藤山 453m 岩山 555.3m
2019.2.4(月)
晴れ 単独 山と高原地図藤山ルートより藤山へ、藤山より500m岩峰経由で岩山まで抜ける 行動時間:1H55M
@路肩駐車9:56→(1M)→A千沢川右岸入山口9:57→(21M)→B藤山10:18〜19→(29M)→C500m岩峰10:48〜55→(15M)→D岩山11:10〜13→(9M)→E道形に出会う11:22→(14M)→F藤山登山口11:36→(15M)→G戻る11:51
@駐車余地がなく、枝道に入り路側帯に縦列駐車している中に混ぜてもらう。 | A千沢川右岸の入山口。手すりあり。道標無し。 | 道形があるが、おそらく千沢地区の実線路と繋がっていると思われる。取付いてすぐのタイガーロープの場所から尾根を登った方がいい。 | 植林斜面の中には特に道形は無い。ザレ斜面で伝い難い。 |
山頂下の鳥居。 | B藤山。以前より綺麗になっていた。 | B本名と通称 | B藤山から岩山側 |
藤山の南側は岩稜のリッジ。通過して振り返る。 | 450m岩峰は伝えずに深く巻く。 | 西側には獣道のような筋がある。 | 大ぶりな谷を登って行く。途中から右に見える岩(西)尾根に取り付く。 |
西側の岩尾根はグリップが良く伝い易い。 | 500m岩峰の北壁 | 壁の下で東側に進んでみる。東には明るい(主)尾根筋がある。 | 東壁と向こうに尖峰がある。伝えずに西に向かう。 |
主尾根から見上げる北壁。 | 西側へ横ズレしてゆく。 | 西側に行くとコカ・コーラのペットボトルがマーキングになっていた。西陵を「コーク陵」と呼ぶことにする。 | ペットボトルから7mほどが核心部でカメラも出せないほど。少し安全が確保され西陵上部を見上げる。見える岩壁の下を右上に斜上する。 |
南側に出ると安全に登れる場所が現れる。 | コーク陵から出てきた場所を振り返る。 | C500m岩峰からほたる山側。 | C500m岩峰最高所。頂部はブッシュ。少し風がありドキドキで立っている。全方向切れ落ちている。 |
C登ってきた西(コーク)陵。 | C500m岩峰から見る岩山(555.3m峰) | C500m岩峰から下仁田市街 | C西側 |
C北北西側 | C北東側 | C東側 | C南側 |
C500m岩峰の南斜面。滑落の危険はあるが、全方位で一番安全な通過点。 | 510mからの岩稜が伝えずに東を巻いてゆく。 | 520mの肩に見える標柱。 | 520mからみる500m峰。右側が最高所。 |
細尾根を伝う。 | D岩山 | D三等点 | DフジオカTK氏のリボン |
Dこの山は西側から見るとかっこいい。 | D岩山から鹿岳 | D境界標柱の根元に刃物が埋まっていた。外側のR部に刃がついている。 | 岩山の南東側鞍部から岩山を見る。ここから西に下降。 |
上部は急峻で岩壁の下にバンドのように伝える場所がある。 | 植林斜面を降りてゆく。下の方は緩斜面。 | E植林帯の中のハッキリした道形に乗る。 | しっかり作られた峠道のような道。 |
二つの道が合流した場所に在る標柱。東側の道から出てきた。 | 途中から林道幅の道になる。 | 野草が覆う場所もあり分けて進む。 | F藤山登山口 |
F登山口道標 | 千沢川沿いの車道に出る。 | 山の神神社 | 吉崎地区に出る。 |
車道から見る藤山(左)と500m岩峰(右)。岩山とは本当は500m岩峰を指すのだろう。麓側から555.3峰は見えない。 | 500m岩峰の北壁と、伝った西陵(右側)。核心部は陽に光っている辺り。 | 入山地点に戻り一周。 | G駐車の様子。停まっているのは北側の工場の従業員の車のよう。 |
最新の山と高原地図(西上州)内に、岩山とふられた場所を見つける。555.3mとそう高い場所ではなく里山な標高。ちょっと登ってこようと、楽な気持ちで挑む事となった。小用のついでとして、ザックも持たなかった。その現地は・・・。
山と高原地図では、藤山の登山口が北西の千沢と車道との出合となっている。2005年に登った時は、西の千沢地区から入山したが、別の道が在ったのかと知ることとなり、今回はこれを使って藤山に登り、そのまま岩山まで縦走する計画とした。
2月にしては暖かい日で、都心では最高気温が18℃とか言っていた。下仁田でも14℃と暖かかった。国道254に対し、南牧村や上野村へのバイパス道となっている鏑川右岸の道を進むと、岩山地区に入り、その先に進むと千沢地区の木工所が左に見えてくる。その手前に千沢川があり、そこが登山口。ただし駐車余地がなく困る。前後して探したがなく、側道の193号側に入ると、そこに見える企業の従業員が路上駐車を並べていた。その車列に混ぜてもらう。月曜日であり働いている人の姿が見える。
入山口からは手すりを伴うスロープが切られている。ただし太い野草が茂り分けて進むような場所になっていた。直線路になると野草は無くなり歩き易くなる。ここで尾根がある左側にタイガーロープが見える。藤山へはおそらくここから取付くのだろう。知らずに道形を追い、千沢川と並走するように進む。最初は緩やかに高度を上げていたが、その先で下りだした。ここで上に行く道と違うと判り、適当に尾根を目指して登る。他にもこんな人が居たのか、鹿の仕業か、踏み跡が出来ていた。そのまま道形を追うと、おそらくは千沢地区の実線路と繋がっていたのだろう。
尾根に乗ると黒いケーブルが通っており、途中に八木アンテナが立っていた。小尾根をしばらく進むと、左から植林帯が合流するように現れてくる。少し緩斜面地帯があり、その先はやや急登斜面が待っている。ここまでに明らかな登山道は無く、踏み跡があるような無いような場所が続いていた。適当に這い上がるが、なんとも登り辛い。大きく九十九を切りながら、そして小さく九十九を切りながら、どうしたら楽かと探りながら登って行く。麓の製材所からの甲高い鋸刃の音が続いていた。向かう先に赤い人工物が見えてくる。
赤い鳥居に到着。ハッキリした山道が西側から続いてきていた。2005年次はそれを伝ったのであった。上に向かう山道の途中にはタイガーロープも流されていた。年に一度は神事があるのか、管理されている様子が伺える。登山道として利用している道は参道でもあるのだろう。
藤山到着。以前は野草でモシャモシャしていたが、それが無くスッキリとしていた。山名標識は判読できないくらいに朽ちており、その代わりか標柱があり、本名と通称が併記されていた。祠の刻みを読むと昭和37年とある。そう古くはない祠であった。南東を見ると岩峰が見える。そこが岩山(555.3m峰)だとこの時思っていた。岩山に見えるから・・・。
藤山の南東側は九十九折している踏み跡がある。藪ヤが伝っているのか獣なのかと思えた。すぐに岩が現れだし、乗越した先がリッジで早々と緊張する場所となっていた。慎重に足を運び先に進む。ヘルメットもザイルもなく、この現地様子を見て、ちょっとシマッタと思えた。さらに進むと450m岩峰がある。ここは頂陵が進めず西側を巻く。軽く巻くのでは岩壁があり、大きく高度を落とし深く巻いてゆく。下に行くと獣道か水平道のような筋があって伝って行ける。
進む先に大きな岩峰が見え、それが先ほど藤山から見た場所と思えた。その手前には大ぶりな谷があり、そのザレた中を登って行く。途中でさすがに登り辛くなり、西にズレて岩稜部を辿るように這い上がって行った。楽に登れるが、滑れば命が無くなるような場所ではあった。上の安定した場所まで上がると、その上に黒い一枚壁が見えた。ここが最後か、これが岩山かと思い、スマホで現在地を確認すると、今居るのは中間峰である500m岩峰であった。ここで判った。藤山から見える岩峰は500m峰であり、岩山(555.3m峰)ではないのであった。東側が明るいので壁の前をトラバースするように主尾根側へと向かう。
主尾根に乗ったが、そこからの500m岩峰の岩尾根は岩ヤが伝う場所であった。コケ類が多く岩ヤにしても滑りやすく難儀するだろう。東側が巻けないかと見るも、東には東壁が見え、その向こうには槍のような尖峰が見える。抜けても向こう側で苦労するように見えた。こうなると、あとは西側しかない。北壁岩壁を触りながら横ズレしてゆく。すると西陵の下にコカ・コーラのペットボトルがマーキングとされ残されていた。これがあると言う事は、ここを抜けるのかと即時に名付けた「コーク(Coke)陵」を見上げる。手がかり足がかりはあり伝って行けそうだが、なにせザイルを持っていない。行き詰まったらアウト。ここで諦めてまた来ようとも少し思った。それでも、いつもこんな時に諦めたことが無い。
帰りに使った場合の足の位置や手の位置をシュミレーションしながら、ゆっくりと緊張感を押し殺すかのように確認するように這い上がって行く。脆い岩盤で崩れ取れる場所が在ったり、枯れている灌木もあり、全て触るものには確認が必要であった。ここで落ちたら、しばらく探してもらえないだろう。でもあの場所に車があるってことで、私がここに入ったことはバレバレか、こんなことを自問自答しながら怖さを紛らわすように登っていた。もうそろそろ山頂部だが、向かう先に岩壁がある。行き詰まって動けなかったことを踏まえ、登ってきた場所を見下ろす。降りたくない・・・。
コーク陵の最後は、南東に進むように僅かなバンドを伝うと、その南には主尾根が続いており安全地帯となった。核心部としての距離は15mほどだったが、結構に緊張した通過点であった。南に出たら戻るようにして北に這い上がる。ここには青いビニールひもが枯れ木に引っかかり、先人が居ることが伺えた。風が少しあり、身体を持っていかれないよう注意を払う。
500m岩峰登頂。何とも言えない尖峰で、最高所はブッシュが生えていて、山頂全体としては東西に長細い場所であった。北壁は当然見下ろせないが、そこにそれがあることは大空間と展望の良さから判る。東側下も見れず、西側の登ってきた陵も急峻過ぎて見えなかった。南側のみが岩山に向け緩やかな尾根で続いていた。大展望で邪魔するものが無い360℃のパノラマ。やや足を震わせながら手早く各方面を写真に収める。どうなるかと思ったが、なんとか登ることが出来、既に大満足。岩山はまたにしてもいいと思えてきた。南を向いて腰かけ小休止。
岩山側を見ると、その手前に深く窪んだ場所が見える。尾根を進むと岩の肩のような場所の上に出て進めなくなる。少し戻り東に急斜面を降りて、先に続く尾根に乗る。しかしまたしてもここは伝えず、今度は東側の植林地内を巻いてゆく。ここには杣道があり伝って進み、途中から直登して尾根に這い上がる。登った場所は520m付近で、先ほど居た500m岩峰が、北アの滝谷ドームのように見えていた。520m地点からは細尾根が続き、狭い尾根なので道が在るようにも感じる場所であった。
岩山到着。綺麗な状態の三等点が待っていた。そして山名板は無いものの、フジオカTK氏のリボンが下がり、いたずら書きを見ると前年度のものであった。もう一つ黄色い絶縁テープも巻かれていた。どんなルートでアプローチしたのだろう。今伝ってきた縦走形態ではちょっと危険すぎるような・・・。ふと境界標柱を見ると、苔むした横に不思議な金属が見えた。引っ張り出すと鎌のような金具で、鎌とは反対に外側のRに刃がつけられていた。気付かずに標柱に腰かけたら尻をグサッとやっていたかもしれない、切っ先が上を向いていた。
さて下山はどうしよう。もう往路を戻る気力は無し。東側は植林帯があり降りれば岩山地区へと下れるだろう。西に下れば同じく植林帯経由で千沢地区へと降りられる。どちらでも良かったが東より西側の方が明るそうなので西に下ることにした。岩山から南東に降りると鞍部があり、そこから西へは結構に急峻であった。下に行くと岩壁があり、そこにバンドのように伝える場所があり植林帯の中に入って行く。石垣が見られ、よく管理された植林地で、その中はかなり暗い。でもしっかり枝打ちがされ真っすぐに伸びていた。
植林地内の緩斜面を適当に降りてゆくと、ハッキリとした道形に出会う。昔道とか峠道に見るようなシダ類が生える道で、そこを伝って降りてゆく。向かう先の方角からして、千沢地区からの実線路に繋がるようであった。途中、南から降りてきた道と合流した。合流点にはプラスチック標柱が立っていた。降りてきたのは南東からの道であった。登りに使った場合は分岐を左に進みたい。
道形を追い進むと、黄色い標柱が立つ場所で林道幅となった。以前はここまで車が入れたのだろう。今は荒れてしまって到底伝えない。野草が茂り分けて進むような林道であった。となると、しばらくの間、この植林地は管理されていなかったことが伺える。林業関係者(車)も入っていない林道ってことになる。実線路の最終端も広みがあったが、その先200m付近にもUターンできる広みがあった。でも轍などタイヤ痕は皆無であった。
記憶にある場所に出る。そこは藤山の登山口であった。わずかに下ると千沢の集落で、最上部の家にタクシーがやってきて、話内容からは買い物に行く様子であった。この場所に住まいしていることが凄いし、買い物に行くにもタクシーで行かねばならない苦労には敬服してしまう。不便ではあろうけど、住めば都のはず。さらに降りると陶房があり焦げた匂いがしていた。千沢沿いの車道に出るが、ここには藤山を示す道標は無く、朽ちた「仙杉陶房」と書かれた表札があるだけであった。北に下って行く。途中に山の神神社があり、山旅の無事を拝礼して進む。千沢地区から見上げる岩山は、やはり500m岩峰で、至極目立っていた。
吉崎地区で上野村へのバイパス道に出て東に向かってゆく。ここは結構に車通りが多く車両がひっきりなしに通る。南牧村の人はほとんどこちらを利用するのだろう。大型車は特に・・・。途中南側にヤギを飼われている企業があり、作業員が餌のチモシーを刻んでいる風景があった。作業以外の事をやっていて微笑ましく見えた。往路の入山口に到着しぐるっと一周。
振り返る。間違いなくザイルを持っていかねばならない場所であった。岩山だけ狙うなら、西か東からアプローチすれば危険個所は無いだろう。藤山から縦走すると、藪ヤの範疇を越えるような岩ヤの世界が待っている。その点では岩ヤが完全武装して全頂部を進むように歩けば、かなり面白いだろう。西上州はなんて面白いのだろう。今回もそう思った。
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