笠無
1476.0m
(1480m)
2023.5.20(土)
晴れ 単独 南西尾根より 行動時間:2H22M
@余地4:28→(7M)→A尾根末端4:35→(18M)→B建石4:53→(46M)→C笠無5:39〜58→(46M)→D尾根末端帰り6:44→(6M)→E駐車余地6:50
@南西尾根と林道が出合った場所から、東390m地点に2台分の余地がある。 | 伐採地の植林は2019年の作業のよう。ここを登ってもいい。作業道が見られる。 | 道が広くなった場所があり、停められそうだが、付近には倒木が2本あり憚った。 | A取付き点。マーキング在り。 |
尾根に乗った最初。 | 伐採地に出る手前で踏み跡が乱れる。 | 伐採地上に出ると、そこからは快適尾根。 | 伐採地の先からは露岩が出だす。 |
露岩頂部は迂回した方がいい。西にも東にも巻ける。 | B建石 | B陶板の標識がいつまでも綺麗。 | 下草の無い快適尾根が続く。 |
ヤマツツジ | ガッツボーズの木 | 再び露岩混じりに | 踏み跡は無いが迷い易い場所もない一本尾根。分岐点には道標あり。 |
起立した露岩が多い | 建石以外にも建石大の起立露岩がある。 | 1470mの肩に標識。 | 1470m肩。恩賜林の境界標柱。 |
1470m肩の海岸寺山への陶板道標。 | 1470mから山頂側を見る。 | C笠無を東から | C綺麗な無傷の三等点 |
C標識1 | Cこちらは判読不能 | Cエビカツパンと | C昔はもっとはっきり八ヶ岳側が見えた場所だろう。赤岳が見える。 |
C三角点から東に140mほど進むと1480m峰がある。広く居心地のいいピーク。 | C1480m峰の境界標柱 | 南西尾根途中の露岩が点在し枯山水のような日本庭園に見える場所。 | 「お水神上」分岐の陶板は割れており集めて治しておいた。 |
建石帰り | 建石の西側にも起立岩峰あり。 | 伐採地尾根に出る。切株があり休憩適地。大展望。 | ガスが無ければ南アルプスも見えるだろう。 |
D林道に降り立つ。 | E余地に戻る。 | 林道比志海岸寺線入口に見える笠無への道標。 |
2009年9月に比志ノ塒、雨竜山、海岸寺山と計画し登行した。この時に通過した「林道比志海岸寺線」に、いくつも「笠無」を導く道標が出ていた。気になったものの目的地ではなく見て見ぬふりをしたのだが、家に戻って机上で調べると、北杜市に合併する以前の須玉町で、登山対象の場所として紹介していた事を知った。私設標識にしては数が多いし不思議に思っていた謎が解けた。しかし・・・しかしだが、地形図にも山名事典にも1003山にも掲載されていない場所で、見て見ぬふりをしてきた。ここ最近は掲載云々に拘らず登るようにしているので狙ってみることにした。と言うのも、「甲斐百山」に名を連ねている場所であった。
2時に家を出る。金曜日からの雨が尾を引いているようで、フロントガラスを濡らしながら向かってゆく。なぜかこの日は、国道に何頭ものタヌキが出てきていた。内山峠を越えて佐久に入るまでに5頭と出合った。佐久に入ってからはシカも多く、雨だと獣が動き易いのかと思えた。R141号を南進して行き、いつものように南牧村役場前のセブンに立ち寄る。そして野辺山に駆け上がり清里を降りて行く。萌木の村を左に見たら国道から逸れるようにクリスタルラインに入って行く。そして浅川地区を通過したら、その先で海岸寺があるが、北側の分岐点から東に入って行く。これが林道比志海岸寺線で、この入り口には今でも笠無を導く道標が掲げられている。少し進むと西側に白い大きな看板があるが、そこにも笠無を導いている道標が在る。林道入口より先の二つの道標は山に対して道向かいに在るので注意。
ここまで書いて、道標に従い登ると思いきや、今日は南西尾根を利用するのでさらに進む。南西尾根と林道が出合う場所には余地がなく、少し西に進むと道幅が広くなっている。ただしここは倒木が林道幅半分を塞ぎ、それも2本が倒れていた。他にも発生するかと思うと停められず、さらに進むと流れを跨ぐ場所がカーブになっており、ここに2台分の余地があり安心して停めることが出来た。高根町の夜明け時間は4時9分。既に29分になっていたが樹林帯の中なのでまだ暗かった。
4:28出立。先ほどの倒木の先で山手側が伐採地となる。すぐ上が尾根筋で伐採地を登っても良さそうだった。斜面にはやや野草が繁茂していたが作業道もちらほらと見えていた。ちなみにこの場所は2019年にカラマツを植林したと立て札に書いてあった。ごく最近の伐採地であった。南西尾根と林道の出合いの場所は、腰丈くらいの擁壁があり、それが切れた北側に斜上する踏み跡がある。やや粘土質で雨上がりなので滑りやすい場所であった。尾根に乗ってしまえば、以後は快適に足を運ぶことが出来る。
取付きから3分ほど登ると伐採地に出る。この出る直前だけ、やや薮化している場所がある。抜け出すと南東側は大展望で気持ちよく、さらに足を進めると尾根の延長線上側に目的の笠無らしい高みが見えてくる。この伐採地の頭と言えよう場所には切り株が点在しベンチのようになっているので休憩適地であった。展望もすこぶるいい。展望スカイラインが終わり落葉樹の中の快適な尾根筋を伝って行くと露岩がちらほらと現れる。二つ目だったか、大岩が重なり合う上を進み、迷犬は二進も三進も行かなくなっていた。大岩を滑り降りたはいいが先に進めず、降りた斜面を登り返せず困っていた。よく確かめずに行動する部分は、人間に例えるならば3歳児の知能と言われる。助け出してやり南を巻いて抜けて行く。この先で大ぶりの起立した岩が現れた。「建石」かと思ったがそうではなく、ここから1分ほど進むと同じような起立岩が現れ、北側に陶板の標識が添えられていた。岩がある以外は変わらずの快適尾根で、餌となる下草が無いせいかシカの糞もほぼ見られなかった。ヤマツツジのオレンジ色が新緑に映え目を楽しませてくれる。
途中に奇形の枯れ木があり、根元には建石を案内する陶板が置かれていた。奇形と言うのはガッツポーズをしているような枝ぶりなのだった。しばし露岩が見られなかったが、この枯れ木の先で再び点在しだす。量も多くなり、尾根北側の広みに点在している場所は、さながら日本庭園のように見えていた。石が絵になる場所であった。この辺りにも起立した露岩が複数あり、この南西尾根の植生の無い頃は、露岩の並びがお地蔵さんが並ぶように見えただろう。それも笠を被っていないお地蔵さんで、山名の笠無なんじゃないかと勝手にこじつける。
山頂かと思って登り上げた場所は、1470mの尾根の肩で、残り2〜3分と道標が出ていた。この場所は海岸寺山への分岐点にもなっており、陶板道標が北側に見られた。恩師林の境界標柱も見られ、山梨らしいと思えてしまう。東に進んで行くと二辺を守られた三角点が現れた。”あまり登頂感のない通過点のような場所”な印象のばしょだった。
笠無登頂。奇麗な奇麗な無傷の三角点だった。中部山岳において極めて珍しい。やはりマイナーな場所であるからだろう。「百山」となった後ではどうなるだろうか。北側に二つの私設標識が在り、判読できるのは片方だけであった。展望は木々の間からだが、しっかり赤岳が見えていた。周囲が高木でない頃は、八ヶ岳を見る展望ピークだったことだろう。この日はヤキソバパンは入手できずエビカツパン。犬にエビはダメなので、迷犬はパンしか食べられないのだった。目的達成で戻って行く。そして1470mの肩で地形図の海岸寺へのルートを確認する。この時に先ほどの三角点ポイントの東に1480mの高みがあることに気づく。山としては1480ピークを踏まないと、槍ヶ岳山荘までで槍ヶ岳を踏んでないような感じに思えた。再び東進してゆく。
1480m峰は三角点ポイントから140mほど。山頂の地面からはシダの芽吹きがあり、頭の上はみごとな新緑。そして地面を覆うオレンジ色の枯葉に朝日が射していた。訪れてよかったと思える心地いい場所であった。当然だがここにも恩師林の標柱が埋まっていた。こちらの方が笠無の名前に相応しい場所に思える。山体の最高所を踏んだので、これで思い残すことは無く帰路となる。
三角点を経て再び1470mの分岐点。気持ちが揺らいだが、再び往路を戻ることにした。上側の露岩帯を下り、日本庭園風の場所を通過する。ここから10分ほど下ると、往路に気づかなかった道標が見られた。山中で何枚も陶板道標を見たので目が慣れてきたせいもあるが、割れたそれらしきものが落ちていた。裏返すと「←お水」と書かれていた。水場なのかとも思って片割れは何処かと探すと、2mほど離れた場所に在り、併せると「←お水神上」と読めた。おそらくではあるが、これが示すルートが、位置的に林道で導いていた場所だろうと思えた。気になったものの、これも見送る。この分岐から十数分で建石を通過する。その下の露岩帯は、南を巻くよう入り口と出口にマーキングが縛られていた。
伐採地上に出る。まだ6時半と言うのに灼熱な感じの日差しを浴びる。こんな中で何時間も山中を歩いたら、紫外線を浴びすぎて体がおかしくなるだろう。健康的な遊びであるが、近年の暑さでは不健康に思えるのだった。帰路も南アルプス側はガスの中であった。手前には斑山らしき顕著な山塊が見えていた。尾根を下り林道に降り立つ。舗装車道を戻っていると、児童を乗せた軽トラが挨拶をしながらすれ違って行った。駐車余地に戻る。
今回はほぼギャンブルしない往復路同じルートを辿った。と言うのも、前回の木賊峠からの山行時、過去最多と言っていいほどに大量のダニが迷犬にくっついていた。それが為、今回の往路は頻繁に確認しつつ進んだ。自然界なのでゼロは無理であり、数匹はいたが許容範囲。前回が前回だけに、復路もつかないルートを選んだのだった。それほど前回の場所が酷かったと言える。