水無    2400m     
 
                                                                                                                                                                                             
  2023.6.10(土)


  晴れ    単独     南沢から北沢へ     行動時間:4H15M


@赤岳山荘4:00→(114M)→A行者小屋5:54→(8M)→B中山乗越6:02→(5M)→C中山展望台6:07→(6M)→D水無6:13〜18 →(4M)→E中山展望台帰り6:22〜27→(23M)→F赤岳鉱泉6:50→(85M)→G赤岳山荘8:15


 
@赤岳山荘旧テニスコート前から。 南沢コース入山口 雨の後で水量が多い南沢 二つ目の橋
       
濡れていてやや滑る足場をゆっくりと。 三つ目 水量が多いので小滝が出来ていた。 四つ目
   
五つ目 六つ目 七つ目。橋は全七つ。 涸れ沢に入るとすぐに大同心が見えだす。
     
懐かしいルート。ここだけ荒れておらず昔のまま。 再び涸れ沢へ。主稜線の大岩壁が圧巻。 A行者小屋。休憩せず通過。 B中山乗越
       
C中山展望台。この西側には二つの遭難碑がある。 尾根頂部。踏み跡が濃い場所と薄い場所が混在する。 水無の東側直下。若干漕ぐ感じで登頂。 D水無 西から
       
D西側に降りてゆく踏み跡。 Dヤキソバパンと D絶縁を残すが、ここを訪れ見る人はいないだろう。 中山展望ピーク間のやや漕ぐ場所。
       
E中山展望台帰り E北東 大同心・横岳・小同心 E東 赤岳 E南 中岳・阿弥陀岳
       
中山乗越帰り F赤岳鉱泉。テン場は賑やか。 北沢の方は橋と言うより木道仕様が多い。 北沢の方が維持管理が大変そう
       
発電所小屋上の貯水池が露天風呂のように見える。 林道終点地  河内晩柑で水分補給  途中の山の神
       
なんと、神様はクマモンだった。  美濃戸山荘内には石油ストーブの炎が見えていた。  G赤岳山荘に戻る。   




 飽きもせず信州の古地図を眺めている。今回は、旧諏訪郡豊平村図内に見つける。その名は「水無」。八ヶ岳山系は美濃戸中山の北側に記載されている。
中山尾根上にあるようであるが、迷うのは美濃戸中山に並ぶようにあるのは2360mピークであり、その上部には2400mピークがあり、その先が中山展望台となる。中山展望台より2400mピークの方が高いので、2360mピークか2400mピークかのどちらかになる。地形図と古地図を見比べるよう眺め同定に悩む。グーグルの衛星平面画像を見ていても判らず、最後はグーグルアースを使って角度をつけて豊平村の中心部があった麓から山体を見た。今度は一目瞭然であった。西と言うより、やや西北西辺りから見て描かれているようで、麓からは2400mピークが美濃戸中山に並んでいるように見えた。古地図には、美濃戸中山より高く表記してあり、その点からも2400m峰で間違いないと言える。なお、豊平村の地図はもう一枚あり、それにも水無は記載されていた。

 
 美濃戸中山には2度登っており、東側鞍部からは何となく中山展望台側への踏み跡を見ていた。美濃戸口から入り、美濃戸中山との鞍部から登るのが一番最短距離ではあるが、間違いない最楽は、中山乗越経由。藪尾根であっても漕ぐ距離は短い。恥ずかしながら中山展望台に上がったことが無かった。全ては山名が無いからなのだが、中山乗越からスタンダードに中山展望台に上がり、ちょっとバリエーションする感じの今回であった。

 
 梅雨入りし金曜日は雨で、土曜のみ晴れ予報で以後日曜日から再び雨。連泊向きではない土曜となり、人気ルートも少し空いているだろうとも思えた。人嫌いではないが、人の多いのは苦手。古地図から見つけたタイミングと、天気が合致し早速百名山の人気ルートに入る。貴重な晴れ間でもあり、逆に混む可能性も無きにしも非ず。

 
 1:15家を出る。白樺湖から先は152号バイパスが開通し一番塚交差点まで一直線で向かう事が出来た。狭い街中の通過が無くなったのでかなり楽になった。美濃戸口からは迷わず赤岳山荘への林道に入る。山荘(東)側は砂利が撒かれ整備されていたが、手前(西)側の舗装部分などはかなり荒れてしまった印象を持った。現状だと2駆では結構大変だろう道の状態であった。いつものようにテニスコートの東側に停める。テニスコート内は7割ほど埋まっていた。すぐに準備に入る。

 
 4:00ちょうどにスタートする。この日はまだ、橋の所のロープはされていなかった。美濃戸山荘前から南沢に入って行く。雨続きで水量が多いのでいつもより騒々しい沢沿いの道であった。ただ、水量が多いせいで小滝が出来ており流れを楽しむ事が出来た。南沢の敷設橋は計7つ。涸れ沢に入り、美濃戸中山側の道の入り口を確認しようと見ていたが、このタイミングで後ろからの登山者があり追い越される。その昔は行者小屋まで1.5時間程で歩けたが、もうそんな元気はなく追い越される側になった。この枯れ沢あたりの登山道は昔から変わらず懐かしい。他はだいぶ土が流れてしまい昔の面影は薄くなってしまった。

 
 行者小屋は止らずに通過してゆく。6時が決められた始動時間なのか、ちょうど発電機を回し始めた音がした。乗越側から30代くらいの女性が4名戻ってきた。戻ってきたと言うのは荷物を持っていなかったからである。緩い勾配を登り、乗越下は歯槽膿漏のようになったマムート敷設の階段路。中山乗越から東は岩ヤの領域であり、細く踏み跡が続いていた。初めて中山展望台へと上がって行く。高低差は20mほどだが、登る価値のある展望ピークが待っていた。

 
 中山展望台の西側には
踏み跡が続き、その途中の足元に遭難碑が二つ見られた。道形が濃くこのまま連れて行ってくれるのかと思ったが、その先は道形が薄くなり分けて進むような場所となる。距離10mほどか、抜けると目の前が目的地の高みで最後の登り。ここは美濃戸中山のような感じで最高所への踏み跡はあるような無いような感じであった。

 
 2400m峰、水無登頂。人工物は一切なかった。南沢と北沢のルートが在るので、冬季としても尾根筋を使う人は少ないだろう。登頂者は少ないだろうと思える。全く展望は無く、中山展望台とは雲泥の差であった。北斜面は下草の少ない植生で、降りて行くことも出来そうだった。でも戻った方が絶対楽。戻って行く。

 
 中山展望台に戻り、展望の良さにカメラを構える。ここは麓側に対しての展望台ではなく、主稜側を見るための展望台。中山乗越に戻ったら北沢側へと下る。反時計回りが大半で、時計回りで入山したのは1回しかないと記憶している。そろそろすれ違い者が居るだろうと思っていたが、赤岳鉱泉まで会う事は無かった。テン場には8張数えられ、到着したてでの設営風景もあった。降りて行くと下側のテン場あたりがやや臭気を感じた。風が溜まる場所なのだろうか。そうか鉱泉水が流れてきているのかと気づいた。

 
 ちらりほらりとすれ違いがあり、この日も愛犬家に愛でてもらったりした。当然ながら北沢も水量が多く、迷犬に水を飲ませようと川に近づいたら、暑かったのかこの時季にして水浴びをしようとしていた。狭い場所もあるので先の方に注意を払いながら迷犬を降ろして行く。発電小屋上の取水池が露天風呂のように見えていた。

 
 林道終点地に出て残りは林道歩き。やはり入山者が少ないのかすれ違いはほとんどなかった。美濃登山荘まで戻ると、山荘内には石油ストーブが焚かれているのが見えた。歩いてきた暑さと、日差しでの暑さを感じていたが、朝からづっと日影の室内は暖機が無いと寒いのだろう。赤岳山荘に戻り本日の行動を終える。

 
 駐車料金を払いに行くと、山荘の娘さんとお母さんが迷犬を出迎えてくれた。以前は犬と猫を飼っており壁に写真が残っている。山荘での犬は歓迎されるのだった。娘さんに「どこに行って来たの?」と聞かれ「水無です」と答えると、「なんか昔に聞いたことがある」と言っていた。さすが地元民。やはり名前があり、この地域では知られた山だったのだろう。「それでどうでしたか」と様子を尋ねられ、「展望のない藪山でした」と伝える。迷犬はクールダウンで土間に腹ばいになって三人の会話を聞いていた。「現在犬の居る小屋は八ヶ岳山系にないですか?」と聞くと「ないねー昔は頂上山荘にも硫黄岳山荘にも居たんだけどね」と知らされる。




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