中背山    2074.8m            


                                            
  
                                        

   2017.5.20(土)


  晴れ     単独       猿倉から大雪渓を上がり、中背尾根を往復し大雪渓を下る    行動時間:15H14M


@猿倉0:45→(283M)→A丸山南で稜線に乗る5:28→(34M)→B清水谷源頭下降開始6:02→(50M)→C中背尾根に乗る2630m付近6:52→(93M)→D中背山8:25〜9:00→(164M)→E2452高点東でトラバース開始11:44→(133M)→F鑓ヶ岳と杓子岳との鞍部13:57→(31M)→G杓子岳北西下降点14:28〜31→(49M)→H白馬尻小屋建設場所15:20→(39M)→I猿倉に戻る15:59


   
@猿倉から砂防林道を行く。 今年の連休時の雪崩現場。かなり大量に動いたよう。 この日の来光 岩室付近から杓子岳の北の谷が降りられないか見ている。復路はここを下る。
       
A丸山の南側で稜線に乗る。見えているのは杓子岳。 白馬山荘遠望 杓子岳のトラバース。連休時に通過しただろうスキートレースが残る。 B杓子沢コルを200mほど先に見て、ここから清水谷へと降りてゆく。
     
雪の繋がりに乗りながら降りてゆく。登り返さねばならないので、ここでは降りない方が良かったかも。 2670m付近をトラバースしてゆく。北側に雪庇の尾根筋があり通過できず、下側を巻いた。 2630m付近。ハイマツを横切るが、膝丈くらいの植生。通過1分。 C小鑓からの西尾根、中背尾根に乗る。
       
中背尾根に乗った2630m付近のハイマツ。往路ではここが一番深かった。腰丈くらい。通過2分。 2610m付近。中背尾根の南寄りを通過している。 2450m付近。2452高点の岩場をこのように見ながら通過。 2440m付近。この辺りは快適。帰りは苦しむのだが・・・。
       
2330m付近 2210m付近 2122高点南の岩尾根。西側突端まで進んでみたが降りられなく、30mほど東に戻り北に下る。 岩尾根を降りてから振り返る。写真左(北)側を降りてきた。
     
2130m峰 2130m峰の西は藪尾根。往路は北の雪を伝うが、復路は尾根通しで通過。さほど酷くない藪。 2100m峰。東から見ると、この場所が中背山に見えるニセピーク的場所。 自然の雪洞ができていた。状態のいいものが、中背山直下にも見られた。
     
2070m付近から 中背山手前から望む。 中背山の東斜面は、バンドのような斜上する地形がある。雪の下に道形があるような感じだった。 D中背山到着
     
D中背山から鑓ヶ岳側。こちらからだと、角度があまり鑓っぽくない。 D中背山から白馬岳。こちらも目立たない感じ。 D中背山から剱岳。こちらは存在感十分。 D北側。清水尾根。
     
D北東側。伝ってきた中背尾根。 D南東側。天狗ノ頭から唐松岳側。 D南側。五竜と鹿島槍遠望。 D西側。百貫山と名剣山が見える。
       
Dヤキソバパンと剱岳。 Dこんな隔絶されたような場所でも電波は届く。 硫黄沢を見下ろすと20mは有ろうかと言う鋭利な石塔が何本も立っている。 2050m付近の尾根に残る道形。
       
2120m付近 2290m付近。2452高点の岩峰が見えてからの登りが長かった。 E2452高点東で北にトラバースしてゆく。2460m付近。この標高でのトラバースは負荷が大きい。 深いハイマツ帯。足が地面につかない状態で15分ほど通過に要した。高度を上げるか下げるかして通過した方が無難。
       
ハイマツを抜けた先。 往路に通過できなかった雪庇(尾根)の出来た場所。 2590m付近をトラバースしてゆく。 稜線が近くなると、流れやすい斜面となり、雪面以上に気を遣う。
       
登山道にもう僅かと言う場所に流れがあり、雪解け水で喉を潤す。杓子沢コルで幕営する場合の水場となるだろう。 F杓子沢コルで登山道に乗る。 場所がらライチョウの姿をたくさん見る。 中央上に見える線が我がトレース。
       
G杓子岳北西の下降点。朽ちた木が2本立っている。 G下降点から葱平を見下ろす。直下の急峻は見えていないのでなだらかそう。 最初が結構に急峻。降りてきた斜面を見上げる。  葱平には外国人のパーティーがおり、少しだけ会話を交わす。
       
大雪渓を飛ぶように降りてゆく。 H白馬尻小屋の作業が始まっていた。 往路に間違えた場所。右に行かねばならないのを左に入った。これで2回目(笑)。 人工滝だが水量豊富で圧巻。 
       
I猿倉駐車場に戻る。       




 北アルプスの2000m超の未踏座は残り2山となっていた。予定では前週にエンマ山(炎高山)に入ろうと思っていたのですが、生憎の天気になり流れた。2012年改定の室堂利用ルールでは堂々ロッジ立山連峰から狙えたのだが、2014年改訂版からは、そう簡単には狙えなくなった。そんな前週なので今週は再度と思ったのだが、どピーカンの土日予報となり、それより、そうであるならば、ともう一つの未踏座を目指すことにした。

 
 2000年代初頭では、中背尾根を登り下りしている記事が見られたが、昨今ではわずかで、うちしっかり表現しているのは2006年5月のSK氏のものだけだろうと思える。氏は猿倉からのアプローチで登頂しているのだが、そうであるなら違うコースで挑み記録したいと、2012年5月に鑓温泉側から2度のトライをしたが、力及ばす敗退している(1回目2回目)。数え今度が3度目となるので、今度踏めなかったらショックは大きくなる。なんとしても登頂したい。

 
 主稜線から下る負荷を軽減させる方法として、宇奈月からの入山で欅平から歩く方法もある。今年も既にトロッコも欅平まで走るようになったので使えるのだが、今年の雪の多さはトンネルの出入り口を埋めてしまっていることが予想できる。となると、トンネル上の尾根を高巻きせねばならない。幕営装備での往復を思うと、歩道を覆う傾斜した残雪と併せて現地に入って戸惑うか、もしくは中止せねばならないことも考えられた。読めないリスクが大きいと判断。祖母谷側では、1997年には中背尾根に作業道を切った記述もある。しかしまだ雪のある時期。黒部の山だから黒部側から入りたいものだが、やはり猿倉から入ろうと判断した。

 
 もう一度鑓温泉側から・・・とも思ったが、二度あることは三度あるを自分から呼び込むような事にも思え、SK氏の軌跡を追うように、今回は大雪渓を登ることとした。そしてエンマ山を除いての北アの2000m超最終座でもあり、私らしい登り方で締めくくりたいと、幕営を封印しワンデイで挑むこととした。連日の夏日では、腐りに腐ってより苦労するとも思えた。SK氏のナビデータからは、片道13km。往復で26km。積算標高差は2879m。その往復なので5760mほどの登り下りとなる。北アの集大成としては遣り甲斐のある計画となった。そうは言っても何があるか判らないので、ツエルトは持ち、食料は二日分を考慮し、村営も利用できるように宿泊代金も用意した。最後までスノーシューの予定でいたが、出発直前にアルミワカンに切り替えた。

 
 21:00家を出る。三才山トンネルに潜って松本に降りるのだが、経路の二店舗でヤキソバパンにフラれ、安曇野での3店舗目でやっとゲットできた。持たずともいいのだが、今回ばかりは持った方が面白いだろう。何事も面白いか面白くないかで判断している。148号は白馬地内で大型車通行止めになっており、そのためかこの夜は不思議な感じがした。いつもなら夜間にビュンビュン走っているのに、一切大型トラックが見えないのだった。飯森陸橋の所から八方経由で322号へと入って行く。流れが横切った先に濡れたタイヤの跡が見られない。あまり入山者は居ないのか・・・と予想できた。


 0時を20分過ぎ猿倉の駐車場に到着する。停まっている車は10台ほど。この天気にこの数か・・・とも思ったが、到着時間としてはまだ早いのだろう。すぐに準備に入る。左右には寝ているだろう車両もあり、開け閉めは1回のみとして準備を終える。外気温は6℃、防寒具を着ずとも十分歩ける気温であった。ヘッドライト装着し準備完了。

 
 0:45出発する。砂防工事用道路の3割くらいは雪解けしていた。やや柔らかい雪の状態に今日一日の不安が増す。雪の量は2012年5月とほぼ同じに思えた。雪崩事故もあったのでかなりの人が連休に入っているだろう。そのためもありトレースもしっかり続いていた。長走沢を渡り北進していた道が西進に変わる。この先で白馬尻に向かうには小谷を左に見てさらに直進なのだが、気が焦っているのと、夜行なのと、盆暗っとしているので、またまた小谷へと入ってしまう。一度間違えているのだから学習すればいいのだが、なかなか治らない。トレースも見えなくなりおかしいなと思うのだが、1600m付近まで上がってから北西に進路を修正した。

 
 今日は不思議なほどに赤い三日月が出ていた。角度によるものなのだろうが、なにか不吉な予感もする。この先には雪崩事故現場もあり、これからそこに向かうわけでもあり、きれいな月には感じなかった。わずかなスリップでも疲労が増すので、早々にアイゼンを装着する。登るには適度に締まっていて快適であった。雪面はスキーヤーで乱されておらず、下りのトレースが残っている。そこを伝いながら高度を上げてゆく。

 
 岩室の下(東)側が雪崩れた場所のようで、一見してすぐにその場所と分かった。かなりの量が動いたようだった。十分注意しながら上がってはいるが、より左右の斜面に目を向けるようにした。4時を回り周囲が白み始める。山容からしての予測も加味するが、天狗原山辺りからこの日の来光が上がってきていた。急傾斜地を堪えて這い上がり葱平側との出合となる。地形図を読みながら、葱平を通過して杓子岳側に行ければ最短と思っていたので、雪の様子を確認する。行っていけないことはないが、途中で雪が消えている。それよりはこのまま雪に繋がった方がいいと、頂上小屋を目指して進む。すると・・・。

 
 そのまま弧を描くようにトレースは北を向くのかと思ったら、途中から西南西にはっきりとしたトレースがあり、そこには単独行者が降りてきているのが見えた。これなら丸山通過が端折れる。伝って進むが、単独行者は私とのスライドを避けて、南寄りの進路で大雪渓側へと降りて行った。単独行者らしいし、私も同じような行動をする場合がある。極力他人との接触はしないようにと。登りながら葱平の上部雪面を見ると、そこに二人分のトレースが見られた。通っている人がいる。帰りは利用しようと思うのだった。

 
 丸山の南2680m付近で県境稜線に乗る。時計は既に5時半に進んでいた。間違いなく溶けてゆくことに対し、休憩する時間を惜しんでそのまま南へと進んでゆく。丸山と杓子岳の鞍部には、2本の朽ちた木が立っている。なにか標識があったのだろう。帰路の下降点としてのいい目印になる。連休にトラバースしたのだろう、山腹を横切る跡はスキーのものだけだった。ふと見上げると、杓子岳の南面を登って行く人の姿が見える。逆に、私がこれから夏道を逸れてゆく姿も見下ろせるだろう。スキーでもないのに変な所へ向かうと思われるだろうとも思うのだった。

 
 SK氏が幕営した鑓ヶ岳と杓子岳との鞍部まで行くつもりでいたが、雪の繋がりが見えたので、清水谷側へと降りてしまうことにした。ただし最初が急で少しドキドキする。まあ滑っても広大な谷の中に入るだけなのでリスクは少ないのですが・・・。その谷の中まで降りたら今度は、登り上げねばならない。急峻を下る負荷と登る負荷、鞍部まで我慢して進んでからトラバースに入ればとも反省した。SK氏のルート図を見たものの、どの高度を進んでいるのかがハッキリと判らず、2600m以上と決め打ちして高度計を見ながら進んでゆく。

 
 上手く雪を辿って行けると思いきや、北側斜面には細尾根があるようで、そこに雪庇が出来ていた。西風により東を向いているので、向かう方向として真っ向勝負となる。一番薄そうな場所まで登ってはみたが、両手にストックではどうしても乗り越えられずに、ピッケルに替えなかったことを後悔するのと、その罰として下側を大きく巻く羽目になった。ここでは下側の尾根に取付く場所もかなり急峻の場所だった。北西側には、ナイフリッジの先に2480mの突起峰が見える。あの場所が名前があり有効座であったら、確保なくして登頂はない場所と見えた。

  


 距離にして20mほどのハイマツ帯を進む。ひざ丈くらいの地に足の着く場所で難なく通過してゆく。北西側には大岩の起立する場所があり、大岩の下を景勝地でも見学するように通過してゆく。風除けにもなり、寒い時は陽射しに岩が温められ、休憩したくなるような場所でもあった。SK氏が記述している西側でのハイマツの海に脅えていたが、おそらく氏より高い高度でトラバースしているためだろう、海を泳ぐことなく中背尾根に乗った形となった。


 中背尾根に乗った場所からは、最初に腰丈のハイマツ通過があり、強いて言えばここが一番の負荷になる場所であった。すぐ先に雪が見えているような場所なので、わずかな我慢で雪に繋がる。この先は2452高点の場所がすんなりといかないとのことであり、気にしつつ降りていたのだが、ふと気づいた時には、その岩峰が目線の高さで北に見えていた。広い尾根なのでルートの取り方次第で、その上に出てしまうだろうし、私のように逸れて通過する者も居るのだろう。中背尾根下降時の最初のハードルは横目に通過となった。


 向かう先の遠くに中背山が見えている。連休に尾瀬に入っていなかったら遠く感じる景色がだ、尾瀬での1日目と2日目の経験により、たいして遠くない場所とも思えるのだった。視覚上はなだらかな勾配で降りて行っている。まだ雪は締まっているが、そう感じるのも時間の問題だろう。急ぐか割り切るかなのだが、一生懸命急いでも割り切らねばならなかった。帰りは昼を挟んだ一番暑い時間となるのは見えている。あとは見えているところほど遠い・・・。


 2300m付近は大きな雪庇の上の硬い雪を選んで進む。中ノ谷側に落ちても死にはしないだろうと安易に思っていた。非常に軽率な行動でもある。2200m以下からは、少しづつ尾根に露岩が見えるようになる。2122高点の南に当たる場所で、SK氏が絶壁と記した場所となる。早めに北に降りようと思ったが、今年は通過できてしまうのではないかと進んでみる。しかし西へも南へも降りられず、突端から藪に突っ込み北へも降りられるが、傷だらけになりそうなので30mほど登り返して北に下る。この北に下る場所がやや勾配の強い場所となる。巻き終えて西に出る。西から東を見返すと、下からは登れそうな岩壁に見える。下りではザイルが欲しい。


 南西に進んでゆくとだらっと長い2130m峰がある。頂部を越した先から藪が現れ、往路は北を巻くのだが、巻きつつ尾根上を見ると、藪の先の岩尾根は何か歩き易そうに見え、再び尾根上に上がって行く。漕ぐような藪はなく岩の上を通過してゆける場所であった。この先の2100m峰があるが、雰囲気といい形といいニセ中背山と言うのにふさわしい場所であった。着いたのかと思い。思い切りぬか喜びをする。ここからはアップダウンが連続する。2100峰の西側には2畳ほどの自然の雪洞が出来ていた。


 下り込んでゆき2050m付近だと思う。雪を伝えなくなって雪のない尾根を伝うと、そこに道形と言って間違いない跡が見られた。これが往時のものなのかけもの道なのかは不明だが、自分の中では往時のものとしたかった。2070m峰を越え、ここでやっと終点地が見えてきた。登り返すのに適当なバンドがある。斜上してゆく夏道があるのかと思わせる場所もであった。直下にも自然の雪洞があり、イグルーで守られているような完璧な仕上がりであった。ただし人工物ではなく自然な融雪での穴だった。


 中背山到着。すぐに中村さんのリボンとSK氏のいたずら書きを探したが、時間が経過しすぎているためだろう、一切の人工物は見えなかった。素晴らしい展望台的場所で周囲が見える。本音を言うと、もっと中背尾根の高い位置からの方が当然展望はいい。ここでなければ見えないものは、北の硫黄沢のゲジゲジマークの場所に見える石塔だろう。自然でこのようにできるのかと思わせるほどに、細く高く起立している岩が、一本だけではなく何本も見える不思議な光景であった。針の筵岩とでも言いたい場所だった。恐る恐る杓子岳を見上げる。遠い・・・。時計は既に8時半近くになっていた。すぐにでも戻りたいが、そんな勝手の利く体ではなく大休止したい。猿倉から休憩と言う休憩はなしに8時間近く歩いてきていた。付近は硫黄沢からの硫黄に匂いがかなりする場所だった。


 今日はエアリアマップを持ち込んだので、見える山の同定が楽であった。毛勝三山側横から落ち込むブナクラ谷乗越の姿が白く深く綺麗であった。当然剱岳は凛々しく文句のつけようのないシンメトリーな姿で天に鉾先を突き上げていた。こちらも伝家の宝刀のヤキソバパンで対抗する。この山頂でヤキソバパンが撮影された最初であろう。いつかは行きたいと思っている百貫山と名剣山の雪の着き方もよく目に焼き付けておく。一度アイゼンとスパッツを外し日に当てて乾かす。持ち上げた(持ち下げたか)河内晩柑の酸味が心地いい。今日は水は作れないので2リッターの水を用意してきた。ほとんど減っていないので復路も大丈夫だろう。ウエストポーチ内の携帯が着信を知らせる。見るとここは電波の通じる場所であった。こんな遠い場所も下界と通じていると唖然とした。30分ほどの大休止の後、アイゼンを着けて登り返してゆく。


 足が重い。雪が重いのは北陸であり当たり前だが、自分自身の足の重さも感じるほどであり、ゆっくりと一歩一歩足を出して行く。2120m付近からは、途中の岩峰を通過せず、硫黄沢側の北側を伝ったほうが楽に歩けるのではないかと思わせる景色が広がっていた。そうは思うがギャンブルはせず尾根を行く。藪尾根の場所も迷わず突っ込んでゆく。中央突破で十分歩ける場所であった。岩の上でアイゼンがギャーギャー言う場所もあるのだが・・・。


 2122高点南の岩部の下まで戻る。おいしそうな雪面が進路左側の尾根北斜面に広がる。伝っていきたいが我慢して北を巻きつつ尾根に乗り上げる。今度は2452高点の岩場が見えてくるのだが、この岩を眺めている時間が本当に長かった。歩いても歩いてもずっと見えており、それほどに進んでいない事の裏付けなのですが、雪も緩んできて背負っているワカンでも着ければいいと判っているのだが、この先の2452峰の南はワカンでは無理、着けはずしを面倒がり、そのままアイゼンで通す。


 2452高点の東に登りあげる。南側斜面を九十九を切りながら登ってきた。標高は2470m付近。復路はこの標高近辺でトラバースして戻って行く。最初こそ雪が繋がっていたが、巻きだして2分ほどで強烈なハイマツとなった。昔の道のない時分の毛勝三山で体験したようなハイマツで、ほとんど地に足が着かなかった。早く終わらないかと先を見るも、しばらく緑のハイマツが広がっていた。楽をせず、もっと登ってからトラバースすればよかった。もしくはハイマツ帯の下を巻くルート。最後に登り返しが強くなるが、2300m付近まで下がれば一切のハイマツの邪魔はない雪面がずっと続いていた。


 ハイマツを長いこと漕ぎ、所持品を取られていないか確認する。取られたことは一度もないのだが、用心には用心と確認は大事。二度と来ないだろう場所だから。ハイマツを抜けると広大なカールの場所で、上側を気にしつつ、少し高度を上げながらトラバースしてゆく。雪庇で通過できなかった場所は、南から進んでくると見えてこない場所で、自分のトレースが残っており雪庇があるのが判った。北尾根となるのか、滑り登り返しているスキーヤーの姿もあった。付近は腐れ雪のトラバースで少し神経を使う。上からは落ちそうにもないが、自分がずり落ちそうな場所だった。後半は2700m付近でトラバースしてゆく。稜線までの300mほどは大ぶりな砂礫の中を進まねばならなかった。雪が乗る場所より足許が流れやすく厄介だった。それでも命の水と言うべきか、雪解けの冷たい流れが登山道に乗るわずか手前にあり、喉を潤し生き返る。鞍部で幕営した場合、水場として使えるだろう場所だった。


 鑓と杓子の鞍部で登山道に乗る。中背山を出発してから5時間が経過しようとしていた。今日は合計10.5時間ほどの登りってことになる。ライチョウがギャーギャーと出迎えてくれる。「よく頑張った}と言っていることにしよう。鞍部から雪解けした巻道を登って行きつつ、清水谷を挟んだ向こう側を見る。一直線にひかれた我がトラバース痕が美しい。杓子西面の雪の残る場所は深いツボ足になっており、疲れた中では腿上げが辛い場所であった。

 
 杓子と丸山の鞍部に到着。あとは下るだけなので気持ち的な負荷はないものの、ここから葱平へ降りてゆく斜面の斜度を見ると、ちょっと怯む。朝方だったら通過しなかったかもしれない。雪が腐ってきてちょうどよく降りられる場所となっていた。踵を入れながら下側を向いて降りてゆく。バックステップでないと危ないかと思ったが、雪の状態がちょうどよくグリップしながら降りて行けた。葱平の先、大雪渓との出合にポツンと青いテントが見え、人が動いているのも見える。急斜面が終わり緩斜面を経て、葱平のブッシュ帯を枯草をアイゼンに絡めながら進んでゆく。

 
 テントの場所に着くと、そこには外国人が二人いた。ボードを背負いスノーシューで上がってきていた。「杓子岳?」と聞いてきたので、地図を見せ中背山を示すと、尾根の末端側を指し、「こっちから来たの?」と言うので、「今朝、猿倉から」と言うと「ワオッ!!」と外人らしいリアクションをしてくれた。ニコニコしながら「リアリィ?」と言い半信半疑だったようだ。疑われても、ワイルドさと明るさが心地よかった。


 一気に大雪渓を降りてゆく。快適も快適、大きなストライドでグリセードしながら飛び跳ねるように降りて行けた。先を進む人を追い越し、スノーボードをする人とほぼ同じようなスピードで高度を下げていた。途中では7名の雪中訓練をするパーティーも見られた。進む先に白馬尻の建設現場が見える。まずは周囲の雪をユンボで削る作業がされている。毎年の事であろうから大変である。真っ黒になった顔が挨拶をしてくれる。この下で、往路に間違えた場所があり、見返しながら苦笑いとなる。


 よく踏まれた砂防工事専用林道を戻って行く。到着は夕方になるかもと思っていたが、まだ日のあるうちに戻ることができた。鑓温泉の登山口では、スノーボードの若者6名が降りてきた。「こんにちは」と発すると「お疲れ様です」と皆返してきた。これが最近の挨拶なのかと知ることになる。早朝でも使っていいのか、時間的なことを考慮したのか、位置からなのか、使い方が難しそうだ。


 猿倉に到着する。けっこう埋まっていると予想したが、数えて30台ほどと少なかった。連休後だからかもしれないし、早々に降りて行った方も多いのだろう。無事下山しワンデイ完了。着替えるのだが、蚋が多くて参った。もうそんな時季だと気づかされる。流れで靴とスパッツを洗ってから猿倉を後にする。


 振り返る。強引にワンデイとしたが、中背尾根を登り返しで使う場合は、SK氏のように幕営で計画し早い時間に往復した方が絶対に楽であろう。あとは登山道を離れてから、広い地形が多いので、視界が悪い場合は慎重に進まねばならないかもしれない。登山道から中背尾根へのトラバースは、標高2350m〜2450m間を進んだ方がハイマツや雪庇の障害を受けないと見えた。あまり清水谷側へ降りたくないので、そのようなコース取りはしなかったが、もしかしたらその方が楽に早く進めたのかもしれない。根性がある人は、鑓ヶ岳を小鑓まで這い上がってから西に進む方がすんなりいくのかもしれない。ただし現地での鑓への尾根筋を見ると登りたくはないのですが・・・(笑)。次があったとしたら、ぜひ祖母谷温泉から登りたい。その次が鑓温泉からかな・・・。















                            戻る