戸土山    1030m           一本岩    820m (西壁途中まで)             
                                                                       
                                      

   2019.1.19(土)


 晴れ     単独    西麓から戸土山に登り、東に高立地区に下り一本岩で遊ぶ   行動時間:2H20M


@砂防枝林道入口6:59→(12M)→A渡渉2回目(東進)7:11→(30M)→B戸土山7:41〜42→(20M)→C祠8:02→(10M)→D高立地区8:12→(18M)→Eハイキングコース入口8:30→(7M)→F一本岩(西壁〜東壁)8:37〜9:13→(6M)→G枝林道分岐に戻る9:19


   
@地形図に記されない、砂防工事用の枝林道。 沢の水は鉄鉱泉の色合い ハングした大岩がトドのように見える。 トド岩の南にこのようなチムニーあり。
       
林道は流れを跨ぐ。荒れていて車での進入は不可。 落石が多い。 林道が分岐する。 左の写真で、右を選ぶと堰堤前で行き止まり。戸土山に行く場合は、ここは180度反対側。
     
沢を跨いで東へ向かう。 登山道が在るかのような枝沢。途中で離れる。 下側は笹枯れの斜面。 途中からガラ場。動かない石が多く伝い易い。
       
上部はザレで歩き辛い。 陵部を選んで伝って進む。 戸土山の南側に境界標柱。 B戸土山
       
B図根点と境界標柱の二本が立つ。 B戸土山から浅間山。 B戸土山から上信越道。 B初めて見るフジオカTK氏の標識。氏は建築か土木関係者か・・・。
   
北に下り振り返る。 なだらか尾根で推移する。 990m峰は道形が山腹を巻いている。 杉に藤が絡みついている場所。
     
C810mに祠とトタン。 C御場山 C日暮山(左)と上ノ山(右) 尾根がコンクリート舗装路に出合う。
   
尾根の末端部には白い杭が立つ。 740m地点。麓側への道が細くなっている。軽四しか通れない。 貯水タンク D高立の集落内を降りている。道沿いで住まいしているお宅は2軒のよう。
     
林道沿いの沢は硫黄泉風味。 一本岩が見事。 東壁の核心部 たぶん登れないだろうと、ここでヤキソバパン。
       
Eハイキングコースに入り一本岩に向かう。 F西側のコルから一本岩。 F西側のコルから戸土山 F一本岩北壁。
       
F一本岩西壁 F西壁の途中。中央左の白い壁に金具が打たれている。 F西側直下。あと7mほど上がれば頂上。でもハングしており我が力量では無理。 F支点から肩がらみで下る。
       
F肩がらみ1回目。 F肩がらみ3回目。 F一本岩東側の尖峰。ここもハンガーボルトが上まで続いている。 Fただし跨ぐには1mほどの岩溝があり、微妙な基部。
       
F東側基部から一本岩の東壁。 F東壁中腹のステンレスの溶接構造の金具。 F東壁にはハンガーボルトが乱打されている。 F尖峰側から見る一本岩。
       
林道に戻る。 林道から戸土山。 G戻る




 挿し餌を理由に南牧詣出が続いていたが、今度は西牧側へと出向いてみる。最奥の高立地区には、一本岩と言う岩峰があり地形図に読める。まだ最近である2007年に初登頂で、奥多摩の雄である山野井さんのパーティーが成し遂げている。山野井さんの名前を聞いて、到底自分に登れるとは思えず、一本岩を望みながら登ろうと、北側の戸土山を目指すことにした。

 戸土山は高立地区よりの東尾根を伝えば一番容易とは思うが、ここは南麓が伝えないものかと考えた。ゲジゲジマークが多いが、密集しているわけではない。このあたりは現地で判断とし、まずは一本岩を目指して現地に向かう。

 2羽への挿し餌を終え6:00に家を出る。外気温はマイナス8℃で、セブンカフェを買い温まりながら和見峠へと向かってゆく。西野牧地区に入るとマイナス10℃を示していた。通常の温度だと思うが、今年はまだ白さが無いので違和感を抱く。初鳥屋で左折し、小平地区を経て高立地区に向かってゆく。ここもまた限界集落のようで、住まいしていると思える家が少ない。しかし昔は潤っていたのだろう、大きな家が多い。御場山への登山口を左に見て、西へと進む道を選んでゆく。集落を過ぎると緩い登りのダート道になり、足回りの堅い車は見事にぴょんぴょんと跳ねる。

 進んで行く前方に、間違えようのない一本岩が見えてくる。その展望場と言うべき場所には大岩があり、その上に祠が見える。となると、一本岩を神仏として高立地区の人が崇めていたってことになる。よく見ると東壁の上は顔のようにも見えないではない。一本岩の北には矢川峠へのハイキング道の入口があり道標が立っていた。どこから取付こうかと北側斜面を見ながら走ると、矢川と林道が南に屈曲する場所から北に、新しい林道が造られているのが見えた。これは地形図に描かれておらず予定外。谷に沿って切られており、その東側の岩の多い場所を登ろうとしていた中では、大きく気持ちを揺さぶられた。枝林道を伝って高度を上げれば、かなり楽が出来てしまう・・・。

 枝林道の入口に車を停め、準備しながら行動を考える。結果は楽を選び、とりあえず新しい林道を踏査してみようとなった。ここに見える矢川の色は赤茶色で、鉄分を多く含む泉質のよう。すぐ東に芹の湯があるが、そこと同じ沢の色をしていた。今日はザイルに加え、ハーネスとエイト環もザックに忍ばせたが、岩場を伝わないのなら要らないか・・・。

 6:59矢川からの枝林道沿いに上がるコンクリート舗装路を登って行く。すぐに進路右側に大きくハングした大岩が現れる。まるで大きなトドのよう。戸土山における、これがトド岩と自分の中で命名する。その大岩の南側に、これまた見事なチムニーがあり、滑り台のような一枚岩構成の岩溝で伝いたくなる。おいでと誘っているような地形であった。予定変更した中では気持ちがブレるが、楽しみはまたあとでと次回の楽しみに残しておく。

 林道は一度沢を跨ぐのだが、ここで既に荒れていて車が通れる場所ではなくなっていた。上に行くと大きな落石があり、見える堰堤の銘板には平成28年とあった。わずか2年の経過でここまでになるのだから、よほど地滑りの多い場所と判る。進んで行くと道が二手に分かれ、右側の道を選ぶ。左に弧を描くように進むと、さらに先に堰堤があり、堰堤の上を通るように道が見える。先ほど左に判れる道のようだ。この林道はこのまま長野県境側へと進んでいることが判ったので踏査はここまで、狙う先が背中側になってしまっていた。

 谷がカーブする830m地点まで戻り、そこから渡渉して北東に向かう谷に入る。入ってすぐは登山道が在るかのような谷だが、しだいに凍った場所が多くなり、危険すぎるので東側斜面に取り付く。このあたりは笹枯れで、おかげで見通しはいい。ササの植生を抜けるとガラ場となるが、意外に動かない石が多く歩き易い。しかし950m付近になるとザレ斜面になりグズグズし出す。ここでは南に在った小さな陵部を選んで進む。角が立った岩が続くが、歩き易さには雲泥の差が感じられた。東西にのびる戸土山の肩に乗ると、コンクリート製の境界標柱が埋まって並んでいた。

 戸土山山頂には、御影石の図根点が埋まっていた。標識などはないだろうかと探すと、コンクリートの型枠合板(コンパネ)でつくられた標識が見られた。かなり薄れており、最初は読むのを諦めていたが、眺めているうちに読めてきて、フジオカTK氏製と判った。日頃はリボン仕様を見るが、標識を見たのは初めてであった。山頂からは木々の間から遠望が利き、浅間山や上信越道が確認できた。ここからは南に岩場を下ることも考えたが、なだらか尾根が続く東側に強く誘われる。

 北側の最初は急峻だが、1000m以下ではとても歩き易い傾斜で続く。990m峰は南を巻く道形が存在しており、ここからの東進は、特に道形は無いものの、どこを歩いてもいい快適尾根であった。シカの糞が見られ、鹿道が出来てもいいように思うが、広い地形なので道形にはならないのだろう。杉林の中には、植林された杉に藤弦が巻き付いた場所もある。あまり管理されていない、老齢化で管理できていない植林地のようであった。

 東尾根の810m地点には1畳ほどのトタンが残り、その先に石の祠が立っていた。山の神なのか、以前は屋根が造られていたのだろう。尾根を選んでゆくと、左下にコンクリート舗装林道が見えだす。尾根の末端部には白い杭が立っていた。大ぶりなもので何か書いてあったようだが、すべて消えてしまっていた。林道に乗り降りてゆくのだが、740m地点でこれまでの道幅ではなくなり、そこから麓側は普通車では絶対に通れない道幅になる。昔からの山道ってことになる。軽トラで上げたのか藁が大量に運ばれていた。御場山を眺めながら降りてゆくと、高立地区の中に入って行く。大きな蔵や農具の唐箕が見えるが、残念ながら住まいしているお宅は少なかった。車が足になる場所であるはずであり、庭先に車が置いてあるお宅は、この道沿いには2軒だけだった。

 677高点の場所から、一本岩側へとダート林道を進む。ここで見える矢川の色はコバルト色で、硫黄泉を感じるものであった。一本岩が見え、一度ヤキソバパンを掲げ拝んでから、その先のハイキング道入口から一本岩へと登って行く。東壁と南壁はソロでは無理と理解していたので、それでは西壁はどうだろうと向かってゆく。ハイキング道が南に曲がる場所から北に斜面を上がって行く。コルのようになった場所があり、嫌にここは踏み跡が多い。最初は獣の集まる場所なのかと思っていた。見上げる西壁は、最後がハングしていて登れたもんじゃない。少し上がり、北壁を見るとほぼ垂直に切り立っていた。折角来たのだからここまでで帰るのはつまらない。少しでも、登れる場所まで登ろうと考えた。

 西壁もクライミングシューズが必要であった。登山靴でもいいが、岩が脆かったりし、手がかり足がかりに出来る場所が乏しいのだった。大きな声では言えないが、この時の足許は長靴であった。そう、長靴で岩登りをしていたのだった。そもそもが間違っていると言われそう。それでも上を目指す。西が伝い辛く、少し下って南西にズレる。ここは灌木があり、それを掴みながらなんとか上がって行ける。上がれるが、下りは間違いなくザイルが必要。砂埃を立てながら灌木を掴み上ってゆくと、直下の壁にステンレスの大ぶりな金具が打たれているのが見えた。こちらにもルートがあるのか・・・。その先を見上げてもボルトは見えなかったので、下降用の支点ってことなのかと判断した。そしてその場所まで上がる。

 溶接構造のフックには、「48kN」と刻印がある。これで5t近くを支えられるのか、溶接部を見ると綺麗ではないがしっかり肉盛りされている。間違いないのだろう。「0055」と通し番号もあり、「304」とあるのはSUS304を示しているのだろう。セルフビレイし下降の準備に入る。風が強く、この金具が無かったらここまで登ってこなかっただろう。上を見上げるも、もう少しだがここまででもう無理。全く登れそうになかったし、ここを登っている気配(ボルト)もなかった。一本岩を登る予定で無かったので、いつもの簡易ザイルで20m。垂直に2回、最後を西に振って3回の肩がらみで安全地帯に戻る。

 一本岩を東に巻くと、一本岩の東側にもう一つ尖峰がある。大槍に対する小槍のような位置取りであり、その西壁を見ると、ここにもボルトがベタ打ちになっており、直下には先ほど見たような大ぶりなステンレスの金具が打たれていた。しかしすぐには伝えない。西側基部は1m幅ほどの岩溝があり、深さ2.5mほどで、落ちればかなり痛い。そこを跨ぐには、よほどの柔軟性が必要で、飛び移るにしても、よほどの俊敏性と、飛び移った先でのフックの速さが必要になる。となると梯子が順当になる。どちらにせよ確保無しには無理。

 さて一本岩の東壁を見上げる。山野井さんが書いているように、ボルトが並んでいてベタ打ちな感じ。記述では途中で止まっているようだが、中腹には西壁で見た先ほどのフックが光っていた。新たに設置し西にもあるとなると、東壁が攻略されたと理解した。何度もそのボルト位置を目で追いながらルートをトレースしてゆく。下の方は濡れていて、上の方はブッシュがある。やる気と度胸が必要な壁に見えた。私の一本岩はここまで。

 ハイキング道に戻り林道に出て、西にわずかに登って駐車余地に戻った。やっぱり西上州は楽しい。戸土山だけでも楽しいと思えるが、一本岩で遊ばせてもらい、より満足感を得た感じとなった。

 振り返る。戸土山の安全登山は、間違いなく高立地区のある東側からアプローチするのでいい。危険個所は皆無。後でいつか、南麓の岩場を辿ってみたい。ザレ斜面とは見えたので、御堂山南の帝釈岩の尾根のような感じなのだろうと想像する。




  
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