臺ノ池山        1795m                                                                                                                                                                                                      
  2023.8.5(土)


  晴れ    単独    聖地区より     行動時間:4H27M


@若林太郎左衛門碑4:18→(28M)→Aゲート4:46→(23M)→B1250m現在の車両終点地5:09→(16M)→C1336m破線路撤退地5:25→(42M)→D1550m地点6:07→(40M)→E臺ノ池山6:47〜52→(33M)→F1473m道形を跨ぐ7:25→(54M)→G林道に降り立つ1178m8:19 →(6M)→Hゲート帰り8:25 →(20M)→I戻る8:45     
                                                                                                                                           


 
@若林太郎左衛門碑前よりスタート 少し前の西側伐採地。 西の主尾根に送電線鉄塔が見える。 A標高1100m付近の貯木地。
       
Aゲートがあり南京錠がされている。徒歩は脇を通過可。 1130mの分岐。地形図に読める場所。 1140m付近の非掲載の分岐。北側から撮影。ほか2カ所ほど非掲載の枝道あり。 伐採地が谷の左岸にあり、そこへの枝道が3カ所ほどある。
   
B1250m付近。現在の伐採地終点。ここまでは車で入れる状態の林道。この先は無理。 1270m付近。道形は薮化している。この先は、密薮から激薮に変わって行く。 1295m付近。道形が不明瞭になる。古い冷蔵庫が見られる。 ベニバナイチゴの密薮。夏に突っ込むには酷だが・・・我慢して分けてゆく。
     
C1336m付近。密度が増し激薮となり、破線路を伝うのは諦め撤退を決める。 取付いた斜面。1320m付近。 1400m付近。変わらず下草なし。 1510m付近。露岩が出だす。
     
D1550m付近。急登終了。 1570m付近。露岩が点在し見栄えする緩斜面。 大岩の上に大岩が乗っている。1630m付近。 1640m付近。屏風のような大岩。
       
1660m付近。西側が明るきたおやかな尾根筋。 1705m付近。露岩が折り重なり、縫うように進む。 1740m付近。道形が現れる。 1760m付近。尾根上に立木の無い明るい場所。
       
1770m付近。大岩。 E臺ノ池山到着。 E北東側の岩 E南西側
       
Eヤキソバパンと E絶縁テープを残す 1600m付近。快適尾根。 1585m付近に大きなヌタ場。
       
1490m付近で、この日の山中で見る初めてのマーキング。 F1473m付近。林道幅が横切る。 1435m付近。林道幅が横切る。 1315m付近。林道幅が横切り、東へと林道幅を進む。その先は酷いトゲの密薮が待っていた。
       
G1180m付近で林道に乗る。 Hゲート帰り。開放中。 林道の帰り I碑の前に戻る。碑の前は農家の駐車場所なので注意。
       
I若松太郎左衛門の碑 傷だらけになり帰還。



 6月3日に一度狙ったものの、経路でスマートフォンを落とす失態をした。財布同様となったアイテムで失くしたショックが大きく、山遊びどころでなくなり行動計画は中断した。運よくスマホは見つかり事なきを得たが、予定していた1座が残ってしまった。それが「臺ノ池山」。古地図よりの山座同定は、6月3日の記録にある通り。


 諦めが悪い性格であり、残してしまった臺ノ池山がずっと気になっていた。北からのアプローチは既に一度実施したので、二度目は別ルートをと考えた。南からの場合、城戸平からが公式ルートだが、伝った先は三方ヶ峰となる。これだとまたスマホを落とした尾根を伝う事になり今一つ気に入らない。尾根伝いを選ぶと、西の送電線鉄塔の並ぶ尾根となる。1360mまで巡視路が伝え、そこからの広い尾根がやや気になった。強いササ漕ぎではないかと予想するのだった。もう一つ、聖地区よりの大石沢川左俣に続く林道が見られる。途中で破線路になってはいるが、伝えるかどうかは置いておいて、地形図からは1550mまでは道形が在ることになっている。今回はこの谷筋の道を伝ってみることにした。


 2:15家を出る。軽井沢を経て浅間サンラインに入り、道の駅雷電くるみの里の東、原口交差点から聖地区を目指して行く。当初は聖公民館に車を停める予定でいたが、駐車スペースは東側の広場の場所。グランドゴルフやゲートボール、ほか何か地区の催しでもあったらと避け、最終的には若林太郎左衛門碑の前の余地に停めた。碑の北側には夜間でも煌々と明るい大きな建物が見える。宿なのかと思うほどの大きさであった。すぐにエンジンを切り夜明けを待つ。東御市の夜明け時間は4:20頃だった。40分ほど待つのだった。


 4:18碑の前をスタートする。ダート林道だが、よく踏まれ頻繁に車の通過があるのが見えた。すぐ先に廃棄物を集積した場所があり、焼却する大きな煙突が見られた。その先で、左側に古い伐採地があり高木がまだないので西の主尾根が見える。尾根上には鉄塔が並んでいた。谷を歩きながら、”尾根歩きの方が良かったかも”なんて思うのだった。


 碑から30分ほど歩くと貯木場があり、ここで林道は黒い鉄の門扉でゲートされていた。しっかりと南京錠がされ、注意書きには「車両等の通行を禁止します」とあり、歩行者に対しての制限は無いようだった。門扉の西側に空間があり通過してゆく。標高は1100m付近であった。


 1130mに分岐があり、これは地形図に見える1146高点側に分かれる道の場所であった。地形図からは、この先は破線路に替わるが、そのまま林道幅のまま奥に延びて行っていた。1140m付近には地形図に記載されない分岐があり、西側へと枝道が上がって行っていた。ほか廃林道的な場所を含め、この様な場所が2か所ほど見られた。しばらくすると、今度は東側が明るくなり伐採地があることが見えてくる。その左岸側へと進む道が付けられ、3箇所ほどこれらの分岐点があった。水を欲していたのか、迷犬は都度沢側へと道を選んでいた。


 1250mまで林道幅で快適に進むことが出来た。ここも東の左岸側が大々的な伐採地で、現在工事がされる最奥のようだった。ここからの破線路は、林道幅ではあるがかなり自然に還りつつあった。楽をさせてもらったのはここまでだった。最初は膝丈くらいだったが、すぐに背丈以上の野草が繁茂していた。分け進むと、古い冷蔵庫のある場所で道形があやふやになり判らなくなった。獣道を使い北西側に這い上がると、再び道形に乗った。ただし・・・。


 強烈に薮化している場所となった。嫌なことにトゲトゲばかりで、ベニバナイチゴとサンショが混ざる、それらの群落になっていた。ベニバナイチゴの幹は、太いのは親指ほどある。それらに細かく鋭い棘がついている。ストックを使いながら倒しながら進むが、これはかなりブレーキとなる。迷犬は、棘が気にならないのか潜り進んで行く。同じように試みたが、ザックに引っかかりもどかしい事この上ない。一進一退、空間を選びながら進んだり戻ったり、これでは負荷が大きすぎると、破線路を伝う事は諦める。山行をも諦め戻ることも考えた。しかし諦めが悪い。


 上の方は等高線が密ではあるが、北東進を諦め北に突き上げてしまうことにした。主尾根に対する南斜面となるが、ここも密藪だったら本当に諦めようと思った。でもしかし、伝ってみると意外や植生が薄く伝い易い。やや勾配が強いこと以外は、先ほどの谷筋に対し進み易さに雲泥の差であった。落葉樹の雑木林の中を登って行くと、1500m付近から露岩が現れだす。視界がそれらにより閉ざされるので、かなり神経を使いながら周囲を見ながら上がって行く。


 1550mで急登が終わると、何とも言えない心地いい緩斜面に変わった。ここも下草が薄く、小さなササが生えるので、一度笹枯れがあったのかと見ていた。あとは、シカの糞がほとんど見られず、警戒音さえもしない場所であった。そして1570m付近からは再び露岩が現れだす。ポツンポツンと大岩が在り、広い庭園のような印象であった。1625m付近には、親子亀のような、親子カエルのような大岩もあり、また屏風のようなものもあり目を楽しませてくれる場所であった。


 1660m付近では西側が明るくなり寄って行くと、立木はあるが下草がほとんどないような場所もあった。1700mからは再び露岩が現れ、ここはそれらを縫うように進んで行く。ここまでに特に道形は無かったが、1740m付近から明瞭な道形が現れた。古地図からも、ここには登路が書かれている。現在で歩いている人は少ないだろうが、昔のそれらを獣が使って維持されているように見えた。


 途中、1785m付近に立木が無く明るい場所が現れる。テン場適地と言えよう場所であった。ただし展望は全閉。1770m付近から大岩が現れ、山頂は岩峰かと危惧したがここのみで、踏み跡は西側山腹を進むものと、尾根頂部を進むものとに分かれていた。濃いのは山腹の方であった。尾根側へと進んで行く。この辺りで腰丈くらいのササの植生だった。朝露に濡らされながら膝を入れ分けて行く。


 台ノ池山登頂。北東側に小さな岩があるくらいで人工物は皆無。最高所に絶縁テープを残す。ほぼ樹林帯の中ではあるが、蒸し暑い日で迷犬と共に久しぶりに給水する。山中で水を飲んだのは何年ぶりだろう。それほどに飲むような山行をしていなかった事になる。一時諦めようかと思ったが、なんとか届いて嬉しい。この山頂では、ヤキソバパンがラブラドールと撮影された最初であろう。朝食を分ちあう。三方ヶ峰側からはよく見えたここであるが、こちらからの景色は無い。


 帰路は送電線尾根を伝ってみようと考えた。西側へと戻って行く。途中の1630m付近の尾根はとても快適で、ミズナラの群落のような場所であった。1580m付近には大きなヌタ場があった。だがしかし、周囲に足跡は無かった。1560mからは尾根が二手に分かれるが、以西は尾根に対し南側に道形が在る感じだったので南寄りの尾根へと進んで行く。そして、入山して初めて1490m付近にマーキングがされていた。その続く方向にと進んで行くと、道形は途中で北側へと降りだした。尾根を外れたことから、獣道だったのかと判断し尾根側を伝う。ここはもしかしたら北斜面へ行くのが正解だったよう。


 1480m付近からかなり植生が濃くなりだし、古い伐採木が堆積しているので踏み抜きが多くなった。迷犬も歩き辛そうにしている。1473mで山腹に走る廃林道に乗り、これは東進は行き止まりで西進は向かう先が違うので、跨ぐように降りて行く。次に同じように林道が1434m付近にもあり、これも跨ぐ、三度1315m付近にも横切り、これは東側へと降りて行っていたので伝ってみる。しかし、ここもベニバナイチゴの強い密生帯で分け進むにも痛くて仕方が無かった。送電線側にまだ修正出来たが、一帯は何処に向いても同じような植生でそれこそ立ち往生となった。もう少しで林道か巡視路に出合えると思っていたのに・・・。


 ここからは苦行だった。それでも歩き易いだろうと道形を選ぶも、東に進んだ先の谷で強烈なトゲ藪となり半泣きになりながら突っ込んで行き谷の左岸を降りる。右岸を見ると道形が見え、進路を修正すると、再び同じような地形があり、沢の中に入った場所で密生藪となった。西城秀樹さんの「傷だらけのローラ」を口ずさみたくなるほどに両腕は引っ掻かれていた。そして両手がピリピリと痛い。いくつ棘が刺さっているだろう。道形は往路に見た枝道のどれかに繋がっているのだろうと思っているが、その往路までが長かった。途中で尾根歩きに切り替え、下側を通過する車のエンジン音が聞こえた時には、本当にホッとした。


 1180m付近で往路の林道に戻る。1100mの門扉は開けられており、土曜日なので奥で林業作業がされているようだった。明るい中に歩くと、直線的な場所が多い林道で心地いい。一方水の得られる場所が乏しく、沢に流れが無いのがやや難点と思う。林道を戻ると、先ほど通過した車が集落からの林道入口停まっており、舗装路の場所では重機運搬車が待機していた。全て林業関係者であった。

 若林太郎左衛門碑の前には、軽トラが1台停まっていた。小言か文句を言われるかと構えながら東側の畑の農夫に挨拶をする。すると「山登りかい」と意外や気さくな方だった。話を聞くと、昭和45年くらいまで、この山域で炭用の薪集めをし、頻繁に山中に入っていたそうだ。そして尾根上の旧登山道に関しても知っていた。私がゴソゴソやっていたあたりは、クマの巣窟だとも言っていた。糞も気配もなかったので、おそらくはもう過去の話であろう。聖地区から山中に入る人などほぼ居ないとのことだった。あと、煌々と明かりの点く大きな家は、東京からのお金持ちのお宅のようで、知ってはいるようだったがあまり内情を伝えたがらなかった。地域でかん口令が出ているような感じで、もしかしたら有名人のお宅なのかもしれない。そしてこの暑さに、朝方9時まで働いたら、15時までは家でゴロゴロしていると言う。暑くて作業にならないそうだ。

 振り返る。負荷が少ないのは三方ヶ峰からのアプローチだろう。ただ、三方ヶ峰から西側200m区間ほどにコマクサの群落があるので個人的には避けた方がいいと判断する。送電線尾根が今回伝えなかったのが心残りではあるが、もしかしたら最楽ルートかもしれない。尾根がたおやかなので、残雪期が一番の適期かもと思う。とても心地いい尾根筋であった。もう一度登山道を開いても十分楽しめる場所となろう。まあ城戸平よりのルートが在るので、自然淘汰で廃道になったのだろうけど。


    

      
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