中吾妻山 1930.6m (最高点は数mさらに高い) 継森 1910.2m
2014.9.27(土)
快晴 単独 浄土平から谷地平に入り中吾妻山→継森と進む 行動時間:11H34M
@浄土平4:59→(51M)→A姥ヶ原分岐5:50→(55M)→B谷地平避難小屋6:45→(4M)→C谷地平分岐6:49〜53→(11M)→D大倉川渡渉7:04→(130M)→E中吾妻山9:14〜22→(66M)→F1933高点西10:28→(87M)→G継森11:55〜12:02→(121M)→H大倉川渡渉帰り14:03→(8M)→I谷地平分岐帰り14:21→(4M)→J谷地平避難小屋14:25〜29→(71M)→K姥ヶ原15:40→(53M)→L浄土平16:33
@浄土平の舗装駐車場側からスタート | 朝露を纏った紅葉の中を登って行く。 | 木道はツルツルで危険。 | 鎌池分岐 |
滑るは滑るは、すり足で通過して行く。 | この日の来光。 | A姥ヶ原分岐。 | 姥神に旅の無事をお願いして・・・。 |
水溜りや泥濘地形が続く。 | 姥沢渡渉点 | B谷地平避難小屋 | 再び姥沢を渡渉。 |
C谷地平分岐道標 | C写真正面の高みの場所から西に薄い道形が入っている。 | 途中にある石碑 | 道形の様子。笹がそこだけ窪んでいる。 |
大倉川を前にして急下降したら、下流に少しズレるとササの中に掘れた下降路がある。 | D大倉川渡渉。右岸側では涸れ沢のような場所を登ると道形が出てくる。西南西に進む感じ。 | 1470m付近。この赤ペンキが下側で続く。間隔は広い。 | 1560m付近西南西に進んでいた場所が、急に変化する場所。 |
1600m付近。ここもそうだが、さらに上でも水が得られる。流れのある小さい沢を3つほど跨ぐ。 | 1620m付近。この付近は道形が明瞭。 | 大岩が出だすと、ルートファインディングが難しくなってゆく。 | 鞍部手前、縞枯れの立木が見える。付近は東側が伝いやすい。 |
E中吾妻山の三角点の場所。 | E磐梯山か? | E三等三角点。 | E三角点の1m北側にリボンが縛ってある。 |
E三角点の場所から7mほど北東にこのマーキング。最高所は、北東に20mほどの場所と思われる。 | 中吾妻山から見る北側。 | 中吾妻山から見る谷地平。 | 途中の1870m峰山頂。 |
1870m峰の北側は急峻。山腹を巻いたほうが楽。 | コメツガやササやシラビソや・・・。 | F1933高点西側の草地。 | F湿地記号どおり。 |
1933峰から北に下りながら見る継森。 | 湿地通過。中央突破をしようと思ったが、水深が深く東を巻く。 | 湿地の北側は、付近は黄色が強く明るく心地いい。 | 継森直下。太いハイマツがびっしりと生え入って行く隙間がなくて困った。 |
場所によっては匍匐前進する。 | G継森山頂。ハイマツの上に出ないと展望が無い。 | G継森から谷地平。 | G僅かに顔を出す三等点。 |
南東に下り山頂を振り返る。 |
1900m付近から歩いてきた南側。 | 1900m付近はオヤマリンドウが花盛り。 | 1800m付近。ハイマツとコメツガとの深い藪から少し開放され楽になる。 |
1680m付近。胎内潜りのような岩が在る。 | 1660m付近。周囲に溝が出てきて、次第に流れが見えてくる。溝は無数にある。 | 1570m付近。苔生しており滑る。 | 1500m台の場所で、見事な天然スギが林立している。その大きさに驚くものばかり。 |
大倉川右岸の笹薮。ここも顔が出るくらいで深い。 | H大倉川渡渉。 | H大倉川上流側。心地いい景色。 | H大倉川から東に戻る道形入口。入口にピンクのリボンがされている。 |
途中にある石碑。 | I谷地平分岐に戻る。 | 姥沢を渡り・・・。 | J谷地平避難小屋で藪装備を解除。 |
J小屋内部。明るく使い勝手のいい作り。ラーメンや米や、デポ品も多かった。 | K姥ヶ原に戻る。 | 帰路は鎌沼の畔を歩いてゆく。 | 心地いい散策路。 |
吾妻小富士はガスの中。 | この天気に、多くのハイカーが入山していた。 | 明るさがないが、見事な紅葉。 | 一切経山側の様子。 |
けっこうに噴気が上がっていた。 | L浄土平に戻る。 |
2007年9月29日の記録
2007年9月29日、谷地平らから狙ったものの、直前の鞍部までで敗退した。廃道状態の現地と、その鞍部の倒木の多さに、そこで気力が途絶えてしまった。周回してきた疲れもあったものの、目の前のニンジンに噛り付けなかった。以降ずっと気になっていた。
この日に至るまでに、次に狙うなら中津川渓谷からの吾妻山神社への道が使えると思っていたが、一方で再試験なら真っ向勝負と同じルートでのチャレンジが潔いと思えた。少し天秤にかけるようなことをしていたのだが、ここ2週狙った場所を踏めていない負い目もあった。今週こそは踏まないと我ながら不甲斐なさすぎる。
前夜20時に家を出る。高速に乗る前にセブンに寄るもヤキソバパンが手に入らなかった。東北道を行き、安達太良SAで土日割引のための時間調整をして、日が変わった頃合いで二本松インターを降りる。この後もセブンに寄ったが、ここでも手に入らなかった。“今日もダメなのか”そんな暗い気持ちにもなった。
野地温泉経由で磐梯吾妻スカイラインに入ってゆく。またまた駐車場は有料に戻されたよう。2007年もそうだった。現地に着くと、さすがに深夜で徴収していなかった。支払いは帰り・・・。広い駐車場には10台ほどがお互いに干渉しあわないよう点々と停まっている。外気温は4℃。それに対し半ズボンとサンダル履きの私は、完全に服装が合っていない。適当に車を停めて急いで着込みシュラフにくるまる。何時に出ようか・・・。余裕を持たせるには暗いうちから歩かないと・・・。
やはり公的駐車場は騒々しい。次々と到着する車の開け閉め音に頻繁に刺激される。4時半、夜が白みだし準備に入る。どれほどの藪があの先にあるのか、先だっての大勘場で鍵裂かれたズボンの穴に指を突っ込んで、縫ってくるのを忘れた・・・なんて思うのだった。経路、このエリアで雨が降ったのを路面が濡れていることで知った。濡れ鼠かも・・・そんな予想もできた。そしてこの気温、凍っている場所もあるのでは・・・。
4:59浄土平をヘッドライトで出発する。未舗装の駐車場にも6台置かれていた。暗い中で登山道入り口を探すのが難しいのがここ。登山道に入ると7年前の記憶が甦る。そうそうこんな登山道と7年前を思い出し懐かしい。そして樹林帯に入ると、周辺は見事な紅葉。ここまで彩がいいとは思わなかった。天候不順で色づきが悪いと思っていた今年、気温差がいい発色にしているようであった。それらを愛でながら登ってゆく。
嫌に滑る。木の階段、木道、悉くスリップしてバランスを崩しストックで助けられる。雨のせいか・・・温度計を見ると0℃に近くなっている。凍っているよ
うにも見えないが、凍りそうな状況なのだろう。グリップしないソールをだましだまし前に出してゆく。ここは少し日が上がってからの入山のほうがいいようだ。もしくは一切経側に進むとか・・・。その一切経の噴気が白く高く昇っている。相変わらずの音も伴いちょっと不気味。
鎌沼への分岐の先で来光を迎え、振り返り頭を下げる。“今日も無事に歩けますように”。姥ヶ原もツルツルとなっていた。覚悟していても滑る場所に、ちと閉口状態。アイゼンでも履きたい心境であった。こうなると木道もよし悪しである。そして姥ヶ原の分岐の先、姥神様とお地蔵様に挨拶をして通過してゆく。2007年、暗くなってここを通過した時に、この姥神様が怖かった記憶があるが、今日は明るく直視ができる(笑)。
さあ谷地平までの下り。相変わらず足場がよくなく、上部では水たまりも多く泥濘な場所が連続する。姥沢の流れの音がし出すと、中盤を過ぎた頃、そこに前から女性が単独で登ってきた。時間的にも谷地平避難小屋で泊まってきたのだろう。挨拶をしても寡黙な方であった。単独ならこのくらいでないといけないのかもしれない。登ってゆくしっかりとした後姿を見上げ、負けていられないと思うのだった。少し気合を入れ直し足早に降りてゆく。向かう先には中吾妻山から続く主稜が見えている。またあの標高まで登らないとならない。それを思うと谷地平までの下りは、なんとも辛いアルバイトとなる。
渡渉点を渡り、対岸を進むと懐かしい三角屋根が見えてきた。往路は中を覗かず素通り、その先の渡渉点も危なげなく渡る。ただしここは、女性はコンパスが狭いと苦労する場所に見える。朝露を纏った登山道を進むと、第一目標点の谷地平の分岐道標に到着する。靴ひもを縛り直し雨具を着込み藪に備える。蔦類も多かったので、今日は山刀も腰にぶら下げた。
谷地平分岐道標から北に15mほど登ると、登り切った場所から西側に道形が入っている。これは知っていないと見いだせない場所。ササに覆われた道を行くと、少し切り拓かれたような場所も見える道形で続き、その途中に目立つ石碑などもある。ここを過ぎると、くねくねとうねるような道形となり、藪勘がないと真っ当に伝うのは困難。以前に一往復している私でも、外してしまっていた。あまり南に寄りすぎず、北に行きすぎず。胸くらいのササの中にある道形をよくよく見定めながら進みたい。ここは地図には直線的に書かれているが、かなりくねくねと作道されている(いた:過去形)。そして高い位置から急降下するような道となり、このあたりで先の方に大倉川の流れが出てくる。背丈以上のササが繁茂した中をそれらに掴まりながら降りてゆき、本当の直前で道形が消える。ここはわずか3m南にズレると、急下降する道が西に降りている。なかなか難しい場所なのだった。
さあ大倉川に降りた。7年前と同じほどの水量で、容易ではないがなんとか石伝いで渡れる水量であった。降り立った場所から15mほど下流に行って渡ってゆく。右岸に行ったら、急峻な沢状の場所を登ってゆくと、そこが道形の場所で、先に延びている。7年前はどなたかが刈り払った跡が見られたが、以後それらはされていないようで自然な感じで元に戻りつつあった。当時から残るピンクのリボンだが、風雨や降雪により引きちぎられたのか、間引きされまばらに残る程度で、追って登ってゆくには心もとないマーキングであった。
懐かしい道形。当時も探りながら登り、半信半疑で登っていた。この日もそうで、“これで合っていた。あれっ無くなった”そんなことの繰り返しだった。
時折、シラビソに赤ペンキでマーキングがしてあるのを見ると、ちょっとホッとしたりした。道が無いならこんな心境にならないのだが、在るものが見えてこないと不安になるのが常。マーキングは上下に二重線でされている。それが1560m付近からこれまでの登り方と一変し、南西へトラバースした道がちょっとづつ進路を北に戻しつつ、再び南西に向いて行く。よく考えれば、九十九折りの道が切られていたと言えるのだが、折り返しの場所が消えているので、繋げてゆくのが結構難しいのだった。
トラバースする(感じに進む)場所はかなり長く続く。途中から大岩の間を縫うような道になると、途端にルートファインディングが怪しくなる。広い視野で明るい場所を探して登るも、正解なのか不正解なのか、マーキングも無くなり判らなくなる。笹薮を漕いでやや南にズレると道形を見る。この辺りから再び道形がハッキリするが、伝えたのは10分ほどで、また有耶無耶になった。前回はやや北寄りに登り、そこにマーキングが在ったと記憶しているが、今回は往時より道形に長く乗っている。その結果はやや南に居るようだ。目指す中吾妻山は見えているが、もうじきであろう中吾妻山手前の鞍部までがまだ遠い。膝を入れて漕いでゆくのだが、時計はもう渡渉してから1.5時間ほど経過している。やはり楽ではない場所。心機一転で挑んでいる割には進度が上がっていなかった。
前回は鞍部にある古い標識を拝んだが、やはりやや南側にズレてしまったよう。その分、中吾妻山に近づくからいいのだが、経路のウエイポイントはちゃんと見たかったりする。南へ進んでゆくと、意外に鞍部の東側は倒木が少なかった。そして植生の薄い場所もあり、そこに大型動物が通った跡があり利用せてもらう。それでも藪は藪で漕がずには進めず、掴みながら這い上がる場所も多かった。狭い尾根筋は、やや東寄りを伝う。ここからは吾妻連峰一円、そして眼下に谷地平らが赤く綺麗に見えていた。まるで箱庭のよう。もうすぐだと思っているのだが、ここからが長かった。
最高点は手前に在るようなのだが、ここまで来たら三角点は拝んでおきたい。藪を分けて進むと、経路で見たピンクのマーキングが2.5mほどの高さに縛ってあり、その先に胸くらいの低い位置にもう一本縛ってあった。ここか、と思ってササを分けると、地面に三等点が埋まっていた。念願の中吾妻山登頂。磐梯山なのか、雲海の上に顔を出しているのが見える。あとはあまり展望の良くない場所で、少し北に戻って樹林空間のある場所で小休止とした。相応の疲労感。ここまでだったら7年前のあの時に狙わずよかった。今日で鞍部から40分ほどだが、当時なら1時間ほどはかかっただろう。突っ込んでいれば真っ暗になって谷地平に戻らねばならなく、当時の判断は正しかったとも言える。
三角点ポイントで高度計の標高を校正する。そして私が思う最高点に戻ると、10mほど差異を示した。そこまではないと思うが、この中吾妻山の三角点標高と最高所標高は間違いなく異なっていることは判った。次は継森を目指す。その手前に一つピークがあり、そこを超えて行かねばならない。間違いない強い藪があることはここまでで判っているので気持ちが萎えるが、ここまで来て行かずに帰るのは勿体ない。2007年当時は継森は考えなかったが、今回は間違いない抱き合わせとした。痩せ尾根までは往路を伝い、途中から西側に降りてゆく。強い藪ではあるが、下りなのでまだ楽、そして倒木が強いと思った付近は、意外やそうでもない。となるとこの鞍部の中央部のみが酷いのか・・・。時折オアシス的な植生の薄い場所を繋げながら北に向かってゆく。
昔に見た峠道標も見る事無く、鞍部からの登り勾配になると、また強い藪となり隙間を探りながら左右に振って進む。最後は面倒臭くなり重戦車のように真っ直ぐ突っ込むのだが、ストックを先に入れては分ける作業が続いた。途中の1870mピークは顕著な高みで、北側はやや急峻になっていた。こちらから北を見ると、次の1933高点のあるピークは、東面が植生が無いように見えている。そちらに進めば少しは楽なのだろうが、進んでゆく状況の中で、なんとなく西寄りに進んでしまうのがここ。明るい方明るい方と進んでゆくと、自ずと西寄りになり、オアシスのように藪のない禿げた場所もある。なにか大型動物が座っていたような、そんな雰囲気のある場所もあり、ブッシュが寝ていたりする。そこでは緊張しつつ周囲を見渡してしまった。
1933高点を右にして山腹をトラバースしてゆく格好。最高点を右にして西側を見ると小さな湿地がある。地形図どおりで、その小ささをしっかり明記している事に驚いた。先に進み、ここに来てやっと継森が姿を現す。その後ろには福島・山形県境のある弥兵衛平の稜線がクッキリと見えている。まだ遠い。今日はどのくらいまで近づいたら射程圏内と思うのか、1933の高みに居ても射程圏内と思えない藪の濃さ。紅葉でも黄色が周囲を埋め尽くすので明るい通過点となっていた。それらに顔を叩かれ、頭の保護用のバンダナは何度となく盗られる。ヘルメットが欲しいほどでもあった。
植生の密集が解け、進む先が開ける。地形図の湿地の場所であった。かなり水量があり、湿地中央の突破は無理だった。少し戻って東側を巻いてゆく。再び濃い植生の中に入ってゆく。もうかれこれ何時間漕いでいるだろうか。時計を見ると、結構に進んでいる。余裕があるように計画したのだが、あまり余裕が持てなくなっているような、少し追い込まれたような気分にもなった。人間は小さく、自然にはかなわない。藪の中に埋もれていると、それを強く思うのだった。
継森は、西から巻き上げるような進路になってしまった。歩きやすいところを選びズレていたら自然とそのようになってしまった。頂上を目の前にして、勾配の強いササ斜面、ここを攀じ登ってもうわずかと思ったら、その上が立派なハイマツが林立しており、進むに進めない場所となった。上に乗り上げるにも、足を1mほどあげないといけないような場所で、潜ったり、枝に乗り上げたりしながら綱渡りさながらの様子で進むしかなかった。太く強固で、弱み全くない植生で、対峙しながらも頼もしい限りでもあった。
継森到着。ハイマツが茂るので、普通に立つと展望がない、その上に乗り上げると何とか周囲が見えてくる。ここも三角点があるのですぐに捜索に入る。先に測量用の木が見つかり、その周辺だと思い探すと、地面から10mmほど顔を出した三等点が見つかった。ここでヤキソバパンが欲しいところだが、今日は入手できずに残念。冬季は多いだろうが、無積雪期にここを踏んでいる人は数えるほどだろう。体力と気力、天気の後押しがないと厳しい。雨だったら、木々がまとわりついて進度が落ちるだろうし、天気が良すぎて暑かったら、それはそれでへばってしまうだろう。地図を見て下山路を探る。植生によっては戻る選択肢もあったが、もう12時、重力に任せて下に降りてゆくルートを選択したい。東側の谷地形に入り谷地平らを狙うように降りてゆくことにした。
南東側に下り出す。下りだからいいが、登りたくないような密藪が続く。ハイマツ、コメツガ、ナナカマド、ササ、進路をブロックするようにそれらがあり真っ直ぐに進めず、1mか2mほど進んだら左右に振って薄い場所を探すような歩み方であった。そんな中、山頂から標高差10mほど降りた場所に、オヤマリンドウの群落があり、品のある清楚な出迎えをしてくれた。どんどん降りてゆくが、相も変わらずの植生が続く。こちらから登らなくてよかった・・・とも思いたい。まあ最初に継森に登る計画なら、ここを登ったわけであるが、目の当たりにしつつ考えてしまいそうな植生であった。
1800m付近まで降りると、やっと少し空間ができるようになり負荷が減る。コンパスを見ながら、あまり東に寄りすぎないように南東に進むべく努める。覆いかぶさるササや樹木でほとんど視界がない中ではコンパスが頼り。あまり東に寄ってしまうと、渡渉点から離れてしまい、地形図に見られる崖地形も下に待っている。上層から注意が必要であった。
高度を下げてゆくと、往路の地形とほぼ同じようなのだが、同高度に同じようなものが現れる。大岩が現れだし、ここではそれらで形成された穴を踏み抜かぬよう注意が必要であった。一度踏み抜き、大きなショックを身体に与える。僅かな事だが、疲労度が一気に高まってしまう。途中、胎内潜りのような場所もあり楽しませてくれる場所も在った。
1700m以下では、無数に斜面に小谷(沢形状)が走っており、南東に進む中ではいくつも跨ぐことになった。そこに1600m台で流れが伴うようになる。下流に行くごとに、それらが合わさりだんだんと太くなっている。ここでは、滑りやすさと危険度が増し、小谷の左岸右岸は切り立ったところも多くなる。少し登り返して小尾根を伝ったり、その小谷(沢)の中を進んだりしつつ高度を下げてゆく。
流れ沿いが進みづらくなり、気持ち東寄りに強く振ってみる。ササの強い植生があったが、わずかの我慢で天然杉のオンパレードとなった。その見事な太い赤い幹に魅了される。あっちにもこっちにも、ここまでに凄いのはあまり見ない。ここは下草も少なく歩きやすく、大木を縫うようにして降りて行った。屋久島や立山、そんな場所の杉の大木を髣髴させてくれた。標高は1500m台。
下の方に太い流れの音がし出してくる。どうやら大倉川のよう。どこに降り立つのかと思ったら、往路に取りついた場所から上流350mくらいの場所に出てきた。眼下にはササの海があり、そこを泳がないと流れの場所へは行けない。ダイブするように入水、いや入葉(造語)する。深い。獣でも入らないようで足元に空間がない密な植生だった。身長全てが没し泳ぐと言うよりは潜水状態。浅い場所はないかと左右に振りながら進むと、突然、切り拓いた跡のような場所に出て、それが真っ直ぐ大倉川の方へ向いていた。伝ってゆくと切り拓きは川の直前の土手のような場所で停まっていた。ここから踏み跡は川に沿うように上流に向かっていた。これらは獣の跡のよう。適当にその踏み跡から離れて川面に降りる。戻ってきた。ここまで来れば、あとは登山道を伝うのみ。実際はもう少し藪漕ぎはあるが・・・。
大倉川の畔はとても心地いい場所であった。天気も良く風もなく、流れも急いでいないでゆったりとしているように見える。谷地平の避難小屋に泊まるならば、ここまで足を延ばすことをお勧めしたい。少し休憩したら渡渉して左岸側の藪に突っ込んでゆく。道形の在り処より、少し高巻きをしてしまったが、先の方でその道型に乗る。ここは本当に判りづらくなってきている。東に進み、石碑の所まで戻ればもう登山道である木道が目と鼻の先に見えてくる。
登山道に戻り、姥沢を渡渉して谷地平避難小屋の中に入る。二人分のザックが、無造作に中身を散乱させた状態で置かれていた。散策に行っているのか、はたまた密漁か。ここは漁が禁止されている場所。ってことは魚が居るのだろうと思えた。雨具とスパッツを外すと、拘束具が外れたようでかなり楽になった。実は、道中何度も靴ひもを縛りなおした。スパッツがマジックテープで留める仕様のものを利用したら、強い藪ではすぐに離れてしまい靴ひもが木々に引っかかり解けてしまった。道具は道具、場所に合わせねばならなかった。ただ、現地に行かないと判らないこともあり・・・。
姥ヶ原までの登り返し。最初は右側よりの沢の音を聞きながら行く。途中、3名のパーティーがゆっくりと降りてきた。だいぶお年を召している方で、余裕すら感じる3名だった。間違いなく小屋泊まり。「既に2名入ってますよ」と伝えると、「ありがとうございます」と、その少なさにホッとしているように感じた。沢の音が聞こえなくなり、泥濘地形を歩いている途中、携帯電話にメールの入信音が聞こえた。携帯が繋がるエリアに入ったんだ。そう思い取り出して画面をタッチするが、動かない。片手操作しつつ登ってゆき、姥神様の場所まで上がる。そして今日の無事を感謝し一礼。
木道に乗ってからは、鎌沼経由で帰ることにした。ここで携帯が動作しだした。まずヤフーのニュースを見ると、驚いたことに御嶽山の噴火をトップで伝えていた。次に入信があったLINEを見ると、心配する内容であった。こうなると、ここも活火山であり噴気も上がる場所があり、御嶽と離れてはいるがかなり気になった。せっかくの景色なのだが、少し足早に通過してゆく。沼の畔では、まだ散策している方の姿があった。外気温は10℃。みな防寒具を纏っている中、一人Tシャツで歩いている状況、宇宙人でも見ているかのような視線もあった。
木道が終わり分岐点まで戻り往路に合流。ここから下は何せ紅葉が凄い。夕日が差す中、その日の当たった場所は素晴らしく映えている。まだ日中だが彩りは暗い。日の高い時間だったら、周囲全体が綺麗だったろうと思えた。向かう先に浄土平らがあり、さらに先に吾妻小富士が見えている。小さく蟻のように動くハイカーや観光客の姿も見える。素晴らしい天気の秋の日に、さすがの人出と思えた。
階段の切られた急峻地形を降りきると一切経側からの道が合流する。左を見ると、相変わらず噴気が高く上がっている。そこにいた御仁に、「今日は御嶽が噴火したらしいですよ」と伝えると、「あの噴気もいつもより多いんだよね」なんて恐ろしいことを返してきた。またまた足早になる。
駐車場に戻ると、体調を崩したのか地元山岳会らしき方が女性を介抱している姿があった。自己責任と言うものの、何かあれば他人のお世話にならないと事が済まないのも登山。ビジターセンターの前では宇宙人に対し、一般観光客からさらに冷たい目が向けられ、それをひしひしと感じていた(笑)。帰り支度をし出すと、ザックのあちこちからハイマツの枯葉が出てくる。ベストのポケットからはそれはもう大量に・・・。その一部始終を観光客に目撃され、さらにさらに冷たい視線を受ける。
車に乗り、駐車料金を支払いにブースの場所まで移動するも、17時少し前にして、もう係員は居なかった。結局支払わずに済んでしまったのだが、どんな時間帯で徴収しているのか・・・。前回も同じ。何というか、大きな声では言えないが、ここで支払ったことがない・・・。
振り返る。無駄のないコース取りができたとは思う。それには、2回目のチャレンジだからだったろう。谷地平分岐点からの進路で、1回目は姥沢を伝ってしまい進めなくなった経験もある。そのあと道形を偶然見つけたのだが、その道型も在処を判って進まないと結構面倒な場所。そして大倉川右岸の廃道の場所も、初めてだとだいぶ判り辛いのではないかと思う。その助けになるのがこの記録かと思うが、不明瞭点も多いので、記録は当てにせず自分の足で判断する方がいいだろう。余裕を持つなら、中吾妻山まで経路5時間とするのが適当かと思う。
吾妻神社への道も気になるが、また別の機会に、別の目的で入ってみようと思う。