穴沢山       954.4m       滝子山       1610m       浜立山        1482m           
                                                                  
                                      
   峰の山        911.1m         天神山       696m   
  
 
 
     2019.3.23(土)


  くもりのち雨     単独     北方川東尾根よりCCWで周回   行動時間:5H27M


@立河原共同墓地4:30→(49M)→A穴沢山5:19→(84M)→B滝子山6:43〜44→(25M)→C浜立山7:09→(59M)→D林道に降り立つ(送電線鉄塔)8:08→(28M)→E林道から峰の山への下降点8:36→(12M)→F峰の山8:48〜49→(7M)→G林道に戻る8:56→(28M)→H堰堤前で林道を離れる9:24→(9M)→I天神山9:33〜37→(16M)→J北方川西尾根分岐点9:53→(4M)→K共同墓地9:57


   
@立河原共同墓地のUターン余地に停めさせていただきスタート。 立河原地区からの林道は、タイガーロープで塞がれている。見える先のカーブの場所にもチェーンがある。 2本目のチェーンは施錠されている。 東尾根と西尾根の分岐。帰路は西尾根側から降りてきた。
       
地形図の標高600mの分岐。巡視路標柱のある側へと進む。現在は見ての通り伐木作業中。 最初の鉄塔。鉄塔を潜り進むと道がある。 ロープが流されたルート。 A北側から見る穴沢山
     
A北側に見えるように標識がつけられている。時計回りで行動して付けたのだろう。 A穴沢山四等点。 二本目の鉄塔を潜る。 初狩駅への下降点。
       
檜平 滝子山二等点 大谷ヶ丸への分岐 B滝子山。
       
B標識 B北西側のみ見え、他は全くのガス。 滝子山西側からの下降点。 C浜立山
     
C山部3D的レタリングの標識。 C彫刻された標識。 浜平山の西、西進から南進になる尾根を外れる場所。 1246高点の南、1200m付近からは南南東に降りる尾根を選ぶ。上の方は無いが、下に行くと境界標柱が並ぶ。
     
尾根の末端。最後は少し急なので、手前で左に降りた方が無難。 沢の左岸には道形がある。 D林道に出た場所には送電線鉄塔が経つ。 D林道側から見る伝ってきた道形。付近は、ペットボトルが沢山吊るされている。
   
寂ショウ尾根の入口。道標あり。 E林道から峰の山へと進む下降点。 出たけど寒いのか動かなかった。 鉄塔を潜る。
     
下草のない快適尾根。 F峰の山。倒木の並ぶ中に三角点がある。 F小ぶりで境界標柱のよう。 F標識は二つ。
     
F四等 G林道に戻る 伝ってきた林道は大鹿線。 神社への分岐。下側へと下る。
   
H大堰堤横から東側へ進む道形へと入る。 道形の様子。途中で不明瞭になる。 こちら一帯も下草は無毛。 I天神山
        
IKUMO風の標識。現物はKUMOの3倍ほどある。 ISK氏の8年前のいたずら書き。マジックが退色していない。 Iここでヤキソバパン。 I天神山からの南尾根
       
赤い鉄塔を潜る。 本日6本目になる、最後に出合った鉄塔。  尾根にはフェンスが在り、設置作業の道形がある。上から中央道(上)と20号(下)。 往路に見た分岐点(4枚目の写真)の場所に出た。 
       
J立河原共同墓地に戻る。水道がある。大きな車は停められない。Uターンが出来ない。      




「これまでに富岳十二景をいくつ登ったのか」と聞かれても即答できない自分が居るのですが、おぼろげながら半分以上は登ったと思っている。そんな中で落穂になっていたのが滝子山で、笹子峠から入山した時に踏もうかと思っていた場所であるが、市界尾根の大谷ヶ丸からは遠く見え当日は眺めただけであった。


 木曜日にご不幸があり旧櫛形町へ走った。この時はやがて20万キロに到達するハイブリッド車で往復してきた。中二日で、15日に納車された車で同じコースを辿り走りの差異を感じようと企てた。これだけ日が近ければ、詳細に違いが見えてくると思えた。山梨の何処かへと探っている中で、滝子山が目に留まったのだった。


 地形図からは、滝子山と麓に峰の山が見える。それに付け加え、山と高原地図に見える場所を山名事典で検索すると、全てヒットした。山と高原地図に掲載される山名が沢山このエリアは事典に掲載されている。このエリアの掲載のために、他の各地が割愛された事だろう。大月や丹沢や高尾などのこの辺りは、地形図非掲載で事典に載る山がわんさかとある。ここがここほどなら、他もバランスよく載せて欲しいと思ったりする。大きく余談。


 麓側に天神山と峰の山があり、穴沢山との位置関係から、北方川から入山しての反時計回りで周回することにした。浜立山からは南尾根を降りたいが、ゲジゲジマークが少し見えるので、西に振って大きく周回せねばならないよう。最後に峰の山と天神山をどう結ぼうかと考えるのだが、アップダウンを思うと林道を伝い繋げるのが一番省力になると見えた。困ったのが駐車場で、公的に停められる場所はなく余地も乏しい。ここはGoogleの衛星画像の利器を利用しあちこちと探ると、立河原地区の山手に墓地があり、その奥が袋になっていた。土曜日は赤口であり墓地に関わる儀式は無いと予想し、ここに停めさせてもらう事とした。


 1:00家を出る。久しぶりにこの時間に出た。上州は強い降りで、臨時ニュースで前橋は警戒レベル4と伝えていた。野辺山を経て韮崎に降り、20号で大月へと向かってゆく。甲州に入ると雨は降っておらず、この時は予報通りであった。立河原地区の墓地へと進み袋の場所となる。軽四御用達のスペースで、何度も切り返しながら向きを変え、他の車が来ても何とか行動できるだけのスペースを設けエンジンを切った。すぐ北側には中央道が走り、運転手の顔が見えるほどの近距離であった。すぐに出発準備に入る。


 4:30行動開始。墓地から集落内の本道に出て右折して北方川に沿って進む。タイガーロープですぐに塞がれ潜って進む。その先のカーブの場所はチェーンが張られ施錠してあり脇をすり抜けて進む。するとすぐに川に対しての東尾根と西尾根の分岐があり、立派な道標が立っていた。左岸を進んで行くと伐木の工事車両が置かれ、その先の標高600mの分岐点からは、右側の道はキャタピラーの痕が濃く残っていた。分岐には巡視路標柱も見える。右を選び伝ってゆくと工事現場はさらに右に逸れて行った。プラスチックのステップが並び、巡視路管理がよくされたルートで、やがて送電線鉄塔下となる。ここで進路が見えてこないのだが、登ってきたまま直線的に鉄塔下を潜って行くと、薄い踏み跡が見えてくる。鉄塔の場所はこんな感じであるが、少し高度を稼ぐと登山道にロープが長く流してある場所となる。ロープなど要らないとは思うが、山肌が崩れやすい場所のようであった。


 穴沢山は、山頂を通過し振り返る角度で標識が付けられていた。登ってきた側に向かって付いていて欲しかったが、標識があるだけヨシとせねばならないだろう。樹林の山頂で展望は無い。白くきれいな四等点が埋まっていた。ここまで上がると下界の排気音が遠退き静かに歩けるようになった。二つ目の鉄塔を潜り5分ほどで、初狩駅への下降点がある。利用者が多いのだろう、よく踏まれた道が降りて行っていた。


 今日はうっかりしてしまい、デジカメを忘れてしまった。過去これだけ山旅を繰り返してきて、忘れたことは3回だった。老化に伴い4回目以降は加速するかもしれない。スマホを使うので、電池温存とラジコは封印する。檜平からは男坂へと尾根を進んで行く。意地っ張りなので女坂は選ばない。ただ、上の方でルートをミスしてしまって適当に尾根に這い上がった。少し薄い場所もあるのだった。乗り上げて少し戻るようにすると女坂への下降点があった。


 先ほどまで少し薄日も射していたが、湿気の多いガスに覆われつつあり周囲が望めなくなっていた。せっかくの富岳十二景の場所であるが、今日もツイていないようだ。二等点の埋まる手前峰を越えると本社ヶ丸への分岐があり、白い杭が並び別れるルートの場所を示していた。出発から2時間ほど、いいペースで上がって来れたようだ。時折春ゼミの鳴き声が聞こえるのだが、しっかり鳴くほどの天気でないのか、壊れたテープレコーダーのように断続的に短く鳴いていた。


 滝子山到着。なんにも見えなかった。なんにもとは嘘で北西のみ見えたが、本来は南が見えてくれないとならない場所である。周囲の山の同定も出来ずなのですぐに次へと進んで行く。ここからのルートは、尾根通しのコースと、北側の山腹を巻いているコースとがある。真新しいリボンがあったので山腹のコースを伝ってゆく。結果として2本は途中で合流する。


 1540mの肩には分岐道標が立ち、以前は伝えたのだろうが、尾根への表示は外されていた。滝子山のみだったら伝って降りるが、浜立山に行かねばならないのでさらに西に進んで行く。ポコポコとアップダウンのある地形で、地形図に良く合致している判り易い場所とも感じられた。


 浜立山は植生が密の山頂で、やや圧迫感を感じる場所であった。密と書いているくらいなので展望は無い。小ぶりな二つの山名標識が山頂らしくさせているが、無かったら通過点のような場所に感じられた。踏み跡が西に続いており伝ってゆく。少し足元がとられやすい滑りやすい場所もあった。1440mの肩でそれまでの西進から尾根を外れ南進に変る。公式ルートであれば道標を置く場所となろうが、ここにはない。


 道形が薄く不明瞭な尾根を降りてゆく。高度を下げるとマーキングが見えるようになるが、1200mからは南南東の尾根を選んだら一切なくなった。代わりにこの尾根には赤い境界標柱が並んでいた。どんどん下ると尾根の東側には流れのある谷があり、反対側の西の谷は夥しい倒木が折り重なっている谷であった。途中でリッジと言いたいほどのやせ尾根になる。最後の尾根末端が沢に吸収されてしまうので、手前で東側に降りて沢を渡渉してしまった方がいい。


 沢の左岸には杣道にしては広い道形があり、使っていないのも見えるが状態よく続いていた。進む先が明るくなり林道が見えてくる。この一帯にはペットボトルが各木に結ばれていた。蜂対策なのか獣対策なのか。林道に出た場所には送電線鉄塔が立っていた。ダート林道を東へ進んで行く。


 沢を跨ぐ場所に在る橋は、悉く銘板が外されていた。この林道上で渡った橋は全て取れていた。盗られていたと書くのが適当なのかもしれない。道標があり寂ショウ尾根と書かれていた。上で見た分岐はこのルートのことだったのかと理解できた。習志野ナンバーのワゴンが停まっており、好事家が尾根を伝っているようであった。にわか雨程度であった最初であるが、けっこうに濡らす雨になってきていた。スマホを触るのに誤動作ばかりで、濡れたまま拭かないで仕舞うと、何処かが雫に触れてアプリが立ち上がり、見たことも触ったこともないようなソフトが立ち上がっている時もあった。雨の日はデジカメを忘れてはいけないと強く思えた。


 林道から峰の山へ向かう下降点の場所にはリボンが縛られていた。踏み跡は薄いもののどこでも歩ける下草のない尾根でストレスなく伝って行ける。鉄塔下を潜り進むも特に道形のないままであった。鹿が東側斜面を逃げてゆく。山肌に草類が無いのは彼らのせいなのだろう。静かに歩いているのに彼らはこちらの存在を察知している。鹿は目がよくないと聞いているが、あとのどの感覚で察知しているのだろうか。


 峰の山登頂。朽ちた大木が横たわり、その太さに隠される感じで御影石の四等点が見られた。標識は二つあるが、天気がそうさせているのか同化し目立たないものとなっていた。朽ちたリボンも見られた。北に尾根を戻り林道に再び乗る。


 滝子川沿いに沿う破線路が読めるが、現地ではそれ(下降点)が良く判らず、林道をそのまま伝ってゆく。それとは別に、進んで行くと山手側に檜平へ向かう登山道が見られた。林道を降りてゆくと、ここが林道大鹿線と言うことが大月市の看板から判った。白岩大権現神社への分岐には、その神社側になにか案内看板が見えるが、分岐からは判読できなかった。


 滝子川には、右俣左俣を抱き合わせにした大きな堰堤が出来ていた。地形図の堰堤記号より上流で、付近の林道は左岸を迂回するように地形図と違えて新設されていた。その堰堤の真横あたりから、天神山へと向かう道形があり、林道を別れここを伝ってゆく。道形は途中で有耶無耶になるが、十分伝えるものであった。地形図を見ると送電線の鉄塔があり、この巡視路があるだろうと予想したが、鉄塔に向かうものは見えてこなかった。峰の山によく似た下草のない尾根を進み天神山に到達する。


 天神山の山頂部は、地形図に読めるより狭く、だらっと広い高みでなくピンポイントで山頂がある場所であった。KUMOを最近見ないが、それによく似た茶色地に白字の標識がある。あとSK氏の赤い絶縁も、8年経過しているのしてはしっかりといたずら書きが読めた。ここもまた展望のない場所で各方面遮られていた。最後の目的地であり、やっと腹が空いてきたのでヤキソバパンを掲げる。ここからは東尾根を下ろうかと考えていたが、歩いてくださいとばかりの尾根が南に降りており伝ってゆく。


 650mの肩からは南にも東にも降りられる場所であるが、どちらにもにマーキングは導いて居なかった。東に降りてゆくと赤い鉄塔の下を潜る。さらに先でもう一つの鉄塔を潜り、この先尾根が明るくなり南の展望が開ける。ここはフェンスに沿うように踏み跡がある。獣がこの道(踏み跡)を存続しているのかもしれない。すぐ下に中央道があり、さらに下に20号が見えていた。尾根の最後は樹林帯の中を九十九を切って降りると、出た先は往路に見た北方川の東尾根西尾根の分岐の場所で、今伝ってきた側が東尾根だったよう。そういえば、往路の1170m付近、左からの尾根が合わさる場所に、その尾根に踏み跡が見られた。天神山から944高点を経ての東尾根の道だったよう。


 中央道を潜ったら左折し、共同墓地に戻る。墓地には解説の石碑があり、それを読むとだいぶ古い共同墓地であるのが判った。ここには水道も引かれ、汗を拭うのに利用させてもらった。停めた場所が狭く、墓地へ訪れた方がUターンに苦労していないかと心配であったが、わが車だけポツンと置かれていた。置いておいてこんな言い方はおかしいが、ここはあまりいい駐車場所ではないのだった。

 振り返る。反時計回りで行動したが、今回の全山を時計回りだとやはりやり難いだろう。反時計回りなら峰の山と天神山が山腹の山な感じで登れるが、時計回りだと独立峰的になってしまう。省力なら反時計回り。








 
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