三峰山       940m        中尾山       1010m       
            
                                  
                                 
                                                                                                      
     2023.12.23(土)


  晴れ    単独    信綱寺より時計回り       行動時間:2H9M


@信綱寺駐車場6:39→(6M)→尾引城入口6:45→(7M)→B尾引城址(秋葉山)6:52〜53→(9M)→C北周りコース下降点分岐7:02→(27M)→D三峰山7:29〜30→(22M)→E中尾山7:52〜59→(18M)→F三峰山帰り8:17→(31M)→G駐車場8:48
                                                                                                                                             


 
@信綱寺の駐車場は、古城緑地の駐車場も兼ねている。 @駐車場をスタート 尾引城の北周りコースの分岐。 A尾引城の取付き点
       
伝って来た道を振り返る。 鳥居を潜ると尾引城址 B尾引城址主郭 秋葉山 B南東側の景色
   
B奥社と舞台 北から見ると山城があるように見える。城址からの散策路は西寄りに切られている。 北尾根 曲尾地区と横尾地区との分岐
     
C北周りコースの下降点分岐 810m付近。たおやか 920m付近。急登。 振り返る
       
D三峰山。ここも城址。 D道標あり。中尾山が信綱寺山となっている。 石積されたような露岩が出だす。 960m峰
       
中尾山の東側に道形あり。 道形は巡視路だった。これに従い斜上する。急登。 尾根上の巡視路道標 E中尾山登頂
       
E経路の道標に従い、標識はこの山名になっている。 E最高所の南に送電線鉄塔が立つ。 E南から見る北側 Eヤキソバパンと
     
E太郎山側 E南西尾根へ導く巡視路道標が在るので帰路は注意。 F三峰山帰り 920mの肩
       
920m肩の南側は伐採地で展望がいい。 920m肩に墓所コースの道標が在るが、伐採地によりルートは判らなくなっていた。 920m肩の分岐標識。ここからは南西に降りた方が分かり易いようだった。 伐採地の道形終点(最上部)。
       
作業道を伝って降りてゆく。 信綱寺東の、この場所に出てきた。雪がなければ薮化した道になっていた。 信綱寺の敷地を西へ。道向かいは古城緑地広場。 信綱寺大柏山
       
G駐車場に戻る


 今回は旧長村図内の里山を2座予定する。三峰山は長尾城址としてマニアが登っている記録が読める。その北側の中尾山は、麓の信綱寺の名前が付けられ登られているよう。城址ついでに、西の尾引城址も絡め時計回りで周回する計画とした。

 
 4:20西上州はマイナス3で出発。18号で軽井沢に上がるとマイナス10となり粉雪が舞っていた。いつものように浅間サンラインを伝って行く。前を行くトラックは凍った路面に対し慎重すぎるほど安全運転であった。東御を経由し真田に入る。駐車場所は、信綱寺の墓地駐車場としていた。勝手に借りようとしていたのだが、現地には「古城緑地広場」の駐車場も兼ねていると掲示してあり、後ろめたさがほとんどなくなった。外気温はマイナス8を示していた。

 
 6:39駐車場から西進してゆく。最初に見える薪棚を持つ民家前から脇道があり、山手側の道を進んで行く。ショートカットした格好で西に出ると、次に出合う分岐に尾引城址の北周りコースの道標が立つ。長尾城址である三峰山側のみ目的であれば、ここから入山でいいだろう。尾引城址にも寄りたいのでさらに西に行くと、解説板と道標が立つ城址入山口となる。

 
 城郭の棚地形を見ながら登って行く。桜も植えられ春には奇麗だろう事も想像できた。自然石から加工された立派な鳥居を潜る。鳥居には山号の「秋葉山」が彫られていた。その先が尾引城址で、雰囲気のいい平坦な城址らしい山頂部であった。現在は秋葉神社として、手前に舞台と、奥に社が建てられていた。社はやや特異な作りで、木造土壁仕様であった。お参りしてから先に進む。城址の北側には深い堀切があり、やや薮化したような場所を進む。少し尾根の西側に寄ると、何のことは無い城址からの散策路が走っており、城址からは尾根を西寄りに進めばよかったことが判った。

 
 遊歩道な感じで尾根を北に進んで行く。雪の中から鉄製の杭がニョキニョキと出ているのが見える。道の両側に土留めがされているようだった。北進してゆくと植林地となり、そこに曲尾地区と横尾地区との分岐道標が立ち、今日の進路は右に屈曲する。東に1分ほど下ると、北周りコースの下降点があり、南の谷にルートが降りて行っていた。分岐道標は長尾城をも示していた。そしてここに信綱寺山を示す道標も縛られていた。

 
 分岐道標が在るくらいなので、安心して東進していたが、900mからの急登で道形は見えなくなった。雪が覆っているせいかもしれないが、途中で北に進んでいる踏み跡があり、それが正規ルートだったのかもしれない。滑りやすい斜面に、この時季は城址めぐりとしてもアイゼンが欲しいルートであった。両足の親指に力を込め、足が流れないよう意識しながら登って行った。ソールの柔らかい靴だと難儀するだろう斜面であった。


 三峰山登頂。ここが長尾城址であるが、先ほどの尾引城址と比べると、城址の雰囲気が薄く、山城でも狼煙台のような印象の場所であった。その理由は平坦地が狭いからであった。人工物は、先ほどの分岐に在ったと同じ仕様の道標のみ。古地図には社が在ったように読めるが、現在はその気配すらない。再びここに戻るので、そのまま北進してゆく。

 
 薄く堀切のような筋が見え、確かに城が在った名残が感じられる。北の930m峰は東側に道形が続く。ここを過ぎると少し露岩が現れる。これらが石積みのように見えてしまうのは、城址の存在からだろう。960m峰は最高所を通過し、緩く下って最後の登り。すると、再びここも東側に道が切られていた。目的の山頂が左上にあるわけだが、何処に連れてゆくのか気になり伝って行く。やや消失するような道であるが、進んで行くと巡視路道標が在り、そこから斜上してゆく道があった。やや急登で、上の方は有耶無耶になっていた。それでももうわずか先が尾根で、その尾根上に巡視路道標が見え向かってゆく。中尾山よりの北尾根に乗り上げ南に戻って行く。

 
 中尾山登頂。標識が在り、それには確かに信綱寺山となっている。この名付け方は、某山岳倶楽部が発信源だろうと想像する。佐久地域にも麓の寺名を用いた山名で紹介している場所がある。長尾城址である三峰山の位置ならまだいいが、そこを経てのこの場所だと、違和感がある。おそらくたぶん、三峰山の場所を無名峰と解釈したからだろう。本日の最高所であり、ヤキソバパンで朝食とした。鉄塔下のカヤトの原は、朝日に金色に輝いていた。予定していた2座登頂で帰路に。

 
 鉄塔下からは南西にも巡視路があり、引き込まれないよう注意したい。東側山腹を伝ったので尾根を通っていなかったが、尾根を伝って登ってもさして苦労は無かった感じであった。自分のトレースに戻り、追いながら戻って行く。三峰山を越えて、920mの肩まで進むと、その南斜面は伐採地で展望がいい。ここには2枚の道標が縛られている。「信綱寺墓所コース」と「分岐点」で、南西と南東の尾根に道が在り分岐としているようだった。ただ現在は、見える伐採地に明瞭な作業道が降りて行っている。それを伝う事にした。

 
 作業道はクローラや軽トラが登れるよう勾配を緩くしてあるので九十九折が多い。大きく東西に振りながら降りて行く。途中、西寄りに降りて行く道も見られたが、それだと信綱寺より西に降りてしまいそうであり、東側へ下れる道を選んでゆく。「墓所コース」を気にして、作業道を降りつつも山道が見えないかと注意していたが、それらしい道形には出合わなかった。途中で谷に近接し、その右岸側に墓地が見えた場所があった。墓所コースをどこかで跨いでいたことにもなる。

 
 作業道が終わり地形図の果樹園記号の場所まで降りると、そこに果樹は無く野草で覆われた平たん地が広がっていた。これまで伝って来た作業道はその中を通過しているのだが、既に野草に埋もれるように進んでいた。この道形が信綱寺の敷地に出る場所には、コーンが置かれ道への入り口は塞がれていた。コーンを目印と考えれば分かり易い入山口となる。

 お寺の敷地には、雪面に一人分のトレースが刻まれていた。西に進み六脚の見事な作りの楼門を拝む。木組みと彫刻が素晴らしく見ていて飽きない。さらに西に静かな佇まいの「古城庵」なる建物がある。その斜向かいから霊園の駐車場が始まり、本日の山行を終える。雪のお膳立てもあり、この季節にちょうどいい里山歩きが出来た。

 
   

   
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