カゴ山       1430m        中山(朝香嶺)       1520m       前浅間        1486m 


  北山       
1510m 
            
                                  
                                 
                                                                                                      
     2023.12.16(土)


  雨のち曇り    単独    小沼駐車場を基点に       行動時間:2H43M


@小沼駐車場6:41→(16M)→A鳥居峠6:57〜59→(8M)→Bカゴ山7:07〜11→(27M)→C小沼駐車場再び7:38→(13M)→D中山(朝香嶺)7:51〜53→(9M)→E血の池8:02→(22M)→F 軽井沢峠北分岐8:24→(12M)→G前浅間8:36〜40→(35M)→H八丁峠9:15→(3M)→I北山9:18〜19→(5M)→J小沼駐車場9:24
                                                                                                                                             


 
@小沼駐車場から @分岐道標 小地蔵岳西分岐 A鳥居峠
       
A鳥居峠から東 カゴ山への踏み跡は広範囲にある。 一人入るには十分な岩穴。 Bカゴ山
   
B標識 Bカゴ山から長七郎山 鳥居峠帰り 階段路の登り返し
     
小地蔵岳西分岐帰り C小沼駐車場再び 朝香峠。昔は中山峠だったのだろう。 峠標識
       
尾根に細い道形が続く。 D中山最高所 D最高所に絶縁テープあり D南に少し進んだ場所に「朝香嶺」の標識。
       
D南から北側 D中山から小沼 E血の池は枯れていた。 血の池以東は笹に埋もれていたが、以南は綺麗に刈られていた。
       
東電の敷地が散策路を迂回させていた。 三途の川上から。車道から山道へ。 F軽井沢峠北の分岐 F分岐道標。前浅間への分岐に道標無し。
     
前浅間への登り G前浅間 G標識 G前浅間から荒山
       
G道標 前浅間取付き分岐に戻る。木(右)の根元に見える板が道標だったはず。 帰路は車道を使う 三途の川に流れ無し
       
八丁峠 北山西側。獣道もない感じ。 H北山登頂。最高所の地形中央が窪んでいる。 H山名標識がある
       
H石祠は、昭和45年に再建と彫られている。 H東から西 北山の東側斜面は笹の植生のない場所がある。 駐車場のトイレ
       
I小沼駐車場に戻る。       


 長野の古地図内の未踏座はまだまだあるが、同定できない場所も多く全てを踏むことはできないだろうと割り切っている。長野にこれほどのデータ開示があるのなら群馬にも在るはずと探してみると、あるにはあるが長野ほどに充実していない。古地図が残っていないのか、集めることをしていないのかどちらかだろうけど、さすがに上毛三山の古地図は見られた。今回は群馬県立図書館の公開する電子データ「赤城山上道案内図」に読める。カゴ山、中山、北山、前浅間の4座を計画する。

 
 カゴ山は、山と高原地図にも掲載がある篭山である。北山は小沼駐車場と八丁峠に挟まれた位置にある高み。中山は小沼の西、マイナーピークと知られる朝香嶺(山)の場所。岩澤正作著「赤城山廻遊案内」内には、中山から朝香山に改名した理由が書かれている。そして前浅間は、荒山の北の道標の立つピークとなる。難しそうなところは特になく、悩んだのは駐車場をどこにして基点としようかと言う部分くらい。天気は雨模様、最終的には舗装され足元が悪くない小沼駐車場からスタートとした。

 
 4時に西上州を発つ。雨脚が強く、洗車機の中に居るような道中であった。驚いたことは、この日の気温だった。前橋市内通過時には9だった外気温が、赤城道路途中の鳥居付近では14を示していた。標高を上げた方が高いとは・・・。それでも九十九折を登って行くと下がり、小沼駐車場に着いた時には9となった。市内と同じ・・・と知っているばかりに違和感を抱く。強い雨に、予定の4座を諦めコンパクトに歩こうかとも考えていた。雨雲レーダーを見ても降り続くよう。周囲が白み始めたら準備をしだすのだが、冷たい雨ではなく雰囲気としては梅雨時期のような感じであった。暦は12月、異常な暖かさであった。

 
 6:41雨具を着込み出発する。散策路は、霜のせいだろう地面が耕したようにふかふかだった。凍っていれば歩き易かったはずだが、雪こそないがヌチャっと沈むツボ足な感じで進んで行く。小地蔵岳の西麓を巻きながら、階段路で高度を下げて行く。迷犬は、ここの階段路は嫌なようで、ササを分けて通過していた。雨は予報に反しパタッと止んでいた。


 鳥居峠に着くと、いつから居るのか5台の車があり、6名ほどが売店の庇の下で大きな話し声で会話をしていた。カゴ山への取付きが判らず、最初は東側に進んでみる。それらしい道形は無く西に戻ると、斜面に広範囲に踏み跡が登っていた。適当に登ればいいが、露岩が折り重なっており進路は選ばねばならなかった。迷犬が居るので、なるべく地続きの場所を選び這い上がって行く。公的な道の無い場所なので、あちこち踏まれてしまうのだろう。


 カゴ山登頂。私設標識があり、これが唯一の人工物であった。踏み跡が東にも続き、進んだ先は展望がいい。植生は広葉樹で、全て落葉しているので展望は悪くない場所であった。まず1座登頂。踏み跡とマーキングが南西に降りていたので伝って行く。上の方はハッキリしていたが、下の方に行くと有耶無耶になり、最終的には往路の踏み跡に合流した。

鳥居峠は相変わらず賑やかしかった。登り返しになるので、雨は止んでいたので雨具は脱ぐ。また降るだろうと思いつつザックカバーとザックの間に突っ込んでおく。もうこの頃になると、手袋も要らないほどであった。冬季なので汗しないようゆっくりと歩いているのだが、外気の暖かさから自然と汗ばんでくる。


 小沼駐車場に戻ったら、荒山を示す道標に従い「関東ふれあいの道」を伝って行く。小沼を左に見ながら登って行くと、散策路が尾根を乗越す場所には「朝香峠」と名前がふられていた。朝香宮鳩彦王が登る前の中山だった頃では、この場所は中山峠だったはずである。ハッキリしているのは、昭和3年9月2日を境に改名されたということ。山の名前が複数ある場所はよくあるが、改名された場所は珍しい。尾根上には細い道形見え、この峠から道形を伝い南進してゆく。


 最高所がやや判り辛いが、それらしい場所には赤い絶縁テープが巻かれていた。中山登頂。南に僅か下がった場所には「朝香嶺」の古びた標識が掲げられていた。雨は止んだまま、降り続くようなら南側へはここまでにしようかと考えていたが、止んでいたので峠に戻ったら西に降りて行く。ここからのルートは腰丈のササに埋もれ足元が見えない中で高度を下げて行く。


 途中にある血の池は涸れており、田舎の寂れた野球グランドのようだった。ここからの道は刈払いがされ歩き易かった。景勝地に対し西側から血の池までは整備したって事だろう。車道に並走するように緩斜面を進んで行くと、向かう先が明るくなり、その敷地の手前に真新しい前橋市の道標が立つ。一帯の以前は富士見村の道標だったので、合併を感じるのと同時に少しの違和感を抱いた。工事中のような敷地は東電の名前がふられ、これがために散策路が寸断されコースが変えられていた。


 車道を進み三途の川を跨ぐ。北に地獄谷があるので三途の川なのだろう。ちなみに西上州の甘楽町にも三途の川が流れる。後者には流れがあるが、ここの三途の川は涸れていた。車道から山道に入って行く。前回ここを歩いたのは1998年の元日。やがて26年経つが、堆積した落葉とかが懐かしく、ほぼ当時と変わっていなかった。軽井沢峠よりの道との分岐を過ぎると、前浅間への取付き点だが、以前はコンパネ板が導いていたと記憶するが、現在は何も導くものは無い。それらしい板が朽ちて横たわっていた。


 山腹を巻く道から離れ直登してゆく。いつもながら快調に登って行く迷犬に対し、こちらは牛歩な感じ。冬の服装をしてきているのでゆっくりでないと暑くて仕方がないのだった。左側に円錐形な荒山が誘っているが、前浅間の後に北山が控えており藪山な場所なので余力を残しておきたい。


 前浅間登頂。標識や標柱には前浅間山となっている。前回これらを見た時に、荒山の元の名前は浅間山なのかと思った。しかし古地図でも荒山なのだった。来た道を戻って行く。舗装車道に出て三途の川を跨いだら、帰路は舗装路を選んだ。地獄谷や血の池の分岐を見ながら登って行き、八丁峠のゲートの場所となる。

 地蔵岳側へのダート林道に僅かに入ると、東進するのに取付き易い地形となる。膝から腰丈のササが繁茂し、そこに獣道らしき跡は無い。獣も、ここを通過する必要が無いのだろう。分け進んで行く。腰丈くらいで良かったが、これが背丈以上だったら負荷が大きく違う。見通しのいい心地いいササ漕ぎの場所であった。


 北山登頂。なんと石祠が出迎えてくれた。古いものだろうと側面を読むと、「昭和四十三年八月四日再建」とあった。古地図に載るほどに信心の場所だったという事だろう。そしてこれも意外だったが、「北山」と書かれた山名標識が見られた。古地図を参照してマイナーな無名峰的場所を訪れているわけだが、在ってありがたい標識であった。山頂部の中央は土俵くらいの円形に窪んでいた。予定していた4座終了。下山は北東へと進んでみる。


 北東もササを分けながら高度を下げて行くのだが、途中からササの植生の無い場所が広く現れ、こちらに進んで正解だったと思われた。がしかしそこからはこれまで以上にササが深くなった。と言ってももう進む先には駐車場が見えており僅かの我慢。胸丈くらいのササの植生となり、駐車場から近いがこちらから登らずに良かったとも思えた。トイレ前を通過すると、既に冬季封鎖期間の貼り紙がされていた。駐車場には路線バスが停まっており、高原風景として似合っていた。


  

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