赤岳   2416m        

   2016.8.11(木)〜12(金)


 1日目:   晴れ    単独   新穂高より千丈沢乗越を経て、中山沢にて赤岳往復   行動時間:12H45M

 2日目:   晴れ                      中山沢出合より新穂高に戻る  行動時間8H31M


@新穂高4:04〜20→(96M)→A白出沢5:56→(109M)→B槍平7:45〜47→(133M)→C千丈沢乗越10:12〜19→(123M)→D中山沢出合12:32〜49→(102M)→E中山沢のコル14:31〜38→(40M)→F赤岳15:18〜22→(14M)→G中山沢のコル帰り15:36〜41→(68M)→H中山沢出合テン場16:49

H中山沢出合テン場5:24→(76M)→I六ノ沢出合6:40→(158M)→J千丈沢乗越9:18〜21→(76M)→K槍平10:37〜51 →(93M)→L白出沢12:24→(91M)→M新穂高13:55



muryou.jpg senta-.jpg  shiradesawa.jpg  takidani.jpg
@無料駐車場からスタート。左俣有料Pは満車。鍋平も満車。右俣有料は時間前で入れず。付近路上駐車が増えていた。 @登山指導センターでトイレを借りてゆく。朝のこの時間で5名ほど並んでいた。 A白出沢は昨年度に砂防堰堤工事が終え、橋での通過ではなくなっていた。もっとも、この時は流れなし。 滝谷通過。
yaridaira.jpg  haika-to.jpg  bunnki.jpg  sennjyouzawanoxtukoshi.jpg 
B槍平で小休止 飛騨沢を北進から東進に変わった辺りから。 千丈沢乗越への分岐点 C千丈沢乗越
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C千丈沢乗越から見下ろす六ノ沢と硫黄尾根。 2570m付近から見る槍側。 2460m付近の雷鳥。この辺りには2家族見られた。 2440m付近は花畑。
2300.jpg  yonnnosawadeai.jpg  yonnnosawa.jpg  2020karakitakama.jpg 
2300m付近。この六ノ沢は流れがほとんどないが、2190m付近でピンポイントで流れが出ていた。帰路寄ろうと思ったが、判らないほどピンポイント。 四ノ沢との出合 四ノ沢側の様子。 2020m付近から見る北鎌尾根。
ninosawadeai.jpg  nakayamazawa.jpg  touboku.jpg  1940.jpg 
ニノ沢出合。中山沢と出合付近の様子が似ている。 D中山沢出合。テントを張ってから赤岳に向かう。 左岸側にある大きな倒木。ここは右岸側を通過したほうが楽。 1940m付近
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1940mから見る赤岳。 2010m付近から見る赤岳岩峰群。 中山沢も涸れ沢であったが、2100m付近で僅かに流れが出ていた。 2100m付近から上側。
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2120m付近。大きなチョックストーンがある。左岸側を進む。 2190m付近。動く石が増えてくる。 2280m付近。乗った大岩がそのまま流れ出す物もあった。 中山沢のコル直下。
nakayamazawanokoru.jpg korukaraminami.jpg  korukaranakayamazawa.jpg  korukaraakadake.jpg 
E中山沢のコル。北側より南側を見ている。 E中山沢のコルから赤岳岳人峰(南)側。 E中山沢のコルから中山沢 E中山沢のコルから赤岳。2416高点は一番右の高み。
nishigawashinnguru.jpg ha-kennojyoutai.jpg  zairunojyoutai.jpg  nishigawakaramiru2416.jpg 
コルから尾根伝いに北に上がると、シングルのロープが垂れている。半信半疑で握りながら登る。 支点のハーケンはしっかり食いついている。 しかしザイルは・・・解れ出しており、危険な状態になってきていた。 西側の高みから見る2416高点。こちらからの岩稜は、崩れ穴があいているような場所を、谷側に足を置かねばならなかったりし、なにせ脆い。東に進んだ場所にある支点を使って振り子気味に東に進んでみたが、ここもグズグズで一度振り出しに戻る。
2416saido.jpg  garekara.jpg  chimuni.jpg  bando.jpg 
25分ほど西で悪戦苦闘し、今度は直接2416峰に取り付くルートとした。 中央のチムニーへと向かって行く。 ここも上からシングルロープが垂れてきていた。ロープに輪が作ってあるのは、この場所で2.5mほど攀じる場所がある為。 バンドの場所で、ロープのもう一方がこのようになっていた。ここまであまり使わないようテンションをかけないよう登って来たが、少し強めに引いたら大岩に挟まっていたのがスルリと抜けた。末端処理も何も無く岩に挟まっていただけのようだった。
shiten.jpg  saigo.jpg  akadakekaranishi1.jpg  akadakekaragakujinhou.jpg 
山頂下の支点。クラックが目立つが、まだしっかり効いていた。 山頂までの最後のクラックのリッジ。崩れそうにも見えるが、動くものは無かった。 F赤岳最高所から西。山頂は狭く半畳ほどしかないような感じ。 F赤岳から赤岳岳人峰側。
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F赤岳から硫黄岳 F赤岳から下山側と、下に中山沢。 F赤岳から槍。 F赤岳から鷲羽岳
akadakekaranishi.jpg  akadakekaraiouzawa.jpg yakisobapan.jpg bandouekara.jpg
F赤岳から脆い西側岩峰。ソロの場合は西側からのアプローチは難しい。 F赤岳から硫黄谷側。 F赤岳でヤキソバパンが撮影された最初であろう。 バンドを降りて行く。往路ザイルが抜けてしまったので途中で縛っておいた。そのため、下側の輪の位置が400mmほど上がってしまった。ともあれ、残置ザイルは半信半疑、話半分として利用したほうが無難。
korunotenba.jpg  kuromame.jpg  iouzawagawa.jpg  2390.jpg 
G中山沢のコルに戻る。写真中央に平地があり、テン場であろう。 Gコルにはクロマメが沢山実っていた。 G天気は良かったが、硫黄沢からの吹上げの風は強かった。 G降りて行く中山沢。2390m付近。
2210karashita.jpg  tentotodeai.jpg  gohoubi.jpg  iwanonaka.jpg 
2210m付近 Hテント場と、左隅に見えるのが千丈沢との出合。 H登頂のご褒美。千丈沢でキンキンに冷しておいた。 H大岩の中の僅かな砂地だが、見るからにゴツゴツした場所。
rizoxtuto.jpg  bakueichikara.jpg   bakueiato.jpg  nakasu.jpg 
H夕飯はトマトのリゾット。食べられればなんでもいい(笑)。 H幕営地から見る北鎌尾根 H2日目スタート。幕営地跡。来た時よりも美しく。 中山沢出合のすぐ上流の中洲的場所。
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天狗沢と北鎌尾根 間違えて入ってしまった、北鎌側の四ノ沢。  五ノ沢 四ノ沢と六ノ沢出合に設置された「いろり」猛者パーティーのテント。
rokunosawairiguchi.jpg  2170.jpg   2280kaeri.jpg  2330.jpg 
I六ノ沢出合にはリボンがされていた。往路は気がつかなかった。  2170m付近 2280m付近 2330m付近 
hina.jpg  mosugu.jpg   senjyousawanoxtukoshikaeri.jpg  torikabuto.jpg 
2420m付近の雷鳥のひな もうすぐ乗越。 J千丈沢乗越の帰り。ハイカーで賑やか。 槍平はトリカブトが見事。
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K槍平のテン場。あまり咲いていない。 L白出沢帰り  M新穂高無料駐車場に戻る。  






 2016年8月11日、この日は第一回の「山の日」。どこも混み合うだろうと予想したが、それより何より記憶に残る日にしたいと思い、ここで硫黄尾根の赤岳を狙ってみる事にした。2013年5月4日は、赤岳岩峰群の最高点(岳人峰)を踏んだものの、納得には2416高点の登頂も必要であった。


 我が力量で最後の岩壁が伝えるのかは、現地へ行かないと判らない。それを自分に判らせる為にも基部となる中山沢のコルへと行かねばならない。トライ2回目となる今度は、南川ルートで伝ってみる事とする。岩装備とアイゼンと、幕営装備をザックに詰める。南川さん同様に1日目に中山沢出合まで入り、2日目にアタック、その状況がどうなるか判らないので、一応予備日も考慮し3日での行動を考えた。


 前夜22:18家を出る。駐車場所が乏しいだろうと予想し、軽四で向かって行く。いつも寄る旧丸子町のコンビニでヤキソバパンにふられたが、松本を越えて波田町のセブンで運よくゲットした。これで自助努力で出来る全ての装備は整った。あとは夕立とガスが気になるところだが、こればかりは運でしかない。ガスが巻いて高度感が軽減されることは望ましいとも思うが、折角の場所であり今回は周囲を見渡したいと思っていた。


 平湯を経て、経路3.5時間で新穂高に到着する。まずは深山荘の無料駐車場を偵察。予想どうり満車で警備員が深山荘利用者以外の車をはじき返していた。警備員は「鍋平の駐車場へ行ってくれ」と言う。20分ほどのアルバイトとなるのか、まあ繁忙期でありしょうがない。でも、いちおう全ては確認しておこうと、左俣の有料に行ってみる。見事に満車。右俣の有料は時間にならないと開門しない。ここもダメ。最後に鍋平に行くが、こちらも埋まっており、付近に路上駐車しているほどであった。路上駐車はリスクが大きいのでもう一度無料駐車場に向かい、丸秘テクニックで中に入ることが出来た。確かに満車状態、でも想定したとおり最上段の鎌田川側に余地があり停める事が出来た。しばし仮眠。


 もう少し寝たかったが、トイレに行きたくなりそれにより行動開始する。4:04スタートし登山指導センター横のトイレに行くが、行ってビックリ5名も並んでいた。脱ぎ着に時間がかかる登山用タイツの弊害か、男が用をたすのにそんなに長くかかるとは思えない。でも並んでいる。便座が二つしかないからなのだが、朝の出発前の利用は余裕を持たないと危ない。予定外にもここで15分ほど使ってしまった。駐車場の簡易トイレを使ったほうが無駄が無かったようにも思えた。センター前には出発前の登山者が屯っていた。夜明けまではあと30分ほど、ヘッドライトを頼りに歩き出す。


 右俣の有料Pゲート前には、10台ほどの車が並んでいた。開くまで待って利用するのも確かに一手。停める所が無くやむなくって事だろうが、行動予定が大きく変わってしまうだろうと思えた。単独行者のヘッドライトに追われながら、“こっちは重荷なのだから早く抜かしてって”と思いながら進んでゆく。穂高平ではご夫妻らしきパーティーが仲良くおにぎりを食べている風景があった。白出沢まで1時間ほどで歩いた昔もあったが、今はもうそんな元気は無い。歳相応で歩かないと・・・。


 その白出沢の砂防工事は前年度に終えたようで、堰堤下の涸れた沢底を歩いて対岸に渡る。早出のパーティーをいくつか追い抜き、そしてトレイルランナーに追い抜かれつつ奥へと進んで行く。チビ谷付近からは、降りてきたパーティーとすれ違うようになった。最近のブームと言うか、安全対策励行なのだろう、ほとんどの方がヘルメットを持っている。槍へ行くのに敢えて買って挑む人もいるのだろう。ピカピカのヘルメットからそんな事を思った。


 白出沢は涸れていたが、滝谷は水量豊富で、上流側に見事な瀑布が見えていた。藤木レリーフを今日は岩屋の先達として崇め、レリーフがお地蔵さんであるかのようにお参りして行く。日が入らない涼しいうちにこの辺りまで進めたが、既に笠ヶ岳側は暑そうに照っていた。途中から階段が見え出すが、それがもうすぐ槍平との自分なりの合図となっていた。


 槍平のデッキでしばし休憩。ここまでゆっくりと歩みワンピッチ。次の休憩地は千丈沢乗越。ここから先はもう陽射しに焼かれながらの歩行で隠れられない。覚悟して進んで行く。以前この付近で、大量のブユに悩まされたことがあった。この日はほとんど被害が無かった。大喰岳の西尾根を巻き込み北に出ると飛騨沢のカールが広がる。目指す千丈沢乗越もまだ高い位置に見えていた。そこを歩くパーティーの姿も確認できる。付近に見えるベニバナイチゴを二つほど頂きビタミン補給。


 分岐を千丈沢乗越へと向かって行く。奥丸山分岐からの急登を喘ぎながら登り、時計を見ながら、予定していた10時に到達できなかった事を少し悔いる。12分オーバーして千丈沢乗越到着。先着休憩している2パーティー7名がおり、彼らの山談義を聞きながらしばし休憩。そして予定を再考する。これで行くと、2時間ほどで中山沢出合に行けるだろうから、本日中に赤岳を狙う事も考える。天気が持ちそうなことと、翌日は不確定なここと、この日に狙ってしまった方が翌日が楽であり2日の行動で切り上げられると判断した。常に状況をみて臨機応変に動く。


 休憩を終えて千丈沢乗越から六ノ沢へと降りて行く。降りはじめは薄い九十九折の踏み跡が残っている。軽快に降りていたら、縦走路の女性が大声で、「何処に行くんですか?」とこちらに向かって叫んだ。縦走路には人が多く、乗越には先ほどのパーティーも居る。女性はルートを逸れてしまったのだろうと言う好意で声をかけてくれたのは判るが、向かう先とか、昔はここにルートが在ったことを大声で話すとかするよりは、突っぱねられたほうがいいと判断した。だいたい肺が弱いので大声を出さない事にしている。女性に向かい「え〜?」と、聞こえないとも思えるようなニュートラルな返事をして、指先で下側を指して二度と顔を向けなかった。好意はありがたいと思いつつ、目的達成の為に余計な邪魔はされたくなく・・・。あとは、それほどに六ノ沢での行動は目立つって事だろう。西鎌から北鎌から槍から、各方面から見える場所であった。


 ガレた、ザレた中を高度を落として行く。2490m付近には古いエアリアマップが落ちていた。さらに下の方に行くと、赤いザックカバーなども見られた。2460m付近で今季初雷鳥を見る。ここには4羽の親子が居り、もう少し下がった場所には、今年生まれただろう雛を連れた5羽の親子が居た。2440m付近は花畑で、目を和ませてくれていた。


 降りて行く先に、赤く硫黄尾根が見え、そこに赤岳が見えると思ったのだが、本峰の形はそこには無かった。やや沢の北鎌寄りを進んで行くと、涸れ沢だった六ノ沢で唯一、2190m付近で流れが出ていた。水を得るには十分量流れていたが、出てすぐに短距離で地中に消えてしまっていた。まあここで汲まずとも四ノ沢出合まで我慢すればいいのですが・・・。やや大ぶりな石を踏みつけながら降りて行く。ここは紫色の石が多い。それがとても綺麗であった。


 六ノ沢と四ノ沢の出合となり、ここで千丈沢に入った形となった。少し伝い2020m付近から振り返ると、槍ヶ岳より小槍の方が恰好よく見えるのだった。北鎌も鋸歯のように細かく鋭い歯を並べている。全てが訪れて良かったと思わせる自然美であった。適当に歩き易い所を選び進んでゆく中で、2010m付近には野営した燃え火跡が見られた。各沢の出合があるが、進路右側からの、北鎌側の沢の出合が広く目立っていた。反対に硫黄尾根側の沢は入り口が狭いところが多く、三ノ沢などは判らずに通過してしまったほどであった。


 ニノ沢はなんちゃって中山沢で、その源頭辺りに尖った高みが見え、それが赤岳のようにも見えてしまうので誤解しがちであった。それでも目指す中山沢はもうすぐ、ニノ沢が見えてからの左岸側に緩斜面が広がりだすので地形図と現地が照らし合わせやすかった。中州的地形となり、その先で沢が狭まり水量が自ずと増す。左岸側を少し巻くようにして進むと、ショートカットした形で中山沢に入ることが出来た。出合の場所を確認しておきたかったが、千丈沢に対し鋭角に入り込んでおり、その場所も見下ろせる事から出合の現地は端折った。


 1879高点の少し下流側。さて急いで幕営地を探すのだが、整った場所はなさそうで、なかでも良さそうな砂地が在り、わりと石がなさそうな場所を見つけ設営。ザックの中をアタック装備のみにして残り全てはテントの中に放り込む。あと、忘れてはいけないが、千丈沢に缶ビールを浸けた。これは登頂完結するまで飲まないと決めて持ってきたもの。もしこの日に登頂できれば美酒と成り得るものであり、冷さない手は無い。秋田の太平山の登山口では一度缶ビールを流してしまった事があり、しっかり重石を乗せ対策をした。


 12:49赤岳に向けて中山沢の幕営地をスタートする。もうほとんど判っているが、残雪に乗ることは無い模様。しっかりアイゼンを持ってきたが、ただのお守りの役目になっていた。今年が特に雪が少ないのもあろうけど・・・。緩やかな勾配の中を、ゴロゴロとした石に乗りながら登って行く。5分ほどでシラビソだろう大木が横になっている場所がある。ここは中州のような高みの場所で左岸東岸が判れ、右岸を通過した方が楽であった。


 1940m付近で、進む真正面に尖った剣峰が見えてくる。目指す赤岳で間違いないよう。やっと目的地が姿を現した。ゴーロの中をストックでバランスをとりながら進む。ここはピッケルよりストックがいい。涸れた中を進んで行くと2100m付近でこの谷で唯一の流れが出ている場所があった。汲むには細いが、喉を潤すには十分量出ていた。この辺りからゴーロの岩の大きさが一回り大きくなる。当然だが、上に行くほどに石や岩の角が立っている。


 2120m付近には大きなチョックストーンがあり進路を塞いでいた。でも左岸側が通路のように通れる幅があり通過して行く。ここを過ぎると、なんとか地獄とでも言い表せるほどに周囲地形が荒々しい。見える岩のほとんどが鋭利で、足許に在るものは動くものもある。乗った大岩が動いた時にはどうしようかと思ったが、抜重を意識して足を前に出していた。


 2270m付近は左岸がザレなので、右岸側の岩登り的な方を登って行く。一見恐ろしそうだが、歩き易い場所であった。コル直下はザレ斜面で、ここも右岸側の植生が在る側に逃げてゆく。そこには古いシュリンゲやカラビナなどが落ちていた。冬季通過者の落し物であろう。コルのすぐ下が草地の棚のようになっており西風を防ぐにはちょうどいい幕営地に見えた。


 中山沢のコル到着。最低鞍部の僅か南にひと張り分のテン場適地が見える。その南側を見上げると、荒々しい赤岳岳人峰側の岩壁がある。無積雪期にしても一人で抜けるには酷な表情をしていた。コルに乗った途端、硫黄沢からの強い吹き上げの風を感じるようになった。ハーネスを付け、岩装備にして北に向かって行く。北に続く先にはシングルのザイルが流してあった。ザイルがルートを導いていると思え、そこを登る。


 緩いザレ斜面、ザイルを片手に踏ん張りながら行くのだが、気をつけている中でも落石がどんどん発生していた。それほどに緩い斜面。ザイルは20mほどか、支点まで上がり見ると、カラビナとの接点はかなり疲労し全径に対し半分くらい千切れていた。補助的に存在するが、体は預けないほうがいいだろう。一方ハーケンはしっかり入っていた。この支点から上も至極緩く、四つんばいで上がって行く。その目の先、西側を見ると、岩が抜け落ちて尾根に穴が開いている場所も在り、一帯はこんな地形なのかとゾクっとした。


 西側の高みから東側に向かうのだが、なんともややこしい。こちらも最初のギャップで岩が抜け落ち、その穴から奈落の底が見えていた。通過にはそこで谷側にハングしている岩に足を乗せねばならなく、動き出したら反射的に前に飛ぶ覚悟をしつつ通過する。結局動かなかったが、なにか命が足らないような通過点であった。東の壁には支点が作られていた。最初岩尾根上を通過しようと試みたが、確保が無いと危なすぎで、支点まで戻ってそこにザイルをかけて南側を巻こうと試みる。しかしここも足を出すごとに落石が発生し心臓に悪く、一度ギャップまで登り返す。西側峰まで戻って、流してあるザイルの末端付近まで戻り振り出しに戻る。


 “この山は無理なのかも、ここまでか”と思ってしまった。でもそれでは残念すぎる。困難にぶち当たった時、それをより乗り越えたくなる。2416高点側をよく見ると、こちらにもシングルのザイルが垂れており、それを目で追うと、何となくルートが出来上がった。ザレ斜面を東に移動しチムニーの下に行く。そこから直上して行くのだが、最初に2.5mほど登攀箇所がある。優しく通過するならアブミを欲しいところだが、流してあるザイルには輪が作ってあり、腕力で上がりチムニー地形に腕を突っ張るよう体を使いながらクリアーする。先ほどのザイルの状態をみているので、全て身体を預けることは出来ない。指先で摘むくらいの意識で掴みつつ登る。


 山頂のすぐ下には長さ3mほどのバンドがあり、そこまで上がると、ザイルは支点からダブルで出ている事が判った。では見えなかったもう一端はどうなっているのかと思い、体重を預けるようにして引いてみた。すると、バンド下の大岩が大音響とともに落下しなにも末端処理していない一端が現れた。これには西峰に続いてまたまたゾクッとした。信用していたら途中でとんでもない事になっていた可能性があった。バンドが終わった場所に支点のハーケンが打ち込んである。がしかしクラックが幾重にも走っている壁で見た目には脆そうに見えた。実際はしっかり入っている。さてここから最後の登り、北側は触ったら落ちるのではないかと思えるほど剥離した状態の岩であった。慎重に確かめるようにして登って行く。帰りもここを通過せねばならなく、帰りの足の置き場も確認しつつ。最後は剱の小窓ノ王の最後に似ていた。


 赤岳山頂。とうとう踏んだ。険しさも加味して感無量の登頂となった。山頂は狭く半畳ほどしかない。小槍の上ではアルペン踊りが出来たが、ここは飛び跳ねたらおそらくどこかが崩れるだろうと思えた。まず先ほどの西峰側を見る。まあ頑張っても独りでは通過できなかっただろうことが判る。その先にゆったりとした鷲羽岳が見え、そこから下に目を移すと、硫黄沢へ落ち込む尾根の白さが美しかった。90度反転すると、赤岳岳人峰が大きくある。こちらを体験し、より脆そうに見えていた。槍ヶ岳からの北鎌尾根が美しく、鱗のようにも見える山肌を堪能させてもらった。伝って来た中山沢を見下ろすと高度感抜群であった。赤岳の最高所にはハーケンも無ければ、シュリンゲをかける適当な場所も無かった。下山を前に、楽しみに持ち上げてきたヤキソバパンを掲げる。赤岳でヤキソバパンが撮影されるのは、間違いなくこれが初めてであろう。


 クラックの入った岩場を慎重に降り、バンドの場所でザイルをどのようにしておこうかと考えた。通常使用は硫黄尾根の縦走であり、最初に見るのは硫黄岳から進んできてこちら側。簡易的に共縛りをしておいた。通過者のほとんどは自前のザイルを使うだろうし、もし残置ザイルを使う場合も、現物を見て考えるだろう。下から登るのにも、テンションをかけても大丈夫だとは思うが、命は預けないほうがいい。そのザイルをまたまた摘むように持ち、スルスルと降りて行く。下に行き、上で縛ったおかげで輪を作った位置が上がってしまったことが判った。ここは利用者がまた別の輪を作れば済むだろうと判断しそのまま。少し高くなった輪にザイルを入れて肩がらみで使ってみたが、問題なく下に着地できた。ザレ斜面をコルに戻る。


 中山沢のコル帰り。相変わらず硫黄沢からの吹き上げの風が強い。ただ、往路と違い心地いい風にも感じられた。無事登頂できたからであった。再びここに来る事は無いだろうと、周囲の景色を目に焼き付ける。往路では気が焦っていたので気がつかなかったが、コルにはクロマメが沢山実っており、大粒の良品でビタミン補給させてもらった。天気も崩れる様子は無く夕立も無い模様。天気も味方してくれたようだった。これも藤木レリーフを拝んできたせいかもしれない。岩装備を解除し、あとは幕営地まで下ればビールが待っている。


 硫黄沢からの風に煽られるように中山沢を降りて行く。動く岩と動かないものの見分けなど出来ないので、動いても瞬時に飛べるように意識しながら足を出してゆく。ここはストックの石突きにゴムを付けた方がグリップよくバランスを取ることができていた。二本持込み左右で違う仕様にしてみたが、ゴム付きの方が安心感があった。2210m付近からコルを振り返る。名残惜しさからなのだが、もし次に来た時は、崩落が進み大きく地形が変わっているのだろうとも思えた。


 狭い沢なので、ほぼ往路同様のコース取りをして、より歩き易い所を伝って降りて行く。大天井岳が、先ほど見た鷲羽岳のように羽根を広げた姿に見えている。その手前では、北鎌尾根が千天出合に向け急下降している。北アの深部に居る感じが強くしていた。倒木の場所まで意外と長く、見えたらすぐ先が幕営地で、自然の中に人工的な黄色いテントが目立っていた。もう17時に近い時間。もう少し陽が高ければ、千丈沢で水浴びでもしようと思っていたが、夕餉にしないと日が落ちてしまう。


 テント到着後すぐに独り祝勝会の準備に入る。刺さないがアブのような羽虫がかなり付着する。刺さないのだからいくらたかられても放置。でもほっておくと凄い数になった。ドライフーズのリゾットを作り、蒸らし時間に冷しておいたビールを取りに千丈沢に降りる。申し分ない冷たさで、事前の用意が効果を成していた。プルタブを起こし1/3ほどを一気に煽る。飲めたことでまた、登頂できた感慨が沸いてくる。日が落ちるくらいまで外で過ごし、テント内ではスコッチウヰスキーをちびちびと煽る。飲んでは寝て、寝て起きては飲んで・・・。時折外に顔を出して満点の星空を楽しんだりした。沢の音がして獣の足音が聞こえないのが難点であったが、その音が終始涼やかに過ごさしてくれた。


 2日目。帰る行程だけなので気持ち的にもかなり楽であった。周囲が白みだしたあたりで蕎麦を茹でて朝食とし、食べながら再び山中沢を見上げる。今日もいい天気でアタック日として適当。でも1回で十分(笑)。この幕営地付近は平らな石が多く、それがベンチのように利用できて北鎌側を見るのにちょうどよかった。湿ったテントをパッキングして中山沢出合の幕営地を出立する。


 歯磨きをしながらニノ沢出合付近を遡上して行くと、ひょっこりとヘルメットを被った方が現れた。さらにもう一人。会話を交わすと「いろり」の村民で、私の事を知っているらしかった。業界(どんな業界?)では有名人との事なのだが、自覚は一切無い。もっとコソコソ目立たないように行動せねばならない(笑)。御仁らは、これから硫黄岳を目指すようでSK氏のルートを追うようだ。幕営地は六ノ沢と四ノ沢の出合で、本当は中山沢まで入りたかったよう。でも同じルートを戻るなら、御仁らの幕営地もありだと思えた。3分ほどの立ち話ののち背を向ける。歯磨きが途中だったので再開しつつ歩いてゆく。


 北鎌が焼ければ素晴らしく綺麗に見えると思えたが、千丈沢からではモルゲンロートでは見えない。その北鎌側の四ノ沢があるが、本流より太く見えて間違えて入ってしまう。涸れているのでおかしいと思ったが、2050m付近まで登って違うと感じ戻る。再び流れのある中を伝って行くと、砂地に足跡が見え、やはりこちらで間違いなしと確認する。四ノ沢で間違う人は私だけではないのではないだろうか・・・。


 六ノ沢の出合にモスグリーンの二人用のテントが見えた。間違いなくいろりの猛者のものだろう。岩陰に六本分の吸殻とティーバックが置かれていた。“ちゃんと持ち帰りますように”と祈るのであった(笑)。往路には気がつかなかったが、六ノ沢の出合にはピンクのリボンが縛られていた。やがて7時、乗越まで何時間かかるのか・・・。歩かなければ着かないし、歩けば必ず到達する。


 ガラ場の中を登って行く。往路に雷鳥が居た場所には、復路も同じように二つの家族が姿を見せてくれた。チングルマは朝露を既につけていなかった。湿気が少なかったと言う事もあるし、既に陽が高いって事でもある。そして往路に見た水場を気にして登っていたものの、全く見えなかった。2500m付近からは、西寄りに歩き易い地形を登って行く。西鎌の稜線を通過する人の姿も確認できるようになり、一般道に近づく嬉しさと、そこでの煩わしさを思ったりした。渋滞であろうから・・・。


 千丈沢乗越到着。これから槍に向かう10名ほどのパーティーが休憩していた。みなヘルメットを被っているので、孫槍などをやるのかと見えてしまっていた。一応この先は一般道、汗で臭うようになったシャツを着替えてから降りて行く。飛騨沢では降りてくる大ザックのパーティーが3隊見えていた。その一つと分岐で出合う。高校山岳部らしく一団で、「足元注意です」と先頭の女の子が発すると、伝言ゲームのように後へと繋いでいく様子が清々しかった。


 分岐から降りて行くと、そこにも100リッター以上のザックを背負った7名ほどのパーティーが居た。こちらも高校生らしい表情であった。出発時のワクワク感とは違うひと皮剥けたような安堵感が読み取れる。長期山行計画の最終日って事だろうと思えた。奥丸山の山容が近くなり、トリカブトのブルーが綺麗な姿で見えてくると、風に小屋の臭いが漂ってきていた。槍平のテン場は、思ったより張られておらず、3分咲きな感じであった。冷たい水で喉を潤しデッキで小休止とする。道の駅があるなら山小屋は山の駅、行き交うハイカーが各々休憩している風景があった。


 滝谷をまたまた瀑布を見ながら渡り、チビ谷では進路が判らなくなり下流側に進んでしまっている人も見られた。涸沢岳西尾根の踏み跡は、年々濃くなっているように見える。蒲田富士を狙った12年前の様子とは、濃さがかなり違ってきていた。白出沢を渡り、左岸の引き水された水場で力水。そして最後の林道歩き。少し曇り空になってきて日差しが遮られる時間も長くなってきていた。


 穂高平下の飯場は、以前はここも水が引かれていたが、今は作業員限定になってしまっているようで、関係者以外立入禁止になっていた。新穂高のロープウェー駅に戻ると、なにか5℃くらい温度が増したように暑く感じた。おそらく賑わいからの体感温度だろう。涼しい場所から降りてきた、到着したばかりの観光客が気だるそうに歩いていた。


 無料駐車場に向かって行くと、路上駐車のフロントガラスに駐禁キップが悉く貼られていた。駐車場に到着し、その足で鍋平と中尾の様子も見たが、皆貼られていた。槍平で話した御仁は「鍋平に路上駐車してきたよ」と言っていた。残念ながら貼られただろう。楽しい山行の後にキップを見るのは、山の思い出が半分飛んで行ってしまいそうである。


 さて振り返る。なにせ最後の岩壁の攻略がキモ。写真の赤線で示したルートを辿れば、コルから10分ほどで登頂できるだろう。ここでは、西側のシングルロープは無視でいいだろう。足許はグリップのいいソールで行きたい。麓側はかなり流れる斜面だった。いずれにせよ、少し岩登りの心得がないと、ちょっと困った時に、大きく困る事になるだろう。ザイルは、今回は20mを持ち適宜使いました。山頂下支点からダブルで垂らすとなると80mほど必要になるように思えた。となると残置ザイルを当てにしたいが・・・微妙。クライミングシューズでも履けば、また違ったコース取りが出来るのだろう。

 
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 赤岳登攀ルート。青い線は最初に25分費やした経路。青線が途切れているギャップ付近からがややこしい。ギャップの右(東)岩壁に支点あり。赤い線が進路を変えた登攀ルート。写真のように、コルから見ると左(西)の方が高く見えるので最初に左に登ってしまった。

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