妙義山 1083m(1090mピークまで)
2023.4.1(土)
晴れ 単独 妙義神社経由 行動時間:1H53M
@大日向四区公民館5:33→(6M)→A840mフェンス入山口5:39→(10M)→B妙義神社本殿5:49→(39M)→C1070m南峰6:28→(5M)→D妙義山(西峰)6:33〜34→(8M)→E東峰6:42→(3M)→F北峰(妙義山山体最高所)6:45〜51→(6M)→G西峰と東峰の鞍部6:57 →(19M)→H870mフェンス7:16 →(10M)→I公民館7:26
@大日向第四公民館に駐車スペースがある。ここが村落で唯一。公民館から見る妙義山。 | 村落北端からの参道入口。道標無し。 | A標高840m付近にシカ除けフェンスと出入口 | 850m付近。谷の中の大岩に石灯篭。 |
850m付近よりの階段路 | 「傷み」とは、石段の角度がゆるくなっている場所が数カ所ある事。 | かなりの急こう配。冬季は伝いたくない感じ。 | 905m付近で急登が終わりなだらかな尾根に。 |
石畳敷きの快適尾根 | B妙義神社 | B山号が立派過ぎて読めない | B神社前から南側。崖地形。 |
社の西側の尾根を登る。薄い道形あり。 | 岩場が多くなり尾根頂部は危険度が増す。道形消滅。マーキング類無し。 | 940m付近から本郷地区俯瞰。 | 露岩の岩場が増えてゆく。 |
995m付近は、頂部が伝えず尾根東側を巻く。細いバンドがあるが足が流れやすい。 | 1000m付近で頂部に戻る。露岩が点在し続く。 | 1050m峰は、城址のような雰囲気。 | 1050m峰の周囲に棚地形があり、曲輪があったような感じだった。 |
1050m峰から東も露岩の大岩が並ぶ。 | 頂部が伝えない場所は北を巻く。獣道あり。 | 奇岩。基部にクラックが入り落ちそう。東側から西に見ている。 | 1035m付近。 |
C1070m峰。南峰。 | D1083.0m三角点峰。妙義山。 西峰。 | D四等点 | 東峰への最後 |
E東峰には木柱が石で囲まれていた。 | E東峰最高所 | F北峰。山塊最高所 | F北西側のみ展望あり。 |
F1090mを示す。 | Fヤキソバパンと | F絶縁テープを残す | G西峰と東峰の鞍部から、南に谷を降りてゆく。 |
990mから下 | 990mから振り返る。 | 930m付近で道形が現れる。 | 右岸の道形を伝ったが、左岸にも道あり。 |
途中の倒木の場所にくくり罠が仕掛けてあった。振り返り撮影。 | Y字分岐。右側から降りてきた。撮影側に進んでしまい、戻り西側の道を行く。 | H875m付近のフェンスゲート | I公民館に戻る。地域のゲートボール場。駐車する場合は配慮したい。 |
日本三大奇勝である妙義山。遭難者数世界一の谷川岳の次に上州では事故が多い場所でもある。そんな妙義山は、300名山として相馬岳を最高所としている。白雲山や金洞山などもあり、山塊の総称として妙義山となっている。
信州にも妙義山があると知ったのは2年程前。ところは佐久穂町。麓に妙義神社があり、その裏山が妙義山であった。三角点名が「妙義山」であり、古くから地元でもそう呼ばれていた場所で間違いないだろう。上州の総称の妙義山に対し、こちら信州の方はピンポイントで呼ばれているよう。
WEB上の記録は、三度山同様に根橋氏が残しており、他に一名閲覧することが出来る。両名とも北側からアプローチしている。理由は、北斜面の方が緩斜面なのと、地形図からは西側で実線路が主尾根まで到達しており、そこを伝えば主尾根歩きだけでアプローチできるからだろう。しかし・・・天邪鬼とかではなく、純粋に妙義神社から妙義山に登りたいと思えた。両名の北麓に対し、南麓でのアプローチ。一部ゲジゲジマークが見られるが、何とかなるだろうと計画してみる。
3:30家を出る。佐久に入ると外気温は3℃まで下がっていた。佐久穂町の国道299に乗り現地である本郷地区に着いたのが5:00。しかしこの集落内に駐車スペースがなく困った。国道沿いも乏しく。静まり返った集落内の細い道に、ディーゼル音を響かせながら15分ほど右往左往する。少し離れるが西側に路肩余地があったが、諦めきれず探し続ける。駐車スペースがある場所として五区生活改善センターが見つかったが、周囲が住宅で駐車スペースも狭く停め辛い。そして大日向四区公民館を見つける。ゲートボール場が併設され、10台ほど停められるよう舗装されていた。半鐘脇に停めエンジンを切る。
5:33行動開始。抜井川を渡ったら西進し、その先で鋭角に上がって行く道に入り北東進してゆく。そのまま道なりに進むと、左にカーブし西進となる。このカーブから30mほどの場所に北に折れる小路がある。ここが参道入口なのだが、道標は皆無で畑へのアプローチ道にしか見えない。小路に入り北進してゆくと、標高845m付近に鹿よけのフェンスゲートが現れる。ここにも道標は無し。退色した白いプレートが下がるが、判読は出来なかった。
ゲートを開閉して進んで行くと、左の谷地形の中に大岩が在り、その上に大ぶりの石灯篭が乗っているのが見える。先に進むと、流れとはいい難い湿った谷部を跨ぎ西進となる。そしてその正面に長い階段の参道が現れる。登り口に注意書きがあり、「大変危険です」とも書かれていた。どんな危険があるのかと、少しワクワクしながら登って行く。崩れた階段路は水落山で経験しており、そんな感じなのかと思ったが、意外に状態がよく。危険と言うのは、階段が水平でなく麓側を向いてしまった場所がいくつかあり、グリップしい辛い場所となっていた。
山を歩いているのでここほどの勾配には驚かないが、神社の参道階段の勾配としては、かなりの斜度であった。そこの階段が水平ではないのだから、「かなり危険」と言うのは間違いない。先を行く迷犬も登り辛そうにし、途中で休みながら登っていた。この急登が終わるのが905m付近で、そこからは一変し、石畳の参道となった。急階段の先がこんな石畳とは驚かされた。その先に妙義神社の社が待っていた。社の他に何か建物があったようで、廃材が東側に集められていた。注連縄や紙垂は見られず、もう祭事も行われていないようであった。何文字と言うのか、山号が書かれているが学が無いので読めなかった。ここまでは破線路の場所。本題はさあこれから。
社の北側から尾根に取り付く。薄く九十九折する踏み跡があった。その上を落葉が覆うので道形が在るが歩き易い場所ではなかった。そもそもの傾斜が強いってこともある。岩場と言えよう露岩がすぐに現れる。最初はその中の伝える場所を縫うように進んだが、980m付近からは尾根頂部が伝えなくなった。そこで東斜面を巻くのだが、昔の踏み跡なのか獣道なのか、幅の狭いバンドがあるが、先ほど同様に落ち葉が堆積して足が流れ、立木が無い場所はかなり神経を使った。ここの巻き終わりが1000m付近で、ここも露岩が並ぶゴジラの背のような場所だった。西進が終わり北進となる。今来た場所を戻るのは避けたい気分であった。下るならザイルを垂らして行動したい場所であった。
北進してゆき最初のピークの1050m峰に乗り上げる。広い広葉樹の茂る山頂で、平らな地形から雰囲気が城址のように思えた。さらには東側直下には曲輪のような棚地形があり、これを見てより城址に思えた。東進してゆくと、こちらにもまた露岩が多かった。1030m付近には起立した大岩があり、その先で尾根上が進めなくなり北側を巻く。ここには獣道のような道形が存在した。やや長く山腹を巻く。そして1025m付近で尾根上に戻る。ここにも起立した大岩が在るのだが、それが今にも落ちそうな感じで基部に亀裂が入っていた。それも亀裂の入り方が重力の妨げになっていないのだった。尾根上の露岩はさらに続いた。
1060mに乗り上げる。ここで進路を北に振り1070mの高みとなる。もう目の前が妙義山であり、先ほどとは違い安全安心な地形に見えホッとする。緩く下って広い斜面を適当に伝って進むと、妙義山から東に派生する尾根に乗り上げ、次は西に這い上がって行く。露岩が多かったが、下草は無くその点では伝い易い場所であった。
妙義山到着。四等点が出迎えてくれる。山名を記したものは無く。人工物は三角点のみであった。登頂はしたものの、東側の高みの方が標高が高いので足を向けることにした。緩く下り、また露岩が見える高みを目指して行くと、石積みの中央に木製の角柱が立っていた。何の印だろう。境界標柱であれば埋設した方がいいし、わざわざケルンのように石を積んで補強するのは何だろうか・・・信心のもので、昔は祠でもあったのだろうか。もしくは人工物に見えるが自然にできたものかも・・・。
ここまで来て面白いことに気づいた。先ほどの三角点のある場所に対し、ここは東峰で、三角点峰が西峰となる。標高をスマホで読むとここは1088mと出た。そして妙義山の南に通過してきた1070m峰があり南峰となる。そしてここ東峰から北を見ると、北峰となる高みがあるのだった。妙義山は東西南北に高みのある山体であった。北に進みその高みに立つ。地形図通りスマホ標高も1090mであった。ここも人工物は無く、西北西側のみ展望が得られた。気になった最高所を踏んだので岐路となる。
妙義神社への尾根は危険があるので別ルートでと地形図を眺める。各尾根歩きも気になったが、やはりここでは伝家の宝刀の谷下りにしたい。西峰と東峰の鞍部まで戻ったら、そこから南東に降りて行く。上の方はやや勾配が強いが、転んでも事故になるような場所は無く、踵を入れながらグリップさせながら高度を下げて行く。
標高930m付近まで下ると、麓からの道形がこの辺りで消滅していた。ここから谷を左にして右岸側を降りて行く。しばらく進むと、谷向かいの東側である左岸にも道形が並走しているのが見えだした。両岸に道形が在る場所であった。左岸側の方が明瞭だったので途中で左岸に移動する。押し出しで埋まる場所もあったが、概ね林道幅で続いていた。快適に足を運んでゆくと、倒木が切られたままの状態で残っていた。シカの通り道となるのか、くくり罠の残骸が残っていた。この南側で分岐があり、道が対岸に向かっていた。先ほど右岸に居て、右岸に繋がる道だろうと、そのまま左岸側を進んだ。しかしこれは地形図に描かれている実線路で、東側へと進む道であった。戻り先ほどのY字分岐を西に進む。谷を挟んで右岸側は下側にも道が続いていた。これも地形図に描かれている道である。
標高875m付近に鹿よけのフェンスがあり開閉して麓側に出る。神社側より開け閉めしやすい仕組みになっていた。降りて行くと放牧場があり、牛は見えないが東に見える大きな建物は牛舎だろうと判断できた。舗装された農道わきには、もう土筆が70mmほどに育っていた。集落のある谷向こうは茂来山の山体だが、なにか川上村から見る甲信国境に似た景色であった。
集落内を戻って行く。出発地点の公民館のグランドに人影が見え、駐車場には軽トラが見える。歓迎されるか小言を言われるか、色々想定しながら戻って行く。トイレ掃除当番だったのか、車に乗ったその方と手前の橋の場所ですれ違った。挨拶をしたが無反応だった。公民館に戻る。ここには水道もトイレもある。あと、山中では気づかなかったが、迷犬にマダニがたくさん付いていた。多いエリアのようだった。
振り返る。妙義神社から妙義山。言うなれば、妙義神社から大の字を経由しての相馬岳な感じだが、佐久穂のここも、スケールこそ違うが本家に負けないくらいのスリリングさを味わえる場所であった。妙義山はどこも侮れない。危険を避けて巻ける場所は巻いたが、まともに岩と対峙するなら、岩慣れしていないと危ない場所と思う。そして冬季や残雪期は、妙義神社への階段を使わない方がいいだろう。転んだら止まらない斜度が待っている。自治体としては、責任を負えないので景勝地としてここを紹介しないのだろう。急階段と石畳は一見の価値があるとは思う。