黒滝山 1754.1m 百村山 1085.2 大佐飛山 1908.4m
2013.3.23(土)
曇りのち晴れ(上層で風雪) 単独 巻川林道からピストン 行動時間:7H13M
携行品: アルミワカン
@登山口4:02→(22M)→A百村山西分岐4:24→(23M)→B1257高点4:47→(27M)→C1467高点5:14→(25M)→D1588高点5:39→(29M)→E黒滝山6:08〜09→(24M)→F1775高点6:33→(34M)→G1866高点7:07→(39M)→H大佐飛山7:46〜8:02→(31M)→I1866高点帰り8:33→(33M)→J1775高点帰り9:06→(20M)→K黒滝山帰り9:26〜31→(23M)→L1588高点帰り9:54→(24M)→M1467高点帰り10:18→(19M)→N1257高点帰り10:37→(19M)→O下降点分岐10:56→(2M)→P百村山10:58〜59→(3M)→Q下降点分岐再び11:02→(13M)→R登山口11:15
@巻川林道、百村山南側登山口。駐車余地5台ほどか。 | A百村山西側で尾根の乗る。 | A黒滝山まで3.6Km。 | B1257高点通過。ここまで雪は途切れ途切れ。 |
B1257高点から先は雪が繋がる。 | C1467高点通過。 | D1588高点。 | 前方に黒滝山。この左下の場所でテン泊して居る方が居られた。 |
本日の来光。短時間でガスに隠れてしまった。 | もうすぐ黒滝山。トレースが沢山見える。 | F黒滝山到着。この先、冬季は惑わしのトレースに注意。コンパスを使いたい。 | E三等点もしっかり顔を出している。 |
E明治大学の標識。以前は4つ在ったが・・・。 | F1755高点。大きな標識が二つかかる。 | G1866高点。進路方位が少し変わる。 | 快適なスカイライン。生憎の強い風雪に冬に逆戻り。 |
H大佐飛山到着。こんもりとした高み。天気のせいで展望はなし。 | H沢山設置された山名標識。かなり淫らな山頂。 | H登ってきた側。 | Hお約束でヤキソババン。 |
戻って行く1755高点への稜線。 | スカイライン復路。少し明るくなってきて風雪もおさまった。 | I1866高点帰り。 | 途中から見る1755高点。 |
J1755高点帰り。 | K黒滝山帰り。西側は少し藪漕ぎ気味。 | K黒滝山から南東側の景色。 | L1588高点帰り。 |
M1467高点は北側の夏道を通過し、山頂側を振り返る。 | N1467高点。この先は雪のない笹原の中の急斜面。 | O巻川林道への下降点分岐。 | P百村山。テン泊していたパーティーが、南側で昼寝をしていた。 |
Q下降点再び(三度)。マーキングが乱打。 | 植林帯の中の踏み痕。見たとおり、道形は明瞭ではない。 | 往路だと、この場所でやや進路を迷う。上側斜面の道が薄い。 | タイガーロープが流してあったり。 |
R登山口到着。路肩駐車。 | R遊びの多いはしご。揺らぐので最後まで気を抜かぬよう。 | 参考:巻川林道の入口(光徳寺南)。 |
2008年2月にスキーを履いて挑んだが、6時間かかってやっと黒滝山に届いたほど。そんなに甘い場所ではなかった。それでも諦めずに黒滝山から先に進んだが、もがく雪に「出直して来い」とばかりに跳ね返された。それから5年が経過する。宿題をせず5年も放置していたわけでもある。その間、同じルートでは面白みがないと、自衛隊道路側から狙おうかと思案もしていた。いずれもロングコースとなり、サッと行ける場所では無い事が遅らせていた要因にもなっていた。
「大佐飛山に行こう」と思い立ったのは、前夜の20時頃。信越方面は天気がよろしくない中、下野側は晴れ予報。これはチャンスと出向く事にした。雪の様子が全く読めないが、残雪期に入り現地は状態がいいだろうと予想した。入山口は、百村山の南側の「黒滝山登山口」からとした。前回と少し変化をつけたいそれだけの理由から。足許は前回の体験からしてスキーは不利と理解した。後にも先にもスキーでの報告はない。そういう山なのだ。カンジキとアイゼンを準備する。日本海側からの低気圧の降り方で、風が見込まれる。あればあるほどに雪は硬くなる。そこも少し期待した。
1:15出発。北関東道と東北道を繋いで行く。那須塩原で降りて国道400号、関谷北交差点から県道30号と進み、高林中学校の北側で百村の森キャンプ場側へ進む道に入る。周囲は酪農家が多く、広い風景の中にポツンポツンと住宅がある。百田本田地区内のT字路を北に曲がり、その先の光徳寺側を目指す。そうしながらも左(西)側を注意して行く。すると、白い標柱に「巻川林道起点」と読み取れた。林道としての表記はこれだけ。やや判り辛い場所とも思えた。
林道に入って行く。狭い林道で、大巻川を北に巻き込むように舗装路は進んで行く。途中途中にアルミハシゴが見え、登山口なのか・・・とも思える場所が2箇所ほどあった。これらは林業作業の物であろう。そして百村山の南側で、これまでと同じ梯子があり、ここには「黒滝山登山口」と書かれた標識が置いてあった。同じハシゴであり、これも元々は林業作業用って事なのだろう(3:20着)。熱いコーヒーを飲んで、少し仮眠。こうする事により目覚めがスッキリする。今回は登頂したいので、その思いで自分の中のコンセントレーションを高めてゆく。麓側には夜景が広がる。見下ろしながらラジオを聴いていると、至福な時間にも思えた。でも気合を入れ外に出る。装備もぬかりなし。
4時の時報をラジオで聞き、出発とする。アルミハシゴを慎重に上がると、薄っすらと続く踏み跡がある。ヘッドライトでそれを追うのはやや難しい感じの場所もあった。昼間に歩いていればなんてことはない場所であろうが、初めてで、尚且つ夜行となるとハードルは高くなるようだ。あまり道は気にせず。地形を頭に入れて高みを目指す。途中に棚のような場所があり、丸太が積んである場所がある。ここからさらに道形は薄くなる。振り返ると林道を上がってくる車が見えた。間違いなくハイカーであろう。登山口付近でエンジン音が消えたのも判った。残雪期に入り賑わう場所、今日は何名入山するのか・・・。
尾根に乗り上げる。百村山の僅かに西の地点であった。雪は在ったり無かったりで、夏道も少々伝いつつ高度を上げて行く。カタクリのそこは、まだ一つも発芽していなかった。5年前の記憶が鮮明に甦る。これほど記憶が楽しめるのも山旅の楽しい所。ここで潜った。ここでずり落ち難儀した。1257高点への笹尾根の急登は、当時時間がかかっただけに特に印象に残っていた。今日は雪が乗っておらず、夏道を伝って登って行く。
1257高点に達すると、その先から途切れる事無く残雪が続いていた。前週のものなのだろう、いやこれは前日のだろう。トレースもしっかりあり、その上に足を乗せるとほとんど踏み抜きは無い。快調も快調、スタートから70分ほどで1467高点を通過する。下界のネオンが、夜明けに準じてその数が減って見えていた。そういえば最近の夜明けの時間は・・・なんて夜行をあまりし無くなったので、夜明けの時間にも鈍感になっていた。いかんいかん、もっと動物的に生きないと・・・人間のセンシティブな部分が退化してしまう。外気温はマイナス気温になっていた。このまま推移すれば、堅い雪を拾いながら行ける。冷たい風を受けながら、それをありがたいとも思えていた。夜明けは5時近辺であった。
1588高点まで来ると、先の方に黒滝山が見えてくる。背中側の下界は晴れているようだが、進む先は雪雲の中のよう。もう少し見させてもらえるかと思ったが、これが自然でもある。5時40分頃に来光がある。真っ赤な、いやオレンジ色の大球が上がって進む尾根の先に木漏れ日ハイカーを出現させる。「おはよう」なんて声をかけるのだが、彼は我が最良の相棒なのである。もうすぐ黒滝山。時計を見ながら、我ながらの速さに驚いた。前回は6時間かかった場所が、今回は2時間で到達出来そうであったから。すると最後の急登を前にして、左下の平地でガサゴソと音がし目を向けると二つの人影があった。テントも見える。男女と判断できるその姿の一人、女性が単独で西の方へ移動していた。花摘みか・・・こちらに気づいて欲しい気持ちで、少し堅い雪を選びながら踏み音を大きくして登っていた。ここにテントを張るということは・・・。昨日登頂してここで幕営となるか。でもここならあと2時間ほど歩けば下山できてしまう。まあ山の楽しみは千差万別であり深く詮索しなくてもいいだろう。女性の動きを振り返りながら、急登をロープに倣って上がって行く。そしてなだらかな最後のスロープ。そうだそうだ、黒滝山は登頂感の薄いダラッとした場所だった。記憶がどんどん甦る。
黒滝山到着。山頂の地表は露出し、三角点も顕になっていた。明治の標識は以前は4つ在ったはずだが、一つ欠損していた。山部さんの3D標識は、結んでいた線が残るのみになっていた。これも運命。ほぼ2時間で到達した。ある意味ここからが本番。未踏のエリアに入る。山頂から北側に道形があるが、トレースは雪に繋がり西に続いていた。やもすると西南西側に進んでおり、このトレースは鴫内山とを結んだトレースだと理解できた。安易に伝ってしまうと真逆に導かれてしまう事になる。進む方角がおかしいので途中で修正しつつ、北側に進路を戻す。大振りな谷地形の中を進むと、黒滝山と1775高点を結んだライン上にトレースがあった。黒滝山からは雪を拾うより北に進んだ方が良かったのか・・・。これまで硬かった雪面だが、最低鞍部付近で踏み抜きが多くなった。日が入らない、雪融けのない場所という事になる。
1775高点通過。二つの大きな標識が掲げられていた。これを見て、目指す大佐飛山山頂の予想する情景に、きな臭さが増してきた。ここでさえ二つあるということは・・・。尾根筋東側をトラバースするように北進して行く。完全に雪雲の中に入ってしまい風も強い。エンジ色のフリースの上着が白く変わってゆく。薄手の手袋では我慢ならず厚手にスイッチ。展望においては晴れて欲しいが、この天気は堅い雪の状態を保ってくれる。帰りも含めて悪くない条件とプラス思考。1866高点には、ここにも明治のおなじみの標識が打たれていた。そしてもう一つ、大きな標識がスタッドボルトを介してブラケットで後から抑えるように取り付いていた。これだけ重いものを持ち上げたのと、ここまでする努力に感服する。が、どうにも木が痛そうに、窮屈そうに見えてしまっていた。なにかプロレスラーがヘッドロックをかけているような・・・。
1866高点から先の尾根筋はスカイラインとなり快適も快適。なにせ踏み抜きを気にせず、ワカンを履く事無く歩けるのがありがたい。これだと3時間台で到達できるか・・・。予想もしないコースタイムとなってきた。当初は一日がかり・・・と思っていたのだが、こんなに楽に歩かせてもらえるとは。これも自然の出迎えであり感謝せねばならない。フードを剥ぎ取るほどの風。降っているのか巻き上げているのか良く判らない状況でもあった。1813高点にも標識があると思ったが、ここは見当たらず。視界が悪く見えないが、もう目的地は目と鼻の先となってきた。この風と雪に、先人のトレースはほとんど隠されていた。でも一本道と言えよう尾根。安心して進める場所でもあった。
大佐飛山到着。こんもりと土俵ほどの大きさの最高点。周囲を見渡したいが生憎の天気。それより・・・6枚もの山名板がクリスマスの飾り物のように付けられている。ほとんど見知った標識であり、一つ一つはどうとは思わないが、これほどに在ると、さすがに汚らしい山頂に見えてしまった。この大佐飛山自然環境保全地域においての主役の山。こんなに標識はいらないだろう。世の中は、三つ以上は沢山と呼ぶ。お腹いっぱいの景色なのであった。念願の山頂がこんなだったとは、残念でならない。栃木の方が、地元の名山を汚してしまっている。登頂感を奪い去るなんとも言えない悲壮感のある山頂であった。標識が見えない場所まで下って、自然の景色を楽しむ。やはり自然の中では人工物は不要。ヤキソバパンを齧りながら白湯を流し込み、冷えてブルッとしだす頃、下山に入る。
下りながら1775高点に続く尾根筋が見渡せるようになった。少しづつ好天に向いているようだ。スカイラインを戻って行く頃には日差しが暑いほどになり途中から着ていた防寒具を一枚脱いだ。この時期の寒暖の差は激しい。1866高点を越えてゆくと、先の方でカメラを構えている赤いアウターを纏った方が居られた。このような所作の方は往々にホームページを持っている人が多い。私の撮影風景とも似ているからであった。スナップではあるが報告する意図があって撮っているのが見て取れた。すれ違い様に、聞き取り辛かったのだが「オオサビまでですか?」と聞こえ「ええ」とだけ返す。普段ならもう少し会話をするが、乱打した標識が私を無口にさせてしまっていた。背を向け歩き出し、気になり振り返ると、こちらに向けてカメラを構えたそうにしておられた。先ほどの推察は間違いないだろう。1775高点に向けてアップダウンをこなして行く。青空が見え出し、理想的な陽気になってきた。しかし振り返っても自衛隊道路側はガスの中。今日はしょうがないのか・・・多分待っていれば晴れるのだろうが、そうなる頃には雪がどんどん腐ってゆく。足元の快適か、展望の快適か・・・。
1775高点は、幕営をしたくなるほどに居心地のいい場所であった。往路と復路で印象が違うのは、復路側だと東に広がる地形が目に入ってくるからだろうと思えた。この先で、MSRのスノーシューを背負った方が登ってきた。「ええっ、もう登ってきたの」と発する。辛そうな登り、私の軽快な下降風景が嫌味にも見えてしまったのかもと、ことばの裏を読んだ。黒滝山へは、気にしていないと尾根沿いに南進してしまう。気にしていたが伝ってしまい、修正するようにまたまた谷の中に入り、黒滝山北西の藪の中に入って行く。実際に何処を伝うのが正解なのか、前回を含めこの北西斜面は4度通過しているが導き出せていない。
黒滝山帰り。三角点を跨ぎ、南側に抜け出すと眼下の景色が広がっていた。これほどに見られたのは今回が初めて。昼寝でもしたいような陽気と景色に、僅かにザックを降ろす。数パーティーが到達して、賑やかな山頂を思っていたが、誰一人いない静かな山頂であった。尾根筋を目で追っても、カラフルなウエアーは見えてこなかった。今日のここは静山。
やや腐り始めた雪を踏みながら降りて行く。残雪期の春山らしい雰囲気があり気持ちがいい。急峻をグリセードしながら滑り降りて行くと、右下にテントが在った場所となる。さすがに撤去後で、トレースが尾根側に登ってきて下って行っていた。この先、前回間違えて北に進んでしまったピークがある。現在のそこには「百村山→」と書かれた絶縁テープが巻かれている。迷う人は多かったのだろう。私の場合は視界不良としておこう。ピーク毎の進路確認を怠っただけなのだが・・・。
1588高点、次ぎに1467高点を過ぎる。少し腐り気味だが、カンジキを履くまでもなし。下降しているトレースがかなり新しい。二人分なのでテン泊パーティーのようだが、かなりゆっくり行動しているよう。この付近になると、夏道も北側に出ていて、それを交えながら雪に伝って行く。1257高点から下は、ほとんど夏道を伝ってゆく。なにか残雪がなくなると名残惜しいような気になる春の山旅。先を行くトレースがかなり濃くなってきており、追いつくように思えた。先を見るも居ないのだが近い・・・。
巻川林道分岐点。百村山は端折ろうかと思ったが、この近さならと踏んでゆくことにした。新しいトレースが雪の上に刻まれていた。小さいのと大きな足跡。足跡から男女だと判る。となると間違いなくテン泊した男女となり、そう思うと彼らの行動が遅いようにも感じた。私が大佐飛山に行ってくる間に、これしか移動していないとは・・・。あっ、いや、そんなのは自由なのだが・・・。
百村山に上がると、その南側の雪の切れた場所で男女が寝そべっていた。その様子から、見てはいけないものを見たような気がし、自らそこから離れて行く。IAS氏は金精神社前でそんな様子を見たことがあるらしい。しかしここは子宝の神は祀っていない・・・。本当はそうじゃなかったのか。逆によく見ればよかったか・・・。男同士?でも困るが、男女だったので、まあ一歩引くのが大人の判断だろう。最後のピークでのんびりしようと思ったのに、予定が違ってしまいすぐさま自分のトレースに足を乗せてゆく。
下降点まで戻り、樹林帯を降りて行く。往路はヘッドランプでの行動。周囲が見渡せると、こんな場所だったのかと、少し迷った斜面を見渡し地形を把握した。下の方に我が車を含め3台在るのが伺える。本日出合った二人のハイカーのものであろう。最後のアルミハシゴは、上部の固定がラフで、10cmほどは横ズレする。それがために外れることはないが、動くのは事実。最後まで気を抜けない。降りながら思ったのだが、こうやってハシゴを置く事で、林道からその場所が明確に判る。もし、開削して作道してあったとしても、目立ち方はハシゴが有利。この方法は一利あると思えた。
林道に降り立ち大佐飛山の山旅を終える。まだ11時も前半。こんなに早くに降りてこれるとは思わなかった。もう一座ほど登ろうかと鴫内山の地図を広げたが、距離も歩いたことだし、このくらいがちょうどいいのかと帰路についた。
今回は2008年と比べ、あからさまに状況が違っていた。「適季」って部分を思うのだが、この山がこれほど楽に登れるとは予想外であった。日頃の行いがよかったか。まあ、ちょっと頑張ったのだが・・・。