上ノ山    1045m                      
                                                                       
                                      

   2019.1.26(土)


 晴れ(小雪)     単独    萱倉地区より往復   行動時間:2H20M


@萱倉集落入口6:58→(12M)→A林道幅終点地(植林帯:しいたけ)7:10→(51M)→B1010m峰8:01→(12M)→C上ノ山8:13〜21→(12M)→D1010m峰帰り8:33→(29M)→E小平地区よりの林道終点地9:02→(15M)→F戻る9:17


   
@背中側は御場山林道。萱倉地区へと上がって行く。 @上信国境側は、雪雲も焼けだす。 集落内の防火水槽のある場所で左折。集落内総出で雪かきをしてあり、この通り箒目が出来ている。 庚申塔などが並ぶ。集落内の各場所に在ったものが集められているよう。
       
趣のある石像も見られる。 上ノ山も焼けだす。 A林道幅の終点地にはシイタケ栽培地。 尾根に取り付く。700m付近。急峻。
     
750m付近。急峻過ぎて南西側に斜上してゆく。 750m付近から登ってきた斜面。滑れば一気に下まで・・・。 765m付近の尾根の杭。 830mで細かい露岩が現れだす。
       
830m付近から下側。この付近も滑れば100m以上は一気に行ってしまう急峻地形。 1010m峰の肩に乗る。 B1010m峰 B1010m峰から上ノ山
       
1010m峰と1045m峰(上ノ山)間は吊り尾根な感じで痩せている。 上ノ山への登り。  山頂手前に大岩があり、西側が崩落しているコップ状。 山頂直下。ここも少し緊張して通過。
   
山頂直下から1010m峰 C上ノ山 C図根点 C西側。先週の土戸山が見たかったが、見えていない。
     
C日暮山 C東側 C上ノ山でヤキソバパンが撮影された最初であろう。 C上信越自動車道
   
北に下ろうと思ったが、高度差100mは急下降でザイル必須。20mしかなく面倒で諦める。 D1010m帰り 往路の尾根が右、谷を挟んで一本北側の尾根を下る。 尾根上は獣道も杣道もない。
     
途中でマーキングが見られる。 林班の境界なのだろう。赤ペンキも並ぶ。 往路の尾根。急峻。滑れば止まらないのが判るだろう。 植林地内に入ると作業道が入り乱れる。
       
尾根が植林帯から出て明るくなる。 E小平地区の林道終点地か、東からの道が上がってきていた。 E日暮山山腹には別荘らしき建物が並ぶ。 お墓の跡のような場所。
       
鉄板を敷いた橋を渡る。 山腹にお墓や石像が見られる。あちこちに散見できる。 往路に伝ったコンクリート舗装路。 萱倉地区に戻る。早朝に除雪したのでしっかり溶けている。
       
F御場山林道入口の駐車余地に戻る。向こうに御場山。      




 前週に抱き合わせで予定していた上ノ山であるが、落穂としてしまい、一週を経て再び登りに向かう。当初予定は西陵であったが、降雪後であり、安全を考慮し東側の萱倉地区からアプローチすることにした。

 挿し餌を終えて6時に家を出る。いつものようにセブンカフェを仕入れて温まりながら現地へ向かう。西牧での積雪量は5cmくらい。初鳥屋から小平地区へは、やや強い勾配のある道路なので帰りに登れるかが気になる。四駆で来ればよかったと思ってしまう。萱倉地区に行くには、東回りと西回りが選べ、高低差の無い方として西回りを選び矢川沿いの道を行き、林道御場山線入口の余地に停める。ここは河川敷側の駐車場を含めると、50台以上停められる広さがある。ちょうど県境側がモルゲンロートとなってきていた。

 6:58出発。萱倉地区では、地域総出で雪かきをしていた。村としての横のつながりが強く、早朝でありながら見事に除雪がされていた。作業する男性が居り声をかけられる。「ニックラ(日暮山)かい?」「いえ、上ノ山です。」「そらどこだい」「ここです」と地図を見せる。すると、北東の場所を指して、「ここから登るのがいい」と言われた。「と言う事は道があるんですか?」と尋ねると、「ないよ」と言う。なにか根拠があって言ったのだろうけど、地元民であり山の状況を知っているのあろう。男性と別れ最初の防火水槽のある分岐を左に折れる。

 道なりに進むと、石塔が並ぶ場所がある。庚申塔とも彫られ、表情のいい石仏もあり、これらに山旅の安全をお参りしてから先に進む。この先も除雪の箒目が続き、腰の曲がった80代と思しきおばあさんが作業をしていた。この集落には痴ほう患者はいないだろう。ボケている暇なく体を動かさねばならない・・・。石像が並ぶ先2分ほどで分岐点があり、ここは右折して高み側へ進む道を選ぶ。コンクリート舗装路が先に進み、途中には小さな砂防堰堤のような場所が見える。この地域を衛星画像で見ると、その工事最中だったようで、関係者の車が見えたりする。それがここである。枝道がいくつかあるが、奥に進む道を選び、地形図の実線路だろうと思しき道形を選んでゆく。

 道形の終点地は植林地となり、その中にはフェンスで囲まれたシイタケ栽培の場所となっていた。その西側を北に向かってゆくと、周囲は石積みが見え、よく管理された植林地と判る。その中の小尾根に取り付く。標高は700m付近で、道形は特にないが、獣は歩いているようで、ふかふかと落ち葉の堆積した緩い地形を登って行く。

 ここでこの勾配であったら、やはり西陵は凄い勾配であったろう。向こうに行かずによかった。東尾根でも直登出来ずに、九十九を切りながら登り、750m付近からは南西側に斜上してゆく。すると、765m付近だと思うが小尾根に乗った場所には境界標柱がリボンと共に見えた。尾根の下側の急傾斜地にも見える。尾根に取り付いてからずっと、気の抜けない地形で、滑れば停まるところがない。ツーステップで、足場を確かめるようにして登っていた。雪の下は凍っている場所があり、粘土質の地形も見え隠れしていた。

 830m付近でやっと傾斜が緩み、その先には細かい露岩が現れる。取付きから25分ほどだが、けっこう力が入る場所の通過で緊張を強いられた。雪が無かったらここまでではないだろうけど・・・。登りながら上信越道のロードノイズが聞こえてくる。奥多摩のバイカーのエキゾーストノイズに比べれば静かなもんだが、それでもゴーゴーと言う重低音がひっきりなしに聞こえていた。おそらくトンネルが多いので、共鳴して音が大きくなっているのだろう。

 1010m峰に上がると、鞍部の先に1045mの上ノ山が見える。北には日暮山があり、終始こちらを見下ろされている感じであった。1010m峰の西側は、吊り尾根のような場所でやや細い尾根筋となっていた。地図に読めるように南北が切れ落ちている。最低鞍部からは、西側を見上げると岩山があるように見える。露岩で構成されたような場所を登ると、下から見上げた場所がピークかと思ったら、その先に高みがあり、見えた高みの大岩の先は崩落したのかコップ状にそぎ落とされたような地形で、ここで痩せた場所を伝うのだが、岩の上を一歩だけ南に出さねばならない場所がある。灌木がありそれを避けるためなのだが、踏みだす足が滑れば大けがは間違いなく、ここでも緊張が伴った。全ては雪のせいでもある。

 上ノ山到着。戸土山同様に、ここにも図根点が埋まっていた。その戸土山と、目立つだろう一本岩を眺めようと思ったが、南西側は樹木に邪魔されていた。ヤキソバパンを掲げ朝食。ここでヤキソバパンが撮影された最初であろう。当初予定では西麓から北麓に見える破線路を伝ってみたいと思っていた。東に下山しながら、降りられそうな場所がないかと北を見下ろすが、吊り尾根のところまで降りても容易に下れそうな場所は無く、ザイル下降が必須の急斜面が続いていた。地形図を見ての通りなのだが、ザックに忍ばせている20mのザイルでは、読める100mの高度差では10回の作業が必要になり、面倒に思い往路を戻ることにした。

 1010mピークに戻り、ただ戻っては面白くないので、萱倉の男性が言っていた北東側へと降りて行ってみる。と言っても1010m峰からの北東にはゲジゲジマークが待っており、登った尾根に対し、谷を挟んでの北側の尾根を下ることにした。伝ってみるが、こちらにも踏み跡らしき筋は無く、歩き易くなく滑りやすい斜面が続く。降りてゆくと、さらに一本北の尾根に林班のマーキングが並んでいた。そして下の方は植林帯となり、そのまま尾根筋を進むと明るい場所に出て、よく見ると道形が上がってきて伝っている尾根を跨いでいた。跨いだ先を伝うように南側へと進んで行く。

 植林帯の中に続く道は、すぐに有耶無耶になり判らなくなった。谷の中に切られた段々になった地形に植樹され、昼間でありながら夕方のような暗さであった。左岸に居たので、細い沢を渡渉し右岸に渡る。下流側に進んで行くと広みになり、そこにはお墓の跡地らしき石積みがあった。その敷地を囲んでいるチェーンにはプレートが下がり名前も刻印されていた。道形を進むと、往路に見た水路(砂防工事の)を跨ぐ場所があり、簡易的に鉄板で橋が造られていた。水路の上を見ると道形があり、往路に伝った位置より15mほど下を通過する道を歩いていることが判った。進みながら周囲を見ると、石仏や石像、お墓のような石塔が見える。みな苔むしている。往路に見た庚申塔の場所は、これらを集めた事が予想できる。この地区のあちこちに立っていたよう。そして往路のコンクリート舗装路に乗る。

 萱倉の集落内の道は、綺麗に雪が融けていた。しっかり除雪したから融けているのであって、生活道が安全状態に確保されていた。シニアカーを持っているお宅もあり、凍ったら動けない事にもなるのだろう。降ったらすぐに除雪するってのはこの地区での暗黙の行動なのだろう。声をかけられた男性のお宅は静かであった。「気をつけて」と声をかけられたので、下山の挨拶をしようと思ったが、さすがに外にいるには寒すぎるのだった。

 御場山線入口に戻り、その足で前週に伝った高立地区に行く。こちらは生活道は除雪されていなかった。住まいしている人がそれほどに少ないのだろう。目立つ蔵を見てから帰路に。

 振り返る。独立峰的な山容であるが、東以外はどの方角も傾斜が強い。唯一緩い東も、相応に勾配がある。雪が無くてもアイゼンがあると利器になると思えた。冬季は必須で、もっと雪があったらピッケルが無いと危険にも思えた。



 
                       戻る