を飲もうと思ったが、鉱泉水のように白く濁っていた。 山道を地元の方が上がってきた。郷土の史実に詳しい方であった。 K930m付近で舗装路に出る。ゲートあり。ロープには罠の鑑札が縛られている。  K930m付近には、狭い谷間に田んぼがある。良く管理されている。
       
L実線路の分岐点に出る。 L分岐点を振り返る。神巖山へは、ここから入山するのが正解。 M44号のバイパス路に出る。 N入山口に戻る。
       
路上でミヤマカラスアゲハが遊んでいた。      




 この日は深夜に出発できず近場で遊び場を探さねばならなかった。西上州の落穂も片手ほどになってきたので、もう少し距離を伸ばし上信国境を跨いでの信州側で探す。いつも通過する国道254のコスモス街道は、奇岩が多く面白そうな山があちこちに見えるが、表立って登られるのは石尊山(行人岩)くらいだろう。もう少し掘り下げたらどこかないかと周辺を探すと、北側の山向こうである旧志賀村地区内に神巖山なる高みがあることを知った。


 写真付きの記事文章のみの記事の二つが読める。写真付きの記事からは明巖山の西に位置するとある。と言っても、地形図を見ると候補地が複数存在する。標高を記してくれるとありがたいが、どちらの記録にもなぜか標高が表記していない。標高を意識していない人も居るので書いてなくてもいいのですが、私自身の読解力が無く同定ができないことになった。真西なら1070m峰。それらしいのは1109高点峰。でも明巖山への尾根から見える場所となると、そこより南の1100m峰が妥当。

 
 文章のみの記事からは、「前衛峰までで引き返した」とある。そうなると、前衛峰が東側の1090m峰で、本峰が西側の1100m峰となり、文面と現地が合致した。もしくは1100m峰が前衛峰で、北の1109高点峰が本峰。だいぶ絞れてきたが、写真付きの記事から読める、「人家のある道のところから」の道が、実線路を表現しているのか、二重線路を表現しているのかが判らなかった。こうなったら南尾根の1105高点経由で登って手当たり次第にピークを登ってみようと思った。

 
 なお、漢字解釈において両記事共に「神巌山」と表記しています。標識を付けた作者の表記に合わせたとも言えますが、地形図からは明巌山ではなく明巖山であり、神巖山が正解と判断し、「巌」でなく「巖」を使用します。私の裏読み違いかもしれませんが、
悪しからず。
 

  小用を済まし5時に家を出る。前回明巖山に登ったのは2003年の4月、この時は集落内の分岐で、路面が凍っておりハンドル操作不能状態となり下りで滑り側溝にタイヤを落としてしまった。そこからなかなかはい出せずに青くなった記憶がある。当時と道の様子が異なりバイパスが出来ていたので現地が判らなかったが、駒込地区から八重久保川に沿うように細い車道を詰めてゆく。駐車余地を探していたのだが、あるにはあるが住まいしているお宅も多くビジターが勝手に置くのを憚れる場所ばかりであった。そこに草刈り機の準備をしている男性が居たので情報を得るのに声をかける。

 
 地形図を見せながら、「ミョウゲンザンの西に『神巌山』と言う場所があるらしいですが、どれですか?」と聞くと「ミョウゲンでなくミョウギサンって言うんだ」と明巖山の呼び名を修正させられた。「石塔が二つある山の事です」と言うと、「石塔の写真は撮って持っているよ」とまで言うので、間違いなくピークを踏んでいる方と判断した。「あの石塔は明治の作らしいですね」と言うと「いやあれは大正だよ」と言われた。そして1109高点を指して「駒込と志賀の有志4人でここにこのあいだ登った。以前はこの辺りで炭焼きをしていたんだ」と教えてくれた。さらに「雲台寺入り口のところから入れば尾根に山道があるから、道に伝って楽にここまで行ける」と1109高点を指した。あと細かいピークに対し山名を言ってくれたが、多すぎて記憶できなかった。ここまで地元猛者に言われたら、鵜呑みに信じるのが普通で、言われた道を拾って登ろうと思った。

 
 南西に戻り雲台寺入り口の表示を見つける。この向かいにはマレットゴルフ場が山腹に在るようで、その表示があった。民家が一軒あるが、見るからに廃屋となっていた。分岐点には余地があったのでここでエンジンを切る。少し雨も降っており雨具を迷ったが、着ずにスタートする。

  
 廃屋を左に見て進んで行くと、実線路のような直線ではなく途中から右にカーブしてゆく道となり、その先で左上に廃屋が見えてくる。これはマレットゴルフ場のトイレのように見えた。進んだ先が明るくなり良く管理された奇麗なコースが広がっていた。ここには水道も引かれていた。この場所は衛星画像でも確認できる。どこから取り付くのか判らないので東に進むと、山手側に登るような階段地形が作られていた。この階段はコースとしての階段のようではあったが、利用させてもらい尾根に乗る。しかし尾根には言われるような道形は無かった。

 
 マレットゴルフ場の北東端側の尾根には、そこだけなぜか伐木され明るい場所が出来ていた。道形は薄っすらとあるようなないような感じで、この尾根を歩いている形跡は薄かった。ただし古いマーキングが残り、伝っている人がいることは間違いないようであった。まあ里山なので歩いていない場所は無いだろうけど・・・。あとは、下草がほとんどない場所ばかりで足元が濡らされないのがありがたかった。

 
 910mのやや広い尾根斜面に、ポツンと石祠が置かれていた。こんな場所にと思えるような所で、おそらくは山の神的に安置されたのだろうと思えた。高度を上げてゆくと、林班のものだろう境界標柱も埋まっていた。東側の谷向こうには、机上の計画で登ろうとしていた尾根が見える。その尾根の山腹950m地点に構造物があるのが地形図から読める。1005高点の南西なのだが、何かあるなら道形もあるはずであり、こちらより向こうの尾根を伝った方が無難だったのではと思えてしまった。ただ、折角この尾根を登ったのだから、西の1087.1高点峰も寄っていくことにした。

  
 1040m峰に乗り上げ、ここで東西に続く主尾根に乗った。ここにも境界標柱が埋まっていた。西に進み最初の高みは、ニセピークと言える前衛峰で、北西側に少し進路を変えた先が1087.1高点峰であった。山名は記されてはいないが、山頂として居心地のいい場所で、登頂しての心地よさがあった。奇麗な三等点が埋まっているものの、残念ながら北西側の角が割られていた。こんな場所にもマニアが登ってきているのか・・・と思えた。踵を返し東進開始。往路の1040m峰を経て、一度下り東側の1040m峰に着くと、ここには鋭利なマッターホルンのミニチュア版のような岩峰が聳えていた。西から見ると鋭鋒であったが、他方からはそこまでではなかった。地形図を頻繁に見ながらくねる尾根を拾って進む。

  
 1080m付近でも大岩が立ちはだかる。北側を進むとかなり大きな岩だと判る。そして1100m峰に着くのだが、人工物は皆無であった。最初に着いたのは西峰側の高みで、山頂部には奇形と言える三股になったアカマツが見られた。こうなると東峰側になにかあるのかと進んで行く。しかし東側にも何もなかった。ここに何もないとなると。文章のみの記述から推察した、この場所が前衛峰で1109高点峰が本峰と言う読みも消えた。でも麓の男性が言っていた1109高点であり、行かない手は無い。この時に、東の1090m峰の存在を軽視していた。

 
 北に下り釣尾根を進んで行くと、左(西)側の谷の中に池のように水面が輝く場所が見えた。帰りに調査として北進を進める。途中から露岩が出だし、やはりここが岩巖山なのかと俄かに思ったのだが、写真付き記録と風景が大きく違っていた。向かう先に人工物が全く見えてこない・・・。

 
 1109高点峰到着。北側は遮るものがなく展望地であった。この日はガスが垂れ込めていたが、晴れていたならばそこそこいい景色の場所となろう。それよりここも違ったか・・・残すは1070m高峰で、ここは明巖山の真西に在る山なので、もう神巖山はここで間違いないだろうと絞れてきていた。南に戻り、先ほどの池を確認する。

 
 釣尾根から西を見下ろすと、池のように見えた場所は、沼でも池でもなく、北の瀬早川に対する支流の源泉地のようであった。ここからの東進は地形図に目が慣れるまでしばらくかかるような少し複雑地形が広がる。藪尾根かと思った東側の尾根には、マーキングも見られた。こんな場所をも歩いている人がいるようだ。そして結構に歩き易い尾根で広く快適であった。少し尾根が痩せてくると笹枯れの場所となり、数年前であれば分けて進む場所だったよう。そして最後に期待していた場所に乗り上げる。

 
 1070m峰の上には、露岩と赤松があるだけで石碑も山名板もなかった。総じて全部ハズレを引いた感じであった。黒ひげ危機一髪ゲームをしたならば勝ち抜けられるかもしれない。いや逆で、一番負けであろう。無名峰を4つ登頂してきたものの、これで帰ったのでは記録としてどうかと思え、明巖山に再び登ってから帰ることにした。

 
 右に明巖山を望みながら東に進んで行く。1060m峰は北側が削ぎ落されたような高みで南側を伝って進む。特に危ないような場所もなく進み、先の方が明るくなるので何かあるのかと進み出でると、そこは林道の終点地であった。酷く崩落とかは無いものの、使われていないのが良く判る林道で、進む途中で大きな低音での唸り声が聞こえた。大型獣が居るのが判り少し緊張感を持ち周囲を具に見る。30m後方の今ほど通ってきた場所の上側10m付近から、80kgほどありそうなイノシシ2匹と、後を追うように小さな猪が出てきて西に逃げて行った。通過したときに匂いも含め気配がしなかった。私もだいぶ鈍感になり各所能力が退化してきているのが判るのだった。

 
 林道がT字路となり、吉巾池からの林道の合流点となる。霧雨で野草が濡れここからの進路でけっこうにズボンを濡らされる。途中、尾根に進むべきだった場所を道形があったので東側山腹の道を伝い行き止まりとなる。そのまま山腹を進み東側にある岩壁の下となる。ホールドは多く登れそうであり攀じりだす。土が乗る場所の足場が緩く滑りやすい場所ばかり、伝うのにあまりいい場所ではなかった。それでも何とか東側から登頂。

 
 明巖山登頂。石祠の側面を読むと「安政
三」と読めた。ペリーとかハリスとかの時代にここに建てられたものだった。こちらの三角点も割られているのかと思ったが、こちらは奇麗な状態を保っていた。神巖山で出す予定だったヤキソバパンをここで掲げる。そして西尾根を下って行く。ここは前回往復した尾根である。

 
 岩尾根の展望のいい場所から、写真付き山行文の中に見えるその場所が見えるようになった。もうここを最後に降りようと思っていたが、もう一度這い上がろうかと考えるようになっていた。下側の1030m付近にも展望尾根の場所があり、ここからは神巖山の全容がハッキリ見えていた。そこ以外は周囲に今ほど踏んできたピークが並んでいる。登頂した1100m峰から、わずか二分ほどの場所だったろうはず、行かなかったことを後悔した。

 
 伝う西尾根にはロープを流してある場所も見られた。以前は無かったと記憶している。その下側途中には道標も付けられていた。この頃になるともう、神巖山に登り返すつもりでいたので西側の谷向こうの尾根に取り付く方法を探り、常に西側斜面を見ていた。そんな中、910m付近から北西に棚地形が降りており、そこにハッキリとした獣道が確認できた。獣道と表現したが、今は獣しか伝っていないが昔は杣道があったような雰囲気ではあった。


 沢が近くになると道形は有耶無耶になるが、対岸を見ると一筋の道形が続いていた。渡渉して右岸側へと乗り上げる。尾根があるのかと思った西側は、地形図の荒れ地記号の場所であったが全く荒れておらず今は胡桃畑のようになっていた。さらに西側に進むと尾根に乗った形となり北に登って行く。途中には蟻塚のような突岩が現れた。1100m付近で、その上側一帯が岩壁になり、東か西かに進路を選ばねばならなかった。一か八かで西に進むと、西側の岩壁の下には赤ペンキで×が描かれていた。それを右に見ながら岩壁を巻き込むと、その先の西側には大きなチムニーのような小谷があった。土と落ち葉の詰まったその谷を登って行く。


 ずっと谷の中を詰めても良かったが、上の方で傾斜が強くなるので1050m付近から東側にズレて尾根に乗る。この辺りは妙義山の岩肌のようにごつごつとして球形の突起したものがたくさんあり、手掛かりも足掛かりも十分。ただし勾配があるのでスリップはできない場所であった。途中から目指す山頂部が見えてくる。この見えたあたりは生坂村の京ヶ倉への登路途中と似ていた。岩に乗ってからはほぼ岩部を伝う感じで頂上に達する。


 神巖山にやっと到達する。本日六峰目にして辿り着けた。明巖山で降りようとも思ったが、いや実際は降りたのだが、諦めずに登り返して目的を達成できた。これで地図表記が無かった場所に地図入りで記録が残せることになる。山名板があるが、材も書式も縛り方も含め明巖山のものと同じで、作者は同じ方であろう。そしてそして、面白い石碑が見られる。ここのような奇形の石碑を他でも見たことがあるが、ここのは見事な黄金比と言うか、形状バランスがいいものであった。しばし眺めていても飽きない形状であった。そして彫られた字を読む。「明治十五年 駒込郷中」とある。明治じゃん。再び麓の男性の言葉が蘇る。この場所に石祠などがあってもいいように思うが、無いのもすっきりしており新鮮であった。


 予定満了で下る。帰路は南西尾根を辿ってみる。1060m付近までは問題なく伝え、その下側は少し伝いづらいが、東斜面を利用しながら再び尾根上に戻る。1040m付近は展望場で周囲がよく見えた。950mからは尾根が二分して選ぶ尾根が判らなくなり、ここで尾根を離れて東側の実線路を求めて降りてゆく。すると、こちらもまた往路に見たような畑跡で石積みで段々形状がつくられていた。沢の音がし喉を潤そうと思い近づいてゆくと、その流れは白く濁っていた。鉱泉水のようにも見えた。諦めて、その地形の東端の道形らしき場所を降りてゆくと、下から男性が登ってきた。


 男性と会話をすると、この方は明巖山を「メイガンサン」と言っていた。そこでここの上側の神巖山のことを聞くのだが、この話をしだしたら笠原城址の話となり武田軍との攻防の話となり、志賀地区の首塚の詳細を教えてもらう。田舎の人らしい実直な方だった。別れ下に行くと舗装車道と出合い、今伝ってきた側はロープで塞いであった。ロープには罠の鑑札が縛られていた。狭い谷であったが、この場所には現在進行形で田んぼが作られ緑濃く稲が育っていた。ちらほらとあるお墓を見ながら降りてゆく。


 駒込区の看板のある場所で八重久保川沿いの道と出合う。朝一で車で入ってきたとき、ここからなんだろうと目星をつけた場所で、その通り行動すれば速かったよう。村落内を下って行く。色々アドバイスしてくれた男性はもう居なかった。44号に出て緩やかに登り返すように進んで行く。先ほど山中で出会った男性が軽トラで追い越していった。入山口に戻る。


 振り返る。913高点の北側から北に延びる実線路を伝い、田んぼの場所が見えたら東側の尾根を意識して、いずれ乗るように進路を選んで進むのが最短となろう。斜度がある場所もあるので、単独行でない場合は登下降において前後者への落石の配慮は必要に思えた。ザイルは特には不要だが、邪魔でなければ安心材料に持ってもいいかもしれない。今回は地元の方の情報に、やや振り回された感じであった。地元の人なのでよく知っていると思うのが常だが、話半分にした方がいい時もある。こんな経験が次につながる。
 






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