唐松山 1856.4m 裸山 2003.0m 櫛形山 2053.5m
2020.9.5(土)
晴れ 単独 美ヶ原美術館(道の駅)より 行動時間:4H43M
@池ノ茶屋登山口4:57→(81M)→Aアヤメ平6:18→(19M)→B唐松岳6:37〜41→(18M)→Cアヤメ平再び6:59〜7:01→(19M)→D王裸山7:20〜29→(28M)→E櫛形山最高所7:57〜8:05→(11M)→F櫛形山三角点8:16〜17→(20M)→G池ノ茶屋8:37
@トレッキングコースへ入って行く。(色調補正) | なだらかな作道で、そのため九十九折が細かく多い。振り返り撮影。 | 北岳展望デッキ | デッキから北岳 |
北岳アップ | 前週の千頭星山 | シダの群落の中を進んで行く。 | 休憩所への分岐 |
休憩所は小ピーク。 | 階段路でもみじ沢へと降りてゆく。 | もみじ沢。言う通り周囲はカエデ類が多い。流れは無い涸れ沢。 | 裸山のコル |
1880m峰からの進路は、北に新しいマーキングが降りていて間違えやすい。東側に降りる。 | 途中から夜叉神峠側 | アヤメ平の木道入口にゲート。 | タムラソウとアキノキリンソウ |
木道を覆い、けっこう足を濡らす。 | Aアヤメ平避難小屋 | A木彫された歌碑は健在 | 丸山登山道側のフェンスゲート |
仕切られた登山道。以前はどこでも歩けたが・・・。 | B唐松岳 | B三等点 | B標柱 |
芦安へのルートは、廃道化が進んでいるだろう。 | ヘリで移設されたトイレ | Cアヤメ平分岐再び。 | C小屋の中は、ヘリ運搬の資材が置かれていた。 |
裸山下の分岐 | D裸山 | D裸山三等点 | D白根三山側 |
D裸山から櫛形山 | 樹齢300年 | 原生林の中を進む | E櫛形山最高所 |
E山梨百名山の標柱は新調されていた。 | E櫛形山から富士山。 | Eヤキソバパンと | F櫛形山三角点峰 |
F青字と矢印がいたずら書きされている。 | F三等点 | 快適尾根 | 櫛形山三角点峰から池ノ茶屋までのフェンスゲートは、5ヶ所ある。 |
下側二つは紐で縛る仕様で若干不便。 | G池ノ茶屋駐車場 |
櫛形山への初登は1998年で22年前、富士山に上がった帰りに寄っている。その後、2005年に以北をぐるっと周回した。よってこの山塊に入るのは15年ぶりとなる。山塊は少し変化があり、2013年に池ノ茶屋からの新道がお披露目になり、新しいルートとして楽しめることになった。新しいと言っても7年も経過してしまっているが、最近まで知らなかったコースであり伝ってみたいと思えた。
1時に家を出る。9月に入ったが秋と言うにはまだ暑く、野辺山でも赤い電光表示が20℃を示していた。韮崎に降りて櫛形町内を経て県民の森へと登って行く。県民の森わずか手前から「櫛形山トレッキングコース」を導く道標が現れ進路を示してくれる。土木王国山梨であり、山梨ほど林道を開放している場所はないと感じている。道幅は狭く対向車が来たらどうしようかと思う場所をずんずんと進んで行く。夜明け前の3時台、ハイカーなのか何処かへの抜け道なのか、ラリーカーのように急いで抜けてゆく車が複数台あった。場違いのように黒塗りのクラウンが見られた。全てに煽られ道を譲る。
経路3時間20分で池ノ茶屋駐車場に到着。ジムニーが1台停まっているのみで、駐車場は閑散としていた。丸山林道と池ノ茶屋林道との出合には、丸山を目指すハイカーなのか、路肩に4台停まり暗い中に準備をしていた。それを見ながら来ているので、池ノ茶屋はもっと混んでいるのだろうと思ったが、結果は意外だった。夜明けまで仮眠に入る。
4:30ジムニーの主が、櫛形山への最短路へヘッドライトで出発して行った。しかし入り口でヘッドライトの動きが停まる。ルートを再考しているのか、1分ほど停まってライトの灯りは見えなくなった。この時、何をしていたのかは最後に判った。
4:57行動開始でトレッキングコースへと入って行く。ただし夜明けはまだでヘッドライトを灯しながら。緩やかな自転車道のような作道の仕方で、ほとんど負荷なく歩いて行ける。勾配を軽減している分、九十九折りの箇所は多く、ここまで丁寧に折り返さずともいいのにと思う。登山道と言うより、散策路の造りであった。そして元々の道は杣道だったようで、道幅が広い場所が多い。
15分ほどで最初の景勝地となる北岳展望デッキが現れる。奇麗に北岳が見えるが、植物の成長の早さからか、デッキ下のカラマツが展望の邪魔をし始めていた。前週に登った千頭星山も雲海の上に頭を見せていた。この先一帯はシダ類が繁茂し、その中を縫うように道が続いていた。相も変わらず勾配は緩やかで、ずっとこんな道が続くのかと思えていた。
休憩所の分岐が現れる。30分ほどしか歩いておらず休憩するほどでもないが、折角伝っているのだから踏査してゆく。少し足を濡らす植生があり、小ピークの上が休憩所となっていた。しかし小山の上ではあるが展望は無い。西に下るとこれまでの道と合流した。端折ってもよかったような・・・。でも休憩所の意味はこの先の進路で理解できた。もみじ沢へはけっこうに高度を下げる。逆コースであれば登り切って休憩所の場所となり、適当な配置なのだった。
休憩所からの下りは、木の階段路が続き、フィールドアスレチックの遊具でもあるのかと思うほどに連続していた。もみじ沢に下ると、周囲の温度が数℃低くなったように体感出来た。沢の名前があるが、流れは無く涸れ沢だった。植生は名前そのものでカエデ類が多い。適期は春と秋になろう。この先はこれまでの遊歩道風味に対し、少し山道風となる。もみじ沢に下った分を登り返すと、裸山のコルとなる。以降はまた緩やかな勾配で続く。
道標やルートがハッキリしているので、ここまでに迷う場所は無かったが、裸山の西北西の1880mピークでやや迷った。真新しいピンクのマーキングが、「ここが道ですよ」とばかりに北側に降りて行っていた。薄い道形を進むと、その先は有耶無耶になった。周囲を見ても踏み跡は見えてこない。ピークに戻り周囲を探すと、東側にこれまでの道形が降りていた。道形を追っていたものの、ここはすんなり東に進めなかった。もうすぐアヤメ平で、西側が開けているので夜叉神峠側の連なりが良く見えていた。
アヤメ平は食害から守る施しがされ、木道入口はそのフェンスゲートを開閉して進んで行く。タムラソウのピンクとアキノキリンソウの黄色が目立つ。トリカブトがせり出す木道は、けっこうに濡れる通過点であった。ここの木道の偉いのは、コースレットで打ち付ければいいものを、きちんと丸頭の釘で縫われている。靴に優しくという配慮からの選択に思えた。
アヤメ平の分岐点に辿り着く。15年ぶりに木彫の歌碑を見るが、達筆な木彫に全く廃れは無かった。池ノ茶屋からここまで85分だった。ここからは南進としてもよかったが、折角なので三山を踏むこととし北の丸山登山道へと進んで行く。分岐からしばらくは、ここも登山道脇からの植生が旺盛でけっこうに濡れる。引き返そうかと思ったが、少しの我慢で濡らす植生は皆無となった。こちらにもフェンスゲートがあり、その先は左右をロープで塞がれ、道の場所が固定されていた。15年前はどこでも歩けたと記憶しているが、尾根が広いので事故でもあったためだろうかと勘繰った。あとはシカの行動抑制のためにロープを流しているのかもしれない。
緩く下ってわずかに登り返すと懐かしい唐松岳の山頂が待っていた。15年前と何一つ変わってないマイナーな雰囲気を漂わせている。展望は無く、寄生植物のサルオカゼがすだれのように涼しげに下がっており、夏向きな山頂だった。ここまで来ると、すぐ先の丸山の達筆標識が気になるところではあるが、北進はここまでで往路を引き返す。
1904高点に置かれたトイレは、ヘリで移送してそのまま設置し、また時期が来たらそのまま吊り下げて持ってゆく仕様で、ネットが下に敷かれた状態で設置してあった。トイレの管理だけでもお金がかかっており、アヤメ平の自然を守るには、今の選択が最善なのだろう。アヤメ平の分岐まで戻る。避難小屋の中を覗いたことが無かったので引き戸を開けると、板の間の三分の一をヘリの移送用具が占めていた。裸山へと向かってゆく。相変わらず緩やかな道で、トレッキングコースは既存のコースと雰囲気を合わせたのかもしれないと思えた。裸山下の分岐に到達。前回はお花畑を真ん中にして周回したが、西側に進む道は山野草が茂り濡れるのが見える。東側でのピストンとした。
裸山登頂。標識の向こうの北岳からの連なりが美しい。背中側には櫛形山があるが、ここと櫛形山間は未踏ルートであった。スタートから2時間くらいは、登山するには最適の16℃で推移していたが、ここでは18℃と上がってきていた。北岳山頂は10℃くらいだろうかと眺めていた。新型コロナにアウトドア人気が高まり、猛暑に避暑するハイカーが増え、ただし受け入れる山小屋は人数制限をしていたり、富士山のように営業しない場所もある。需要と供給のアンバランスが出てきているようだ。北岳山荘の今はどうなのだろう。そんなことはいいとして・・・山小屋など利用しないのだから・・・。
櫛形山へと向かってゆく。原生林の中は心地よく、その先の草地も広く心地よくテントを張りたいような場所となっていた。食害保護のフェンスの効果からか、歯痕はどこにも残っていない。あと不思議なのは、入山してからまだ誰にも会っていない事。200名山であり、山梨100名山であり、マイナーな場所ではないはずであり、もっと言うとジムニーの主がすれ違うと考えていた。それこそ200名山狙いの短時間でのピストンだったのか・・・。
櫛形山最高所到着。勝手知ったる場所であり、悩まず東に進み富士山を眺める。本日の最高所であり、ヤキソバパンで朝食とした。休憩をしていると、やっと単独の男性が現れたが、櫛形山に興味が無いように足を停めずに通過して行った。前週の千頭星山同様に、ここの山梨百名山の標柱も新しくなっていた。耐久性は別として、昔の仕様の方が目立っていたとは思う。これで後は降りるだけ。ただし櫛形山の三角点峰が南に待っている。
櫛形山最高所と三角点峰間は、ヒヤッとするほど外気温が低く感じた。周辺の周囲温度より2〜3℃くらいは低かったろうと思う。やや密生帯でほとんど陽が入らないからだろうとは思う。櫛形山三角点峰には、山名標識が小さく掲げられているが、その後の登山者により、「山頂はここじゃなく向こうですよ」とばかりのいたずら書きがされていた。これで目的地は全て踏んだ。行き会ったのは一人のみ。そんな日なのかと思って西進してゆく。
なだらかな快適尾根がフェンスゲートを開閉して進むと勾配が増す。4名のパーティー、2名のパーティーとすれ違った後、20名近くのパーティーが登ってきた。いくら何でも、そこまでの大人数はこのご時世には・・・。参加する本人らは別段何もないように上がってきている。何もなければいいが、何かあった場合に集団行動は後が大変になる。みな中高年だった。私もそうであるが、歳をとると他人の言う事を聞かないのかもしれない。
登山口までにフェンスゲートは5つあった。池ノ茶屋のトイレ上にもあり、朝の暗い中にヘッドライトが止まったのはこれだったのだ。それも、下側二つのゲートは紐で縛る仕様となり、他のゲートより通過に時間を要すのだった。池ノ茶屋の駐車場は9割がた埋まっていた。山形ナンバーの5人パーティーがトレッキングコースへと出発してゆくのが見える。櫛形山の朝は、遅いのだった。