檜倉山   1744.2m          刃物ヶ崎山   1607.0m              
                     
                                                  
                                      

   2018.4.21(土)


  快晴     単独     清水街道より檜倉山経由刃物ヶ崎山往復   行動時間:14H26M


@清水地区除雪最終端1:42→(47M)→A東屋沢2:29〜35→(51M)→B檜倉沢3:26〜38→(23M)→C鉄塔2番目4:01→(186M)→D檜倉山7:07〜09→(27M)→E1575高点7:36→(25M)→F1530高点8:01→(54M)→G1512東8:55→(39M)→H刃物ヶ崎山9:34〜10:14→(45M)→I1500m岩峰10:59 →(35M)→J1530高点帰り11:34→(42M)→K1580m屈曲峰12:16→(26M)→L檜倉山帰り13:42〜47→(55M)→M清水峠登山口(檜倉沢)帰り14:42→(41M)→N東屋沢帰り15:23→(45M)→G清水16:08


   
@清水地区は巻機山への登山口分岐の除雪最終端。 ゲートのロープは外されていた。 途中に一輪車が置かれていた。これの意味は帰りに判る。 A東屋沢渡渉。前年度より雪解け水が多く感じられた。
       
A「カッパの足」登場。フリーサイズだが、登山靴には小さい。のびるので無理やり履く。 A履いてしまうと、グリップもしてくれ快適。 B檜倉沢の渡渉。ここもカッパの足を履く。 B快適で全く濡れず使える。
     
B清水峠登山口から巡視路を伝う。 最初の鉄塔の場所で水を得る。 C二つ目の鉄塔。ここにも流れがあるが、容易に汲めそうな場所が無く、積雪状況では1番側と2番側を使い分けたい。 尾根の1180m地点。うっすらと踏み跡が存在する。獣道か・・・。
       
1200m付近の水平道。 水平道を北に伝うと炭焼き窯が見られた。 1220m付近で安定した雪に乗る。 1220m付近から麓側。尾根伝いより尾根の北側斜面を登ってきた方が楽だったよう。帰りに検証。
       
1270m付近でスノーシュー装着。ヒールサポートを使いガンガン登ってゆく。 1280m付近 1510m付近。果敢にも直登を決め込みブッシュに突っ込む。しかし・・・。 1690m付近。ササは漕げたが、シャクナゲに追い出され、東に逃げて雪に繋がる。
     
D檜倉山は地形図通りに池塘が存在する。 D檜倉山の北側に出ると上州側がよく見える。中央右の高みが刃物ヶ崎山。カールに降り、写真中央左に見える黒い間をトラバースしてゆく。 E1575高点峰 F1530高点峰
     
F1530高点から見る刃物ヶ崎山 1500m岩峰南西側から。雪はほぼ落ちてしまっている。南麓を雪に繋がって巻いてしまった方が速いかもしれない。 1500m岩峰の最後 G1512高点東は南側を伝ったが、高い位置だと北側の方が安全。
   
1540m付近 1580m付近。直下。 H刃物ヶ崎山登頂。山頂の高みは雪庇の上な感じ。 H雪庇から東側を見下ろす。
     
H北側の尾根の様子。上部は伝い易そうに見える。 Hハモン沢に落ち込む岩尾根の上には、馬の鬣のように一列に針葉樹が生えている。刃物ヶ崎山から見える特異景観となろう。 H南側。右の高みが檜倉山。 H西側。柄沢山と米子頭山などの越後山脈。
       
H北側。巻機山や三ツ石山。 H東側。尾瀬方面。 H南側。谷川の馬蹄形側。 Hこの老木にすかいさん関の標識が在ったようだが、現在は人工物は皆無。
       
Hスマホも使え、この通り。ここで起動させ、NHKラジオの石丸さんの声を聴きながら昼寝。贅沢な時間だった。檜倉山までずっと途切れることなくラジオは聞けた(スマホは使えた)。 I1500m岩峰の帰り I1500m岩峰から見る刃物ヶ崎山側。見える1512高点を北に低く巻き過ぎて、見える雪の乗った北西尾根に乗ってしまった。 J1530高点帰り
       
K1580m屈曲峰。視界が悪い時は、ここは注意ポイントとなる。雪が乗ると曲がる角度は70度くらいとなっていた。 1620m付近。トラバースしてカールに入って行く。雪崩れそうな場所は無く、斜度だけはきついが危ない場所は無い。 L檜倉山の最高所 L檜倉山から大烏帽子山(左)と朝日岳(右)
       
L刃物ヶ崎山アップ 檜倉からは全て雪に繋がる。1690m付近。 1340m付近 1160m付近
       
谷を伝うと、往路の最初の鉄塔の場所(水を汲んだ場所)に出た。  M檜倉沢。清水峠登山口に戻る。 M一番下流の堰堤を伝えば全く濡れないのだった。往路は暗くて見えなかった。 東屋沢南に猟師が入っていた。
       
N東屋沢渡渉 水場は雪解け水で湧水地のようになっていた。 猟師が居た。体長700mmくらいの小熊が横たわっていた。子供でもクマなら害獣駆除になるのか。猟期外なので駆除目的の狩猟。ここにあの一輪車があった。 押し出しの個所は少ないが、一か所が大きい印象。
       
ちょうど桜が満開。清水地区に戻りこれらがあり晴れやかな気分になる。 Oいつもならスキーヤーの車が並ぶが、猟師の車ばかり。今季は雪解けが早いのだろう。




今期は例年とは違う行動をしていた残雪期であり、昨年に敗退した刃物ヶ崎山をどうしようと考えていたが、机上で悩むよりまず行動と、山旅を実行してみることにした。気温上昇が頻繁に伝えられ、今年の融雪はかなり早いと認識していたが、前週に湯沢に入ったときに、意外にそうでもない様子を見させられ、これがあって行動に移したってことでもあった。

 

岳人に刃物ヶ崎山が掲載された時があり、この時に山中山岳会のI氏と紹介された上州側から登ろうと計画したが、訳あって計画は流れてしまった。そしてうかうかしているうちに夜間に八木沢ダムに入れなくなり、日帰りで上州から狙うことがし辛くなってしまった。麓側でゲートが閉じられることから、降りても帰るに帰れないことにもなり、これにより二日がかりの山になってしまい足が遠退いていた。

 

ゲートの為か、いや危険度の軽減もあるだろう越後山脈側からアプローチする記録が増え、SK氏が明細な記録を残し、追って重鎮氏も踏んできている。後に続けと昨年の2017年にトライしたが、この時は豪雪の年で清水街道を往復しただけで這う這うの体で逃げ帰ってきた。この時、天気が悪くなったと言い訳をしていたが、狙うに値しない心持であり、やり遂げようと思う意思の弱さからの撤退であった。この時もワンデイ狙いであったが、今回も諦めず妥協せずワンデイを決め込む。しばらくぬくぬくとしていたので、ここらで名誉挽回と考えた。何の名誉なのか(笑)。

 

前日にSK氏と重鎮氏の記録を読み込もうと思っていたところ、現場仕事と会議が重なり時間が取れなかった。しょうがないので重鎮氏の軌跡地図のみハードコピーして持つことにした。アイゼンは持つとして、最後までスノーシューかワカンかと迷ったが、同じ持つなら機動力が上がるヒールサポートのあるスノーシューを持つことにした。当然ビバークをすることもあり得るので、最低限の幕営装備も準備しザックに入れた。

 

23:18家を出る。伊香保から関越道に乗り石打丸山で降りる。早川交差点にセブンが出来たので寄ってみたが、残念ながら焼きそばパンを仕入れることはできなかった。験を担ぐ思考からは今日も踏めないこととなってしまった。清水地区の除雪最終端にはワゴン車が停まり、明かりが灯り宴会がされているのが見えた。まだそんな時間での到着であった。ほかに車の姿がなく、その点では雪解けが早い年なのかと感じさせられた。すぐに準備に入る。気温は12℃あった。日中は夏日とも聞いており、今日はどこまで雪が腐るのかと気になった。

 

1:42スタートする。ヘッドライトを消してワゴン車の横を通り過ぎる。清水街道のゲートの場所では、ロープがフックから外されている状態になっていた。前年度に対し同じ時期とは思えない林道状況で、しばらく雪を踏むことなく乾いた路面を快適に進んでゆく。押し出しもないことはないが、あからさまに数が少ない印象だった。快適に歩けるのはいいが、上での雪の様子の方がかなり気になった。檜倉山まで上がって、あまりに白さがない場合は引き返してこようとも考えていた。ゲートから30分の場所に一輪車のフレームのみのものが置かれていた。なにか目的をもってここまで入れているのは想像でき、最初は山菜採りかと思っていた。

 

歩き出しから50分で東屋沢の渡渉点に着く。前年度より20分早くに到着した。今日は「カッパの足」という新アイテムを持ち込んだので試用してみる。しかしフリーサイズと書いてあったので家で試着もせずに安心していたのだが、登山靴の上に履くにはかなり小さく、無理やり引っ張って何とか履くことができた。どうしても履けないのなら小言を言いたくなるが、一応履くことができ、濡れずに快適に渡れたので私の中では利器と認定する。でも履くのも大変なら脱ぐのも大変だったりする。女性などの小さい靴なら問題ないだろう。

 

前年度は各所で危険を感じた林道であったが、この日は全くそのような感じがしなかった。鉄塔の先で木製ベンチを右に見て檜倉沢へ下りこんでゆく。ベンチを見たのは今回が初めてだった。ここでも前年度は危険な思いをして降りた場所には、雪解けした林道が顔を出し導いてくれていた。しかし檜倉沢の流れが強く適当な渡渉点がない。一番上の堰堤の場所まで行ったが流れが強く、下流の清水峠登山口道標の見えるあたりでカッパの足を履いて渡渉した。カッパの足が本日大活躍なのだった。

 

登山口からの登山道(巡視路)には、カタクリがたくさん顔を出していた。最初の鉄塔前の流れで1リッターの給水をする。流量も多く冷たいおいしい水であった。ここには切り株が沢山あり北東側に入ってゆけそうに見えたが、ここは重鎮のトレースに倣って2番鉄塔まで進んでから斜面にとりつく。その前に2番鉄塔前にも流れがあり、ここで大きく踏み抜き危うくドボンとなりそうであった。左岸に行くのを諦め右岸を進み、すぐに取りついたのだった。

 

やや急であったが、下草は少なく足上げはスムーズだった。そして1160m付近で尾根上に乗る。そこには道形が薄く存在していた。ここを伝う登山者はそう多くないことを思うと獣道とするのが順当だろう。時折シカの糞も見られた。ブナの大木に絡むように藪尾根を這い上がってゆく。どこまで上がると雪にありつけるのか、雪がなくても快調ではあるが、在ったほうが絶対に楽であろう。益々上州側の尾根の雪の様子が気になるのだった。

 

1200m付近で水平動あり、北側に伝って進むとこんもりとした石組みがあり、それは炭焼き窯であった。そのまま北に進むと斜面に雪のつながりがありシマッタと思えた。尾根伝いより谷部の方が雪があったわけで、谷登りの選択でもよかったのだった。少し伝い、雪が切れないことを見定めスノーシューを装着する。ヒールサポートを立てると、あからさまに楽になり機動力が上がった感じがする。もっと楽なのがスキーではあるが、スノーシューのヒールサポートもまんざらでもないのだった。

 

1270m付近で左側に顕著な高みが見えてくる。柄沢山であった。あの日のことが昨日のことのように蘇る。強風の中に登り、そしてホワイトアウトとなり鼻水を垂らし泣きながら降りてきたのだった。でもしっかり山頂を踏んでいるところは執念深いとも言える(笑)。1300mからは南側が開け、ジャンクションピークから清水峠への連なりが見られた。向こうはモルゲンロートになっている。いつもは日差しを受けたいと思って歩いているが、この日ほど曇って欲しいと思ったことはないかもしれない。この標高でも温度計はまだ10℃を示していた。

 

1500mくらいまで上がると、前方にこんもりとした檜倉山が見えてくる。直登できそうに見えてしまい、中央突破とばかりに東に突き上げる。笹が茂りこのくらいはまだよかったが、シャクナゲが出だすとスノーシューの足ではギブアップであった。南に逃げ雪に乗る。最初からチャレンジングなことはせず、南を巻き上げていたら10分ほど無駄をしなかったろうと思う。最後はひざ丈の笹を分け草地を進み池塘のある山頂に到着する。

 

檜倉山到着。ここまで約5時間半。最近の登山時間にしてはかなり長い登り。あと3キロほど歩かないと目的地に行けないことに対し、昨今の準備運動の悪さからして本当にこの計画は大丈夫なのかと自問自答していた。天気がいいので各方面の山々がくっきりと見えていた。当然のように刃物ヶ崎山への尾根も全て見えている。7対3くらいで雪が勝っているように見えるが、すでに県境から派生する尾根の場所で500mくらい雪が消えている。尾根伝いでは難儀するのが見えたので、時短には赤羽沢右俣源頭のカールに降りてしまうことと判断した。

 

スキーなら滑り降りれば一瞬だが、スノーシューの足なので、バックになって一歩一歩刻みながら降りてゆく。斜度の強い場所は20mほどで、あとはなだらかな地形で歩きやすい場所であった。見渡しても雪崩れる心配もないように感じた。1600mの場所は雪がなければ落ち口のようになった場所だろう。ここから北東に標高を保ちながらトラバースしてゆく。谷側の足のヒールサポートを立てて、ここでも利器を最大限利用する。やや長いトラバースに足が疲れるが、距離的にもショートカット出来た格好になったので良いルート取りだった。

 

1600mの等高線上を横移動した感じで、1600m付近で主尾根に乗る。ここからしばらくは快適な雪面歩きであった。スノーシュー下の雪は帰りには沈むのだろうことを危惧しながら、この天気はどのくらい試練を与えてくれるのかと気になっていた。それにしても雲一つない青い空の下に、白き山々が存在する。これがあるので山が止められないのは間違いない。1530高点は肩のような通過点で、その先の1530高点は円錐形上の姿のいいピークであった。この二つの高点に挟まれる場所に1580m峰があるのだが、下を向いて歩いていたら、そのまま北尾根に入りそうであった。特に視界不良の場合は誤りやすい場所であろう。

 

1530m峰の北側に出ると、この先の岩峰群がはっきりと見えてくる。雪が着いていないので、大きく南を巻いてしまおうかと思っていたが、それでもSK氏の示した「カモシカコース」を伝ってみたいと思っていたので、往路は尾根通しで行くことにした。さすがに手前でスノーシューからアイゼンにスイッチする。1500m峰の基部には、上部から落ちてきたブロック雪崩が堆積して樋のような溝を作っていた。そこを這い上がり、その上は灌木の藪を分け最後は斜度の強い岩混じりの場所となる。左手の岩がちょうどいい形でホールドし易く、それに対し右手側には灌木があるので掴まりながら這い上がってゆく。利用者が多く、灌木が抜けたり枯れたりしたら上がり辛い場所となるだろう。

 

1500m岩峰の上にはカッパの皿のように丸く雪が残っていた。やや痩せた尾根筋を藪漕ぎで進む。南は雪庇が崩れてはいるが、藪漕ぎより楽であろうといやらしい雪面を拾いながら進んでみる。もう一週早ければ状態は違っただろうと強く思う。もっと言えば、もう二週早くに今年は入りたかった。1512高点を越えてもまだ雪にありつけず1540m付近でやっと安定した雪に乗った。岩峰群の通過を経て、帰りは深く南か尾根北側の通過としようと思った。山頂まではもうわずかだった。時計は9時を回っていた。檜倉山に着いた時は、そうかからないと思っていたが、毎度そうではあるが「見えるところほど遠い」のである。ビートルズのプリーズプリーズミーを口ずさみだす。「♪hamon hamon hamon hamon please please me oh yeah like you」 ん、何か違うって・・・。

 

刃物ヶ崎山到着。在ると伝え聞くすかいさん関の標識がどこを探しても見えてこなかった。朽ちた大ぶりの老木があり、おそらくこの木に付いていたのだろうと思えた。よって人工物のない自然のままの山頂で出迎えてくれた。すぐに上州側のルートを目で追う。核心部となる東尾根の最後は、ここからでは見下ろせないような地形であった。もっと言うと、雪庇の上なので怖くて見下ろせる場所まで東に寄れなかった。もし伝ったとしても、私の力量では最後の最後で敗退だったろう。最後を西に振るコース取りもあるようだが、雪崩の巣でもあり度胸とタイミングが重要視されるだろう。それにしても大展望。周囲各方面が素晴らしい。そして檜倉山が遠い。ダメもとでスマホを立ち上げると、この秘境にして3本のアンテナが立っていた。すぐにらじるらじるを立ち上げNHKを聴くと、ゆったりとした石丸さんの口調が聞こえた。いつもはしないがSK氏ばりに昼寝をしてみようと、石丸さんの声を聴きながら雪面にひっくり返る。至福とはこのことだろう。

 

河内晩柑を食べビタミン補給してから帰路となる。往路は約8時間を費やした。帰りはどうだろう。差が出るのは檜倉山からの下りだけで、あとはほぼ同じだろう。無駄な計算するより、まずは檜倉山まで歩かねばならない。ネックとなるのは岩峰群で、ここを越えてしまえばあとは雪に繋がり歩ける。ゴア機能が完全に減退した登山靴は、水没したかのようにしっとりとし内部にもその影響が伝ってきていた。いつもそうなのでこれに慣れている自分がいるのだが、気持ちを引き締めるためにも靴紐を縛り直し復路に控えた。正座をして筋肉の強制ストレッチもする。久しぶりの本格雪山行であり、無事の下山後にはあちこちの筋肉から文句が出ることだろう。

 

西へ戻ってゆく。東から西に進むと、岩峰群東端からは尾根北側の雪が伝いやすそうに見えてしまった。それがあり迷わず北側を進んでみる。そう密生した場所はなく一番いい進路だったのかもしれないと思えた。がしかし、1512高点を北側から巻いていると、北西尾根に乗ってしまった。北側を伝うにも、ほどほど高い位置で伝わないとかえって無駄が出てしまうのだった。時折、細い道形も見えたりする。シカの糞が見られたので彼らの通路であろう。それを伝うのだが、疲れた足なので道形があってもアイゼンが引っかかったりするのだった。1500m岩峰からは、慎重に壁を下る。一度登っているから進路が判るが、初めて東から西進してきたら、降り方に迷う場所となろう。藪尾根の末端側まで伝ってしまうと降り難いことになり、ほどほどの場所で北側の残雪に乗ったほうがいい場所であった。

 

岩峰群を過ぎたらスノーシューに履き替えようと思っていたが、アイゼンでもひどくツボ足にならずに助かった。前年度の中背山では酷い思いをしたのでトラウマになっていたが、北アとここ、日本海側と上越国境の雪の違いを感じさせられた。とは言え、そう進度は上がらず牛歩に近い足の出し方であった。停まらないまでもコツコツと足を出してゆく。牛歩戦術は政治家に任せておき、こちらは歩いていればそのうちいつか着くだろう作戦であった。1530高点を越え1580m屈曲峰までも遠かった。それでも斜度が緩むと現金にも楽を感じ足が前に出るようになる。スノーシューを履かなかったのは、1600m付近からのトラバースがあるからで、日差しで緩んだ斜面ではアイゼンでも流れそうでスノーシューでは通用しなかったと思えた。主稜線を望むと、誰か通過しただろうトレースが新しくできているのが見える。円形劇場の中のようなカールを進み、スノーシューを蹴りこんで降りた急峻をアイゼンを蹴りこみながら登ってゆく。気温が高いから伝えたが、ガチガチだったらこのルートの選択はできなかった。気温上昇の恩恵だったかも。それも過ぎれば雪崩れるのですが・・・。

 

檜倉山到着。14時に近くなってきており、清水への帰りは18時くらいになるかと腹をくくる。山頂西側で往路に難儀したので迷わず南側を巻き込んで雪に伝うようにして降りてゆく。一部で急峻の下に大きなクラックがあり、その場所のみバックで下ったが他は伝い易い雪面であった。ここはスキーなら最高に快適であろうと思えた。往路のスノーシューのトレースをわずかに伝い、さらに下の1450mからは尾根の北側の斜面を降りてゆく。ここもスキーに最適で樹林間隔も広く雪の状態も良かった。ツボ足にならずに降りられたので、踵を入れながらそれこそ駆けるように滑るように降りられてしまった。970m付近まで降りると、その先の檜倉沢へは崖地形気味になり、降りてきた谷が自然と西側に向かうように進み、伝うと植林帯の中となった。ここには水路のような雪解け水の流れがあり、そこに絡むように進むと、なんと出た先は往路に水を汲んだ鉄塔の場所であった。往路に行こうか迷った場所だが、北に入っていれば、ほぼ尾根末端から雪にありつけたのだった。アイゼンを外して登山道を降りてゆく。そして檜倉沢を見て苦笑い。一番下流にある堰堤は水を被っておらず上を歩ける状態であった。快適に通過できる場所を往路では暗くてそれを見いだせなかったのだった。

 

堰堤上を伝って右岸に移動し、林道を戻ってゆく。鉄塔脇のベンチで座りたくなるような天気であったが、ここより素晴らしい眺望を楽しんできたので休憩は端折る。東屋沢の左岸に戻ると、犬を連れた人が見られた。遠目に登山者がいるのかと思ったら、近づいたら地元の猟師と判った。猟期は終わっているので駆除目的であることは判るのだが、「なにか見たかい?」と尋ねられ「上の方にカモシカはいましたけど」と返したら、「クマはいなかったかい?」と再度聞かれた。狙っているのはクマだったよう。双眼鏡越しに話しながらも斜面を眺めていた。東屋沢渡渉は、これだけ晴れていたらカッパも出番でないだろうと、登山靴のまま渡渉する。スパッツの効果か、そう濡れることはなかった。渡渉は装備より思い切りが大事かもしれない。

 

清水街道を戻ってゆくと、無名沢のところに6名のハンターが休んでいた。囲まれるようにして小さな子熊が横たわっていた。かわいそうなほどに小さく、普通に誤射してしまったのかと思った。私が近くに寄ると、その場から離れるような人もおり、勝手に「この人が撃ったんだ」と伝える人もいた。様子が少し変であり獲れて喜んでいる様子が全くなかった。そしてここに一輪車があった。往路にあったのは、もっと清水寄りの場所であったが、猟師所有の獣運搬用の一輪車なのだった。気持ちよく歩いてきた帰りに、不憫な子熊を見てしまいスッキリしないが、これも全て運として片付けることにする。子熊が誤射だったら、下手をしたら山中で動いていた私が撃たれてしまうってこともあり得る。足早にこの場を離れる。

 

前方に針葉樹が見えだしゲートが近いことが判る。おかげさまでそう遅くならずに戻ることができた。ゲートの先では満開の桜が待っていてくれた。往路では匂いも色も判らずに通過してしまっていた。先ほどの子熊のモヤモヤを払拭する奇麗さであった。除雪最終端には猟師の車が並んでいた。スキーヤーと思える車は3台のみだった。山旅を終える。

 

振り返る。前季と今季を体験し、雪の多い年と融雪が進んだ年を体験し、最良のタイミングが計りづらい場所と思えた。清水街道が快適過ぎれば刃物への尾根の融雪は進んでいるし、清水街道で残雪が多く疲れれば上までが遠くなるだろう。今回は清水街道で雪に乗った区間は全体の2〜3割くらいの距離であった。4〜5割あたりがベストな頃合いなんじゃないだろうかと思う。雪の状態や気温の兼ね合いがあり一概にコレと決め込めないが、私が再び登るとした場合はそんな判断を行うと思う。入口判断としては、ゲートの場所に雪が乗っているか溶けているかで、概ね尾根雪の見定め出来るかもしれない。今回は快晴の中だったので、主尾根を外した行動もあった。視界が悪かったら、もっと余計に時間がかかっただろう。









 
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