一石山 1007m 人形山 1176m 金袋山 1325m
篶坂ノ丸 1456m ウトウの頭 1588.0m 天祖山 1723.3m
2016.9.17(土)
くもり 単独 日原渓流釣場より反時計回り 行動時間:6H57M
@日原渓流釣場5:12→(8M)→A一石山神社5:20→(43M)→B一石山6:03→(25M)→C人形山6:28→(22M)→D金袋山6:50→(20M)→E篶坂ノ丸7:10→(33M)→Fウトウの頭7:43〜49→(22M)→G1602モノレール8:11→(20M)→Hタワ尾根登山道合流点8:31〜33→(30M)→I分岐9:03→(26M)→J梯子坂ノクビレ9:29→(31M)→K天祖山10:00〜08 →(3M)→L会所10:11→(93M)→M林道登山口11:44→(25M)→N日原渓流釣場12:09
@日原渓流釣場駐車場からスタート | 手水で手洗いしてから一石山神社を参詣。 | Aこちらは本殿。後の燕岩が見事。撮影側西の社殿横から上がって行く。 | 最初の肩の場所のベンチ |
古の道のよう。よく見るとこれらはコンクリートで固めてある。 | 起立する岩の場所で現在の道は西を巻く。昔の道は直登だったよう。 | B一石山1007高点 | B神社への下降点の場所。 |
ミズナラの樹林帯。独特の香りが一帯を包む。 | 大みずなら | サルが沢山見られた | ヤマグリを食べていたよう |
C人形山1176高点 | D金袋山1325高点 | D金袋山の才ある標識 | 1350m付近。南側に草地が広がる。付近でイノシシを見る。 |
E篶坂ノ丸1456高点 | E篶坂ノ丸の標識 | 岩部が出だすとウトウの頭が近い。 | Fウトウの頭 |
F上が陶板、下が木彫。どちらも見事。 | F三等点 | Fヤキソバパン | F西側へ進む。ここからなぜかリボンが乱打。 |
タイガーロープが尾根上を塞ぐ。南を巻く。 | 岩峰を南巻きしている途中。 | 岩峰の北西側鞍部 | 鞍部から南東の岩峰を望む。 |
G1602高点付近でモノレールが現れる。 | 快適な尾根道でモノレール下は、下草刈がされた新しい痕が見られた。 | 1630m付近。モノレールの終点。 | H長沢背稜の縦走路に乗る。 |
Hタワ尾根側を見る。 | 滝谷ノ峰ヘリポート | ヘリポートから天祖山 | ヘリポートから秩父側 |
I縦走路と日原との分岐 | 分岐から僅かで水場があるが、極めて細い。冬季は得られないだろう。 | 1662高点は東側を巻く。 | J梯子坂ノクビレ |
K天祖神社が見えてくる | K天祖山標識と三角点 | K三等点 | K神社敷地内は小さな祠が周囲に並んでいるのが印象的。 |
Kシナノドルチェで水分補給 | L会所 | 1120m付近の崩壊した社。これは前宮なのか祭壇が見られる。 | 天祖山雨量局。風速計か風力発電か、ぐるぐると回っていた。 |
参道だからだろう、登山道は石積みがされている場所が目立つ。 | M林道登山口に降り立つ。 | M降り立った場所に林道ゲート | N渓流釣場に戻る。下側駐車場はほどほど埋まっていたが、上部駐車場は空いていた。 |
月火と休んだので今週は3日しか働いておらずに週末を迎える。それもシルバーウイークだったと知ったのは金曜日だった。3連休なのにモチベーションが上がってこない・・・。前週の孫の来訪、いや来襲でパワーを使い果たしていたのだった。何処に行こう・・・。
2008年11月、東日原を基点にして20座を踏破した。長沢背陵を伝いぐるっと長駆けをしたのだが、その稜線の内側には当然落穂が出来てしまう。ウトウの頭、天祖山、八丁山、いつか行かねばと思いつつ居た場所であり、今回はタワ尾根上のウトウの頭と天祖山を踏んで戻ってくることにした。八丁山はまたのお楽しみ。
1:05家を出る。秩父を経て名栗を通ってのいつものコースで青梅に出る。奥多摩駅の所から日原に向かってゆく。7月9日に入山した川乗橋の所を通過し、その先は8年ぶりに訪れることとなる懐かしい景色。現地は8年経っても付近の様子に変化は無かった。駐車場所は二つ、鍾乳洞の所か渓流釣り場の所か。どちらにも鍾乳洞利用者以外、渓流釣り場利用者以外停めないでほしいとの表示がある。でも素直に聞くと停められない事になる。両現地を比較すると渓流釣り場の方が判読がし辛くなっており、その注意表示がより読めない場所に車を突っ込む。経路2.5時間、少し仮眠を入れる。
狭い道だが行きかう車は多い。少し白み始めたので行動開始。時計回りにしようか反時計回りにしようかと最後まで迷ったが、東回りの方がお日様に早くに巡り合えるだろうと、反時計回りに決めた。5時を少し過ぎた時間、鍾乳洞の分岐までに5台とすれ違う。山屋か釣り師なのだろう。鍾乳洞の駐車場まで進み、手水で手を湿してから一石山神社への石段を登ってゆく。
一石山神社は、境内の社だけだと普通の山里の神社だが、その背後に見える燕岩の大岩壁があり、併せて見ると素晴らしく荘厳な印象を受けた。鳥居正面の本殿でなく西側の社殿脇より登路が上がっている。そこから燕岩側に進んでゆくと途中に朽ちた道標がある、何も表示はないが、付いてたと思われる板が地面に落ちていた。ここから上で西に戻るような道になる。どうせ上に行くのだろうと、左に見送りながら薄い踏み跡を伝ってガレ斜面を登ってゆく。すると、階段状の立派な道に合流した。やはり本道は西からだったよう。
道形の状態は良く快適に登って行ける。それには流れやすい地形に石段が作られた場所が多く、そこがしばらく伝ってゆける。雰囲気的には古道を伝っている印象であった。しかし、古い石組で出来ていると思った石段をよく見ると、コンクリートで固めてあった。だからとて新しいとはならないが、古くからよく手が加えられた場所と思えた。
進路の先に起立したローソク岩と言えよう大岩が現れる。石段はその脇を直登しているが、ロープで塞がれ現在は西側を進むルートになっていた。西側から巻き上げるようにして尾根の肩に乗り上げる。この付近が一石山となろう。一帯に山名をふられている中で、ここのみ山名板を探せなかった。快適な尾根をしばらく進むと、視覚上もそうだが臭覚からナラ材が多い事が香ってくる。ここではミズナラなのだが、夏には甲虫が沢山いそうな香りがしていた。と、そこになにか影が動いた。反応して身構えたのだが、その主はサルだった。周囲には親子を含め5匹ほどが見える。居た場所まで進むと判りやすい、ヤマグリのイガが沢山落ちていた。少し先に進むと大木が半分折れた状態で立っている。これが大ミズナラのようであった。付近は少し踏み跡が薄い。
1176高点は人形山で、ここには控えめな木片に人形山と特異文字で書かれていた。山頂と言うより通過点な雰囲気の場所であった。周囲展望はない。この先も変わらずの快適尾根で、薄っすらとそれと判る道形が続いている。ヤマグリがあちこちに生えており、この尾根は獣の集まる場所と見えた。小川林道側から何か音が聞こえる。土曜日が動き出した音なのか自然での音なのか・・・。
金袋山はここも通過点のような1325高点だったが、そこに見えるデザインの良い標識に、登頂感を抱く場所となっていた。一つの標識によってここまで雰囲気が変わるものか・・・と思うのだった。この先、南側に草地が広がる。その緑色が心地よく見入っていたら、突如と大型動物の太い咆哮が、それも近くから聞こえた。先ほどのサルに続いて今度は本命か・・・でも少し本命にしては鳴き声が低音すぎる。瞬発力でその方向を追うと大きな体躯のイノシシであった。二度ほど咆哮を重ね北の斜面へ降りて行った。付近の尾根には彼の仕業だろう土坑の跡が残っていた。彼と言ったが彼女かもしれない。付近にはまだ居るだろうから、少し緊張しつつ上に登ってゆく。
1456高点の篶坂ノ丸も気にしていないと気付かず通過してしまうような場所で、やや古びた木彫された標識が掛かっていた。ここまでで約2時間。いい感じで歩けている。大ミズナラの場所以外では、尾根の幅がそう広くはないので視界が悪くても大きくは間違えない場所だろうと思えた。さて次がウトウの頭。少しずつ勾配が強くなってゆき、露岩も多く見えてくる。そこに特に難しい場所が出てくるわけではないので心地よく登って行く。
ウトウの頭到着。2枚の美しい山名標識が待っていた。展望のない場所で、この二つの標識が無かったとしたらセピア色の山頂な感じであるが、その二つの存在が山頂を華やかにしていた。もう一つ人工物があり、三等点も待っていた。北西を見ると1602高点峰が見える。ここからはっきりと見える場所はそこくらいであった。かなり早いがヤキソバパンを翳し記念撮影。マイナーピークで人気の場所であろうが、ここでヤキソバパンが撮影されたのは初めてであろう。小休止のあと西側へと下ってゆく。なぜかピンクのマーキングが乱打してあった。進路が判りづらいと言う事なのか・・・。
根の蔓延る中を降りて行くと尾根を塞ぐようにタイガーロープが現れる。「この先に進むな」との意味合いに捉え、ここは南側を巻くように進んでゆく。北側が進めたのかは判らないが、岩峰を大きく巻いてその先の鞍部に乗った。振り返ると岩峰がそそり立っている。逆ルートだったら、直登してしまうかもしれない。登りたくなるような、そそる岩峰でもあった。
鞍部から登ってゆくと西側からモノレールが上がってきていた。ここが1602高点。この先はセンターラインのようにレールに沿って進む。レール下側のラックにはグリスが着いているので掴まる場合は上を握りたい。そしてレール下では、最近されたのだろう下草が刈られていた。緩やかな快適尾根が続いてゆく。向かう先に人工物が見えてきた。縦走路だろう。
タワ尾根を形式上登り切り長沢背陵の縦走路に乗る。8年前は滝谷ノ峰からこの場所に降りてきたのだが、往時と林班の標識が立てられている位置が変わっていた。山腹の道を西側へと伝ってゆき滝谷ノ峰ヘリポートに出る。この場所は今日一番の展望地。富士山が見え180度反転して秩父の深山が望める。再び山腹の道を行く。誰かに出会うかと思ったがそれもなく日原への下降点分岐となる。この僅か先に水場があるのだが、本当に細い流れであった。両手を柄杓のようにして遅々とした流量に我慢して汲んで顔を洗う。さらに山腹を進み、やっと水松山からの南西尾根に乗る。
地形図の破線は1662高点を通過しているが、現地は東側を巻く道として頂部を踏まずに通過する。こんな場所が多いのが奥多摩なのだが、作道者の拘りだろうか、ただ単に省力の為か、いや作業道でもあったからより楽な道を切ったのだろう。高度をどんどん下げて行き、鞍部の梯子坂ノクビレに到達する。孫惣谷側へのルートは完全に廃道化してしまったようで、その方面を示す標識も鋸で切られてしまっていた。1671高点側へ登って行く。
このエアリアに示される実線ルートであるが、やもするとタワ尾根より道形が薄い印象を受ける場所も見られる。今回の孫惣谷を挟んでの二つの尾根だが、言い方を違えるとどちらも似たような濃さであると思えた。天祖山のこの尾根があまり歩かれないからなのだろう事も予想できる。1671高点まで上がり、その先はなだらかに尾根が続き、登り上げた先に大ぶりな人工物が見えてきた。
天祖山到着。水松山側から来ると、山頂標識は神社を回り込んでの南側にあり、神社に対する参道上に三等点が埋まっていた。神社の囲いの中は特異で、南側以外の他の三方には本殿を囲むように小さな社が並んでいた。少し南西にズレると日当たりのある場所があり倒木に腰掛けて持ち上げたリンゴを齧る。のんびりまったりとした気分になる場所であった。ただ、なんとなく獣に見られているような、視線を感じる場所でもあった。
神社のある山頂から3分ほど下ると会所と呼ばれる建物が見えてくる。この場所にしては大ぶりな建物で、ヘリではなく担いで資材を持ち上げた時代の建物と見えた。その大きさからは、氏子の多さや昔の日原の賑やかさが感じられた。ただここで、先ほどの天祖神社では祭りや祀りの形跡が薄かった。それもありこの会所も使われていないようにも思えた。それが良く判るのが、この会所から1時間ほど下った1120m付近にある社殿で、完全に崩壊している。だんだんと崩壊が進んだであろうし、信心のある人が居たら途中で直すはずであり、それがされていないのは・・・。
天祖山雨量局が設置してある場所では、風力計なのかプロペラがグルグルと回っていた。この先からルートはクネクネとしだす。少し進路が見え辛い場所も出てきたり、倒木などもちらほらとルート上に残る。それとは別に道形の谷側は石積みされ作られている場所が目立つ。対照的なのだが、往時の参道として立派に作道された場所が、今は信心が薄れ荒れてきてしまっている。そんな様子を見ながら降りて行くと、先の方に林道が見えてきて車が置かれているのも見える。視力が間に合うようになると、車の近くに人が休憩しているのも見えてきた。
林道に降り立ち、車の前で休憩している3名と話す。釣り師であったが、今日はゲートから先でも登山者には行き会わなかったと言う。大ダワか唐松谷かどちらに入ったかは不明だが、ハイカーの少ない日だったよう。それに対し、見下ろす日原川は釣り師がウジャウジャとしていた。ここは渓流釣りを楽しむのにアプローチが良い場所なのだろう。都会から近く自然が多く残っている。
林道を東に進んで行く。林道沿いのあちこちに釣り師だろう車が停まっていた。熊よけの鈴を鳴らしながら糸を垂れている人も見えるが、音が釣果の妨げになるのではないだろうか・・・。伊勢橋を渡り右岸から左岸に移り5分ほどで日原渓流釣場の駐車場に戻った。駐車場は満車くらいになっているのかと予想したが、まったくもって閑散としていた。着替えをしていると、下側駐車場から警官がバイクに乗って上がってきた。すわっ、登山者が利用しているわけであり注意されるかと思ったが、一瞥して通り過ぎていった。
振り返る。タワ尾根は、バリエーションルート的な思考で入ったが、ほとんど道がありウトウの頭の先もモノレールなどが在る事から、気合を入れて入山すると少し拍子抜けな感じがする場所であった。ただし気を抜いているとこの時季はサルやイノシシが出ている。安全登山には、楽な場所ほど緊張も必要だったりする。