東ノ城 1514.4m 西ノ城 1610m
2016.10.22(土)
晴れのちくもり 単独 平石沢左岸尾根を登り稜線へ出て、西ノ城からは南尾根を下る 行動時間:10H
@平石沢左岸5:46→(39M)→A道形最終点6:25→(103M)→B稜線に乗る(1470m)8:08〜11→(35M)→C東ノ城8:46〜50→(146M)→D西ノ城11:16〜30→(43M)→E1510m分岐峰12:13→(98M)→F1144高点13:51→(59M)→G滝沢に降り立つ14:50→(8M)→H中ノ岐線835高点14:58→(37M)→I雨池橋ゲート15:35→(11M)→J平石沢に戻る15:46
@平石沢から見上げる東ノ城(左の高み) | @平石沢の小尾根を挟んで北側にも流れがあり、ここから入り平石沢左岸の小尾根に乗る。小尾根には道形あり。 | 850m付近。赤松の大木の場所で少し傾斜が緩む。 | 900m付近。拓いた痕。 |
このような切り口が続く | 道形と主稜のモルゲンロート | 途中から平石沢左俣の源頭部 | Aブナの大木が出てくると、この先で道形が無くなる。小さなコルの場所で消滅。もしかしたらその場所から山腹を進む道が在ったのかも。 |
1150m付近。道形が消滅すると急峻の藪斜面が続き、やっとここで緩やかになる。 | 1230m付近で肩となり、展望場がある。 | 上部は沢形状の場所を選び、繋げながら高度を上げて行く。 | B1470m付近(東ノ城の東)で主稜に乗る。 |
B乗り上げた場所から伝って来た尾根を見下ろす。 | C東ノ城山頂。密藪。 | CSK氏の絶縁テープが残る。 | 東ノ城の西側100m付近のこの場所が経路唯一の植生の薄い場所。他はミックスの密藪が続く。 |
密生帯。巻けず乗り越える。 | 途中から見る1452高点のある尾根(平石沢南)。 | 1530m付近。ひたすら泳ぐ。 | 1560m付近。潜る、漕ぐ。 |
1570m付近。ツタ類が多くなる。大きく足を上げて踏みながら進む。 | 1570m付近シャクナゲ。地面に足が着かず、シャクナゲに乗りながら進む。 | 1590m僅かに露岩がある。 | 手前峰から見る西ノ城 |
直下。もうすぐ。 | D西ノ城は山頂部の尖った顕著なピークであった。ここにはSK氏の絶縁はなく、風雪に取られたよう。 | D西ノ城から花降岳(左)、 本城山(中央)。進みたかったが、この季節では時間が足らなかった。 | D西ノ城から東ノ城 |
D西ノ城から1452峰側 | D西ノ城から北東側 | Dヤキソバパンが西ノ城で撮影されるのは初だろう。 | D南尾根へと下って行く。 |
1510m付近のガレたヤセ尾根から滝沢側を見下ろす。 | 右に見えるのが1510mの分岐峰。 | E1510m分岐峰の上。 | E分岐峰から1452高点側の1500m岩峰。 |
E伝って来た尾根を振り返る。 | 途中から見る1500m岩峰の南壁。 | 大木の出てくる1440m付近まで1510m峰からは急峻続きであった。地形図の表示より等高線は細かい現地。 | 1500m峰南壁 |
1260m付近。この辺りは一帯が黄色。 | 1150m付近。尾根が細くなり獣道が出てくる。 | F1144高点付近。特にピークがあるわけではない。 | 1070mの尾根の肩を南西側から見上げる。当初は南東に下る予定であったが、南西側の尾根のほうが顕著で伝って降りる。 |
1060m付近。尾根を伝えたのは1040mくらいまでで、その先は有耶無耶になる。 | G滝沢に降り立つ。 | G降り立った場所から下流側。濡れていない場所はグリップが良く、濡れている場所は酷く滑る。 | H835高点の場所で林道に乗る。林道は林道中之岐線 |
林道を歩いていると、湖山荘のバスが通過して行く。乗客は3名見られた。 | 途中の小屋には、ビールが相変わらず・・・。 | 中ノ岐川の二股 | I雨池橋のゲートにでる。 |
戻りながら見る往路の尾根。 | J平石沢に戻る。駐車余地は2台分。 | 今日の藪装備 | 一日で皮手がここまで破けるほど。 |
2010年5月の銀山平を基点とした大周回の最後、花降岳から東に進むのは危険と判断し大磧沢に降りてしまった。よって、以東の本城山と西ノ城、そして東ノ城が残ってしまった。残雪期の山と思っていたので、毎年残雪期に入る頃合いで計画していたものの、どうしても2日の予定でないと3座は無理そうなので、2日使える日の丁度いい巡りあわせがなかったのも、足踏みしていた理由でもあった。天気の兼ね合いも含め。
SK氏は2014年の4月に東ノ城・西ノ城と踏んでおり、報告からの西ノ城以西の進めなかった地点が気になっていたりした。そこからは、どうも雪があることが利になっておらず邪魔をしているよう。そうであれば雪のない時の方がいいのではないかとも判断できた。既に花降岳から東側を見ているので、SK氏の表現する危険の度合いも理解できる。しかしその後、不通箇所を再チャレンジするのかと思ったら、その年の9月には荒沢岳から往復している。これは花降岳も残っていたので効率よくとの計画と判る。さて3座どうしよう。
穴のあくほど地形図を見てコースを検討する。そこに、南での記録がないのは何故だろうと疑問が湧いてきた。基本、積雪期に銀山平を基点にするから北に偏るのだとは判るが、ここは南側を調査してみようと思い計画する。平石沢とチョウナゼ沢に挟まれた尾根を登り、下りは西ノ城の南尾根を下る。3座の各ピーク間はちょうど1kmほど、中心を西ノ城として、もし都合本城山まで行けなかったら、そこで下山できる。最低で2座、上手くいったら3座の予定での計画だった。
1:00家を出る。関越道を小出まで乗って、降りた真ん前のセブンでヤキソバパンを仕入れる。シルバーラインに潜り込み、銀山平に飛び出し、枯葉の堆積した湖岸の道を行く。ここで以前、枯葉に足を取られガードレールと相撲をとった記憶がよみがえる。慎重に進んでゆくのだった。出立から3時間、平石沢に到着し、右岸側の余地に突っ込む。仮眠に入るのだが、ひっきりなしに前を車が通過して行く。意外と交通量が多い352号だった。
まだ薄暗い5時半ごろから準備をし出す。外気温は3℃、雨具を着込み防寒対策とした。平石沢とチョウナゼ沢の間には、実際には2本の尾根がある。北の主尾根に対する南の細尾根なのだが、目を付けたのはこの細尾根の方。なにか野生の勘が働き、ここを登るように促していた。情報がない場所なので、命綱となる20mザイルを持つ。見上げても紅葉時期であり葉が茂っている。尾根に乗るにはどこが適切なのかとは見えてこず、平石沢の堰堤を越えるのも大変そうだったので、それならと、主尾根と細尾根の間の沢から入ってしまおうと咄嗟に判断した。
5:45行動開始。そこに1台のマイクロバスが通過して行く。湖山荘のバスであり、皇太子道へと客を運ぶ途中とすぐに判断できた。運転手は“こんな場所で何しているのだろう”と言う顔をして通過して行った。流れのある中を慎重に登り、車道から10mほど入った場所から、細尾根に向けて這い上がってゆく。そして尾根に乗りわずかに進むと、平石沢側からの踏み跡が上がってきていた。最初は、堰堤工事のためにつけられた道で、すぐに無くなってしまうだろうと判断していた。しかし、クネクネとしながらだが、途切れることなく先に進んでいた。
時折見える切り拓いた伐採痕を見ると、かなり古い作業ではなく、10年か15年か以内の作業痕に見える。それも杣道と言うよりは登山道の作道に思えた。痩せ尾根の上に、それと判る状態でしっかりと続いている。もしかしたら、これまで知られていなかっただけで、簡単に東ノ城に上がれてしまうのではないかと思えた。こう思った時ほどいいことは無い。
ブナの大木が生える場所で、背中からの来光を受ける。少し傾斜も緩み緩斜面な尾根筋に変わる。快適に思う気持ちが強くなり、なにかもう東ノ城を手中に収めたような気になっていた。しかしそのわずか先で、小さなコルの場所で道形は途絶えていた。そこから上は落葉樹の藪で、やや密生した急斜面を登ることとなった。それが1130m付近から少し緩み、里山の中を伝っているような気持のいい斜面がしばし続く。がしかし再び植生が濃くなる。
1230mで肩のような場所となり、向かう先がよく見える場所となる。1240m付近からは、枯れ沢の中を進み、上の方でさらに分岐する枝沢を追うようにして植生の薄い場所を選んで登って行った。道が在った時は、もっと楽に登れる予想をしていたが、これが現実であった。そんな甘い表情をしていたら、この場所に「城」などと名は付かないであろうから、ここに楽などないはず・・・。
1470m付近で東ノ城から東に延びる主尾根に乗る。カンバ類の生える低木主体の植生で、ここでもこんな植生なら、楽々本城山まで行けると判断してしまっていた。能天気もいいところである。出発から2.5時間近くかかって主稜に乗った形だった。道形を伝ったおかげで少しは早くに到達できたが、もうすでに藪を漕ぐので腕は疲れていた。この先、ここに見える植生程度ならいいのだが・・・。緩んだ靴紐を縛り直し、この先の藪に準備をする。まず最初に目指す東ノ城は目と鼻の先。
植生の薄い場所には先達の通過痕が残るものの、密生帯が大半となり、そこにアップダウンが伴う。まだ紅葉時期なので葉が残り尾根上の視界も良くなく、足元が見通せない場所も多い。もう数週遅くに計画した方が良かったか・・・でもその時は今のような紅葉はなく、それこそ枯れた景色しかないはず。何を優先するか。楽か景色か・・・。10分もかからないように見えた尾根筋に、35分もかかってしまった。これはそう甘くない・・・。
東ノ城登頂。笹を含めたミックスの藪で、かなり密。すぐに三角点探しに入るも、全く出てこない。地面を掘ったりもしたが、ササの根が蔓延り容易に掘ることもできない。残念だが諦める。一方、SK氏の絶縁テープはすぐに見つかった。このいたずら書きのみがこの山の山名を示していた。展望のいい場所で周囲がよく見える。しかし快晴であった天気だったが、雲が覆いだしやや暗くなりつつあった。暗雲とはこのことで本城山まで向かう気持ちにも影を差しつつあった。
東ノ城の西側もまたミックスの藪で、ちょうど100mほど進んだ場所のみが、植生が膝下のオアシス的場所で、その他では常緑樹のシャクナゲなどの場所は、枝に乗りつつ通過し、広葉樹の場所は分けて進むような場所が続く。日ごろ、藪漕ぎではよっぽどでない限りヘルメットを被らないが、今日はそのヘルメットをかなりの頻度で枝に叩かれていた。紅葉は綺麗に色づいているが、やや茶色が強い。
1530mの中間峰までで、東ノ城を出てから70分以上経過していた。この時点で、もう本城山は無理だと判る。西ノ城からの1kmほどの位置の場所だが、東ノ城と西ノ城間より高低差が多い。西ノ城からの往復を4時間以上と考慮せねばならないと、このまま遂行すると、西ノ城に戻ってくるのが15時を過ぎる。これだと未開で情報のない南尾根の下りにはリスクが高すぎる。さすが城の守りは強固なのだった。
西に行くにつれツタ類が多くなる。最初は強引に分けて進める程度だが、次第に強情なツタが多くなる。こうなると踏みつけるなどして乗り越えて進まねばならない。ミックスの藪尾根でいろんな植生が楽しめるのだが、楽な場所が乏しいのがこの尾根であった。危険個所がないことを思えば、安全に伝える藪とも言えるのだが・・・。露岩のある高みが1690m峰で、その西側にもう一つピークがあり、それを越えると二つ目の目的座であった。
西ノ城は、2畳ほどの突頂の山頂であった。すぐに赤い絶縁を探したが、どこにも見えてこなかった。すぐさま本城山までの尾根筋を目でなぞる。やはり今日は無理だろう。このまま荒沢山側へと抜けてしまえるのなら行動するのだが、何度でも楽しめとこのエリアが歓迎してくれているのだろうと思うことにした。もう2時間も早くに出ていればと言うところなのだが・・・。伝ってきた東側を見る。大した距離ではないように見えるが、2時間以上かかってしまった事実は事実。
本城山に行くのと同等に気を払っていた南尾根。実際は1452峰側の尾根には進まないものの、そこの荒々しい突起峰の並びが見えているので、その尾根との分岐場所まで行くまでにも危険地帯が孕んでいるような印象を持つ。既にこの場所でザイルを用意した方がいいのではないかとも思えるほどに緊張感を持っていた。さて南に踏み出して行く。
道形の一切見えない灌木でのミックス藪が続く。地面に足が着ける場所ならいいが、着かないような、木々に乗りながら降りねばならない場所も多く、バランスを保つのにも苦慮する通過点も多い。左に見える平石沢の左俣が見下ろせるが、伝って行けそうなほどに状態がよく見える。ザイルもあるが、地図に見えるゲジゲジマークと戦うにはちょっと心許ない長さしかない。やはり尾根通しで降りよう。掻き分け進んでいる割には、なかなか1510mの分岐峰が近づかずもどかしい。
ヤセ尾根の場所は、西側が少し崩落している状態ではあったが、さして危険な場所ではなかった。この先に一つ高みがあり、その先に出てくるのが、分岐峰と言うか屈曲峰と言うか、1510mの顕著な突起状の峰であった。その高みに乗り上げたのは、西ノ城を出てから43分が経過していた。距離に対する進度を鑑みると、東ノ城・西ノ城間と似た藪の状態とも言える。東を見ると、連なる突起峰の最初の1500m峰がニョキッと突き上げている。振り返ると、既に西ノ城は高い位置でこちらを見下ろしていた。
1510m峰から南西側にコンパスを定め、併せて腕時計の高度計にも校正を入れる。この先、標高差120mほど降りたら進路を南に変えねばならない。そこを間違えると滝沢に入ってしまう。重要なのでより慎重に行動せねばならない。そして降りて行くのだが、地形図と現地の傾斜が違う。斜度が強く進む先が見えないような強い傾斜の場所もある。降りる場所を間違えているのかと錯覚するほどで、実際に不安に思いつつもコンパスを見ながら南西側に進んで行った。
1450mくらいで、進路左を見ると1500m峰の南壁が大きく見える。その垂直に立つ大岩壁の景色には、訪れて良かったと思わされた。そして1440mほどで、やっと傾斜が緩み思っていたような斜度になる。相変わらずのミックス藪で、ササにシャクナゲに広葉樹にと混ざり合う。臨機応変に分けて進むが、乗って踏みながら通過して行く場所もかなり多い。空中浮遊をしているかのように木々を踏みながら伝って行く。ここまで地面を踏まないのは白山の火の御子峰を狙った時以来、踏まれる木々も可哀相なのだが、雪が多い地域であり、その雪で直立しておらず麓側へ倒れているので、自然と踏んで進んでしまう。
1250m付近からの一帯は、紅葉も黄色一色となっていた。曇り空になったので、ここでの黄色の明るさは心地よかった。この辺りで、往路に伝った平石沢北の小尾根を思い出す。向こうには道形が在ったような標高。こちらにも出てくるのではないか・・・。そんな期待をしながら降りて行く。大木の根元に、室のような穴が見えるところが続く。そして1170mくらいから、これまでとは違い少しヤセ尾根形状になり、そこに獣道らしい道形が現れだす。それがハッキリとしだすのが1150m付近で、その下側では見え隠れしながら存在したが、シャクナゲの植生も多くなりそれにより有耶無耶になっていた。
1144高点の場所は自分の中でのウエイポイントとして気にしていたが、パッとしない尾根の途中でしかなかった。その尾根の植生はシャクナゲ比率がかなり増えてきていた。特に尾根西側斜面が多い。普通に避けたいが、その尾根西側には道形のような自然地形のような掘れた筋が在り、そこが伝い易かったのでシャクナゲが在るのを判っていても伝ってはシャクナゲに阻まれた。
1070mで、当初計画では南東側へと降りようと思っていた。しかし現地は南西側に降りるのが自然のような地形で、尚且つそこに獣道だろう道形が南西側に進んでいた。南西に進む。最初はハッキリとした尾根だが、次第に進路が判らなくなる。いつもの事だが、もう下が近いと思っているので、どこを降りてもいいと判断し、適当に下って行く。このとき尾根を外れて、その北側の等高線の混み合う斜面を降りていた。木々に掴まりながら上側を向いて下るような降り方であった。握力で下るというか・・・。すると進む先下側に流れが見え出した。南西に下りるはずが、やや西寄りに降りてしまったことが判る。
滝沢に降り立つ。この沢は斜里町のカムイワッカ湯の滝の地形に似ている。流れで濡れた場所は苔生して滑り、濡れていない場所は逆にすこぶるグリップが良かった。それでも、沢床の岩の場所を伝えないところもあり、草つきを高巻きする場所もあり慎重に降りねばならなかった。少し進路を間違えた事で滝沢をも歩く事になったが、ちゃんと方向を定めていれば、危険は軽減できた事にもなる。でもここのようなスリルのある場所こそが面白いのだが・・・。
林道が見えてきて、そこを滝沢が横断していた。この場所は地形図の835高点の場所で、林道中之岐線に乗ったという事になる。俗称で言えば、皇太子道へのアプローチ林道となる。あとは林道歩き。下流側に進み僅か2分ほどで、エンジン音が聞こえてきた。後ろ側から現れたのは、早朝に見た湖山荘のマイクロバスであった。運転手が不思議そうな顔をしている。乗客は3名。間違いなく平ヶ岳から降りてきたのだろう。疲れた表情が車窓にはり付いていた。
マキグラ沢の先に小屋が現れる。相変わらずここにはビールが積んである。6年前と変わっていなかった。小屋に引いた沢水を力水として喉を潤し、乾いた林道を緩やかに下って行く。途中の景勝地は二俣の場所。大きな緩やかな流れが合流している。2010年の残雪期は、林道ではなく川の上を歩いていた。見える川幅の広さが懐かしく思えるのであった。
ヒルバ沢、フナクボ沢、そして無名沢と経て、天池橋のゲートに到着する。ここからは行き交う車両に注意しながら進まねばならない。このエリアのハイシーズンであり、かなり交通量が多い。林道が北西に向かいだすと、正面に東ノ城が見え出し、往路に伝った全景が見えるようになる。ひっそりと、こっそりと道を擁す小尾根が見える。道が在るとは誰も思わないだろう。平石沢に到着。
振り返る。もう数週か違えていれば、葉が落ちもっと歩き易かったかもしれない。微々たる差かもしれないが・・・。今回反時計回りで周回したが、時計回りであったら、1時間ほど余計にみていたほうがいいかもしれない。それほどに西ノ城の南尾根は歩き辛い。本城山を踏む事を強く意識して、幕営装備で2日用意すればよかったが、大きなザックであの藪の中を進むのはかなり負担になる。今回は紅葉を楽しんだので、残った落ち穂の場所には、また雪を纏った時期に入ろうと思う。雪庇が張り出し、鉄壁の守りで待ち構えているだろう。