スガワラ山        938.6m                                                                                                                                                  

 
 
2020.2.8(土)


  晴れ     単独    かじかの里学園から      行動時間:1H43M


@かじかの里学園6:32→(4M)→A天満宮6:36→(38M)→B鉄塔7:14→(10M)→Cスガワラ山7:24〜31→(5M)→D840m付近林道に降りる7:36→(12M)→E須郷地区7:48→(27M)→Fかじかの里学園8:15


   
@かじかの里学園に停めさせていただきスタート。 畑の中の道を登ってゆくと北側に鳥居が見えたので寄って行く。 A舞台もある天満宮であった。ここからは急登。 680mの高み。城址のような地形だった。
       
680m峰へ南から道形が上がってきていた。 保安林標識の立つコル 薄い踏み跡が続く。 途中から、ふれあい館(R299)側を見下ろす。
     
深い落ち葉の中を進む。 植生がほぼクヌギしか生えていない通過点がある。 B鉄塔下 B鉄塔から東側の展望。
       
鉄塔の北側には明瞭な道形が現れた。 930m峰 930m峰の北側鞍部に、東側から巡視路が上がってきていた。巡視路標柱は齧られていた。 スガワラ山南面を西に進む巡視路。
       
西尾根に巡視路が乗った場所。 巡視路標柱 Cスガワラ山 C白く綺麗な三等点
     
Cテプラ標とフジオカTK氏のリボンが残る。 Cヤキソバパンを分かち合う。 D840m付近で林道に降り立つ。 D舗装林道を降りてゆく。
       
アイゼンを着けたい場所もある。 須郷地区全景。住まいしているように見えるが、置かれている車からは廃村しているように感じられた。 19号台風で削られただろう土蔵。舗装は100mくらいの区間剥がされていた。 国指定文化財の黒澤家
       
かじかの里学園までの坂が急登。雪が降ったら車は登らないだろう。 Eかじかの里学園に戻る。     




 上野村のスガワラ山。東麓にある林道からアプローチすれば僅かな距離の場所だが、それではつまらないので麓の楢原地区から歩くことにした。その楢原地区からは二つの尾根が選べるが、ここは現地の状況で伝う場所を決めることにした。

 

 この日の上野村はマイナス6℃を示していた。楢原トンネルの西側から神流川を渡って黒沢家(国指定重要文化財)の前に出る。左折しまずは西側の尾根を偵察に行く。取り付きの場所はあるが、あまり利用されていないようで野草が蔓延っていた。ここには駐車余地が無く、さらに西に進むと余地があり、地形図上では広い尾根が真南に降りている場所であった。伝えそうには見えたが、東に戻り「かじかの里学園」へと道標に従い上がって行く。ここはびっくりするほど傾斜が強い。住んでいる人は慣れているのだろうけど、冬季は凍る日もあるだろうから、とても怖い傾斜に感じられた。

 

 かじかの里学園の駐車場は広く、スタッフのだろう車が3台停まっているだけであった。6時起床で里山留学の生徒が動き出す時間、既に施設内は電灯の明かりの中に人影が動いていた。この施設の西(上)側にはボリスブラウンがたくさん飼われていた。迷犬を連れて登りだしたら、警戒音を出すような予想ができ、ちょっと行動を迷っていた。学園周囲には民家もある。

 

 6:32行動開始。駐車場から上側に向かうと鶏小屋がある。全ての鶏がこちらを見るが、幸いにも暴れずに見過ごしてくれた。左(南)に道が分かれている場所はロープが張られ通行止めになっていた。北西に進んで行く道を辿ると、向かう先にはお墓が現れた。その北側を見ると赤い鳥居が見え、お宮さんがあるのが判った。電気柵を開閉して北に行くと、そこにはコンクリート舗装した道が上がってきていた。おそらくはお宮さんの管理用道路だろう。鳥居をくぐり石組みの参道を上がって行くと、舞台を擁した天満宮が待っていた。

 

 地形図を見ると、900mの肩の広葉樹記号の北に建物マークが見られる。普通に信心の何かがあると予想し、その里宮がこの麓の天満宮で、建物マークの場所には奥宮が存在するのだろうとの予想ができた。そして里宮からは奥宮まで道形があるだろうとも思うのだった。でもしかし、天満宮からの尾根には道形らしきものは無く、結構な急登が待っていた。下草が無い部分では歩き易かったが・・・。

 

 680mの高みは、城址のような雰囲気の場所で、ここには南からの道形が上がってきていた。お墓の場所から天満宮の参道側へとズレたが、あのまま道形を進んで行けば、この道となったのか、もしくはもっと手前のロープの張ってあった道がこの道に至ったのかどちらかだろうと思う。ここからの尾根上は踏まれた跡が広く残る。道形としては薄いもので、標識のあるコルから先は、その道形さえも判らなくなってしまっている斜面だった。

 

 尾根から左側を見下ろすと、真下に産業情報センターの建物が見えていた。あたり一帯がクヌギの植生となり、混じりけがほとんどなく、たまにヤマザクラなどが僅か混ざっているくらいで、ここまでクヌギ一色の場所も珍しい。そしてこの付近が900m地点で、肩の東側に建物マークが入っている場所である。しかししかし、気にしていたが存在が判らなかった。もう少し東寄りを歩いたら在ったのかもしれない。

 

 送電線鉄塔の場所は、周囲の木々が切られ展望のいい場所となっていた。鉄塔の北側に進むと、オヤッと思う明瞭な道が現れた。鉄塔を見下ろし確認するも、下からの道は無かったので不思議でならなかった。道形を伝い930m峰に到達。北側に下って行くと、南東側から道形が上がってきており、ここには巡視路標柱が在ったようで、齧られ根本だけになっていた。これで読めた。さっき在った鉄塔は東麓から北側を経ての巡視路なのだった。普通麓側から付けそうなものだが、これには理由があり、西の谷向こうの鉄塔へも抱き合わせで考慮したようで、スガワラ山南で山腹を西に横切って行っていた。そしてスガワラ山の西尾根と合流した場所には、判読できる巡視路標柱が立っていた。西の鉄塔が200番で、先ほど下を通過した鉄塔が201番であった。

 

 スガワラ山の南側は、なぜか伐木した木が並べられるように置かれていた。北に行くと15畳ほどの無毛の地面の真ん中に白く奇麗な三等点が埋まっていた。そして北西の立ち木に、テプラ標が在ったと思われる青いリボンが下がり、その手前の木にはフジオカTK氏のものだろう荷紐が朽ちて残っていた。北を望むと、見上げる位置にソデガヤのピークが見える。そこと抱き合わせにして南麓を楽しめばよかったが、ソデガヤは塩之沢峠から楽しくアプローチしたので北進はここまで。迷犬とヤキソバパンを分かち合い下山路を探る。

 

 スガワラ山からの東尾根も伝いやすそうだが、それより一本気な北尾根を伝わない手は無い。そして林道が東から近接しているので早々に林道歩きに切り替えられる。その細尾根を降りてゆく。たまに好事家が歩くのか、そんな雰囲気の踏み跡らしきステップが乾いた尾根の上に散見できた。流れる足元に注意しながら降りてゆくと、進路右手に舗装路が現れだす。

 

 林道への安全下降は、北側の850mの等高線の場所まで進んだ方が良かったようだが、手前側で無理やり降りて、後で先に進んだ方が易しかったと気づかされた。林道は日陰の場所では全巾が凍り、距離15mほどをズリ足で通過した。迷犬はこんな時にどんな足運びなのかと見ていたが、滑りながらもいとも簡単にクリアーした。滑ったら滑った時なのだろう。

 

 きのこセンターへの分岐を右に見たら、その先から須郷地区が見えてくる。それほど荒んだ様子は無く、車なども置かれているので住まいしている人も居るのだろうと思えた。しかし、集落内に入り近くで車を見ると、使っている形跡が薄く埃をかぶっていた。処分も出来ぬまま何かの事情でここを離れてしまったようだった。そんな目で各家を見る。この地区は息をしていないように感じられた。あとは、集落内のアスファルトは剥がれダート道になっていた。2019年の19号台風の影響で間違いないだろう。

 

 林道を下って行くと、きのこセンターに向かうのか2台の車が登って行った。楢原地区に出て旧黒沢家を見ながら最後の急坂に入る。使わないのでスマホの勾配アプリをアンインストールして捨ててしまったが、ここの通過時には捨てずに持っていればと思えた。かじかの里学園に戻るも、出発時と同じように静かな園内であった。

 かじかの里学園は指導スタッフを募集している。臨時役場職員となり、給金は18万。住み込みで、夜勤割り増しもあるようだ。いろんな仕組みを作って村民を増やすようにしている。18万て時給1000円くらい。この金額で集まり方は大きく違うだろうと思う。余談(笑)。

 



 
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