小槍 3100m
2012.09.09(日)
1日目(8日) 晴れのちガス 単独 新穂旧村営Pより 行動時間:7H2M
2日目(9日) 晴れのちくもり ザイルパートナーT氏 小槍アタック 行動時間:6H45M
@新穂高市営P6:01
→(60M)→A穂高平7:00→(38M)→B白出沢7:38〜7:52→(49M)→C滝谷8:41→(49M)→D槍平9:30〜43→(179M)→E飛騨乗越12:42〜46→(17M)→F槍ヶ岳山荘13:03(この日はガスにより狙えず)
G槍ヶ岳山荘6:28→(13M)→H小槍基部6:41〜54→(42M)→I小槍7:36〜8:10→(4M)→J基部8:14〜23→(12M)→K槍ヶ岳山荘8:35〜9:12→(86M)→L槍平10:38〜40→(27M)→M滝谷11:07→(41M)→N白出沢11:48→(28M)→O穂高平12:16→(57M)→P新穂市営P13:13
@新穂高市営駐車場から。駐車数は50パーセントほど。 | A穂高平通過。稜線がモルゲンロート。 | B白出沢になにやら目立つ人が・・・。 | Bドキッ、SWAT。このご夫妻と長らく談笑。8月23日から山に入っていると言う。 |
B大休止の後、通過。 | C滝谷避難小屋 | C滝谷の現在は、高く巻くようなルート取り。 | D槍平で給水。いつもながら美味しい水。 |
千丈沢乗越への分岐点。 | E飛騨乗越で小休止ガスが濃く、気温は11度。 | F槍ヶ岳山荘到着。この天気では狙えない。 | F小屋の前はフェンス工事中であった。 |
F自炊室が暖房完備となった。儲かっている証拠とも・・・思考がいやらしいか。 | 2日目。予報に反して快晴。ただし風は強い。 | G装備を固め、アタック開始。 | G小槍アタック隊。 |
西鎌への下降路脇からトラバースして進む。やや進路が不明瞭。少し高く上がってしまった方が判る。 | 岩尾根を巻き込む場所から見る小槍。 | 小槍基部に向かって行く。 | 経路も岩場が多く、慎重に・・・。 |
バンドをひたすら伝う。 | バンドの下り。この先のザレ谷は流れやすい。 | バンドを下から見る。 | バンドを降りているところ。折りきった場所で足場に注意。 |
スタスタと・・・。ちょっと気が焦っているよう。 | H非常に見ずらい絵。小槍基部の着地ポイント。 | H見上げる。ここを懸垂で降りてくる。 | H進路。この上のコルから通常はスタートのようだが、安全をみて下からスタート。 |
HI氏がトップを行く。 | I氏が支点下の難所を攻め上がっている絵。 | 私がチムニーの中を這い上がっている。 | 大槍でのブロッケン。見事。 |
大槍からの絵。登頂風景。 | I小槍から大槍。撮影班のCさんがこちらにカメラを向けている。ギャラリーも寒くて降りてしまっている。 | I経路の写真がなくすみません。余裕なく。で、登頂写真。 | II氏のおかげで登頂出来たとも言える。感謝。 |
I小槍の下降支点。 | I小槍のケルン。 | I小槍から槍ヶ岳山荘。右のピークにギャラリーも | I小槍から硫黄尾根。綺麗!! |
I小槍から北鎌独標。 | I小槍から笠ヶ岳側。 | 大槍から見る小槍と西鎌尾根。 | I荘厳な大槍 |
Iアブザイレンする岩壁。 | I支点。幾多の猛者の残置品。カラビナが2枚残されており、そこにザイルを通す。 | I下降点から見る北鎌尾根。ここからだと見栄えする。 | I下降点から最高点側。8mほど距離がある。 |
I氏が降りて行く。 | ここを過ぎると、姿が見えなくなりザイルのテンションで様子を読む。 | 私もアブザイレン。今日は8環で下降。 | 下からの絵。 |
チムニー上まで下降。 | J下に降り、見上げるとガスが張り出してきた。タイミングよし。 | みるみるガスに包まれる。 | ヘリポート前まで戻り、小槍を振り返っている。 |
K槍ヶ岳山荘に戻り大槍を見ると、綺麗なガスが大槍を包む。 | Kコーヒーを飲んでから下山開始。 | L槍平で小休止。 | M滝谷通過。 |
N白出沢通過。 | O穂高平からは山ガールと談笑しながら下山となる。 | P駐車場到着。 |
1922年に初登攀がされ、ちょうど90年が経過した小槍。今とは比べものにならないほどの装備での登攀だったことだろう。この点からして、そのパイオニアである土橋さんと寺島さん、そして浅川さんの功績は大きい。登るのはいいとして、下降するにも相応の危険が伴ったであろうから。そしてこの節目の年に、無事登頂する事が出来た。3000m峰(ジャイアンツ)最後の未踏峰だった場所、我が力量では無理と諦めていたのだが、目標を持ち挑むと結果がついてきた。それには、いい仲間(先輩)に恵まれ、自然に微笑まれた結果。
2009年から毎年のように狙いつついた小槍、しかし天気にそっぽを向かれ、現地入りしてもなかなか登らせてもらえなかった。これが自然・・・とも思ったのだが、自然から「まだ登る器量ではない」とも判断されたとも思っていた。最初に挑んだ2009年には、ソロで這い上がってしまおうかと企てたのだが、基部から見上げるその壁が、そんな生半可な挑みをせせら笑うように黒く鈍く光っていた。これは単独では無理(自分の場合)。それ以降は岩場を意識し、その技量の積み重ねの集大成を小槍登攀に持っていくよう努力していた。ロッククライミングをされる人なら、ササッと登れてしまう場所であろうが、日頃からそれらに慣れ親しんでいない私にとっては間違いなくハードルの高い場所となっていた。
不思議なのは小槍での大きな事故を耳にした事がない。有ってもいいと言ってはおかしいが、危険度の高い場所において、それらは付き物に思うのだが、ない。それ相応の人が入っていると言う事かと理解した。そんな清い場所で自分が事故をすれば、先人に対しても小槍に対しても申し訳ない。ただし可能性はある。じゃー止めるのか・・・となるが、登りたい欲求はある。その気持ちがあるので、少しづつ岩感を高める努力をしていた。新田次郎さんの「槍ヶ岳開山」を読み、その高貴・崇高な場所との認識もある。大槍の方は観光地化してしまっているが、小槍はまだ播隆上人の時代の神聖さを残していると思える。この点からも登頂したいと思えるのだった。
今回も滋賀のI氏がザイルパートナー。氏も他の方と組めばサッと登れてしまう場所であろうに、私との登頂をじっと待っていてくださった。そして山梨からCさんも応援に駆けつけてくださるとの事。少し前にはマッターホルンに登頂し、応援じゃなく登ろうと思えばサッと登れてしまう実力のある方。そんな仲間思いの気持ちを汲むと、是が非でも登頂せねばならない。でもなぜか不思議と、「今回は登れる」なんて思っていた。天気予報では、登れるような予報でなく、なぜにそんな気持ちになったのかが判らないのだが、心と体と技量とが準備できたと言うサインだったのかもしれない。
1:00家を出る。夜空には瞬く星がある。今日の天気は・・・予報ハズレか・・・。三才山トンネルに潜って松本に出て、R158で平湯を目指す。ハイカー狙いのタクシーが沢渡に向かって追って来ていた。タクシーの存在に、まだハイシーズンって事かと思えた。安房トンネル出口のゲートは、ETCが使えるようになっていたのは嬉しい配慮だった。新平湯の温泉街を経て栃尾に出て、4:30に新穂高の旧村営駐車場に入る。ガードマンが入口におり、この時期にしてもまだ交通整理をしていた。段々畑状の駐車場は、全体の50パーセントが埋まるくらい。最盛期は過ぎているようだ。運よく最上段に空があり突っ込む。そこにはI氏の車もあった。しばし仮眠。ギア類の荷揚げ分担をするのが5:45。それまで体を休める。
5:30外に出ると、既にI氏は準備を終了していた。I氏から50mザイルを渡され、我がザックの中は100m分のザイルとなりこんもりと膨れ上がった。経路は氏とはバラバラに歩く予定、「上で会いましょう」と氏は5:50に出発して行った。遅れること6:01私も駐車場を発つ。弓折側の稜線が明るく、一日の好天の予兆もあった。さて天気は・・・。ロープウェー駅前には始発を待つハイカーの姿も見える。ゆっくりとした歩調で右俣に入って行く。天気予報を考慮して、この日は小屋まで。運よく天気が良ければ「狙う」くらいの緩い予定。貯水タンク近くでI氏に追いつき、そして先行する。この時に、駐車場にCさんが到着した事も知らされた。携帯はどんどん手放せなくなる。
小鍋谷のゲートの場所は、幾分刈り払いがされたのか広く余地があるように思えた。その昔はここまで車が入れたのに・・・。ザックの重さを肩に感じつつ進んで行く。穂高平はオープン前で、静かな佇まいだった。体がザックの重みに慣れてくると、いつものペースに変更し、地面を蹴って進む。経路、何人かに追いつくかと思ったが誰にも追いつかず、白出沢のすぐ手前で男女のパーティーをひと組追い抜いた。そして白出沢。そこに「SWAT」と書いたオレンジ色の服装の方が居た。工事関係者かと思ったら、横に大きなザックがある。話をすると8月23日から山に入って、今日下山だと言う。羨ましいほどの日数の使い方。話が面白く、長話となり大休止となった。最後に御仁と握手を交わし白出沢を渡って行く。
ここに来てやっとハイカーの姿がちらほらとしだす。まだ前方からのすれ違いはないが、槍に向かう人たちが黙々と進んでいた。滝谷でも3パーティーほどが休憩していた。上流の滝を眺めながら稜線から顔を出した太陽を眺めたりした。この滝谷はいつものことだが大水により渡渉場所が変わる。この時は、谷に入った場所から70mほど遡上してから渡るルートになっていた。大雨の日、ここで対岸からのライトによるモールス信号を受けたことがある。懐かしい場所なのだった。レリーフを拝みながら飛騨沢に沿って進んで行く。
槍平到着。デッキには下山者と登山者が入り乱れ休憩していた。私はこの場所より水の出ているトイレ前の場所が好き。臭いそうだからテン場前と書いておこうか。ここで給水していると、ご夫妻らしきパーティーの旦那さんの方から声が掛かった。話し言葉は北陸訛り。御仁は福井の方だった。「では、○○さん、知ってます?」と師匠の名前を出すと、「知ってますよ、何度か会ってます」と。さすが我が師匠は顔が広い。夫妻は、槍に上がって西鎌に転進するようであった。水を汲み、またずっしりとザックが重くなる。ザイルも重いのだが、琥珀色の魔法の水も入っており、美味しい思いをするための重みでもあった。アルコール類は1.5リッター所持。たぶん違法では無いだろう。
槍平の先ではすれ違いが多くなる。6時頃に出立した人らだろうか、前日はいい展望だったと伝えてくれる人も居た。西尾根を巻き込み、再び飛騨沢の中に入って行く。トリカブトやヤマアザミが出迎えてくれる。ベニバナイチゴはビタミン補給にちょっと拝借。酸っぱいそれが、体に喝を入れる。前の方には牛歩状態のパーティーが進む。上は真っ白なガスが覆っている。おそらくそのどんよりとした天気にも足が出渋っているのだろう。この頃になると半袖で歩くにはかなり寒くなってきていた。温度計を見ると12度。動いていなければ半袖などではいられない温度で、雨具を着込んでいる人も多い。今日は天気がダメか・・・。そう思いつつ足を運ぶ。
飛騨乗越到着。もう僅かで小屋だが、ここで小休止。追い抜いてきた方も到着し労をねぎらう。こんな時の人間ってのは素直でいい。御互いに心底お疲れ様と言う意味で言葉を発している。山のいいところ。さてもう少し。テン場を両脇に見て、その先の風速計が見えたら槍ヶ岳山荘到着。周囲はガスで何も見えない。当然そこに大槍の姿は無い。カラフルな雨具に身を包んだハイカーがゾロゾロと大槍に向かって行く。お昼を済ませ、アタックの時間でもあった。ガイドに従い柔軟体操をしている20名ほどのパーティー。危険な場所に向かうに際し、説明を受けている15名ほどのパーティー。驚いた事に、そのパーティーの全員が自己ビレイがとれるようシュリンゲを袈裟懸けにしてカラビナを装着している。お客の安全を思うガイド側が用意した装備と思えたが、ハシゴ場での大渋滞が予想できた。
素泊まりの申し込みをして6600円を支払う。嫌な予感がしたのだが、指定された場所は自炊部屋の横。“あの場所は、寒く淋しい場所”と思っていた場所で、少し嫌々階段を登っていた。しかしビックリ、自炊部屋には対流式の大型ストーヴが置かれポカポカと暖かい。寝室の方も気持ちその暖かさが回っている。これは、それほどに利用者が増え収益が上がっているからだろうと読み取れた。自分へのご褒美に、琥珀色の世の中ではビールと言う液体を体に流し込む。染み渡る美味しさ。そうしながらもCさんに電話を入れると、もうテン場まで上がって来ていると言う。速い。経路6時間台で来ている。さすが国際派の足である。その電話では「前回のことがあるから、今日のうちにアタックしては・・・」との事であった。確かに明日の天気は判らない。今の天気より悪い可能性もある。「そうですね」などと言いながら、左手に持っていた500mlの缶を眺める。すわっ、アルコールを入れてしまった・・・。
Cさんが到着し後続のI氏を待つ間に談話が始まる。Cさんは、今年も多くの海外の山の登攀をしてきており、それらみやげ話という上級のつまみで、時間の経過を忘れるほど。あっという間に1時間ほど経過してしまっていた。すると、カフェルームに入ってくる人の雨具が大きな雨粒でびっしょりと濡れている。今日はもう無理。嗜むように飲んでいたビールを、グビグビと・・・。そうこうしているとI氏到着。そのまま夕食まで談笑が続く。スマホがここでは普通に使える。明日の天気を確認するが、曇りマーク。念には念をとスタッフに明日の予報を聞くと、ここで見ている予報会社2社で晴れを伝えていると。少し期待する。
食事の時間になり、一人自炊室へ行く。そこでラーメンを食べていると、単独の女性もやってきた。話しかけようと思ったが、一人を好んでいるようなしぐさで、全くこちらを見る様子なし。いろんな人が居ていいと思う。食事を終え談話室に行く。ここは温室のように暑かった。ファンヒーターが効き、半袖半ズボンでもいいくらいに暑い。しばらく我慢して読書をしていたが、さすがに我慢できずに外に飛び出す。そしてちょっと臭うがトイレ前のスペースに行く。そこにもストーヴがあるのだが、こちらは程よい室温。先に山ガールがストーヴを囲んでおり、ここでまた新たな輪を広げる。山での出会いは登山の楽しみでもある。そして話し疲れた頃に部屋に戻る。その夜は、横の人が寝相が悪く、何度も蹴られる。そして壮大なイビキの演奏がされた。これが山小屋でありしょうがない。嫌ならテントを持ち上げればいいだけであり、小屋泊まりのリスク。背を向けるように布団に包まっていた。
翌日3時半。自炊室から外を眺めると、ガスが消えクッキリとした山並みが見えていた。「キタ〜!!」アタックできる。来光を狙う人だろうか、早出の人だろうか、食事を始めている人も居た。この日の行動は岩が温まるのを考慮して7時スタート予定。ただしこの天気をみて、そこまでの時間まで待てるとは思わなかった。すぐにでも動きたい、そんな天気なのだった。しかし横に見える吹流しは真横に流れていた。風は強いのだった。食事をしてからこの日の始まりを見るために外に出る。多くの人がその時を待っている。それを山頂で迎えたい人のヘッドライトの列が、大槍の岩肌にある。私も大槍の上で迎えたかったが、今日の目的はその横。小屋の前でカメラを構える。そして5時25分、スッと上がってきた。その輝きに一礼し一日の安全を祈る。昨晩の山ガールが出立して行く。山が動き出す時間。I氏を見つけコヒーを飲みつつ、やはり行動を早める事をすり合わせする。撮影班となっていただくCさんにもその旨を伝え、すぐさま準備に入る。
アタック。不要な荷は小屋前にデポして、ここでハーネスを装着して小槍基部に向かう。西鎌尾根への分岐点からそのまま北に進むように行く。もう3回も行ったり来たりしているので覚えているはずなのだが、やや迷うように岩肌を伝って行く。ハーケンにシュリンゲが下がっているので、それが目印となるか。最初だけ判り辛いが、途中のバンドに入ってしまえば一本道。バンド下のザレ谷は、本当に流れやすいので注意。谷の中には割れた道標も落ちていた。それは大槍の途中で見た事のある道標であった。この後、小槍側に進むのにハングした岩の下を通る。ここは上より下を通過した方が遥かに楽。そして小槍基部に到着した。登山靴からクライミングシューズに履き替える。2本のザイルでI氏と繋ぎあい準備完了。上のコルの場所からスタートかと思っていたが、I氏はより安全を考慮し基部からランニングをとりながら上がって行く。氏の安定感と判断の良さはこれら行動で判る。
コルの所に上がる。ここに来るのは二回目。前回は「ここを上がれるのか」と思って見上げていたが、今日は「ここを上がる」わけである。コルの1.5mほど上にI氏がビレイしており、そこまで上がるのだが、北からの吹き上げの風がカンテをはらみながら私の体を押す。そしてそのやや狭いカンテを這い上がる。I氏の居る場所は足の置き場は二人分。私が上がって満席。さてここから本番。「落ちるかもしれないから、頼むね」と、I氏が横のチムニー側にフランケをずれてゆく。足場となる出っ張りはあるが、心許ない。通常ならカメラを構えたいが、ここはしっかり確保をとザイルを握る。チムニーを抜け、その先でI氏が難儀している。見上げるとハングしているようにも見える場所。手掛かりは多いようだが、適当な場所を見出すまで、何度も岩の確認をされていた。そして腕力で這い上がってゆく。下から見るとのけぞるように登って行っている。これが玄人だと思えた。そして「ビレイ解除!」の声に上に着いたのを確認。「OK!」の声でさて這い上がる。
フランケに対し大きく足を広げ横にズレる。朽ちたハーケンに入れられたランニングを回収しながらゆっくりと慎重に足を進める。足の下は既に25mほどあるか。確保されていなければ、足がガクガクして進まないだろうと思えた。3mほどズレるとチムニーの中に入る。下の方は楽に足のかかる場所があるが、少し上に行くと柔軟さを必要とするような足場。体の堅い私はちと難儀する。それでも先ほどの横ズレに比べれば、このチムニーの中は安全通過だった。抜け出るとまた風を受ける場所。雨具がたなびき、鼻水も流れる。こんな時に“昨日の天気で無理してアタックしなくてよかった”などと思えていた。この先がやや痩せた場所で、そこを過ぎると最後の難所。それでも手掛かりも見出せ体を這い上がらせる。ここではザイルのテンションが安心材料。セカンドだから登れているのであった。そしてそれ以上の場所に壁はなかった。
小槍登頂。小槍の上は狭いと聞いていたが、意外や広かった(私の感覚)。7名〜8名ほどは居られる場所。狭くて身動きできない場所かと想像していたので、尚更そう思ったのかもしれない。ケルンがあり、雰囲気十分。I氏と堅く握手をして登頂を祝う。360度の展望。すぐ前には大槍があり、その上でCさんがこちらにカメラを向けている。さあ待ちに待った「アルペン踊り」、I氏にカメラを構えていただき、華麗に舞う。幸いにも大槍の上にはギャラリーは少なく、恥ずかしげもなくやってのける。これぞ小槍の上でのアルペン踊り。自分で自分が幸せ者に思えた。登頂を待っていたかのようにややガスが多くなってきており、周辺の天気が下降線となっているのが判る。風も依然強い。もう来る事はないのだろうと思うと、そこから見える景色が貴重に思えた。アブザイレンの準備に入る。「このロープを落としたら大変」などとI氏が言いながら結んでゆく。落としたら遭難・・・。大槍から見られたまま・・・停滞。たまったもんじゃない。自分が作業しているかのようにI氏の手元を見ていた。下に垂らすザイルも風に流され3度4度とやり直す。
I氏がスルスルとアブザイレンしてゆく。岩角から見えなくなり、ザイルのテンションで動作を読む。そしてザイルが緩むと声が掛かった。さて私。8環+マッシャーでゆっくりと降りて行く。さすがにピョンピョンと跳ねて降りる勇気なし。降りながら、昔は肩がらみだったのだろうと思いながら、道具の有りがたさを痛感していた。地面に足が着くと危険から開放され安堵感が体を覆う。この瞬間が気持ちいい。反対にクライミングシューズの中の足は窮屈で苦しいまま。急いで脱ぎ登山靴に履き替える。そしてザイルを回収し小屋へと戻って行く。戻りながらも要注意。こんな時に気を抜いて怪我をするもの。
小屋の前ではCさんがにこやかに待っていてくださり、「おめでとう」の言葉をいただく。本当なら3人で登頂が理想だったが、完全にホスト役に回っていただいた。申し訳ない気持ちでいっぱい。その時、薄い霞みのようなガスが大槍の上に被さった。糸のような繊細なガスで、見事な自然の造形美であった。登頂のご褒美か・・・。そしてすぐにCさんは西鎌尾根から黒部五郎に向かって行った。I氏とはのんびりとコーヒーを飲んでから下山に入る。既に9時を回った時間、あれほど居たハイカーがウソのように人影も少なく、静かな槍ヶ岳山荘を後にする。周囲は完全にガスに覆われた。どうやらいいタイミングでアタックできたようだ。
下山。飛騨乗越から下降して行くと、途中でトレイルランナーが抜かして行った。見せつけられると、“ちょっと頑張ろうか”なんて気持ちになりギヤを入れ替える。けっこう負けず嫌いなのだった。やや重荷があるので飛ぶようにとはいかないが、早足で掛け降りて行く。速く移動しながらも、ヤマアザミを見て気づいた。花の向く方向はひまわりのように皆同じ方向を向いている。太陽の方向ではないのだが、なんでだろうかと不思議に思った。すべてが麓側を向いているのだった。
槍平のテン場は一つもテントが無くなり閑散としていた。そんな中、奥丸山側から一人歩いてきていた。賑やかなコースを歩く人、静かなコースを歩く人・・・。蛇口から流れる力水を貰いどんどんと降りて行く。この辺りから大きなパーティーをいくつも追い越すことになる。その全てが立派なリーダーで、100パーセント早期に後を察知して道を譲ってくださった。パーティーとは、かくありたい。
滝谷を越えて、そして白出沢まで戻ると、30名ほどは居ようかと言う大パーティーが出発するところであった。ゾロゾロと自然観察会の様相。賑やか過ぎて都会に居るようであり、休憩しようと思ったのだが先を急ぐ。そして穂高平まで戻ると、ちょうどそこに昨晩ストーヴの前で知り合った山ガールが居た。彼女らは林道を逸れて山道に入るところだったので、足場が悪いからと林道側に導いた。疲れた足には林道の方が早い。1分でも遅かったら逢えなかった。白出沢に居た大パーティーに感謝せねばならない。そして語らいながら降りて行く。
新穂のロープウェー駅にはハイヒールの観光客が見える。方や汗臭いハイカーが通過して行く。これが観光地の風景であり、登山基地の風景。駐車場に戻り時計を見ると、ちょうど4時間で降りてきていた。車に乗り、平湯温泉に向かいだすと雨粒がフロントガラスを叩き出した。少し急いで降りて正解だったよう。栃尾でドラゴンフルーツソフトを食べ、ひらゆの森で温泉に浸かり疲れを癒す。
今回で日本山名事典掲載のジャイアンツ41座完登。第21番目高点の小槍、登頂までに年数がかかった分、思い出深い場所となる。その頂では「もう二度と来ない」と思えたが、今平地に居ると、「また行きたい」なんてちょっと思えている。アルペン踊りを公開したのだが、衣装が伴わないとのクレームを戴いている。次回はハイジのような恰好をしようか・・・。あ、いや、ペーターの方か・・・。