前山    1814.7m            


                                            
  
                                        

   2017.9.2(土)


    晴れ    単独    乙女渓谷二の谷登山道から    行動時間:7H17M


@乙女渓谷管理棟5:09→(35M)→A避難小屋5:44→(133M)→B第一高原分岐7:57→(46M)→C前山8:43→(5M)→D前山三角点8:48→(5M)→E前山再び8:53〜9:07→(56M)→F第一高原帰り10:03〜05→(6M)→G兜岩10:11〜13→(99M)→H避難小屋帰り11:52→(34M)→I乙女渓谷管理棟に戻る12:26


   
三の谷側のゲート @乙女渓谷管理棟前。9月に入ったからか、管理棟は閉鎖されており、無料で利用させてもらった。 @二の谷の渓谷美を楽しみながら足を進めてゆく。 A避難小屋
       
トレランに一度抜かれ、途中で抜き返し(笑)、再び抜かれた。 夫婦滝 夫婦滝の落ち口 孫滝で軽く喉を潤す。
     
鎧岩 カモシカ渡り。鎖やザイルを垂らしてあってもいいように思う場所だが、何もない。 二の谷三の谷の出合(分岐) B第一高原
       
B第一高原からの展望 B第一高原東側の前山への分岐。この分岐道標は外され置かれていた。廃道状態だからだろう。 分岐から30mほどは道形を伝えるが、いきなり笹藪となり、この中には道形が一切見えない。おかしいと思い、一度戻るも、ここを進むので正解のようだった。この肩からの下りは2m以上の笹を分ける。 第一高原と前山の中間点付近。時折は道形が現れるが、植生が足元を邪魔しない場所はなく、廃道した尾根。
       
C前山到着。ここからわずか東の三角点峰へ行くのにも5分を使う。東側の鞍部が強い笹藪。 D前山三角点峰。地形図では読めないが顕著な高み。 D三角点の様子 D三等点
     
E前山に戻る。三角点峰からの復路も5分かかった。 E倒れ埋もれていた標識を立てかける。 E唐塩山で出そうと思っていたが、自然に戻り薮化した状態にここを最終座とした。 E前山から西側に進んでみたが、この場所で引き返す。全くの薮。
     
E前山から北に下山。 1860m付近の没する笹の中。東西に這いずったが道形は見えてこなかった。 1870m付近の道形に戻った場所。 左の写真の場所から前山側を振り返る。スパッと道形が消え往路は戸惑った。
     
F第一高原の分岐に戻る。 G兜岩で展望休憩 2・3の分岐帰り カモシカ渡り上部より
     
鎧岩帰り 夫婦滝鑑賞 烏帽子岩。妙義の大砲岩に似ている。 H避難小屋帰り
       
淵のブルーを楽しみながら I入山口に戻る I駐車場もハイカーの車で埋まる。  




 前々から予定されていたガイド山行を、台風を理由に取り止めにした。上信越を山行の場所に予定していたからなのだが、中部圏に目を向ければそう悪くない天気だった。やや後ろめたさも感じるが、一人東海方面に出向く事とした。

 
 小秀山の南にある前山。調べると夏道を通してあるようで、SK氏も2011年に辿っている。先に書いた中止からの選択時間が短かったために、SK氏の報告以外は下調べや確認をせずに、楽な気持ちで向かうのだった。

 
 23:45家を出る。上信越道に松井田妙義から乗ったのだが、そのインター近くでは、大きな猪が横切った。体高が4尺ほどあり、体重は200kgほどあろうと思える大きな体躯をしていた。樋口昭雄さんの小説に出てくるような大物。長く白い牙も見えた。こちらのヘッドライトに慌てることなく、貫禄十分にゆっくりと歩いて車道を横切っていた。妙義の主かもしれない。

 
 上信越道、長野道、中央道と繋いでノンストップで一気に走り、中津川で降りて加子母に向かってゆく。乙女渓谷へは牛舎の並ぶ村道を抜けてゆく。そして久しぶりに乙女渓谷に到着する。以前と違っているのは、そこかしこに駐車料徴収の張り紙があった。キャンプ場はシーズンオフなのか、マイカーの姿もテントの花も咲いていなかった。林道を奥に進みゲートの場所まで進み引き返す。乙女渓谷の管理棟西の駐車場で夜明けを待つ。台風の影響なのだろう、やや風があった。

 
 曇り空で5時になっても空は暗かった。今日は道がある場所なので最低限の軽い装備、サッと支度をして登山口から歩き出す。前回ここを伝ったのは2006年の10月、11年が経過するが渓谷の様子は当時のままを保っており懐かしい。そして前回は滑って気を使った木道であったが、この日は乾いておりとても楽に伝えていた。後ろから追ってきたトレールランナーに抜かれる。非常に軽装である。崇高な山屋には現在のトレランの姿はどう見えるのだろう。ふざけていると見えるのか、何かあった場合、いざと言う場合のリスク回避の選択が乏しい。体力のみが身を守る。まあそれでいいのかもしれない。

 
 避難小屋を経て登りに入ると、再び先ほどのトレランが後ろから追ってきた。小屋に居たのか水を得ていたのだろう。再び道を譲る。2回目なのでトレラン氏も私が譲るまでは抜かそうとはしなかった。夫婦滝が見え、右岸側を巻き上げると落ち口に到達する。私はこの落ち口が好きで、西表のピナイサーラをはじめ落ち口に行ける場所は行きたいと思う方なのであった。ここは通過点でそれが楽しめる場所。渡渉して左岸へ移る。

 
 孫滝で軽く喉を潤し、鎧岩を経てカモシカ渡りなどの急峻地形を登ってゆく。このルートの不思議と言えば、カモシカ渡りの場所に補助ロープも鎖もない事だろう。ここまでであったら、在る場所が多い中、無い。でも無い方がすっきりしていていい。道標が多くなり、導かれるようにして進んでゆく。三の谷ルートとの出合となり、その先30分ほど進むと第一高原の大展望ピークに到達する。この場所の東側が前山の分岐で、標柱は残るが標識はなぜか外され離れた場所に置いてあった。これは後から思えば既にルートの様子を示していたのだった。

 
 分岐から前山側へと緩く下ってゆく。笹の幼木は生えるが道としては続いており、何も案ずることなく伝ってゆく。しかし分岐から30mほど進むと、パタッと急に道形が消滅した。進路の角度から笹の中に進むのが順当で10mほど進んだが、全く道形も見えてこない状況に、ルートを外したと思え一度登り返す。しかし注意して歩いても同じで他に道は見えてこず、要は途絶えているような状態であった。こんな状態になっているとは思わず、あまり薮装備をしてこなかった。Tシャツだしスパッツもない。こうなると唐塩山はかなり遠くなる。

 
 笹に突っ込んで降りてゆく。背丈は2m以上あり密薮だった。前山さえも諦めようかと思ってしまったほど。ただし目の前に見えているので、なんとか1座は頑張りたい。前山を踏まないとなると小秀山への転進なのだが、それこそ秀峰でありそれでもいいのだが、今日の目標座ではない。分岐から20分ほど経過し、この時間は、SK氏は前山に到達していた時間だが、まだ距離の半分くらいを残していた。尾根の高みの場所には道形の残る場所があるが、登山道としてスッキリ歩ける場所は無く、完全に廃道ルートと言える様相に変わっていた。前山の登りになれば北斜面で植生も弱くなり道形もと思ったが、期待したほどにハッキリ判る筋は無かった。

 
 前山到着。すぐに三角点側へと進むのだが、下降する最初だけは残るが、見えて3m程だった。後は全くの薮で、鞍部の深い藪の中では、三角点も拝まずに引き返したいと思うほどに動けず、それでもと意を決して分けて進んだ。この近距離の場所に5分も要し三角点峰に登り上げる。地形図では肩のような表記の場所だが、顕著な高みのある場所であった。そこに雰囲気のいい三等点が埋まっていた。この場所は最高点ではないので踏まずにも良かったが、三角点のある場所は拝んでおきたいと思うのが常である。最高点に戻るのにも5分を使った。直線距離にすると15m程かと思う。

 
 地形図を眺め唐塩山までの地形を見、これまでの地形と見比べる。尾根の広いところほど道形は無かった(見えてこなかった)。以南はそんなところばかり。時計は9時近くで、まだ余裕があるが、ここから第一高原に戻るのに1時間を考慮し、そしてここまでの時間経過から換算し唐塩山までの往復を4〜5時間と見た場合、行ってこれない事は無いが、もう一つ引っかかっていることがあった。来る途中、高速の電光掲示板に諏訪湖の花火大会開催日と読めた。帰路にどの経路も大渋滞が予想でき、今日は遅くなるのは拙い。あとは唐塩山は林道が直下まで上がっているので、今日無理をしなくとも・・・との判断も出来た。前山が踏めただけで良しとする。と言いながら、しつこく諦めないのが私でもあり、南西側に進んでゆく。しかし、やはりやめた方がいい植生になり、全てを受け入れ引き返すことにした。前山に戻りヤキソバパンを掲げる。

 
 前山から第一高原を望むと結構に標高差を感じる。実際には100mほどだが、もっと差があるように視覚上の負荷に感じられた。それには途中に深い笹藪があるのを体験しているので、それが視覚上の負荷をより重くしているとも言えた。左右の手でストックの中央部分を持って、それをハの字に使いながら笹を分けてゆく。濡れておらず笹は軽いが、予定未達ってことで不甲斐なく感じ、足取りはやや重たいのだった。作道後には一度も刈り払いはされなかったのだろう。それはそれで面白い場所とも言えた。各山岳会が高齢化して登山道整備などが出来なくなっていると聞く。このエリアも登山対象の場所が多く、手が回らないってことでもあろう。

 
 両腕を赤く傷だらけにして第一高原に戻った。ちょうどそこに親子らしいハイカーがすれ違う。息子と母親のようであり、微笑ましい絵面であった。兜岩から声が聞こえてきて展望場に立ち寄ってゆくと、こちらではご夫妻のような二人が楽しそうに展望を楽しんでいた。分岐は帰路も二の谷とした。ちょうどそんな時間なのだろう、この先はたくさんのパーティーとすれ違う。小秀山の人気がよく判る。

 
 かもしか渡りの下で6名の中高年パーティーとすれ違う。聞こえる言葉から、「福井の方ですか」と尋ねると、「なんで判ったの」と返される。そりゃ判る。ただし岐阜に住まいする方で福井は出身とのことであった。岐阜でも福井と接しているからか、よく似たイントネーションでもある。続々と登ってくる方がいる。ここを思うと、台風の影響のある太平洋岸側はどうだったろうと思うのだった。この現在地は完全なる登山日和となっていた。晴れ涼やかで快適な日となっていた。

 
 孫滝からは各景勝地をじっくりと楽しみながら降りてゆく。ハイカーは見たが、渓谷の観光客は一人も見ないのが不思議であった。木道に足を添わせコトコトと降りてゆく。帰りに駐車料金を管理棟に払わねばと気にしつつ居たが、到着してみると管理棟は閉じたままだった。駐車場はたくさんの車で埋まる。収益になるのに・・・。

 
 駐車場に戻り着替えて帰路に。おんぽいの湯に寄ろうかとも思ったが、一目散に帰る。途中19号から伊那に抜け高遠を通ると、村祭りで交通規制となっていた。早くに出てきてよかった。夕方以降で大渋滞だろう。諏訪の花火の日には西側に行かない方が無難のようだった。

 









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