柄山 1338.5m 物見山 1433m
2014.11.8(土)
晴れ 単独 鬼無里落合地区より時計回り 行動時間:5H17M
@柄山峠入口6:03→(70M)→A柄山峠7:13〜15→(14M)→B柄山7:29〜31→(8M)→C柄山峠再び7:39→(18M)→D1340m峰(駒休の頭)7:57→(6M)→E1330m峰(登山道を離れる)8:03→(20M)→F1335高点8:23→(15M)→G標高1300m付近(明瞭な道に乗る)8:38→(54M)→H物見山9:32〜42→(28M)→I物見山南尾根末端10:10→(44M)→J林道終点地10:54→(26M)→K入山口に戻る11:20
@橋の先左側に道標が立っている。 | 崩落地の高巻を越えた後の様子。 | 最初の丸太橋 | 落合沢の小滝。 |
馬頭観音 | 滑りやすい渡渉点。(転倒箇所) | 巡視路らしい橋。 | 平坦な地形が心地いい。二つ目の丸太橋。 |
3つ目。よく滑る。 | ここも苔生しており滑った。 | 右に見える石塔は、女性のお墓だった。 | 峠まで残り1km。 |
熊棚が残る。 | 尾根に乗り鉄塔脇を通過。 | 峠まで残り0.5km。 | A柄山峠到着。 |
A立派な木製の祠が現存する。 | A標柱も立つ。 | A柔和な表情。左が「風吹地蔵」。 | 峠から柄山へ登る。最初は植生が弱いが次第に・・・。 |
B柄山山頂。ササに覆われている。 | B三角点の場所のみ、このように拓かれていた。 | B三等点 | B柄山から後立山側。下界は雲海に覆われていた。 |
柄山から見る八方山(物見山)側。 | C柄山峠再び。 | 尾根筋には明瞭な登山道が切られていた。鉄塔下を潜る。 | D1340m峰が「駒休の頭」。 |
D標柱は熊にだいぶ齧られていた。 | 途中から物見山(手前)。 | E1330m峰の標柱。「柄山峠道」と書かれている。ここで登山道を離れる。 | Eこの巡視路道標もある。 |
1330m峰からの降り始め。最初はいいが、だんだんと煩くなる。ごく薄い道形が尾根西側にあり。 | F1335高点から物見山。 | F1335高点を北から見上げる。 | G標高1300m付近で、西から登ってきている明瞭な道形に乗る。 |
山腹をトラバースする道形。 | 郡界の峠のようになった場所には、古いリボンが残っていた。 | 峠の先も明瞭な道が続く。 | 物見山の西側を道は巻き込み北に進む。途中から見る八方山。 |
6月に取り付いた場所が良く見える。写真中央付近が取り付き点。横切るラインが林道。おそらくだが、伝っている道形を行くと林道に出るのだろう。 | 物見山の北側の道は、ほとんどで流れており足場が悪い。滑れば数十メートル滑落してしまう。 | トラバース道から見る物見山山頂側の様子。急峻地形。 | 驚いた事に、危険箇所にはタイガーロープが施されていた。管理された道。 |
こちらは長く張られていたであろう場所。ここも至極流れやすい。 |
道の調査は諦め、斜面に取り付いて山頂を目指す。かなり急峻。 | H物見山山頂。 | H物見山から八方山。あまり良く見えない。 |
H最高所の地面に、この紐が落ちていたので縛っておいた。 | H八方山とヤキソバパン。 | 6月、迷走の基点になった斜面が見える。八方沢源頭となる。 | 物見山の南尾根には刃物跡が多く見られた。 |
降りて行く尾根の様子。 | 下に行くほどにササが深くなる。急斜面に倒木も多く、登りに使う場合は辛い場所となろう。 | I物見山西側から落ちてくる沢に出合う。 | I沢の上流側のナメ滝。 |
八方沢本流との出合。下流から上流を撮影。 | 出合の場所には、目立つこの木がある。 | 標高1060m付近、駒休の頭側から降りてくる沢との出合付近に小屋跡があった。 | 八方沢の一部に、温泉成分が出ているような場所が見られた。 |
八方沢の滝。この付近は、無積雪時は通過に注意。 | 滝の高巻の道は流れやすく、掴まる場所も乏しい。 | J林道終点に乗った場所。6月の時は、迷い沢の中を降りて行った場所。 | 廃林道の様子。この時季、野草の種の付着が凄い。 |
崩落した橋。この上流にも大きく崩れた場所がある。 | メロンが仕掛けられた檻。 | こちらは柿が餌に。 | K入山口に戻る。駐車余地は、橋の先右側。 |
八方山の記録:2014.6.14
鬼無里と白馬との市郡界稜線にある2座を狙う。八方山が記憶に強く残り、現地の植生を思うとかなり構えなければならないが、そこは柄山峠の存在があり助けられる。稜線までは昔の峠道がある。その以北においてどれほどの藪になっているかが今回のキモ。八方沢も一度歩いており、下山路の選択肢の一つとして使えるのも有利条件を持つ。6月の復習の意味合いも含めて、間違いをこの目でしっかりと見ておきたかった。
1:20家を出る。18号を長野市へ向けて走ってゆく。最初に入ったセブンでは、ヤキソバパンがあったものの、レジに出したら賞味期限切れで売れないと言う。「別に賞味期限なんかいいから」と言うと、「売る側が罰せられてしまう」と拒んだ。やむなくあんドーナッツとコーヒーを手に店を出る。こうなるとほとんど神経衰弱となる。まあほとんど当てずっぽうとなるが、長野市内に入りセブンに立ち寄る。すると、入荷したてのかごの中にそれはあった。これで装備は完璧に整った。ヤキソバパンしか買わない客に、不思議そうに応対する店員・・・。
R406に乗り、善光寺から裾花ダムを渡り、戸隠を経て鬼無里に入る。土倉口で奥裾花方面に進路を選び、懐かしく忘れようがない根上のバス停前に到着する。6月のその時は“こんなところに降りてきてしまった”と強く思った場所であった。ここから落合集落への細い山道を行く。外気温は0℃を示していた。慎重に路面を選びながら、落ち葉の堆積した上を進んでゆく。この先、駐車余地は限られる。民家の手前か、八方沢側に入った上側となる。
最初の民家の手前の余地は確認、とりあえずと思って分岐箇所にある民家の前まで行くと、熊捕獲用の檻が置かれていた。餌はカキ。八方沢側へ入ると、こちらにも設置してあった。この檻のエサはメロン。甘いものが熊は好きなようだ。それにしてもこの設置のしようは、よほど出没している様子が伺える。まあ居て当然の場所であり、邪魔をしないよう遊ばせてもらおうと心する。じつはこの段階になってもまだ、柄山峠への入山口は、2番目の民家の分岐から続く道だと思っていた。それがあるので八方沢側の余地へ停めようとしたのだが、檻があることから下側の余地へ停める事とした。その途中、橋のたもとにある標柱を見て、アレッと思ってしまった。入山口は1軒目下側なのだった。“なんだここか・・・”と思ったのは言うまでもない。時計は4時を少し回っていた。夜明けまで仮眠とする。
夜が白みだし、周囲に居るであろう熊の存在を気にしつつ靴ひもを縛る。今日は18時に約束した小用があり、それまでに戻らねばならない制約もある。やや尻を叩かれつつの山旅となる。「柄山峠入口」と書かれた標識の場所から落合沢の左岸側を伝って行く。すぐに対岸へ行く橋が出てくるので迷ってしまう。橋の状態も良ければ道形の状態もいい。判らないまま左に見送り沢沿いを行く。するとお墓の先から急登がいきなり現れる。その先で急下降。これは崩落地に対する高巻の道であった。それにしても、今伝っている道で合っているのか・・・先ほどの分かれていた巡視路が気になっていた。
歩き出して10分ほどで丸太橋で右岸に移る。これは小滝を巻くルートのためだったよう。小さいがそれなりの容姿で楽しませてくれる滝は、八方沢にあるそれと似たような立地に思えた。ここを越えるとすぐ上に馬頭観音の石碑が立つ。さすがに馬に乗ってここの急登は登らないであろうから、手綱を引いて登り、手綱を引いて降りた、その乗り降りした場所がここであったのだろうと思えた。石碑には昭和15年建立と彫られている事から、これがそう昔のものではないことに驚いた。この石碑のわずか先で沢を跨ぐ。一つ跨ぎ、中州的場所からもう一つ跨ごうとした時に事故は起きた。
コケだらけで滑りやすいのが見て判っていたので、さらに慎重に足を運んでいた。それでも滑った。濡れたコケの乗った岩の上に臀部を強打し、動きが止まった。あまりにも痛く、すぐには動けなかった。濡れた感触を臀部に感じながら、一方で足は水没。前途多難とはこのことで、何たる不覚。注意の上の、さらに注意が必要だったと言うことになる。自然の中で、「大丈夫だろう」は通用せず、その結果は痛みとして体に擦り込まれた。しかし困った。痛くて歩行に力が入らない。何度か同じような転倒はあるが、ここまで痛いのは今回が初めてだった。でもこの状態で歩くしかない。このまま帰るほど寂しい事はないから・・・。
左岸に沿って進むと、どぶ漬け鍍金された橋を渡る。その先で二つの丸木橋を渡ってゆく。ここも至極滑りドキドキした。先ほどの転倒で、間違いなく体感バランスが悪くなっている。尻の筋肉がここまで重要とは・・・と思い知らされる。次に橋のない沢を跨ぐのだが、ここも苔生しており滑った。いつもなら何でもないような飛んでゆくような場所が、今日はここまで神経を使わねばならない。これが実力であり、少し退化しつつあるのかもとも思えた。
周囲に平坦地が見えてくる。集落跡か畑の跡と思える場所であった。そこにポツンと石塔があった。また馬頭観音かと思って近づくと、それは女性のお墓だった。道沿いのこのような場所に・・・。これにより付近は住居跡と推察した。尻を引きずるように歩く身としては、ここでの緩斜面はとても楽であった。周囲もよく見通せ、谷を挟んだ対岸の山も熊でも居ようものならハッキリと判るような場所であった。ここを過ぎしばし進んでゆくと、「柄山峠まで1000m」の表示が現れる。入山点からして初めての道標がここだった。すぐ先の木に熊棚も見え、右にカーブするように進むと尾根上の鉄塔の脇を通過してゆく道となった。ここから10分ほど進むと、二つ目の道標が現れる。標高からしてそう時間はかからないと思ってはいたが、それにしても早くに峠に着くようだ。全てはこの古の道のおかげ。
前方にシンメトリーにV字形が見えてくる。吸い寄せられるように進み柄山峠に到着する。木の祠の中で石仏が二体微笑んでいた。これは野平地区の人が設置したようであった。二体のうちの一体は風切地蔵と言うらしい。西風の通り道であり、ふさわしい名前に思えた。ここからは後立山がよく見える。日差しこそ入ってこないが、かなり居心地のいいパワースポット的な場所であった。祠に旅の無事をお願いして踵を返すように柄山へ取りつく。しかしここでの急登に臀部の力が入らず参った。下側は藪が薄かったが、上に行くに従いやや濃くなる。少し西に寄るとやや薄くなったが、気持ち程度でどこも同じ植生であった。ピンクのリボンが点々と続くのを見て、回収しない残念さを思ったり、いや待てよ、このあと道を拓くのかと思ったりした。
柄山到着。ササの山頂で、そこにポツンと三等点が埋まっていた。ビニール紐が結ばれているだけで道標はない。経路に続いていた派手なピンクのリボンがここにない事だけありがたかった。先ほどの峠同様に木々の間から周囲が見渡せた。特に白馬側には雲海が広がり美しい限りであった。それにしても、八方山に比べ全体的な植生が薄く感じていた。当然、物見山側はどうだろうと思うのだが、黒鼻山の密生も体験している身としては、この郡界尾根上はみな同じ様と思っていたが、そうでもないようであった。峠に戻ってゆく。少し広い尾根なので方角には注意したい。判っていつつも東に寄って行ってしまっていた。
再び柄山峠。祠の真上の木に熊棚がある。不敵と言うか、能天気と言うか・・・。尾根上に続く道形を北に進んでゆく。巡視路のようでしっかりと刈り払いがされており、すぐに鉄塔下を潜るような場所になる。その先1340m峰が駒休の頭となり、標柱が立っていた。ただし無残にも熊に齧られた痕が痛々しい。木々に間から八方山を背中に置いた物見山が見えている。どのくらいの藪なのか、今が快適すぎて予想すらできなかった。そして、標高1330m峰の場所で伝ってきた道形を離れる。ここには「柄山峠道」と書かれた標柱も立つ。ただし先ほど同様に齧られていた。
さあ藪ルートとなった。最初こそ低いササだが、次第に煩くなってくる。けもの道か杣道か、うっすらと伝える幅は見いだせた。黄色い杭も時折見える。1335高点の南の高みに上がると、そこには刃物痕が残り、周囲に間伐した様子が見られた。杣道が正解のよう。ここからは幾分歩き易くなる。ただし1335高点を越えた先で、郡界尾根が屈曲するあたりで深い笹薮に入る。深く重いササから逃げるには東側通過が適当であった。すると目の前に、予想外にも道が現れた。野平側の西側から上がってきて東側へ登ってゆく。登ると言っても山腹のトラバース道で、緩やかに登って進む道であった。伝わない手はなく載ってゆく。
トラバース道の先に物見山が見えている。赤い杭も時々見える。山頂から西側に派生する尾根の、峠となっている場所から上に向かうだろうと予想していたが、意外にもそこを突っ切って物見山の北側に進みだした。途中からこの道と分かれて物見山山頂を目指した方がいいように思えたが、ここまで来たらどこに繋がっているのかが知りたくなった。道の途中からは6月に伝った林道が見え、八方山へ取りついた場所もハッキリと遠望できていた。
道形は緩やかに高度を上げていたが、山の北側になると反対に下げだした。急峻地形に切られた道は、何ヶ所が寸断され伝いにくい危険が伴う場所となっていた。気を付けながら進んでゆくと、タイガーロープが目に入ってきた。切れたものだったが、管理された道と言うことになる。山頂に行くでもない不思議な道であった。さらに先でもう一本敷設されていた。と言ってもここも切れ切れで、ロープは木に纏めてあった。距離にして20mくらいあるか、道形が流れた中を、靴のエッジを立てながら斜め下に下ってゆく。ここを過ぎると小さなナメ沢が黒光りしている。その先に弧を描くように左カーブしながら道形は進んで行っていた。ほぼ理解した。この道は林道に向かってゆくようだ。黒光りを越えるのが危険が伴いそうなので、ここから道形を離れて山頂を目指すことにした。
急峻も急峻、尻に力が入らないのでなんとも苦痛であった。ほとんど腕力で登る感じ。ここも滑れば50m、いやもっと落ちてしまい怪我では済まされないような斜面であり気を抜けなかった。時折ある張り出した木の根でインターバルをとりながら這い上がってゆく。もう少し早く、北ではなく西側から登ってしまった方が傾斜が緩かったよう。シカが警戒音を出して北側に駆けてゆく。クロモジが散見できるが、そこに熊の歯痕は見られなかった。
物見山到着。樹林の山頂で今一つ展望がよくない。見えると思っていた八方山は、木々が少し邪魔をしていて岩壁が見えなかった。最高所でふと下を見ると、ブルーの紐が落ちていた、先人の落し物のよう。いや、縛ってあったのだろうから縛りなおしておいた。人工物はこれだけだった。休憩適地があまりなく、最高点から15mほど南にズレて休憩とした。ここからだと最高点より八方山がよく見えた。後立山側は相変わらずの展望。雲海は垂れ込めたままだった。ヤキソバパンを白湯で流し込みつつ下山路を探る。一度八方沢を歩いている自信もあり、ここから南尾根を下って沢に降りてゆくことにした。たぶん、二回目に来ることはないこの山頂、しっかりと周囲展望を記憶した。
南尾根を下りだし、オヤッと思った。刃物痕が続いていたからである。八方沢経由のルートを拓いたのか・・・そう思いつつ伝って行く。びっしりと覆われたササの尾根に刃物痕が続く。時折マーキングも点在しており、1350m付近に二本のマーキングされた場所があり、ここを最後に刃物痕と供に尾根上から消えた。おそらくは東側に逸れたのだろうと思えた。そこからの尾根は倒木や絡まるような植生があり、流石に辟易として途中で東側の谷にズレて高度を下げて行った。
尾根の末端付近になると、1335高点側から降りてくるナメ滝が目に入る。小さいながら見栄えのする滝であった。ここからは沢の左岸を伝って行く。けもの道だろう跡があり、流れやすい地形を足場を確かめつつ進んで行った。そして八方沢本流と言える右俣との出合となる。ここの周囲は広く居心地のいい場所であった。前回はその右俣の方から降りてきたわけで、ここから下流域は2度目の通過となる。しかし2度目と言いながら、今回新たに発見したのが、駒休の頭からの谷の出合の場所にあった小屋跡だった。完全に崩壊しているが、3畳ほどの小屋があったように見て取れた。その右岸側の地形は広く、林道がここまで上がっていたのでは・・・とも思ったが、先に進むとそれはあり得ないとはっきりと判る。小屋のところから5分ほど歩くと大崩落があり、そこを越えると道形は消滅し水際を進む。進みつつさらに発見したのが、温泉成分が出ているような場所があったこと。暖かい湯が出ているのかと手を突っ込んだが、さして温かくなかった。そしてこの先、滝の高巻の場所がある。ここは足場が流れやすく注意が必要な場所。本来は観瀑といきたい場所だが、危険度からしてそそくさと通過したい場所でもあった。
高巻の道の先は九十九折で高度を下げてゆく。川面まで降りると下流側に針葉樹が見えてくる。ここで前回は迷い川沿いを流れを縫うように進み難儀した場所。どこが正解なのかと思ったら、そのまま右岸を行くと、その針葉樹の先がもう林道終点の場所であった。ススキが茂り分けつつ伝って行く。種が付着する野草が多く、これには閉口した。堰堤が左下に見えるが、あの場所もどこが正解なのかとルートを探しながら伝った場所。標高差15mほどあろうか、林道は上に在ったのだった。そして大きく崩落している場所が出てきて進路が寸断されるが、ここはしっかりと踏み跡ができており、トラバースするように危険個所を巻いて行けた。ここを最後に危険個所はもう皆無。いたちごっこになっている野草の種との格闘をしつつ、林道を降りてゆく。
熊のケージが見えてきた。餌はメロン3個だった。熟れ過ぎてかなり甘いだろうと思えた。その先のケージにはカキが15個ほど入れられていた。熊がかかっている予想をして降りてきたが、そう簡単には捕まらないようだった。上の住宅前の畑には白菜がたくさん育っていた。それらもあるので熊に限らずイノシシなども捕獲の対象なのだろう。車に到着し山旅を終える。里山を存分に楽しんだ形となり大満足。
すぐに着替えるものの、臀部が痛くて車のシートに座るのも苦痛。ましてやミッション車であり、苦痛を堪えながらの帰路となった。オートマ車の楽さを痛感すると言うか・・・。もう少し後になると、滑りやすい箇所は凍ることになろう。雪でも降ればまた別だが、氷点下であった場合、渡渉箇所は要注意となろう。
振り返る。物見山を巻く道形を全部踏査したわけではないが、90パーセントの確立で林道に降り立てるだろう。こうなると、白馬側の野平地区を基点にした周回コースも出来そう。里山であり、道が多いのは当然。逆にそのいろんな道に迷い易いのも里山。その迷った場合にエスケープルートが在る事を知っている事は強みとなるだろう。