蟻山        1047.9m           半曽坊山        930m                                                                                                                                                                                            
  2023.4.15(土)


  雨    単独    東電調整池から周回     行動時間:1H31M


@東電調整池5:01→(19M)→A稲荷神社下5:20→(22M)→B蟻山5:42〜46→(11M)→C960mピーク5:57→(5M)→D半曽坊山6:02〜08→(9M)→E尾根末端庚申塔6:17→(15M)→F調整池駐車余地6:32    
                                                                                                                                           


 
@東電調整池の北端に駐車余地がある。ここに蟻城址の案内図と解説板がある。 穴原地区はやや迷路のよう。経路に道標は皆無。東端に行くと神社の幟を立てる支柱が見えてくる。 穴原地区を振り返る。 A稲荷神社の赤い鳥居が見えてくる。
       
A稲荷神社の鳥居の西に、林道蟻城線の看板がある。 林道は峠まで舗装されている。 峠。NTT・KDDI・NHKのアンテナが立つ。 峠から蟻山へ
   
階段路が続く 山頂下の曲輪地形 B蟻山 B蟻城南城址の標柱
     
B割られた三等点 B北側のアンテナ B北西側のみ展望がある。 B北から南を見る。
       
蟻山の西の林道からの下降点。鋭角に入る道が在る。 下降点からしばらくマーキングが続く。 途中林道幅に出合う。右折(北西進)してゆく。 980m付近。林道幅は西に進む。ここで道形を離れ尾根へ。以降でマーキングは無い。
       
尾根の両側はアカマツの植生。松茸山のようでロープも見られた。 C960mピーク。大展望。 C西 C北
       
960mピークからの北尾根。薄い道形が続く。 D半曽坊山到着。 D社正面から。祠の中に目を見開いた石像がある。 Dこんなものが置かれておりドキッとした。
       
D西城址の標柱 D北西の展望 Dヤキソバパンと 燈台のある北側へと降りてゆく
       
途中に屋根の取れた石祠が見られた。以北では全く道形が見られない。 尾根末端の崖上の痩せ。 E尾根末端の庚申塔 E崖を下から
       
「蔵人の石碑」。尾根末端より、ここを通過点にした方が楽。 東電調整池の北側で脇道が在る。ここを通過した方が近道。 桜がまだ見ごろ。ベンチがある。 F戻る。現在は工事中で工事車両が置かれていた。
       
F桜の花でデコレートされた。 F城址略図 F解説板


 スーパーマップルで佐久穂地内を見ていたら、旧の八千穂村に面白い名前が掲載されているのを見つけた。調べても登山対象として登っている方はおらず、公に知られていない場所なのかと思っていた。背中を押してくれる何かを探していたのだが、ここでgooの地図を見ると、おそらくスーパーマップルとベースデータが同じなのだろう、半曽坊山と同じ場所に同じ表記がされていた。珍名座であり登ってみようと思った。

 
 一帯は蟻城址で、北と南と西に城址が在ることを知った。その南城で蟻山としている記述を見つけ、背景はNHKの資料に起因しているとある。その資料を見てみると、確かに「蟻山」と書かれていた。今回は半曽坊山と蟻山を抱き合わせにして登る。実際は同じ括りの蟻城址ではあった。

 
 どこに行っても雨予報の日であり、負荷の少ない里山として、この蟻城址を選んだ。0:30家を出る。軽井沢のG7外相会議がらみで18号の規制があり、内山峠も混んでいると思ったが、何のことは無くガラ空きだった。これにより出発地点とした東電調整池には2時に着いてしまった。桜が咲きベンチもあり、園地整備された場所で駐車余地も十分量。ただし周辺道路の工事がされており、そのためのコンテナハウスと工事車両が置かれていた。邪魔にならないよう桜の木の下となる端っこに停める。

 
 千曲川が見下ろせる高台で、夜間は夜景が奇麗だった。静かで車中泊にもいい。まだ雨が降っておらずコーヒーを啜りながら地図を眺める。他にやることが無くなり仮眠とするのだが、屋根を叩く音は3時くらいからしだし、予報通りに雨が降り始めていた。それまでは西上州もここも降ってはいなかった。佐久穂町の夜明け時間を調べると、4時48分と出た。雨で暗いので確認したのだが、この時間あたりから準備をしだす。外気温は10ほどあった。

 
 5:01出発。調整池の北端のここに、蟻城址の絵図と解説板が掲示してあった。南進して行き、最初の実線路の枝道へと左折してゆく。穴原の集落に入って行くのだが、各所の「駐車禁止」の表示が気になる。村落であり村民は気心が知れた者、他人の土地には停めないと思うが、それら表示に違和感を抱いた。どこにも蟻城を示す道標は無く、村落内の迷路のような道を地形図を見ながら選んで進む。そして東進する一本道に入ると、進む先に神社の幟用の支柱が両側に見えてくる。その先のカーブの場所に赤い鳥居があり、神社は稲荷神社で、鳥居の道向かいに「林道 蟻城線」と書かれていた。ここまで来てやっと目的地に向かっていることが把握できた。もっとも、カーナビがあれば直下まで車で行けてしまう場所ではあるが・・・。

 
 林道は舗装林道で状態がいい。ただし大量の落ち葉の堆積があったり、頭大の落石が見られた。舗装されているのは峠までで、その先に続く道はダート仕様であった。西側にNTTとKDDIのアンテナ施設がある。NTTの方がNHKの設備のようだった。東には防災無線の八千穂中継所があり、真鍮の銘板が古さを示していた。建物から上側は、コンクリート板で土留めされた階段路で、アングルで板を両側から保持する仕様で、潰れたアングルの頭からして地盤が固いのが見えた。山頂手前に平坦地があり、間違いなく曲輪の地形だったのだろう。

 
 蟻山登頂。八千穂村時代の城址標柱が出迎えてくれた。三等点があるが、痛々しく割られているものであった。開けているのは北西側で、晴れていれば双子山などが望めるのだろう。本日の最高所であるが、珍名座の方を主に思っていたので朝食はこのあと。依然雨は降り続いていた。東側には特異な形のアンテナが見える。エレメントの数が尋常でない。何と言うアンテナ仕様なんだろうか。南側には大ぶりな露岩が見られた。さて次。

 
 階段路を戻りダート林道側へと進んで行く。半曽坊山へ向かう尾根に繋げるために、西斜面を気にしながら進んで行くと、リボンの下がる場所があり、そこから鋭角に戻るような道が降りていた。進んで行くと下から上がってきた林道幅に出合う。林道幅は西に進んで行っていた。ここにもマーキングはあり、大きな丸太が立っている状態で見られる。伐採木かもしれない。九十九を切るように北西に降りて行く。途中980m付近で道形は西に進みだす。ここで林道幅を離れて尾根側へと進んで行く。ここ以降でマーキングは見られず、道形に沿うようにマーキングが続いていたようだった。

 
 尾根はアカマツの植生で、西側にはタイガーロープを流した場所も見られ、間違いなくマツタケ山で夏以降の歩行は注意が必要と思われた。進んで行くと、細かい露岩が多くなり、その先に顕著な高みが待っているのが判る。最初、この高みが半曽坊山だと思い進んでいた。登り上げると大展望ピークで、西側斜面は伐採地で視界を遮るものが無かった。雨でも心地いいのだから、晴れていればかなり心地いいだろう場所だった。山頂に植生が無く休憩するにも適地であった。眼下には穂積発電所の太い導水管が見える。その周囲の桜が見ごろ。北を見ると吊り尾根のような先に半曽坊山が見える。

 
 960mの展望ピークからの北進は、獣なのか伐採時の作業道なのか、うっすらと踏み跡が残っていた。頻繁には入山者は居ないようで、薄いまま推移していた。伐採地の際なので明るい尾根歩きで、目指す半曽坊山が樹林帯の中で暗い印象であった。棘も無いが、食べられそうな山菜もなく至極歩き易い尾根道だった。向かう先に木製の社が見えてくる。

 
 半曽坊山登頂。社は北側を向いて立てられていたので背後から登った形となった。かなり朽ちた社で、全景を確認しようと北側に回り込んでいく途中、目に入った白いものにドキッとさせられる。最初はしゃれこうべかと思ったそれは、頭部の模造品で、よく美術室でデッサン用に見るようなものだった。そして社の中のご神体を覗き込み二度驚いた。カッと目を見開いた石像が安置されており、おそらくこれが名前の由来の半曽坊なのだろう。表情が怖すぎてカメラを向けるのを憚った。石造りと見えたが、暗かったので木彫されたものだったかもしれない。なにか強い眼力でこちらを見られているようで、目を逸らしてしまったほどだった。この山頂も北西側が開けていた。そして蟻山同等に旧八千穂村の西城址の標柱が立っていた。西側の尾根も降りられそうだったが、北側に燈台が2基見え、参道は北尾根と、北北東に降りて行く尾根筋を伝って行く。

 
 尾根には道形は薄く、ほとんど参詣者も入山者も居ないことが見える。祠には
紙垂やお神酒も無かったので、管理する氏子も居ないようだった。傾斜が緩む辺りには石祠が在り、それは屋根が取れているものだった。西側に落ちているのだが、管理する人が居れば元に戻すだろうものと思えた。祠からの北側は道形皆無で適当に進んで行く。特に歩き辛い場所は無いが、尾根末端に崖地形が待っており、少し緊張した通過点となる。しかしここを通過したとて、そのまま尾根末端には降りられず、途中で東に逸れた。先ほどの祠辺りで西側に下ってしまった方が進路は楽だったよう。

 
 尾根末端には庚申塔を含め石塔が3つと、石像が立っていた。ここにも特に城址を示すような案内は無く、西に足を向けると山手側に石碑があり、それは「蔵人之碑」と言うもので、この村落では重要な内容のように書かれていた。アプローチするなら、碑の場所から尾根に登り降りするのがいいと思う。少し行くと民家前に開拓碑の大きな石塔が見られる。砺波に見られる散居な感じで住宅があり、ポツンポツンとあるそれらからの人の気配を気にしつつ足を進める。

 
 右側に東電施設のフェンスが現れだす。大きく南まで戻らないとと進んでいたが、途中から水路(西)側への脇道が作られていた。入って行ってみると、水路を跨ぎ西側の実線路に載ることが出来た。ちょうど桜が満開で、各桜の大木の下には3つほどのベンチが設置してあった。この日は雨であったが、晴れていれば花見の場所であり、この季節の為に園地整備された場所のようであった。

 
 車に戻ると、桜の花びらが付着し凄いことになっていた。雨だからすぐに流れ落ちるだろうと思ったら大間違い。家に帰ってもそのまま付着していた。濡れていなかったらいいだろう。雨の日は花びらは避けた方がいい。水で洗い流してもいろんな場所に入り込み除去に大変だった。

 
 東電の調整池の城址絵図には、西から直登するような道も書かれている。里山なのでいろんな道が在るのだと思うが、気にして歩いていたが、それが何処なのか良く判らなかった。道標類は一切ない場所であった。城址を巡るにも地形図を持たないと迷うだろう。


    

 
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