苗敷山 1010m
2016.1.16(土)
晴れ 単独 穂見神社より(登り迷走) 行動時間:2H36M
@穂見神社参道入口9:54→(8M)→A林道を離れ取り付く10:02→(26M)→B藪に難苦し南の治山現場にズレる10:28→(17M)→C林道に乗る10:45→(1M)→Dごはんきょう10:46→(4M)→E石の鳥居10:50→(39M)→F穂見神社奥宮11:29→(5M)→G苗敷山11:34→(3M)→H奥宮11:37〜43→(22M)→I石の鳥居帰り12:07→(3M)→J里宮への下降点12:10→(13M)→Kゲート12:23→(4M)→L穂見神社12:27〜29→(1M)→M参道入口12:30
@車で麓に入ったが、よく判らず一度参道入口まで戻る。ここに3台分の余地あり。 | A一度この場所まで車を入れたが、降ろした場所。再びここに行き着いてしまい、右のフェンスを開けて尾根に取り付く。 | 尾根に入りすぐの場所にある祠。この上側は、少し踏み跡が続くが、流れが出てきたあたりで、笹の激薮となる。 | B工事の音がしていたので、南にズレると、谷に沿って治山工事がされていた。 |
B治山工事上部。工事用道路が左岸に分かれるところで、右岸側の道を登る。 | 途中から作業道を判れて西に尾根を選ぶ。 | C林道に乗る。 | Dごはんぎょう分岐 |
Dその場所がはっきりと判る表示がされている。 | やや不明瞭な分岐 | 分岐の足許に小さくこの表示がある。ここに来て初めて奥宮の文字を見る。 | E石の鳥居。良くぞここまで持ち上げたと思える大きな造り。 |
途中から見る山頂側 | 立派な案内看板が出てくる。 | 十九丁目 | 二十三丁目 |
水場は、辛うじて湿り気がある程度。利用できる状態に無かった。 | 途中の展望地から富士山。 | 山門跡から。付近はアスナロが林立。 | 隋龍門跡から。右側に高野マキの大木がある。 |
F穂見神社奥宮 | 山頂部を東西に分断している林道を跨ぐ。 | G苗敷山山頂。山頂部は広く、ピンポイントでの最高所は特定できない。自己判断。 | G最高所だろう場所から、歩いてきた南側。 |
H奥宮を拝観してゆく。 | H甘利山への道路(ダート林道)からアプローチしたら、この角度で到着する。 | H趣のある石仏 | 展望所帰り |
I鳥居帰り | J里宮への下降点。ごはんぎょう |
しゃれこうべの置かれた道標の場所。 | 道形は深く掘れ、参道として昔からよく歩かれている様子が伺える。 |
Kフェンス。 | Kフェンスを麓側から見る。しっかり表示があるが、ここまでの経路が・・・。 | この民家の間を入って行くとKのフェンスの場所に行く。この分岐に何も案内が無く、往路は写真左に進んでしまい迷走した。 | L穂見神社里宮を拝観。 |
L里宮本殿 | M駐車の様子 | M案内図があるのだが・・・。フェンスへの分岐に道標が欲しい。 |
この日4座目は、簡単に甘利山公園線からのダート林道を使おうと思っていた。以前に旭山を登った時に通れた為、同じように行動すれば苗敷山も容易に踏めると思っていた。しかし・・・。
現地入りすると、甘利山へのルートはゲートが閉じていた。“そりゃそうだ、この時季なら・・・”と自分の思考の甘さを思い知る。さてどうする。退くのか登るのか、この後は温泉が控えており、気になる食堂も予定している。でも予定していて残すのは性分として「無い」(笑)。
確か奥宮への参道があったはずであり、その記憶を呼び起こす。そしてここはスマホの出番。ルートを把握するためにいくつか見るが、ハッキリとルートが判らない。山梨全山を終え頼みであるSK氏も、見ると公園線からアプローチしている。さて困った。こうなると残るは地形図を頼るのみ。穂見神社を左に置いて舗装路を伝って行く。水神の場所を過ぎると南に進み、しばしで東に戻るような道になった。その東で屈曲する場所から山手側にダート林道が上がっており、そこを入ってゆく。軽トラが適当な道で、この先にあるカーブはさすがに曲がれなかった。このカーブの場所に余地があったので、停めて上に続く林道を歩きだす。しかしすぐに下りになった。解せないので一度車に戻る。“今日は止めておこうか”後ろ向きな思いも出てくる。
一度穂見神社まで戻り参道入り口にある参道の書かれた地図を見る。今居る竹之内区からも、先ほど居た久保区からも、さらには湯舟区からもアプローチできるように書いてある。ただし略図的で詳細には判らない。地形図を照らし合わせると久保区からの道が消えているだけで、他2地区の道は書かれている。と現地で地形図をよく見ればよかったのだが、参道なのでそれを示す道標くらいあるだろうと思っていた。車はこの地図の前に置き歩き出す。
水神を過ぎ、住宅前を通過し、結局先ほどと同じ場所に来た。ルートがあるなら尾根だろうと、ダート林道右に見えるフェンスの扉を開閉して中に入る。薄い踏み跡を辿ると、立派な台座を擁す祠が現れた。これは間違いないと、その先に続く踏み跡を追う。しかしこの踏み跡は沢の中に入り、判らなくなってしまった。ササの植生がだんだん濃くなり、進路を探すのにもがく様になる。この藪漕ぎ行動は予定しておらず、大きく困った。でもここまで来たらと本気で分けて進んで行く。でもその気持ちを押さえつけるほどに密藪になった。これではいつになったら上に行けるか判らない。ルートがある場所があるのに、ここで苦労をしているのも違うような・・・そう思い一度下る。
植生の薄い場所を選びながら、やや南側に進んで行く。違う場所を選べば道形に当たるのではないかと思ったから。そして案の定、廃林道に乗るのだが、完全に廃林道で上部は密藪となっていた。作道した当初はいいが、今が自然の姿なのだろう。さらに南に下ってゆく。するとここで、工事の音が聞こえてきた。それも聞いたことのない高い音で、近づいてゆくと見える谷の上部からワイヤーに吊るされた赤色の滑車が荷物を吊るして降りてきていた。特異な音はそこからだった。ここは湯舟地区の太い水線の書かれた谷で間違いなく、人の気配が登頂への後押しになってくれるようにも思えた。
谷の麓側には大々的な工事現場が見え人の動きもあった。谷には太いワイヤーが通され、その下を作業道が通っていた。そそくさと谷の中に入り、作業員に気づかれないように作業道を登って行く。と言っても、この日はオレンジ色のフリースを着ており、山ではハンターのベストの次に目立つのではないかと言う格好をしていた(笑)。良く踏まれた道を登って行くと、途中で左岸側に行く道と右岸側を行く道とに分かれる。すぐ上には重機が動いており治山作業の現場があるようであった。その現場に行くのが左岸側の道のようで、そこを避けるように右岸側の道を伝う。
上に進むと水平動のようになり谷の上流部へと続いていた。しかしその道も途中で消滅。少し戻って、顕著な尾根に乗り西に突き上げてゆく。上に行けば地形図に見える実線路に乗るはず、真西に進んでいるわけであり直角に出くわすはずと登って行くと、少し平坦になった先で林道の道形に乗った。現地入りしてから既に1時間が経過している。きちんと参道を伝えたら山頂に到着しているだろう時間であった。情けない・・・。
林道に乗ってすぐで分岐となり、そこに「ごはんぎょう」と書かれていた。麓の地図に書かれていたのを覚えており、間違いなくルートに乗ったと思えた。となると、今居る分岐から下に進めば穂見神社に降りられると理解した。この先で参道は右側の道に分岐する。入山して初めて「奥宮」と書かれた小さな黄色い道標を見る。間違いなく近づいている。
右の道を進むと大きな石の鳥居が出迎えてくれる。よくぞここまでの重量物を設置したと思えた。樹林に隠れるようにこの場所にあるのが勿体ないような感じさえする。もう少し人目に触れる場所の方が、設置の値があるような・・・。先に続く林道を登って行く。九十九を切る場所もあり周囲は植林地の雰囲気であった。
向かう先に高みが見えてきた。目指す苗敷山となろうか、東側斜面には縞模様のように道形が見える。地形図に見える実線路だろうか。この山頂側を拝めた先3分ほどで、“こんなところに”と思える立派な道標が現れた。これが麓側にもあったなら・・・と迷った人なら誰もが思うはず。まあ迷う人の方が少ないのかもしれない。この場所が林道幅の最終端で、ここからは山道になる。途中には丁目が書かれた石碑も残る。はたして奥宮が何丁目に位置し、今がどの位置なのか・・・、ここに対しての新参者には全く判らなかった。
登路全体が泥濘地帯になる。僅かに水も見られるが、その上に水場が在るだろうことが予想できる。鹿が訪れるのだろう耕運機をかけたように踏まれた痕が残る。判読不能の大きな歌碑があり、その先の山腹から滴るように水が沸いていた。複数個所あるのだが、どれも酌むには困難な水源であった。水場が在ると言うことはと、奥宮が近い事を感じさせてくれていた。
このコースでの最良の展望地は水場の上側にある。ここからは甲府盆地と、その向こうに富士山を望むことが出来る。甲信国境から武甲国境と連なり、心地いい高度感を得られる場所であった。ここでほとんど奥社に着いたも同然で、2分ほど進むとアスナロの林立する山門跡となり、歪に積まれた石段が何ともいい雰囲気であった。一段上が髄竜門跡となり、その右手に大きな高野マキがスクンと立っていた。最後の石段を上がるとすぐに、奥宮が待ち受けていた。
穂見神社奥宮。舞台が手前にある作りで、その木組み構造がとても厳かな宮であった。東側には石像が立つ場所があり、その前を通過するようにして北側の斜面に這い上がってゆく。平坦な山頂で、その広いまま続くのかと思ったら、その先で東西に林道が走り山頂大地を南北に分断していた。山頂最高所の同定としてよく判らないが1010mコンターの中央部に向け林道を横切って向かう。ちらほらとマーキングが見られる中、赤い絶縁テープが二本巻かれている場所が見えた。
苗敷山山頂。と言っても自己満足での山頂同定なので、広い山頂大地の一角に居るって事に過ぎない。旭山に登った時に併せてこちらに来ていれば・・・なんて思うのだが、残しておいたおかげで穂見神社の山岳信仰の存在を知ることになった。往路を戻り、その穂見神社奥宮を再度拝観してゆく。あめ色になった木肌が美しく、この冬季のおいて温かい雰囲気をした場所に思えた。西側からアプローチするはずであったので、境内の西側にも足を運び、周囲の様子を見ておく。ここはモミの木の林立する場所となっていた。目的達成で、あとは麓の入山口の確認だけ。
不規則な石段を降り、展望地から盆地を俯瞰したら、水場の所の歌碑を読む。しかししかし、ほとんど読めないほどになっている。石の表情もそうだが、これだと雨の日か、雪の積もった時に雪を摺りつけるかしないと見えてこないだろうと感じた。この経路、往路も復路も同じところを通過しているのだが、一か所林道を跨ぐ場所があり、道標が小さく見出しづらいポイントがある。知らないか見いだせないと、間違えて広い林道を伝って行ってしまうだろう。おそらくそれでも戻れるのだろうけど。
ごはんぎょうの分岐まで戻る。里宮と書かれた道標に従い、往路に辿った道を右に見ながら下降してゆく道に入ってゆく。分岐から2分ほどで、サルのしゃれこうべの置かれた道標の場所となる。頭蓋骨にドキドキがなくなったのは歳をとった証拠なのかと我ながら思う。そして信仰の強さか、氏子の多さからか、参道は深く掘れた形で続く。そのためにブラインドカーブになっている場所が連続し、獣でも居たらと下りでありながら楽に降りさせてもらえず神経を使う。耳を澄ますと、治山工事の音もここまで聞こえてきていた。
進む先にゲートが見えてきた。そしてその向こう側に見覚えのある住宅。ゲートの麓側には、山中にあったと同じ立派な看板が立っていた。こんな場所に立っていても目に入らない。降りて行き民家を両脇にして往路に通過した舗装路に乗る。なぜにここに道標を付けないのか・・・。付けなくても判るだろうと言う有名な場所なのかもしれない。でもでも、現状だとルートを知らない参詣者は迷うであろう。ここを3度通過したのに判らなかった。見る目がない、真贋の判断が出来ないとはこの事。
穂見神社の里宮にも立ち寄ってゆく。奥宮を見た後だと、少し味気ない印象を受けるのが本音。それでもコンパクトながらいい神社であった。上まで上がれない人はここで参拝を済ます。里宮も大事。駐車余地に戻ると、その前をゆっくりと焼き芋屋が通り過ぎた。
チョンボコースを思っていたが、そのコース取りが阻まれたことで有益な学習ができた。苦労は惜しまずしようと言うことかもしれない。