弓折岳 2592 m 樅沢岳 2755m 赤岳 2501m(岳人ピーク)
2013.5.3(土)〜4(日)
3日:晴れ(強風) 単独 新穂高から双六冬季小屋まで 行動時間:8H12M (のんびり)
4日:晴れ(強風)のち小雪(下界雨) 単独 双六小屋から赤岳ピストンし下山 行動時間:13H17M
携行品: アルミワカン ピッケル φ12-50mザイル 12本爪 テン泊装備一式
3日
@駐車場5:12→(17M)→A左俣ゲート5:32→(62M)→Bワサビ平小屋6:34〜43→(22M)→C小池新道入口7:05→(198M)→D鏡平10:23〜57→(38M)→E弓折岳11:35〜12:04→(80M)→F双六冬季小屋13:24
4日
G双六冬季小屋2:48→(41M)→H樅沢岳3:29→(71M)→I西鎌尾根から硫黄尾根4:40→(37M)→J2517高点5:17→(42M)→K赤岳(2501ピーク)5:59〜6:06→(50M)→L北進をトライして再び2501ピークに戻る6:56→(60M)→M2517高点帰り7:56→(49M)→N西鎌尾根に戻る8:45→(83M)→O樅沢岳帰り10:08→(10M)→P双六冬季小屋帰り10:18〜11:00→(100M)→Q弓折岳12:40〜51→(85M)→R小池新道入口14:16〜20→(105M)→S駐車場16:05
@意外と空いていた。6割くらい埋まっている状況。2段目に停められた。 | A左俣ゲート | 穴毛谷も快適そう。モルゲンロート。 | 笠新道入口。トレースが登っていた。 |
Bワサビ平小屋。神岡高校登山部の生徒さんと出会う。 | 左俣の前方が開ける。 | C小池新道入口。今年はデブリ帯の起伏が優しく、均されている感じ。 | 秩父沢も快適そう。 |
D鏡平から観る西鎌尾根 | D鏡平から見上げる弓折岳 | E弓折岳。見える石の東側は雪穴が多い。踏み抜き注意。 | E弓折岳から奥穂側。 |
E神岡高校到着。先頭は女子部員。 | F双六山荘到着。 | F冬季小屋開放。 | F中は、大工作業が進行形であった。未完成状態。 |
G雪の舞う中、出発。強風。 | H樅沢岳。この標識の場所より、西側のほうが5mほど高く雪が堆積している。 | 途中から見る硫黄尾根側。 | I硫黄尾根に入る場所から見る樅沢岳側。 |
Iトラバース開始。 | 最初に出合う突起峰。この先から本気モードに。 | 中央付近の大地がダケカンバ平。奥の大きな山塊が硫黄岳。 | しばらくリッジの連続で気が抜けない。 |
ダケカンバ平にあったイグルー。 | ややこしいリッジ。本来なら確保があって通過したい。でも、ソロ。 | さらにややこしい。トレースは、前日か前々日の模様。 | J2517高点から北(進む)側の様子。 |
J2517高点から南(伝って来た)側 | 進路が東に弧を描く場所の様子。 | このピークから北に進路を変える。 | 左の絵の山頂から北側の様子。 |
写真上側、残雪の中に岩部が出ているが、ここに残置シュリンゲがある。帰りはザイルを流す。 | 二ノ沢の様子。千丈沢に一直線に降りている。 | 緩やかそうだが、そこそこ斜度がある。 | 帰りはザイルを流した場所。中央の岩にハーケンが打たれている。 |
ハーケンとシュリンゲの様子。 | 2501峰直下。 | K2501峰。ピッケルと大天井岳 | K2501峰から硫黄岳 |
K登ってきた側の様子。 | Kヤキソバパンと硫黄岳。高所で、低温下でも凍らないヤキソバパンは素敵!! | Kトレースは中央に見えるルンゼを登ってきていた。斜度75度ほど。下に行くほどに雪が硬くピッケルが入らず、35mほど下って諦める。滑れば、下に見える中山沢の大岩に直撃する。 | Kこの角度でも岩稜帯を20mほど降りてみた。上の方の岩には、西側を向いてハーケンが2枚打ち込まれていた。正規ルートは西なのか?でも西側は危険すぎる。北側も確保なくして進むのは困難と判断。中央に見えているのが2416高点。 |
L2501峰に戻る。ソロの場合、ここまでなのかもしれない。KUMO氏もこのピークで断念したよう。ルンゼをもう25mほど下れば、安全地帯に降りられたが、まだ死にたくなく・・・。 | Lガスがとれ、槍が姿を現した。 | 西鎌尾根に向けて戻って行く。 | ザイルを流して下降。出したり仕舞ったりの手間は大変だが、これの有無では、安全が全く違ってくる。 |
つめ先を入れる程度の急斜面があったり。 | 2517高点と2501峰との中間峰から見る、戻って行く尾根。 | 中間峰に木漏れ日ハイカーが立っているのが判る。 | M1527高点はトラバースして通過。見える石は、予想以上に脆く、動く。 |
ダケカンバ平のイグルー。大きなテントを用いたよう。 | N西鎌尾根に戻る。 | 硫黄乗越。 | 硫黄乗越から見る硫黄尾根。 |
O樅沢岳帰り。 | P双六小屋帰り。 | 雷鳥の出迎え。2622高点と弓折岳の中間点付近。依然強風。 | Q弓折岳。スキーヤーが休憩中。天候のせいか、勾配からか、折角の板を背負って降りていた。 |
Q西鎌尾根側は雪雲に覆われている。 | 帰りは尾根ルートで降りて行く。周囲は雪模様に。 | 高度を落とすと気温は高く、雪の腐り具合が尋常でなくワカン装着。 | R小池新道入口到着。 |
真っ黒に雪焼けしたハイカーを鏡の中に見る。 | ゲート帰り | S駐車場帰り。 |
2010年4月の硫黄岳の記録は、自分でも100点満点をつけたい。ただし、本当なら硫黄尾根縦走が順当であり、硫黄岳で戻っている奇異な山行でもあった。だからと言って、もう一度湯俣側から入るような事もなんだかつまらないし、未踏座の赤岳を踏む事に集中した。ネット社会のおかげで、情報は十分。そして南川さんの記録もある。ソロにこだわり、一人で行動している南川さんのルートは、各所で参考になる。でも、西鎌尾根から狙えそうなものを、何故に氏は下(中山沢)からアプローチしたのか。それは、独特の山稜を周知していたからだと現地に行って判った。
あと、KUMO氏も西鎌側から狙っている。そこで、最後が進めず、手前峰までとしたことも聞いていた。あの妙義の筆頭岩をスイスイ登るKUMO氏が諦めた場所とは・・・。少し緊張しながらも準備に入った。神津島の旅を終えて、旅の記録を整理しながら次の行動を考える。当初は天候が危ういと予想された後半だが、一転して好天予報になりつつあった。「いっちょ、ここでやってやるか」、なかなか思い切らないと行けない場所ではあるが、不思議とスイッチが入った。万が一のために12mm50mのザイルも携行。これにより、なんだかんだでザックは30Kgほどの重さとなった。二泊三日の予定で、後半は板戸岳を狙うこととした。ただし、赤岳のハードルがかなり高い位置になるので、2座狙いなものの、全ては臨機応変で行動は現地での判断とした。
1時家を出る。1日目は移動日となり、実質のアタック日ではないので焦らずの行動となった。気になっていたのは、旧町営の駐車場。満杯で置けないような時もあり、その部分ではある程度は早めに現地入りせねばと思っていた。ETCで通過できるようになった安房トンネルの料金所は便利になった。ただしここは、一時停止が必須。そして新穂高の深山荘前の駐車場に行くと、驚くほどに空いていた。下層の駐車場に停めるのかと想像していたが、最上段の駐車スペースもまだ空いているほどであった。すぐに準備に入る。その横を、大きなザックのハイカーが次々に出発して行く。この時季の入山者は本物が多く、着古したアウター、かなり背負われたザック、今の山ガールとは好対照に、汗臭い、山男(女)らしい姿が多かった。それに混じって山中に入って行く。
久しぶりのこの重さ。いつものようには足が進まない。前を歩く人のザックには「愛知 ○○山岳会」と書かれていた。声をかけると、涸沢西尾根を上がると言う。何が入っているのか、このパーティーのザックも膨れ上がっていた。左俣に入って行く。昔からの橋は、完全に撤去されて仮設橋で通過して行く。いつも思うのだが、ここを通過するのは何度目だろう・・・そう思いつつ過去の山旅を思い出したりする。ホテルニューホタカ前のゲートを越えて行くと、若者の車がゲート脇の駐車スペースに突っ込み、大急ぎで準備をしだしていた。1日500円。ここまでは入れるなら払った方が楽なのかと昔は思ったが、今は苦になら無くなったから不思議なもんである。
さてこの先、何処から雪が現れるかで疲労度が変わる。進む先に穴毛谷が白く見えてくる。帰りはあそこを降りようか・・・などとまだ余裕があった。林道上の残雪は、その穴毛谷へ向かう作業道分岐付近から繋がる様になってきた。人影はないが、トレースにより、本日の先行者の姿が見えるよう。この時、まだ水を汲んでいなかった。中崎橋で汲もうか、ワサビ平で汲もうか、最後の小池新道入口で汲もうか・・・。重さを天秤にかけながら、汲む場所を悩んでいた。
中崎橋の水場は横目で通過。その先の笠新道では、ちらほらとトレースが上を向いていた。さすが連休である。進んで行くと、先の方にワサビ平小屋が見え、その前に鮮やかな集団が居る。声質からして若者と判ったので、微妙な距離感を保ちつつ接近して行く。すると、その集団に老齢な方も居た。若者のザックには「岐阜・高山 神岡」を大きく書かれていた。間違いなく神岡高校の登山部と判った。その顧問の先生に声をかけると、今日は弓折岳まで上がると言う。私の目的地も聞かれたので返すが、地元であってもあまりピンと来ていないようであった。先の水場が危ういので、ここで給水。ここでまた2Kg重くなる。幾分肩に食い込むような気がするのが不思議であった。先行して行く学生の背を追い、小池新道入口で追いついた恰好になった。ここでも流れがあり、ちょっとの差だが、ここで汲めばよかったとも思えた。僅かな負荷の差、貧乏臭い自分が居る。
左俣谷から派生する気持ちよい谷を進んで行く。先を行くトレースは3人分ほど。あまり入山していないのか、背中側からは大展望に喜ぶ高校生の歓声が聞こえる。今年はデブリ帯も均されており歩き易い。いつだったかは、大岩を乗り越える様相で通過し、時に雪穴に落ちて難儀した事もあった。今年は嘘のように楽に通過できていた。鏡平を狙い谷を詰めて行く。するとスキーヤーが一人降りてきた。さらにツボ足のハイカーが弓折尾根を一人二人と下りてくる。挨拶を交わしつつすれ違ってゆく。途中からアイゼンを装着し、トラバース気味に高度を上げて鏡平に到着する。
鏡平。登り上げた前方に取り巻く西鎌尾根から槍、そこから奥穂への鋸のような稜線。城壁にも見える圧巻と言えよう姿があった。既にかなり満足。白と青と黒のコントラストが美しい限りであった。日差しが強く、皮膚がジリジリと焼かれているのが判る。さあ弓折岳に突き上げてゆく。トレースは西側寄りを巻き込むように進み、最後の斜面は大きく九十九を切っている。そこにさしかかると、元気にシリセードで降りてくる若者が居た。一気に滑って行ったら停まらないような場所、見ているほうが心配してしまったが、彼がすれ違い様に「今日は水晶まで見えて綺麗ですよ」なんて言うので、俄然登頂意欲が増し、幾分足の回転が速くなる。振り向くと、高校生らの姿が無い。この時、「諦めたのか」なんて思っていた。僅かに岩の露出する山頂部に到達する。
弓折岳。見える見える。360度の白きパノラマ。息をのむ景色とはこのこと。ただ、やや風が強く、まったりと居られる感じではなかった。高校生を気にして下側を覗きに降りると、南側斜面を登ってきていた。パーティーを引っ張るのは女子部員。女子は持久力があるといわれるが、山に向いているのだろうと思うのだった。途中で出逢った仲であり、シャッターでも切ってあげようと、彼らの登頂を待って次の目的地に進む事にした。今日は急ぐ予定は皆無であるから。登頂から20分ほど待ったか、笑顔の高校生がやって来て、にこやかに手を振ってきた。驚く事に、彼女(彼)らはアイゼンを着けていない。滑り出した場合の制動は・・・と気にしてしまうほど。でも、そのための一歩一歩を確実に踏み込んでいる様子が判る。「ほら、並んで」と、槍をバックに数枚撮ってあげ、弓折岳を出発する。
陽射しは強いが風のおかげで雪面は堅いままであった。2622高点を越えて西側の谷に降りて行く辺りから、つぼ足度が強くなり、深いトレースを残しながら進む事となった。この風だと、小屋の北側にテントを張るのが良いか・・・そんな事を考えながら進んでゆくと、正面右側の小屋前が賑やか。ちょうど登りあげてきたスキーヤーに聞くと、冬季小屋が開放しているとのことであった。テン泊予定なので、そんな事はつゆ知らずだった。でも小屋が使えるなら、使った方が行動がシンプルになる。リスクとして騒音はあるのだが・・・。
双六小屋に到着。ハシゴで上り下りの内部で入って行く。下は縞板の鉄板敷き、中段上段と寝台スペースが建造中で、その材木が積んである階層もあった。重い荷物を入れるのに、スキーヤーが手助けをしてくれる。今日の利用者はモラルがあるか・・・。まだ時計は13時を回ったくらい。行動を終えるのには早すぎるが、行程としてはここで停滞で正しい。硫黄乗越まで行こうかとも思ったが、少しでも高いほうが寒いし、風もあるだろう。精神的な安全が、小屋のほうがはるかに優位。持ち上げたおにぎりを湯に入れてオジヤ風にする。中に入ってしまうと、外の強風になかなか足が外に向かない。時間をもてあますかのように地図を眺め、次に明日の天気を確認する。明日も風が強そう。でも、雪が硬いうちに行動したい。夜明けを硫黄尾根に入る辺りとしたいので、2時半ころがスタートと仮定した。15時くらいから餅入りラーメンを食べ、少しブランデーを入れて疲れを癒す。周囲では、多くの自慢話が聞こえる。あそこに行った、これからこんな所を滑る。集団の中で自分を誇示する習性というのはなくなることがないのだろう。黙って聞いていると、けっこう面白いので、雑音を楽しみに変えて聞いていた。この小屋内はDOCOMOが通じなかった。たまたまか・・・。歯を磨いて早めの就寝。他人はどうであれ、自分の予定に向けて準備し結果を出す。ブランデーは眠り薬でもあった。
1時間ごとに目を覚まし、時間を確認する。0時を回った辺りから、自分の中にスイッチが入る。外は強風の為、唸り音がしている。気合を入れて突っ込まないと叩き落されてしまう。2時15分。シュラフから抜け出し、静かにパッキングして靴に足を入れる。テントや食料はデポして、もしビヴァークになった場合も想定しての必要最低限での荷物を固める。そして静かに扉を上に持ち上げ小屋を抜け出る。気合を入れたはいいが、小屋内に戻りたいような風速であった。待った方がいいか・・・でもここまで来たチャンスは生かさないと。今日は午後辺りからは風が収まる筈であり、しばしの辛抱。アイゼンをしっかりと結わえ、ピッケルを手にする。寒く、既に鼻水がだだ漏れ。
冬季小屋出発。小屋裏の斜面を適当に上がって行く。ここの夏道は南寄りにあったはず。その記憶を辿るように意識して進んで行く。吹き飛ばされそうな風に、二度三度と耐風姿勢をとる。高みを目指して一歩一歩。前座である樅沢岳までがけっこうな試練であった。この樅沢岳、冬季の最高所は標識の場所より20mほど西の場所であった。足を進めると、北側斜面に標識が顔を出していた。斜面を慎重に下って行く。月明かりも頼りに出来ず、ヘッドライトの明かりが頼り。ただし風に舞う雪が、光の広がる範囲を狭くしていた。少し危険に感じたのが、樅沢岳の東側のピークの通過。ここは夏道は南側山腹を進む。その通り進んでいるトレースがあり伝ってはみたが、一つ間違ったら奈落底に行くような漆黒の闇があった。思いなおして進路を頂部を通るルートに切り替え通過して行く。東面は、雪が切れた場所も出てくるが、この時期はこの方が安全通過であるように感じた(帰りはトラバースしてみた)。
硫黄乗越も風の吹き荒れる場所となっていた。幕営跡は無く、小屋泊まりで正解だったのかもしれない。4時を回り、予定通りに夜明けがやって来て周囲が見えるようになってくる。当然のように左側を気にし、硫黄尾根をいの一番に探して行く。白き周囲に対し、ここのみが黒いシルエット。そして硫黄沢を上がってくる硫黄の匂いが、とうとう挑む日がやってきた気分を高めてゆく。行くも戻るも、ここでの判断だが、この時に戻る思考はなかった。左俣岳への登り斜面が始まる辺りから、優しいトラバースを経て硫黄尾根側に足を踏み入れる。
西鎌尾根を離れ、硫黄尾根側に入ると、最初に顕著な突起峰がある。これらは、Pいくつとか名称があるのでろうが、記述を読んでも様々書いてあるので自分で理解できず、今回はP表記はしないことにした。この突起峰からギヤを入れ替えねばならない。先にあるダケカンバ平までは安全通過なのかと思ったが、小手試しとばかりの斜面が待っている。東側は切れ落ちており雪庇がハングしている。やや西側を通過するように足場を気にして高度を下げてゆく。確かにダケカンバがちらほらとある。しかし、進む先のダケカンバ平には皆無。そのダケカンバ平に到着すると、おおぶりなイグルーが残っていた。踏み跡から察すると、前日もしくは前々日の物のようであった。足の向きは湯俣側から西鎌側へ向いている。逆行記録がないのはなぜか。まあ同じことが北鎌などでも言えるが、「不適」って部分があるのだろうと思えた。
ダケカンバ平から北側はナイフリッジの連続となる。トレースは、そのナイフにピッケルを刺し、谷側に背を向けて、横ばいで通過しているところもあった。ありがたく利用させてもらう。この時間なら、硫黄台地側からの縦走者がこちらに来る時間としては早すぎる。しばらくの時間は我独壇場となろうここ。その分、より慎重に行かねばならない。5時ちょうどに燕岳のほうから来光が赤く上がる。今日も一日始まる。ここで遊ばせていただく事に感謝し一礼をする。真剣に、真摯に、信心深く挑まないと、私のような非力な者は簡単に跳ね返され弄ばれてしまう。一歩一歩のその全てに気を使い進む。どうしてもリッジ部は緩くなっており、ピッケルが深く打ち込まれる。重荷だったピッケルも本領発揮。進みつつも、当然帰りの通過を考えていた。何度も振り返りながら帰りの安全通過のための確認は怠らない。
雪の中に飛び出した岩峰と言うか、岩峰(岩尾根)を軽く覆った雪と言おうか、各ピークがポコポコと刃を天に突き上げている。その一つ一つを通過してゆかねばならない。右(東)に千丈沢、左に硫黄沢。荒々しい山稜に対し、この両側の谷は、雪をたっぷりと抱え優しい表情をしていた。特に硫黄沢側は、落ちるのだったらこちらと思えるように見えていた。実際に落ちれば大変な事になるのは言うまでもない。それにしても進む先にある硫黄岳の重厚感。デンとして居座るその姿は、このエリアを取り仕切るボスのような存在に思えた。表向きなボスは槍ヶ岳となろうが、硫黄岳のその存在は親分肌の大前田英五郎と言ったところ。それを見つつ、あの上に立てた事が至極嬉しかったりする。
2517高点は、脆い岩の山頂部であった。通過はトラバースでいいが、折角なのでクライムアップ。動く岩を確かめながら這い上がって上に立つ。4mほどの岩登りであるが、岩が動くごとにドキドキするのであった。右(東)に三ノ谷が入っている。到底使えそうになく、滑れそうになく急峻な斜面が下に繋がっていた。緩やかに弧を描くように尾根が続いてゆく。この先は少し危険度が下がる。ずっと気を張ってばかりでは疲れるので、こんな場所もないと困る。既にピッケルを突き刺す作業の連続で、腕が痛くなっている。確保でもあればその辺りを軽減できるのだが、それがないために身を守る作業が続いていた。
2517高点の北東峰に到達。本来はPいくつと書くと判りやすいのであろうが、数字の誤記を恐れて書かないことにする。前に二ノ沢、後に三ノ沢があり、その中央に顕著な尾根が東に降りている。相変わらず前にも後にもゴツゴツとした尾根が続いている。間違いなく判るのは、硫黄岳が近くなってゆくこと。先に続くピークの陰になり、鞍部が見えてこないのだが、登りはいいとして、下りが気になっていた。それにはそろそろ核心部に入るからである。山塊の本当の最高点と言えば、2517高点。地形図の赤岳の場所は、下って行き、まだ下の方に位置する。その間にある中間峰の2501峰が前に聳えている。バックステップで降りる場所もあり、進行方向に対し背を向け下って行く。そして手前鞍部からは、微妙な傾斜。登りはいいとして、下りはザイルがなければバックステップ。慎重に上がって行くと、上の岩に2枚のハーケンが打たれ、そこにシュリンゲが巻かれていた。アプザイレンの場所か・・・何となく頷けた。やや西側を巻き込むようにして障害となる岩を巻き上げる。
2501高点到着。素晴らしく展望のいい場所。一部地面も出ていて1.5畳ほどの安全スペースがあった。尾根上の突起峰であり、展望がいいのは当たり前となるが、ここが岳人記載の赤岳ピークとなっているよう。そしてKUMO氏も、西鎌から来てここまでとしている。トレースは千丈沢側斜面に繋がっている。行くしかないので心を決めてゆくのだが、上からのここの通過はかなりややこしい。でもでも、目の前に人参をぶら下げられている状態に、諦める事はできない。ただ、少し死を覚悟して進むような場所。一瞬でも足を滑らせば、ほとんど止まる事無く千丈沢まで落ちてしまうだろうし、その前に一度、下に見える大岩に激突して、The Endとなってしまうだろうと見えていた。確保が欲しい、基点が欲しい。捨て縄は持ってきたが、それがかかるような岩も無かった。下を見ても、アプザイレンの基点に出来るような様子なし。ハーケンでも打たれていれば別だが、安全通過とは程遠い場所が待っていた。
下降開始。上の方の15mほどはいいとしてルンゼ内に入ると、斜度75度ほどとなり、完全にバックステップで、一挙手一投足に注意を払い行動して行く。深くピッケルを刺しながら、滑落に備える。ここの上の方はそれでも何とか下降に際し上手くいった。問題は下の方。だんだんピッケルのシャフトを跳ね除ける雪の硬さとなってきた。バイルのように使ってもいいが、片手では下まで行くのに握力が尽きてしまう。三点確保状態にして、それでも少しづつ下がった。下を見ると安全地帯が近づいているが、斜度も増してきている。登りならいいが・・・下りは・・・。ソロではやばすぎる。上で判断できていた事を、ここまで引っ張ったが、「諦めよう」、2/3ほど降りた辺りで、撤退を決めた。登りだすと、やはり楽であった。問題はなにせ下りでの通過。
2501高点に戻る。性格上、あらゆる手段は試してみたい。今度はトレースを無視して北側のカンテ側を進んでみる。すると最高所から8〜10mほど進んだ先の大岩の西側に2枚のハーケンが打たれていた。これはなにを意味する物か。通常は逆行する人は少ないから、南から通過する人のために、ここからザイルが垂れていたと言うことなのか。強風が吹きつける西側は危険度が高いようにも見え、下降するにも勇気が湧かなかった。でもアプザイレンは出来る。悩んだが、陽射しのない西側が怖く感じ、ここでは降りず。最後に北側斜面。のっぺりとして、20mほどはアイゼンを効かせて降りて行けた。その先がやばくなった。ここでも、確保者が居れば行動できるが、ソロではやばすぎる。もう少し雪が溶けていれば違ったのかもしれないが、色々進路を試行してみたが、ここまでとした。あとは自分を納得させるだけ。2501峰で赤岳。ソロの場合は、しょうがないのかもしれない。ここまで体験すると、南川さんのルート取りが、素晴らしく光って見える。ソロでの行動で、危険度の一番少ない最良のコース取りと判る。ただし、氏が行動したのは6月の雪融けしていたであろう岩尾根。今とどう違うのだろうか。そもそものクライミング技術を持ち合わせていることも見えてくる。
最終地点と決めたら、少し楽になり、展望を楽しむ余裕さえ出てきた。とりあえず目標は達成したとして、またいつか改めて来よう。西鎌尾根が遠くに見える。またあそこまで戻らなければ。その前に、硫黄尾根で遊ぶハイカーが居るかと、岩尾根の上を目で追うが、カラフルな色は見えてこなかった。風は依然弱まらず。猪熊さんの予報からは、昼ぐらいから穂高エリアは弱まる予報。それを頼りに踏み込んできているが、その兆候は全くなく、どんどん強くなっている感じであった。まだ早い時間ではあるが、既に4.5時間ほど経過している。それなりに体力の消耗もあり、慎重に、緊張の糸を保ちつつ戻って行く。
2501峰南斜面は、シュリンゲからザイルを垂らして降りて行く。作業にやや時間がかかるが、嘘のように安全に降りられる。たかがロープされどロープである。僅かな時間ではあるが、雪が溶けているのが判る。早出行動は正解だったろう。2517高点は山腹をトラバースし、ナイフリッジを慎重に通過しダケカンバ平に戻る。ここまで来れば一安心とあるが、まだ気を抜けず、リッジと急斜面が待っている。何度も言うが、年々の雪の量、その時の雪質で状況は全く違うであろう。最初の突起峰に登り上げ、ここで初めて緊張から解かれる。トラバースして西鎌尾根に戻る。手強かった硫黄尾根。パートナーでも居たら・・・と思いたいが、行ってみて判ったのだからヨシとしたい。全ては経験。双六に向けて戻って行く。
硫黄乗越からのアップダウンは、至極疲れる。傾斜と風に、体力が奪われて行くのがわかる。当初は、双六小屋からサクッと赤岳を踏んで戻ってこようと思ったが、ここまで疲れるとは思わなかった。樅沢岳の東側ピークは、夏道どおりに南をトラバースするが、往路の頂部通過の方が遥かに楽であった。樅沢岳に戻り、あとは下りと大きなストライドで降りて行くと、前の方から真っ黒に日焼けしたハイカーが登ってきた。荷物のせいか、疲れのせいか、牛歩状態。槍まで抜けるよう。言葉を交わさない目礼な感じですれ違う。双六小屋の北側には青いテントが新たに張られていた。不在のうちに、小屋周辺に動きがあったよう。沢山居た避難小屋の宿泊者は如何に・・・と思いつつ、足を寄せてゆく。
双六冬季小屋到着。相変わらず通用窓は開け放たれて居た。中に入ると、連泊者が多いようで、私同様に荷物をそのままに出かけていっている様子があった。ほとんどがスキーヤー。これほど雪があれば、何処に行っても楽しいだろう。広がったままの寝具をパッキングして外に出る。この先はずっと向かい風となる。20mほどは吹いており、天気も次第にグレーさを増しているようであった。ザックを背負うと、ヨロッとしそうなほど。明日はどうしよう。そう思いつつ足を踏み出す。荷物+体重+陽射しで、沈み込み量は15センチくらい。歩き辛い時間が続く。
弓折岳に向かい、双六から半分ほど進んだハイマツ帯の中に、何かが動いた。ほんの3mほど先。雷鳥の出迎えであった。相変わらず逃げない所作。夏毛から、少し黒色が入り始めた様子であった。進む先の大ノマ側は、完全に雪雲が垂れ込めている。そして雪が降ってきた。昼になり、猪熊さんの穂高エリアの予報が入ってくる。明日は午後から大荒れ。晴れ晴れした中なら、今日の疲労と重荷でも進む気概が出てくるが、ちとこの天気は躊躇する。弓折岳に行って、進む稜線が晴れたら行くこととし、南進して行く。
弓折岳。スキーの男女のパーティーが休憩していた。目を疑ったのだが、ここに来てザックに板結わえだしている。滑ればいいのに・・・。何となく判った。鏡平までの斜面が怖いと言う事か。そう読み取れた。大ノマ側を見るが、ガスった中。進んだとして危険箇所への対処として、今の疲労度が障害になる。安全第一。もう一度来よう。下山を決めた。ようは自分に甘いのである。でも、この判断でいいと思う。心技体そろって事故がなく楽しめる筈。
下降は神岡高校のパーティーが伝った南尾根を行く。快適も快適。先ほど結わえたスキーヤーも、ここを降りれば安全で楽しいのに。最後の方はシリセードで降りて行く。一気に200mほど滑れ、そうしながらもスキーだったら楽しかったのに・・・などと思ってしまう。それでも高度を下げると雪の腐りようが酷い。アイゼンからワカンにスイッチして降りて行く。制動具を履いていると、グリゼードできる場所で、それが出来なくなるのがつまらないのだが、この時は潜るのが抑えられるほうがありがたかった。登りの人とどんどんすれ違う。9割がスキーヤーであった。振り返ると雪雲に覆われている。風もあり今日これからの上は居心地悪いだろう。
小池新道入口まで降りる。ここでワカンを外して、最後の林道歩き。林道上の雪はここでも腐り、トレースが入り乱れて歩き辛い事。まあ春だからしょうがないか・・・。ワサビ平は無人、笠新道入口を右に見てよろよろとトレースを拾いながら高度を下げて行く。ゲートの所まで降りると、ハイカーが石の上で休憩をしていた。ここから下は観光地。湯煙が上がる旧ターミナル付近まで降りると、その観光客からジロジロ見られる。そんな赤黒い顔の色をしていたからである。カーブミラーで見たが、異国の人のように真っ黒になっていた。ま、神津島焼けと、北ア焼けなのであるが・・・。駐車場に到着。ちらほらと下山者が帰り支度をしている風景があった。停まっている車は全体の40パーセントほどだった。
ふり返る。赤岳を2501峰までとなったが、新穂入山としては、満足いく行動となる。それには、我が今の力量では、あの先にソロで進むのは無理と判ったからであり、届いたその場所が赤岳と言うに相応しい場所でもあったから。眼下の2416高点が、ちと違うのではないかとも見えたから。でもでも、いつか狙おう。とりあえずは踏んだ。でもいつかもう一度。